Fate/Advent Hero   作:絹ごし

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第30話「龍騎士の記憶」

 息が苦しい。酸素を取り込もうと、身体が空気を求め口を開く。だが、肺や胃袋に流れ込んで来るのは重たい水のみ。

 それでも、本能には抗えなかった。水を空気の代わりに吸えば吸うほど、身体も重さを増して沈んで行く。

 やがて、宙に浮いたままの足の裏が地面を捉えた。そこは、真っ暗な深海の底のようだった。

 内側から破裂しそうな胸の苦しさを堪え、自身の重さと水圧に軋んだ身体を両脚で支え。一寸先も見えない、凍てついた悪夢の中を彷徨う。

 

「———」

 

 歩き始めてから、どれだけの時間が過ぎたか。この場所に出口はあるのか。不安と諦観に足を止めた瞬間。

 微かな、本当に微かな熱を皮膚が感じ取った。弾かれるように、俯いた顔を上げる。

 

「———」

 

 暗闇の彼方に小さく煌めく何か。熱源と光源の性質を併せ持つそれは、まるで深海に迷い込んだ太陽だった。

 温かい方へ、明るい方へ。冷たく暗い水を掻き分けて闇雲に走り続ける。あの光が、この悪夢から解放してくれる存在なのだと信じて。

 

「——————」

 

 しかし、漸く近くまで辿り着いた先には、その光を攻撃する忌々しい蠅が二匹も居た。

 絶対に守らなければ。その為には、あの羽虫たちを捕まえて潰してしまう必要がある。

都合の良い事に、手足や指先を上手く使い分ければ、追い詰めるのは容易だった。

 

「——————」

 

 だが、寸前のところで、背後の光がこちらの気を引くように瞬く。確かに、このような虫を潰しても悪夢から醒める訳ではない。

 身を翻し、そちらへと歩み寄って触れようとするが、綺麗に躱されてしまった。誘われるように、後を追おうと駆け出す。

 

「———、———」

 

 どれだけ、どれだけの距離を追い縋ったのか。幾度と無く伸ばした手は、背中に届きそうで届かない。

 無理をして進み続けたからか、溺れそうな苦しみが無視できなくなる。駆ける足も、それに伴い緩慢となってゆく。

 こちらの限界を知ってか知らずか、前方の光が急速に遠退き始めた。その先には、この深海の底さえも抉り取るかのような、途方も無い隔たりがある。

 

「———」

 

 じゃあな。突き放すような別れの言葉が聞こえた気がした。狼狽に塗れた足取りで追い掛けるものの、光はその隔たりを難なく越えて行ってしまう。

 嫌だ、絶対に嫌だ。温もりや明るさの心地良さを知ってしまったのだ。それを喪うなど、何があっても受け入れられない。

 

「———、———、———」

 

 自分を此処で一人にするというのならば、この悪夢が醒めなくても良い。もう一度、此処まで引きずり込んで、もう二度と離さない。

 止め処無い欲望と絶望が、胸の中で溶けて混ざり合う。声にならぬ嘆願を叫び、隔たりの向こうの光へと飛び込む。そして、衝動のままに手を目一杯突き出した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

【SWORD VENT】

 

「…………?」

 

 何処かで聞き覚えのある機械音声が、暗闇の最中にあった意識を覚醒させた。

 閉じていた瞼を開けて、桜は周囲を見回す。そこは、看板や標識が左右に反転した不思議な場所だった。

 それだけではない。人々が行き交う筈の街の往来が、夜でもないというのに無人なのだ。

 動く者たちの気配を感じ、桜の意識は自然にそちらへと向けられる。その先では、龍の仮面の騎士……龍騎と蜘蛛の怪物が睨み合って対峙していた。

 

 ———はあぁっ!

 

 怪物の胸部から射出された棘を、機敏な体捌きと青龍刀によって難なく弾き返し、龍騎は蜘蛛の前足へと飛び乗る。そして、胸部にある三つの赤い結晶を切り砕く。

 

【FINAL VENT】

 

 怪物の腕に押し出されながらも、武器を左手に持ち替え、必殺の切り札を切る。

 固有の構えを取り、精神統一を果たした龍騎は周縁を舞う赤き龍と共に跳躍した。

 

 ———だああぁぁっ!!

 

 龍の口から放たれた火炎の奔流を背に受け、龍騎が蜘蛛の怪物へと繰り出す蹴撃。

 必殺の名に相応しい一撃は、絶大な威力を以って怪物を跡形も無く爆散させた。

 これまでに桜が目にして来た戦闘に違わぬ強さだ。思わず、その雄姿に見入ってしまう。

 すると、蝙蝠の仮面の騎士が龍騎の背後からやってきた。類似的な姿形からして、彼の仲間なのか。

 

 ———龍騎か。……今のうちに潰しておいた方が良さそうだな。

 

 だが、桜の予想を裏切るかのように、蝙蝠の騎士は龍騎の頬を殴りつけた。続け様に剣を振るい、容赦無く斬り掛かる。

 蝙蝠の騎士は敵だった。ならば、自衛の為にも龍騎は反撃をするのだろう。あの時の夜のように。

 龍騎は青龍刀を構え直し、蝙蝠の騎士へと突進する。その動作は、どこか拙いものが含まれていた。勢い任せのままに、龍騎は刃を大きく振り下ろす。

 

【TRICK VENT】

 

 対して、蝙蝠の騎士は分身のカードを駆使して刃を躱し、周囲を囲んで龍騎を翻弄した。背後の死角から、着実に攻撃を与えてゆく。

 そして、横合いからの跳び蹴りで顔面を蹴飛ばし、龍騎を円柱に強く叩きつけた。

 

【SWORD VENT】

 

 目を逸らしたくなる程の一方的な戦いは続いた。蝙蝠の騎士が召喚した突撃槍と青龍刀が打ちつけ合って拮抗する。

 しかし、龍騎の得物が槍の先端に打ち上げられた。驚愕の声に伴って、龍騎の視線も上がる。数秒の間隙に、痛烈な一撃が見舞われた。

 

「なんで、本気出さないの……?」

 

 桜が無意識に呟いた言葉は、龍騎には届かずに霧散する。顔を殴り抜かれ、腹を蹴り抜かれ。

 遂に、桜を守ったヒーローは地面に倒れ伏し、蝙蝠の騎士に足蹴にされた。

 ライダーとの戦いでも、幾多の竜牙兵との戦いでも。つい先ほどまでの、蜘蛛の怪物との戦いですら見せなかった不自然な弱さに、桜は困惑する。

 

 ———なんでだよ……っ。

 

 桜の心境を反映するかのように、龍騎は苦しげな呻き声を漏らした。口を閉ざしたまま、蝙蝠の騎士は足蹴を解かずにカードを引き抜く。

 とどめを刺そうとしているのは、火を見るよりも明らかだった。傍観者である桜に、蝙蝠の騎士を止める術は無い。

 

「……!」

 

 だが、カードがバイザーに差し込まれる寸前。桜の周囲の光景は突如として不明瞭になった。まるで、テレビのスノーノイズのように。

 

 ———やめろ! 俺は戦うつもりなんか無い!

 

 やがて、龍騎の必死な呼び掛けと共に、景色を覆うノイズが晴れてゆく。戦いの場面を寂れた廃工場に移しながら。

 対峙する相手も、蟹の仮面の騎士へと姿を変えていた。龍騎は盾を構えて、縦横に振るわれる蟹の騎士の鋏を唯々防ぎ続ける。

 

「………………」

 

 そこに、積極的な抗戦の意思は感じられない。まるで、見えない手枷と足枷を何重にも嵌められているかのように、龍騎は一方的に打ちのめされている。

 桜には分からなかった。自らを害する者を退ける力が、彼にはあるというのに、本気の力を仮面の騎士たちに振るわない理由が。

 明確な答えが示されぬまま、戦いの場面は蟹の騎士の最期の場面へと移ってゆく。その末路は、酷く惨たらしいものだった。

 

 ———カードデッキは全部で十三。倒すべきライダーは、あと十一人。…………お前を入れてな!

 

 砕け散った蟹のエンブレムを見やりながら、蝙蝠の騎士が龍騎へと生存の意志を叩きつける。戦わなければ、生き残れないのだと。

 その言葉が、真実である事を示すように。様々な姿形の、様々な思惑を持った仮面の騎士たちが、龍騎の前に立ちはだかった。

 

 ———お前たちの望み通り、もう二度と会う事は無い。

 

 馬鹿げた数の砲門から放たれる弾丸と光線の一斉射撃。雄牛の騎士が齎した爆発に次ぐ爆発が、あたり一面を焼け爛れた焦土へと変貌させる。

 

 ———ふははははは……っ。こういうもんなんだろう? 違うのか?

 

 聞く者の恐怖を駆り立てる悪辣な哄笑。仕留めた獲物の断末魔や手ごたえの余韻に浸る間もなく、蛇の騎士は次の獲物の品定めをする。

 

「…………っ」

 

 襲いくる仮面の騎士たちの悉くが、龍騎の制止を聞き入れずに戦い続けた。各々が、自らの力を思いの儘に振るい続けた。

 普遍的な倫理など存在し得ない、敵意の坩堝と化した殺し合い。それは、桜が良く知る聖杯戦争に酷似していた。

 

 ———人を守る為にライダーになったんだから、ライダーを守ったっていい!

 

 それでも、どんな危険に傷付く事があっても、龍騎は全力で戦いを拒絶し続ける。どれだけの敵意に曝されても、己の意思を曲げようとしない。

 その後ろ姿を見守る中で、桜は仮面の騎士たちと本気で戦わない理由を見出した。

 

「……あの人は、優しすぎるんだ」

 

 戦いの最中に於いても、人としての良心を失わない。誰よりも優しい強さを龍騎は持っている。

 しかし、その優しい強さは、意思を持つ者との戦いに於いて、致命傷とも呼ぶべき甘い弱さだった。

 桜の推察は場面が進む度に確信へと形を変えてゆく。逃げる事さえも知らない頑なな心は、代償として苦痛を自らの身体に積み重ねてゆく。

 

 ———うわあぁぁ!

 

 また場面が切り替わった。深き群青の鎧を身に纏い、更なる力を得た蝙蝠の騎士が、荒れ狂う暴風を巻き起こす。

 そして、龍騎へと旋風の如き剣戟を浴びせてゆく。歴然とした力の差を前に、龍騎は抵抗虚しく弾き飛ばされた。

 

 ———戦え……。戦え……!

 

 呪詛のように繰り返される呼び掛け。仮面の隙間から見える敵意と殺意に滾った青い双眸は、第三者に過ぎない桜にさえ怖気を走らせる。

 射殺すかのような鋭利な視線を、一身に受けた彼の戦慄はどれだけのものだったのか。桜には計り知れない。

 龍騎は力なく地面に座り込んだまま、緩慢と躙り寄る蝙蝠の騎士の重圧に一瞬だけ俯いた。

 

 ———でも、俺は……。俺は……っ!

 

 それでも、彼は痛む身体に鞭を打って立ち上がる。そして、押し寄せる敵意を跳ね除けるように一枚のカードを引き抜いた。

 そのカードに描かれていたものは、不死鳥を想起させる金色の翼だった。瞬間、龍騎の周囲が灼熱に包まれ、蝙蝠の騎士をも巻き込んで燃え広がる。

 

【■■■■■■■】

 

 燃え盛る炎に前を塞がれ、桜は龍騎の姿を見失ってしまった。留まる事を知らない火炎は、やがて桜の周囲にまで及ぶ。

 しかし、迫り来る熱の奔流は、桜の身体を焦がす事なく、その意識のみを包み込んだ。まるで、この場からの退去を告げるように。

 

 ———俺は、絶対に死ねない。一つでも命を奪ったら、お前はもう後戻り出来無くなる!

 

 ———俺はそれを望んでいる。

 

 最後に交わされた誓いの言葉と決意の言葉。揺らめき滾る烈火と吹き荒び逆巻く疾風が、反転した静謐の世界に、劈くような轟音を響かせて衝突した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 カーテンの隙間から射し込む朝日が、閉じていた瞼を一点に照らした。眩い光に醒まされた桜の意識は、いの一番に龍騎の姿を幻視する。

 

「…………夢、だったのかな」

 

 瞼を薄く開けて、桜はぼんやりと天井を見つめる。呟いた言葉を心の中で反芻し、小さく首を横に振った。

 あれは、夢と呼んで片付けるには、あまりにも現実的なものだった。過去の記憶と呼ぶ方が相応しいだろう。

 彼が何の為に聖杯戦争に介入するのか。その理由が、後ろ姿を通して分かったのだから。

 

「でも……。どうして、あの人の記憶なんか———」

 

 己のサーヴァントと違い、桜と龍騎の間には何の契約も繋がりも無い筈だ。そう思うと同時に、壁に飾られた絵画の額縁の裏から、何かが落下した。

 

「———ぁ」

 

 それは、桜が幼い頃に出会った、不思議な少女から貰った宝物のスケッチブックだった。

 落ちた拍子に開かれたページには、拙いながらも、特徴的な赤い龍と青い蝙蝠が描かれている。

 布団から這い出てベッドを降り、桜は古ぼけたスケッチブックを手に取って無我夢中でページをめくった。

 

「……偶然、あの龍と似てただけじゃないの」

 

 赤い龍だけではない。クレヨンで描かれた絵のほぼ全てが、龍騎の記憶の中に現れた怪物に酷似していた。

 めくり切ったページを遡り、桜は赤い龍の絵を指でなぞる。どれが一番好きか。そう問われて選んだ時と同じように。

 

「………………」

 

 子どもの頃、桜は毎日のようにこの絵を眺めていた。初めての友達との暖かで幸せな思い出を、冷やかで辛い日々に塗り潰されないように。

 義理の兄という、どこか不思議な少年が長い留学からこの家に帰って来るまでは。

 自分の部屋に間違えて入ってゆく少年が、机の上のスケッチブックに手を伸ばすまでは。

 大事な思い出であるが故に、誰にも知られたくはないのだと。つまらない独占欲が働き、絶対に見つからない場所に隠しておいたのだ。

 

「優衣ちゃん……」

 

 このスケッチブックを桜に手渡した優衣という少女は、鏡の中から現れた赤い龍と関係が有るのか。

 仮面ライダーと呼ばれる者同士の戦いに、優衣は何らかの形で関わっていたのか。それは、龍騎に聞けば全て分かるのかもしれない。

 

「でも、今はとにかく…………?」

 

 答えの無い疑問に区切りをつけて、桜は膝の下に敷かれたままの寝袋を見やる。中身が空っぽのそれは、まるで蛹の抜け殻だった。

 

「っ……。に、兄さんったら、寝袋も片付けないで」

 

 昨晩、無茶な魔術行使の皺寄せで倒れた所を、最後まで付きっ切りで看病されてしまった事を思い出す。

 よく食べて、よく寝るだけで治る程度の体調不良だったが、側に居てくれるだけで心強かった。

 桜は照れ隠しに文句を呟きながら、スケッチブックを一旦机の上に置き、真司が寝ていた寝袋を綺麗に丸める。

 

「ちゃんとお礼、改めて言わなきゃな……」

 

 竜牙兵の襲撃から、桜が龍騎に助けられた直後。それらの不自然な出来事を詮索しないでくれた事も含めてのお礼だ。

 心なしか、普段よりも体調が優れている気さえする。日に日に胸の内を浸してゆく悪感情。それが、今日に限って一切止んでいるからだ。

 自分で思っていたよりも、自分の心は頑丈なのか。これならば、最後まで耐えられるかもしれない。

 欠伸混じりに大きく伸びをして立ち上がり、桜は真司を探そうと部屋を出た。

 

「兄さん……?」

 

 しかし、静まり返った廊下からは人の気配が感じられない。窓の外から聞こえる雀の小刻みな鳴き声が、やけにさざめいて聞こえた。

 妙な胸騒ぎを覚えた桜は、忙しのない足取りで階段を降りるが、それは杞憂に終わる。

 

「……もう、びっくりさせないでください」

 

 真司の姿は、階段を降りて直ぐに見つかった。廊下の道を塞ぐように、床に大の字になって寝そべっている。

 豪快な寝姿とは反対に、その寝顔はやや苦しげだった。冬の廊下は冷えて寒いからだろう。

 

「兄さん。そんなところで寝てたら、昨日の私みたいに風邪ひいちゃいますよ?」

 

「ぬ、う……看病……よろしく、お願いします……」

 

 病み上がりの人間に看病をさせる気なのか。夢現な意識の真司から、そんな素っ頓狂な返事が返ってきた。

 桜としては非常に大歓迎だったが、寒い思いをさせてまでこのような場所に放っておく理由は無い。

 普段通りの声音で、桜は真司に起床を促す。不可解な出来事の連続だったが、彼さえ無事ならば瑣末事だ。

 

「ほら、ちゃんと起きてください。私、昨日の晩御飯がお粥だけだったからお腹空いてるんですよ」

 

「あ、あと五……時間、だけ……。そしたら……朝飯に、しよう」

 

「あと五分だけだったら考えましたけど……。そんなに寝たらお昼御飯になっちゃいますって」

 

 時間の単位を一つ間違えている。流石に、そこまでの寝坊は許してやるものか。

 桜は床にへばり付いた両手をがっしりと掴み上げ、ゆっくりと起き上がらせる。そのまま、こちらの誘導に従順な真司をリビングまで牽引した。

 

「……今からすぐ朝御飯の支度しますから、それまでにしっかり起きててくださいね?」

 

「はーい……」

 

 今ひとつ呂律が回っておらず、頼りない返事を背に受け、桜はキッチンへと向かう。

 知らず識らずのうちに安心していたからだろうか。桜は気づけなかった。

 緩慢と左右に振られる真司の右手。その袖口から僅かに覗く、痛々しい痣の痕に。




ある意味で、桜と見る仮面ライダー龍騎。的な感じの話になりましたね。継続して視聴する機会が桜にあるのかは、今後の展開次第になりますが。
34話の龍騎の強化フォームお披露目の場面は、五指に入るぐらい展開が物理的にも熱くて大好きです。

感想、アドバイス、お待ちしております。

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