Fate/Advent Hero   作:絹ごし

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第3話『深山町』

「なんでタイムスリップまでしてんだよ……、もう訳わかんねぇ…」

 

 真司はそう口に出さずにはいられなかった。その手には新聞紙が握られている。

 冷えた麦茶を啜りながら、眉間に皺を寄せて新聞紙を睨みつける。しかし、新聞紙に記されている日付が変わることはない。

 1992年8月11日。それが現在の日付だった。西暦に目を瞑れば、学生は夏休み真っ最中である。

 

 

 

 真司がこの家に来てから、一日が過ぎた。

 ちゃんと眠れるかどうか、真司としては不安だったが、ベッドの寝心地が良すぎて、きっちりと七時間の快眠を成し遂げた。

 寝て目を覚ましたらやはり夢だった。ということはなく、当然の如く二日目がやってくる。

 リビングで桜と朝食を食べ終え、お茶を飲んで一服していたところ、テーブルの横のラックに収納された新聞紙が真司の目に入った。

 真司は今日の朝刊だろうと思い手に取る。内容はなんの変哲も無いものだったが、ページの右上に記載された日付が真司を動揺させた。

 1992年。真司が命を落としてから約十一年前、真司がライダーになってから約十年前にまで日付が遡っていたのだから。

 

 ————オーディンのタイムベントか?

 

 ————いいや、ここまでの時間を遡れるはずがない。それに、この子に乗り移っている説明にもならない。

 

 ————ライダーの誰かが願いを叶えた後の世界か?

 

 ————最後まで残っていたライダー達にそんな願いを持っていた奴はいないだろ。

 

 疑問が疑問を呼び、真司の思考は鞄に入れたイヤホンのようにごちゃごちゃに絡まっていく。

 他者への憑依に加えて大規模な時間遡行。その問題の重さに押し潰されるように、真司は机にうなだれた。

 

 ——阿呆らしい、もう何にも考えたくねぇや。

 

 真司は思考を放棄してぼんやりと虚空を眺めることにした。

 

 

 

「あの、に、兄さん…?」

 

 しばらくして、真司のぼやけた視界の端に紫色の動く物体が映る。目のピントを合わせると、桜が心配そうにこちらの様子を伺っていた。

 真司は口を開くのも億劫だったが、幼い妹を無視してはいけないと思い、働かない頭で返事を返す。

 

「あ〜桜ちゃん、心配ないって。あれだよ、あれ。俺って低血圧だからさぁ。朝、駄目なんだよねぇ。あはは…」

 

「で、でも…」

 

 桜が視線を時計に向ける。真司が釣られてそちらを見ると、時計の時針は九時を指していた。

 真司はかれこれ一時間以上もの間、ぼんやりしていたことになる。ずっと真司を見守っていた桜は流石に心配になって声をかけてきたのだ。

 

「うわわっ、もうこんな時間かよ!…あっ、ごめんね桜ちゃん。ずっと放ったらかしにしちゃって」

 

「だ、大丈夫、です」

 

 桜はそう言って所在なげに俯いてしまった。自分が真司の微睡みを邪魔してしまったと勘違いしているのだ。

 一時間以上、自分に声をかけなかったあたり、桜は本当に控えめな少女だ。我慢強いとも言うべきか。

 このぐらいの歳の子どもなら、構ってもらえなければ、機嫌を損ねて癇癪を起こすか、拗ねて口を利かなくなるはずだろう。

 …真司自身が、かつてそうだったのだから。

 

「………よっし」

 

 このまま座って考えていても仕方がない。真司はカビでも生えそうな気分を転換させる方法を思いついた。

 椅子から立ち上がり、伸びをする。そして、俯いていた桜に声をかけた。

 

「桜ちゃん、ちょっと散歩に行かない?多分、俺も桜ちゃんと同じ小学校に通うことになるだろうからさ、案内してくれないかな?」

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 うんざりするほど喧しい蝉時雨が、現在の日付を証明していた。

 だが、その鳴き声は、東京で聞き慣れた、アブラゼミ特有の油を焦がすような鳴き声ではない。

 かつて、"セミ捕りの真ちゃん"として名を馳せた真司の勘がそう告げていた。肝心のセミの判別はできていないのだが。

 並木道で、こんがりときつね色に日焼けした少年たちが虫網を持って走り回っている。

正直、童心に帰って混ざりたい気分に駆られたが、真司はその誘惑を断ち切って前を向いた。

 

 桜に小学校までの道を案内してもらった後に、 真司はこのまま帰るのもなんだからと、迷子にならない程度にこの街を散策することにした。

 この蒸し暑い中、桜を付き合わせるのも悪いと思い、無理に着いてこなくてもいいと言ったのだが…。

 現在、その桜はカルガモの雛のようにぴったりと真司の後ろを歩いている。

 

 通りすがった道路の標識から分かったことだが、ここは冬木市の深山町という場所らしい。真司の知らない地名だった。

 街並みも少し変わっていて、間桐邸の周辺は洋風の建物ばかりだったが、とある坂道の境界線を超えると和風の建物ばかりになる。

 何か昔の名残なのか、図書館で郷土史でも読めばわかることだろう。

 

「それにしても、暑っちいなぁー。桜ちゃん、喉渇いてない?この辺に自販機でもあればいいんだけどなぁ」

 

 夏の日差しが真司の頭を照りつける。

 Tシャツの襟元をバサバサとさせて、暑さを誤魔化しながら、真司は桜を気遣う。熱中症にでもなられたら大変だからだ。

 お金については、真司たちが家を出る前に、使用人からやけに重たい小銭入れを渡されたので問題はない。後で気づいたことだが、重さの正体は大量の五百円玉だった。

 おそらく、子どもが会計の際にお札を出してしまったら、あらぬ疑いをかけられるからだろう。配慮が行き届いている。

 

「は、はい…あ、あの…」

 

 桜は遠慮がちに頷いた後に右手側を指差した。

 そこにはまだ、太陽が昇りきっていない時間帯だからか、絶妙な位置に日陰ができていた。

 おまけに自販機とベンチが置かれていて、これ以上のベストマッチな条件で休憩できる場所はない。

 

「おお〜!桜ちゃん、お手柄じゃないか!」

 

「わっ、わわ…」

 

 桜の頭を真司がわしゃわしゃと雑に撫でる。すると、初めて照れたような、驚いたような声を桜はあげた。

 

「早く行こ行こ!」

 

 真司はそれに気づかず、桜の背中を押して自販機に向かう。日陰はやはり違った。涼しい風が二人を出迎える。

 

「俺ポカリにしよっかなー…桜ちゃんはどれにする?」

 

「…兄さんと同じのがいいです」

 

「オッケー。……手が微妙に届かないじゃん」

 

 こういう所で、自身の身長の低さに違和感を感じる。

 真司が小銭を入れてから背伸びしてボタンを二回押すと、自販機がジュースを二つ落とした。真司はお釣りを忘れないように取り、ジュースを桜に手渡す。

 そして、ベンチに座りジュースを一気に喉に流し込んだ。清涼感が身体中に染み渡るような感覚が堪らない。

 

「ぼっはぁああ!生き返ったぁああ!」

 

 意図していない現状の再確認である。真司は一度本当に死んでいるので間違ってはいない。洒落にならない冗談だが。

 隣を見やると、桜もチビチビとジュースを飲んでいた。顔には出ていなかったが、やはり暑かったのだろう。

 結局、真司と桜は太陽が昇りきるまでここで休憩をすることにした。

 

 

 

「しっかし、うちもそうだけど立派な屋敷が多いよなぁ。この辺って」

 

 昇りきった太陽に日陰を掻き消され、避暑地を追い出された二人は、再び深山町を歩き回っていた。

 ここまで来る間にも、二件も並んでいる立派な武家屋敷や、間桐邸に見劣りしない大きさの洋館をいくつか通り過ぎている。

 

「———!」

 

 この街には金持ちが多いのか。真司が顎に手を当てて考えていると、唐突に桜が腰にしがみついてきた。

 

「ちょっ、何だよ桜ちゃん!?…犬?……犬かッ!?」

 

 即座に自分が怖いものを連想した真司は、身を強張らせて前方に目を凝らす。しかし、犬はいなかった。

 代わりにツインテールの少女が立っていて、真司を、いや、真司の後ろにいる桜を複雑そうに見つめていた。

 

「さ、桜…」

 

 少女が妹の名を呼んでこちらへ一歩踏み出してきた。心なしか、腰を締め付ける力が強くなった気がする。

 あの少女に何かひどいことをされたのか。そう思った真司は身構えて少女を威嚇した。

 

「や、やい! ()()()()になんか用かよ!変なちょっかい掛けて泣かしたら、俺が承知しないからな!」

 

「———っ!」

 

 その言葉を聞いて、少女は何かに耐えるように唇を噛み締めて真司を睨みつけた。

 

「し、知らないわよ!」

 

  しかし、すぐに耐えきれなくなったのか、火を点けられたかのように来た道を逃げて行ってしまった。

 反対を向く寸前に見えた少女の碧眼には、涙が少しだけ目元で盛り上がっていたような気がする。

 

「あれー?…さ、桜ちゃん…。お、俺なんか悪いことしちゃったかな…?」

 

 予想外の展開に居たたまれない気分になった真司は、未だにアサガオの茎のようにしがみついている桜に声をかける。

 

「………」

 

 しかし、桜はそれに答えず、小さくなっていく少女の背中をぼんやりと眺めていた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 既に昼食の時間だからか、遊んでいる子どもたちはおらず、公園は閑散としていた。

 順番待ちの必要がないブランコに桜が乗り、その背中を真司が一定のリズムで押している。

 キシ…キシ…と錆びた金属が擦れ合うことによって生じる軋みは誰かの歯ぎしりのようにも聞こえた。

 

「あのさ…さっきの子ってひょっとして桜ちゃんのお友達だったのかな?…だとしたら俺、悪い事したからあの子に謝んないと….」

 

「……違います」

 

「そ、そっか」

 

「…兄さんは悪くないです。私が、悪い子だったからいけないんです」

 

 桜のそれは余りにも自罰的な思考だった。自分を尊ぶという感情が、桜からは見受けられない。

 それが真司には少し癪だった。桜の背中を押す手を止めて抗議する。

 

「はあ?なんで桜ちゃんが悪いことになるんだよ?もし桜ちゃんが悪い子だったら、俺なんか凶悪な犯罪者になっちゃうっての!」

 

 それどころか道行く人全員が浅倉レベルの極悪人になるだろう。地獄だ。

 嫌な想像をしてしまったと真司が身震いしていると、桜が唐突に口を開いた。

 

「……じゃあ、私が…、私が悪い子じゃないんだったら、………どうしてお父様とお母様は、姉さんは———」

 

 ————私を捨てたの?

 

 確かに、桜はそう呟いた。

 

「——っ」

 

 真司は、なんとなく予想していた。複雑な事情がある子なのだと。

 ただ、血の繋がった家族と一緒に過ごす。そんな当たり前の権利がこの子には与えられなかったのだ。

 真司には桜の疑問に対する答えも、それを言う権利も持ち合わせていなかった。なぜなら、彼は両親から無償の愛を受けて育ってきた、ありふれた子どもの一人だったからだ。

 

「……ごめんね、桜ちゃん」

 

「……?」

 

 真司はそう言って隣のブランコに座る。

 

「その質問には答えられないや。だって俺、桜ちゃんのお父さんやお母さんに会ったことすらないし」

 

「そう…ですよね…」

 

 至極真っ当な返答だ。桜の両親に何も思うところがないわけではないが、向こうの事情も知らずに好き勝手なことを言うなど、今の真司にはできない。

 

「でも、一つだけ胸を張って言えることがあるよ」

 

 しかし、寂しそうに俯いているこの少女を放っておくことなど、もっとできなかった。

 

「やっぱり桜ちゃんは悪い子なんかじゃない、誰かを思いやれる優しい子だよ」

 

「そんなの——」

 

「——嘘じゃないって。…それに、俺さ、本当はちょっと心細かったんだ。桜ちゃんに会うまでは」

 

 真司は恥ずかしそうに頬を掻きながら苦笑いした。

 事実、以前の間桐慎二を殆ど知らないという桜は、現在の真司にとって、臆せずに素の自分を出せる有難い存在だった。

 

「兄さんが…?」

 

「うん…。あと、こっちに来てから桜ちゃんが初めてなんだよね。俺としっかり話をしてくれた人って」

 

 間桐少年の父も家の使用人も、一言二言、言葉を交わしただけで真司に見向きもしなくなった。以前は違ったのだろうか。それを知るすべは分からない。

 そんな中、桜は昨日、いかにも怪しそうな動きをしている自分に声をかけようとしてくれた。今日だって自分なんかの為に小学校を案内してくれた。

 そのちょっとした優しさが、真司にはとても嬉しいことだったのだ。

 

「だから、その…なんというか、桜ちゃんには割と感謝してるっていうか…。だから、その…そんなに悲しい顔して欲しくないっていうか…。あ〜もう…」

 

 良さげな言葉が思い浮かばない。悪辣弁護士の北岡辺りならこの内気な少女をお得意の弁舌で宥められるだろうに。無い物ねだりをする真司は、思わず頭を掻いて空を仰ぐ。

 

「とにかく、俺が言いたいのは!———んん?」

 

 真司はブランコから勢いよく立ち上がり、桜の方を向く。

 桜はブランコに座ったまま蹲っていた。

 

「どうした?桜ちゃん」

 

 返事はない。お腹を押さえているので、そこが痛いのだろうか。そう思い、肩に触れようと手を伸ばした瞬間。

 

 くぅーっという可愛らしい腹鳴が真司の耳に侵入して来た。

 

「………………」

 

 真司は、瞬く間に耳まで真っ赤になっていく桜から目を逸らし、無言で公園の時計を確認すると、納得するように頷いた。

 時計の時針が午後1時を指していたからだ。

 口元を押さえて笑いを堪えながら、桜の肩を軽く叩く。

 

「はっはふっ…、お、お腹減ってたんだね…ぷくくっ…、そうなら言ってくれれば…くふふっ」

 

「わ、笑わないでください……」

 

 桜は真っ赤な顔を上げて、真司を上目遣いで睨みつける。女の子の心の機微など、恐竜の痛覚並みに鈍い真司でも、桜が恥ずかしがっているということだけは理解できた。

 いつのまにか、二人の間の沈鬱な空気は霧散していた。

 代わりに、むず痒いような、それでいて不愉快ではない空気が充満する。

 

「ご、ごめんごめん。でも今から帰っても、ご飯食べるまでに時間かかっちゃうよな」

 

 この公園から間桐邸までの距離は子どもの足で30分ほどだ。そこに料理をする時間を加味すると相当時間がかかるだろう。

 

「あっそうだ!……ねぇ、桜ちゃん、さっきの言葉を取り消すつもりじゃないんだけど…」

 

「………?」

 

 真司は名案を思いついた。ポケットから小銭入れを取り出し、ジャラジャラと揺らす。

 

「一緒にちょっとだけ悪いことしてみない?」

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 食べ物の匂いがする商店が肩を寄せ合うように立ち並んでいる。

 

「ふぅ、食った食った。桜ちゃんもお腹いっぱいになった?」

 

「…………」

 

 真司がお腹をさすりながら後ろを振り返ると、桜は未だに大判焼きを頬張っていた。おそらく、一番のお気に入りなのだろう。

 

 二人はその後、公園のすぐ近くの脇道を抜けて、マウント深山という商店街で食べ歩きを済ませていた。

 行儀は悪いが、子どもだけで飲食店に入っても、追い返されてしまうのが関の山だからだ。苦肉の策である。

 食べ歩きながらこの商店街を一通り回り終えた感想は、食事関係はとても充実していて、今後もお世話になりそうだった。

 しかし、ゲームセンターなどの娯楽施設は皆無だったのが、真司としては残念である。

 

「さーて、次はどこに行こっかなー。やっぱり見知らぬ所を散歩するのって楽しいよなぁ。なんか自分の世界が広がるって感じがするっつーか」

 

「自分の世界が…広がる…?」

 

 大判焼きをようやく食べ終えた桜が、真司の独り言に反応した。

 

「うん、そんなに不思議なことかな?」

 

「いえ…きっと素敵なことだと思います」

 

 ———昨日から話をしていて分かった。この人は、多分間桐の魔術について、何も知らされていないんだ。そうでなければ、こんなにも明るい笑顔ができるはずがない。

 

 何も知らずに笑っていられる真司を、桜は少しだけ妬ましく思った。だが、同時に、この陽だまりのような笑顔を曇らせたくないとも思った。

 あのような地獄は、絶対に知るべきものではない。自分だけが耐えればいいことなのだから。

 

「でしょでしょ。まだ結構時間あるし、俺、深山町を知り尽くしちゃおうかな!」

 

 真司は桜の小さな手を取って、再び当てもなく歩き出す。なんだか、二人ならどこへでも行けそうな気がした。

 

 

 

 

 だが、真司は一つ重要な事を忘れている。自分は道を覚えるのが苦手だということを。

 結局のところ、帰り道は自分の半分も生きていない子どもの桜に先導してもらい、なんとか家に着くことができた。

 年長者としての面目は丸つぶれである。

 

 




最後のほう結構駆け足気味になってしまった…

感想、アドバイス、お待ちしてます。

2/19
最後の方が物足りなかったので、少しだけ書き足しました。

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