Fate/Advent Hero   作:絹ごし

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第31話『姉弟の邂逅』

 車庫のシャッターを下から押し上げ、手前に駐車された原付へと真司は跨る。目的地は深山の商店街。

 昨日は骸骨たちの襲撃の所為で、帰り掛けに食材を買いに行く暇がなかった。それに加え、今朝は桜がよく食べたので、冷蔵庫の中は殆ど空っぽなのだ。

 だが、鍵を回してハンドルを握ろうとした瞬間。氷を直に当てられたような錯覚が、真司の右手を駆け巡った。

 違和感に顔を顰めた真司は、手袋を外した後に右腕の袖を捲り上げ、まじまじと素肌を見つめる。

 

「うっわぁ、やっぱりすんげー痣だな。痕残ったりとかしないよな、これ……?」

 

 手首から肘にかけてを覆う、痛々しい赤色に変色した痣。それは、昨夜の黒い影が真司を捉えた際に生じたものだった。

 深い執念を感じさせるその名残りに、薄ら寒い怖気を禁じ得なかった。捲った袖を元に戻して、真司は原付を発進させる。

 

「………………」

 

 黒い影の触腕に右手から引きずられ、呑み込まれる寸前。真司はバイザーの中のアドベントを無理矢理にでも切ろうとした。

 しかし、ドラグレッダーを召喚するまでも無く、黒い影は唐突に動きを止めたのだ。

 緩んだ拘束を力づくで引き剥がし、真司は家へと脇目も振らずに逃げ帰って来た。

 今朝まで廊下で寝ていたのは、精根尽き果てて部屋にまで戻る体力が無かったからである。

 

「っとと、通り過ぎるっての」

 

 昨夜の不可解な出来事を思い出している内に、商店街まで着いてしまった。

 原付の速度を落とし下車をして、ヘルメットをバックミラーに引っ掛けた後に、そのまま押して入ってゆく。

 平日の昼前の時間帯だからか、道行く人はほどほどに疎らだった。顔見知りの人々と、すれ違い様に挨拶を交わしながら、真司は昼食と夕食の献立を並列で組み立てる。

 

「そういえば、最後に来たのいつだっけ。……結構久々に感じるなぁ」

 

 一週間のうちの何度か、真司が足繁く通っている馴染みの商店街。此処は何も変わらず穏やかだ。

 確か、最後に来たのは東京へ行くと決めた前日だったか。此処が次の瞬間には戦場になっている可能性があるなどと、その時の真司は考えもしなかった。

 

「———うげっ」

 

 だが、その日常的な景色は、道を曲がって十数メートル先の非日常的な存在によって上塗りされた。

 進んできた足跡をもう一度踏み直し、真司は後ろも確認せずに後退して建物の陰に隠れる。

 そして、原付を一旦道の脇に停め、顔の半分を陰から出して向こう側を覗き込んだ。

 

「なんで、よりにもよってあいつらが居るんだよ……。通れないじゃん……」

 

 目当てとするスーパーまでの道のり。その道を阻むように姿を見せたのは、昨夜に刃を交えた敵対者たち。

 もとい、士郎とセイバーだ。両手に買い物袋を下げた士郎は、真司と同様に食材の買い出し。セイバーは彼の身辺警護といったところか。

 無事に生還出来たようで一安心しながらも、如何に上手く彼等をやり過ごすか。真司は迅速に思案する。

 下手に会話を交えて、こちらの正体を看破される事態になったら。明確に敵対した以上、それは非常に拙い。

 

「せめて士郎だけなら、まだなんとかなるってのに……」

 

「そうよ……。あいつさえ居なきゃ、お兄ちゃんとお話できるかもしれないのに……。わざわざ何度も来てあげてるのに、どうして一人で出歩かないの……」

 

 鈴を転がすような幼い声が、思いもよらぬ方向から聞こえてきた。真司は咄嗟に気づかずに適当な相槌を返す。

 

「そうだなぁ……。セイバーちゃんって、ああ見えて結構頑固だからなぁ。勘も鋭そうだし、士郎を一人で出歩かせるのは………うん?」

 

 だが、若干の間を置いてから、ようやく違和感を覚えた。生じた疑念を払拭すべく振り返る。

 先ほど、路傍に停めておいた原付。そのシートの上に、横座りになって休憩している少女が居た。

 鳥が羽休めする為の止まり木か何かか。そう思いながらも、真司は少女の風貌に既視感を覚える。

 

「ああっ……っ!」

 

 紫紺の装束に銀色の長髪と赤い瞳。忘れもしない。あの巌の巨人の主だ。

 無意識に口から飛び出た狼狽を手で塞ぎ、真司は警戒の念を込めて少女を正面に見据える。

 しかし、少女が身に纏う雰囲気と退屈げに俯いた相貌は、あの日の夜と違って何の脅威も感じない。見た目相応、年相応だ。

 

「ねえ、貴方って今覗いて見てたお兄ちゃんの知り合いなの?」

 

「えっ…………うん、あいつとは友達だよ」

 

 何故、彼女がこの商店街に居るのか。停めたままの原付に座られているのか。自分が話しかけられているのか。

 羅列された不可解によって、真司の頭の中の処理機能は堰き止められた。ただ単純に、投げ掛けられた質問を受け止め、肯定を投げ返す。

 

「ふーん、その割にさっきの貴方は避けてるみたいだったけど。……上辺だけの友達ってやつ?」

 

「い、いやいやいや、全然違うって。上辺だけだったら十年近くも友達やってないっての」

 

「十年、近く……」

 

 両手の指を全て立てて、真司は十年という数字を少女へと強調する。最早、大親友と呼んでも差し支えは無いのだ。

 すると、動揺したような素振りを暫しの間だけ見せ、少女は原付のシートから降りた。

 

「…………」

 

 そのまま、少女は真司に向き合うが、二の句を継がずに黙り込んでしまう。僅かに細められた赤い瞳だけが、微かな妬みを物語っていた。

 何か、気に触る事を言ってしまったか。そもそも、何の用事で彼女はこの商店街に赴いたのか。

 

「………あっ」

 

 少女との間の空気が完全に停滞し始めた頃合い。真司は頭の中の片隅に追いやっていた現状を思い出した。

 この場で立ち往生しては挟まれるかもしれない。断りを入れて、一旦ここから離れるべきだ。

 

「と、取り敢えず、俺これから用事あるからさ。もう行くね」

 

 次の瞬間、癇癪を起こした少女の命令によって、猛り狂った巨人が空から降下し、この身を踏み砕く。

 かもしれない。戦々恐々としながらも原付へと歩み寄り、真司はハンドルへと手を伸ばした。

 

「もう遅いと思うよ……ほら」

 

「……………?」

 

 だが、少女の指先が指し示す方向に誘導され、真司は身を翻す。翡翠色と琥珀色。計四つの瞳と、視線がこれ以上になく正面衝突した。

 そして、真司の脇から少女が顔を出し始める。最早、玉突きめいた連鎖衝突の様相だった。

 

「また会えたね。お兄ちゃん」

 

「き、君は、なんでここに。っていうか、なんで慎二と一緒に居るんだ」

 

 士郎だけに向けられた天真爛漫な笑顔と弾むような声音。少女のそれには、様々な感情が見え隠れしていた。

 少女への言葉とは別に、士郎の視線は真司へと困惑を向けている。思惑通りに嵌められたのか。そこまで考え至ったところで、状況は何も変わらない。

 

「イリヤスフィール」

 

 瞬く間に、剣呑な雰囲気がセイバーを起点にして立ち込めた。上手い具合に真司を挟んで。

 彼女の立ち位置からは視認出来ないが、イリヤスフィールと呼ばれた少女は、しっかりと真司のジャンパーの背を握り締めている。

 人質と言わんばかりに。そのため、逃げられない。

 

「あ、あのさ。なんだか状況がよくわかんないけど、士郎とセイバーちゃんはこの子と知り合いなんでしょ? こんな寒い外で立ち話もあれだし……」

 

 死なば諸共。そんな決意を胸に抱きながら、真司は彼らの関係など知らぬ存ぜぬ素振りでとある方向を見やる。そこには、こじんまりとした甘味処があった。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 真司の提案は、その場に居合わせた全員の合意を得た。商店街の中での殺し合いの勃発は、先延ばしであろうと避けられたのだ。

 逃げ場の無い奥の席に追いやられながら、真司は店内の窓ガラスに映り込むドラグレッダーへ目配せをする。お前の出番は訪れないのだと。

 

「………………」

 

 茶碗に入れられた抹茶に口を付け、真司は精神の安定を図る。だが、緊張に乾いた舌は、抹茶に含まれた旨味を素通りして苦味だけを敏感に感じ取った。

 現状に対する認識を切って貼ったように、苦渋を浮かべた後に甘い餡蜜で味覚をリセットする。

 小ぶりなお椀の上に盛り付けられた統一性の無い具材たちは、この状況を如実に表現しているのではないか。

 

「エミヤシロ? 不思議な発音するんだね」

 

「違う! それじゃあ笑み社だ」

 

 敵同士であるというのに、愉快な自己紹介を交わしている笑み社、改め士郎とイリヤスフィール、改めイリヤ。

 部外者を装っている真司に、それを指摘する事は出来ない。セイバーはどうだろうか。下げていた視線を、恐る恐る正面に上げる。

 

「………………」

 

 不服な表情は依然として変わらない。だが、遭遇した直後の威圧的な気配は、鳴りを潜めていた。

 いつかの夜、不覚を取った相手の主人といえど、年端もいかない子どもの上機嫌な様子に毒気を抜かれたのか。

 今現在も、手を止めずに頬張っている白玉ぜんざいが、予想以上に美味しかったのか。

 

「……ねえ、貴方の名前も教えてくれない?」

 

「うん?」

 

 セイバーの内心について、苦い抹茶をちびちびと飲みながら思案していると、隣のイリヤに名前を尋ねられた。

 自分の事など、既に興味を無くしたのだと思っていた真司は、やや驚きながらも名を名乗る。間桐(・・)慎二、と。

 

「……やっぱり。なんとなく察してはいたけれど、マキリ(・・・)は本当に零落したんだ」

 

「マ、キリ……? 確かに漢字じゃそうとも読めるけど。なんか、どっかの民族の刃物みたいなかっこいい名前だな」

 

 名前に対する反応にしては、イリヤの言葉には些か不可思議なものが込められていた。

 首を小さく傾げるものの、理解し難い言動は今に始まった事ではない。そういうお国柄で育った少女なのだろう。

 そう思った真司はイリヤを追及せずに、餡蜜のバニラアイスへとスプーンを差し込んで口にする。

 舌の上で溶けてゆく、冷たくも甘い食感。それは実に真司好みであった。

 

  「…………うん、分からないならいいわ。それより、シンジは十年もお兄ちゃんと友達やってるんでしょ。だったら、色々面白かった出来事とか沢山あるんだよね?」

 

 名前を教えてから、やけに念の篭った視線を放っていたが、イリヤは何かに納得したようだ。小さく頷いてから、真司も話の輪に入れようとしてくる。

 丁度いい機会だ。如何に士郎が真面目でいい奴なのか、殺意など削がれるぐらいイリヤに語ってやろう。少し恥ずかしいかもしれないが、友人の命には替えられない。

 打算的な思いを胸に、真司は頭の中で個人的思い出ランキングを組み立てながら返事をする。

 

「そりゃあ両手の指じゃ足りないぐらいあるさ。そうだなぁ……。イリヤちゃんに分かりやすいように、先ずはどういう風に知り合ったのか教えてあげようか」

 

「あんまり出鱈目な事とか言うなよ、慎二。変な奴だって勘違いされたら困るからな」

 

 あれは残暑が続く始業式の日の放課後だった。士郎の念押しを軽く聞き流しながら、真司は意気揚々と語り始める。

 山登りに虫捕り、海水浴に魚釣り。近所の子どもたちと一緒になって、思いつく限りのごっこ遊びの網羅。そんな日常的な事から。

 慢性的なストレスを発散させようと、自転車だけでどこまで行けるか二人で無謀な挑戦をした結果。

 急勾配の上り坂の連続で体力を使い果たして迷子に。そんな馬鹿げた事まで。

 

「お、お前なぁ。それは全部出鱈目じゃないけど、後のやつはここで持ち出すことじゃないだろ」

 

「いやいや、士郎だってあの時はノリノリだったじゃんか。冬木の方から見える海とは反対側の海目指すぞーって」

 

 途方に暮れた末に辿り着いた町外れの並木道。その端に置かれた自販機で買ったメロンソーダが、五臓六腑に染み渡るとも言っていた。真司はそう付け足す。

 

「あれを残り少ない小銭で買った所為で、公衆電話使えなくなったもんなぁ……」

 

「っ……っっ……」

 

「セイバー、お前まで……」

 

 すると、店に入って以降黙り込んでいたセイバーが、唐突にスプーンの手を止めて口元を押さえ始めた。

 途切れ途切れに漏れる声や小刻みに震える肩からして、明らかに彼女は笑いを堪えていた。

 敵の前であるが故に自重をしたかったようだが、殆ど意味を成していない。

 

「ねえねえシンジ、もっと他には無いの? 変なお兄ちゃんの変なお話!」

 

 真司の話の続きを、イリヤは爛々と目を輝かせてねだる。士郎は完全に変な奴と認定されたらしい。

 それからも、どこか拗ねた士郎の相槌に頷き、話に加わったセイバーの相槌にそっぽを向く。

 突飛ではあるものの、他に類を見ない珍しい話などではない。しかし、イリヤは話をする度に頬を綻ばせていた。

 

「お兄ちゃんは、とっても元気な子どもだったんだね。私とは全然違うなぁ」

 

「ここ数年ちょっと前からの士郎は、専ら人助けに偏ってるけどな。すっかり付き合い悪くなっちゃってさ……。俺が逆に付き合ってる感じだから、そこまで退屈はしてないけど」

 

「無茶言うなよ……」

 

 性分なのだから。言葉にせずとも、視線だけで士郎の言いたい事が真司には見て取れる。

 士郎は初めて会った頃から正義の味方に憧れていた。男の子ならば誰もが抱く当たり前の夢なのだが、士郎のそれは周りと少し違っていた。

 実際に困っている人を助けようと、飽きもせず懲りもせずに駆けずり回っていたのだ。その夢へと近付く為に。

 

「……人助け、かあ。私のお父さんも、世界を平和にするって言って家を出て、ずっと待ってても結局帰って来なかったな」

 

 だから、待ちきれなくなってこっちから探しに来たの。士郎の話を聞いたイリヤは冗談めかしてそう言い、冷めかけた和紅茶を飲み干す。

 付き合いが悪くなる以前の話だろう。独り身ならばともかく、家族を捨ててまで己の夢を追うなど。世界平和。それ自体は尊い夢ではあると思うが。

 規模は違えど、似たような話を知っているからか、真司にはその人物を悪く言う事は出来なかった。

 

「そりゃあ、なんとも言えないね……。でも、仮にも父親だってんなら、見渡せもしない世界の平和よりも側に居る家族の平和を優先すればいいのに」

 

「でしょでしょ? とっても狡い人で、でも、とっても優しい人だったんだ。……もしかしたら今でも、土下座して謝れば許してあげるかもしれないけど」

 

「………………」

 

 仄暗い感情が混在した声音に、翡翠の瞳が僅かに見開かれた。一連の言葉に深い得心を示すように呼吸が乱れる。

 しかし、イリヤに何を言う訳でも無く、セイバーの視線は所在無げに落ちてゆく。

 

「ねえ、シロウ」

 

「……どうした、イリヤ?」

 

「シロウはどうして人助けなんかするようになったの? いろんな面白そうな事、自分からほっぽり出そうとしちゃってまで」

 

「それは」

 

 自らの父親と士郎に重なる物を感じたのか、イリヤは真剣味を帯びた面持ちで問い掛ける。

 それに対して、士郎は口を開きかけるものの、返事を返さない。必死に答えを探そうとしているのは伝わったが、相応しい言葉が見つからないらしい。

 

「「………………」」

 

 そのまま、二人の会話は不自然な途切れ方をしてしまった。不穏な雲行きを察知した真司は、すかさず話題をすり替えようと試みる。

 

「亡くなった親父さんの影響で。ってだけじゃ無いもんな。あの人も……切嗣さんも、近所の人たちに結構頼りにされてて、知る人ぞ知る近所の味方みたいな存在だったんだけど」

 

「キリ、ツグ……。その、シンジは会ったことあるんだ。わ……シロウのお父さんに」

 

「う、うん……?」

 

 切嗣。その名前を真司が出した途端、イリヤは異様な食い付きを見せた。

 横合いから向けられた赤い眼差しに追いやられ、真司の身体の重心が壁側に傾く。

 興味の範疇を超えたイリヤの執心は、切嗣という人物について根掘り葉掘りに口述させた。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「ありがとね。沢山面白い話聞かせてくれて」

 

 大きく手を振って帰ってゆくイリヤを、士郎とセイバーの三人で見送る。ようやく台風の目は過ぎ去って行った。

 

「慎二、本当に良いのか? 家で飯食べてかなくって。桜も一緒に来たって足りそうなぐらい買い込んでるし」

 

 限界にまで膨らんだ二つの買い物袋を、軽々と持ち上げて見せびらかしながら、士郎は昼食の誘いをかけてくる。

 付いて行くだけで勝手に飯が出てくるのは、疲れ気味な真司としてはありがたかった。

 しかし、聖杯戦争が続く現状で、敵対者が居る現状で、衛宮邸に上がり込むのは憚れた。首を横に振って断りの意を示す。

 

「いや、今日はやめとくよ。桜ちゃんが風邪ひいて病み上がりでさ。あんまり一人にさせたくないっていうか……」

 

「そうか、なら仕方ないか」

 

 桜の容体を断る理由にしてしまったのが非常に申し訳ない。申し訳ないと思いながらも、真司の足はその場からの退散を開始する。

 

「……ほんっと、さっきはどうなるかと思ったなぁ。どうして丁度鉢合わせるんだよ。しかも、おっかない子が一人追加でさ」

 

 二人と別れた後に、真司は原付を押して今度こそスーパーへと向かう。

 腕時計の針が指す時刻は正午。思った以上に時間を取られてしまった事に気付き、歩調を早めた。

 そうして、ようやく本来の目的地へと辿り着き、駐輪場に原付を停めてから自動ドアを通り過ぎる。

 

「確かこれと、これと、これと……。あーもう適当でいっか」

 

 最初の道中に組み上がりかけた献立など、先程の出来事で吹き飛んだ。もう一度考える事を怠けた真司は、目に付いた無難な食材をカゴに放り込んでゆく。

 所要時間の短縮に努めた結果、真司は五分以内で買い物と会計を済ませた。

 店を出る片手間で帰宅のメールを桜に送り、買い物袋を原付の後部に増設したリアケースに詰め込む。後は帰るだけだった。

 

「…………うん?」

 

 だが、真司の手がハンドルに触れる直前。爆竹のような弾ける音が背後で発せられる。

 反射的に真司が振り返ると、小さなか細い煙がアスファルトから立ち上っていた。

 煙の発生源は蚊のような虫の死骸からだ。やがて、燻された死骸は灰となって散り散りになってしまう。

 

「さっさと帰ろ……」

 

 季節外れな羽虫の死骸に、真司は首筋を刺されるような不快な錯覚を覚える。防衛本能の赴くままに、足早となってその場を離れていった。

 

 ———あと一歩のところだったか……。忌々しい怪物めが、幾度と無く儂の邪魔をしおって。

 

 燦々と降り注ぐ光から、日中である外界から隔絶された暗い洞穴。

 その闇の中で、臓硯という名を持つ一匹の矮小な蟲が、意味の無い呪詛を呟く。

 蟲蔵の中に貯蔵された蟲たちは、一匹も残さずに焼き尽くされた。鏡面より現れた赤い龍によって。辛うじて難を逃れた外の蟲も、徐々にその数を減らしている。

 

 ———だが、これ以上の試行はこちらの身が危うい……。

 

 出来損ないの孫息子を人質に、桜とそのサーヴァントを操る。あの異質な存在が桜の魔術属性と関連しているのならば、それで封じられる。

 しかし、臓硯の計画は、予想を超えた怪物の執念深さによって何度も阻まれた。そして、その執念は此処にまで及び始めている。

 

 ———分の悪い賭けになるやもしれぬが、博打を打つとするかのう。

 

 この身を付け狙う赤い龍。その龍を従える仮面の騎士。そして、昨夜唐突に行動を起こし始めた黒い影。不確定要素は枚挙に暇が無い。

 

 ———幸い、抜け道は残っておる……。

 

 追い詰められた蟲は策謀を巡らせる。鬱屈とした現状を打破するために。己という個を存続させる為に。

 摂理を捻じ曲げてまで生き続ける意味など、永遠の命を求めた理由など、忘れた事すら忘れているというのに。




目に見える大きな危険から、目に見えない小さな危険まで。聖杯戦争が開催中の冬木市は昼夜問わずに命の危険がいっぱいです。
ライダーバトル開催中の東京とかも大概だと思いますが。下手すれば世界滅亡の爆心地になりますし。

感想、アドバイス、お待ちしております。


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