鶴野お父さんは大人気キャラだった……?
何が読者の皆さんの心の琴線を揺らしたのか…
それでは、どうぞ
あっという間に夏休みも終わり、真司としては2度目になる学生生活が始まろうとしていた。
「ちょっとここで待っててね。間桐くん」
「………あっはい」
担任の先生に案内され、教室前の廊下に立つ。いわゆる転校初日の挨拶というやつだ。外れかけたシャツのボタンを弄りながら、真司は横開きの扉を見つめる。
ランドセルを背負う感覚がとても懐かしい。初めて背負った時の感動は忘れられない。
浮かれて鏡の前に立った時はランドセルが大きすぎて、どっちが背負っているのかわからないと祖母に笑われ、拗ねてしまった記憶がある。
真司がそんな感傷に浸っていると、教室の扉が開かれ、先生がこちらを手招きしてきた。
「間桐くん、緊張してるの?みんないい子だから、大丈夫だよ。入ってきて」
「ああっ、すいませんすいません」
どうやら先生は自分を呼んでくれたが、入ってこないので心配したらしい。
真司には"間桐"という苗字が馴染みのないものだったので、反応が遅れてしまった。
真司が慌てて教室に入ると、これからクラスメイトになる子どもたちの視線が一斉にこちらへ集まった。
「それじゃあ間桐くん。黒板に名前を書いて、みんなに自己紹介してもらえるかな」
先生に自己紹介を促され、真司は黒板に向かいチョークを握る。
「わかりました!…………おっとっと。違う違う」
城戸…と書きかけて、真司は手を止める。今の自分は間桐慎二なのだ。中身は城戸真司だが、別人の名前を書いてどうする。……自分で考えていて訳がわからない。
間桐しんじ、と小学生らしさを忘れずに、名前は平仮名で書き、クラスメイトたちに向き直る。
「えっと…、今日からお世話になります。きどっ…間桐慎二です。よろしくお願いします」
真司が無難な挨拶を終えると。先生が話を継いでくれた。
「間桐くんは、海外の留学から帰ってきたばっかりだから、色々と分からないことがあると思うんだ。だからみんな、間桐くんが困ってたら助けてあげてね」
はーい、と返事をしながら、子どもたちは真司の頭のてっぺんから足のつま先を、好奇に満ちた眼差しで観察している。
それも当然だろう。転校生とは自分たちの日常に波紋をもたらす存在だ。
長年の親友になるかもしれないし、大袈裟だが不倶戴天の敵になるかもしれない。
あくまでも、"かもしれない"という話なので、大半はそのどちらでもないのだろうが。
真司としても、そのような深い間柄になる人物が、今この場所にいるとは思っていなかった。
………この時までは。
「じゃあ間桐くん。あそこの窓際の空いてる席が間桐くんの席だから」
窓際の席と言われて、真司は内心喜んだ。なぜなら、窓際ならば授業の内容に飽きたら、グラウンドの風景を楽しめる。今の時期なら風も入ってきて快適だろう。最高のVIP席だ。
よろしくね、と周囲に笑顔で挨拶しながら真司は席に着いた。
「……………あんた」
「な、なにさ、俺の顔になんか付いてる?」
ふと背後から視線を感じて、真司が振り返ると、どこかで見覚えのあるツインテールの少女が、こちらを見ていた。
碧色の大きな瞳を細めて真司を睨みつけている。
この少女に見覚えはある。あるのだが、どうしても思い出せない。
その疑問を解消するために、真司は質問を試みた。
「…俺、君とどっかで会ったっけ?」
「………は?」
真司がそう言うと、少女は瞬きを忘れるほどに目を見開き、呆然とした。
そして自分が何の質問をされたのかを理解し、牙を剥くように頬を吊り上げた。ちなみに目は笑っていない。
互いに初対面に近いこの状態で、ここまでの顔をされる謂れは自分にあるのだろうか。真司には分からなかった。
本来なら気まずくなり、目を逸らすのだろう。だが、その時、真司の心に妙な反骨心が芽生えた。
ここで目を逸らしたら負けな気がする。そんな反骨心が。
「「……………………」」
真司は少女の視線を真っ向から受け止める。側から見れば子ども同士の睨み合いだが、片方の中身は成人男性である。
争いは同じレベルの者同士でしか成立しない。そんな格言は嘘だったのか。
り、凛ちゃん、朝の会始まるよ。逆に居た堪れなくなった隣の席の女子が、こっそりと声をかける。
すると、件の少女は何食わぬ顔で教卓の方を向いた。一体なにをしたかったのだろう。
起立、礼、着席。日直が号令をかけ終えると、朝の会が始まる。
その間、真司の背中は凛と呼ばれた少女の視線に灼かれることになるのだが…。
———あっ、ス○ミーじゃん!懐かしいなぁ…。
…当の本人は最初の授業で使う国語の教科書に気を取られ、つい先程のことなど忘却の彼方なのだ…やはりバカである。
すべからく転校生に与えられるべき洗礼…クラスメイトからの質問攻めを真司はどうにか乗り切り、学生生活の記念すべき一日目が終了した。
「早く桜ちゃん迎えに行かないと…。今朝も大変だったし…」
今朝の出来事を思い出し、真司はため息をつく。
朝、担任の先生との顔合わせもあるので、時間に余裕を持ち、手を繋いで登校したところまでは良かった。
だが、真司と桜は学年が違う。必然的に教室も別々の場所になるので、どこかで手を離さなければいけない。そこからが長かった。
職員室に向かおうとする真司の服の裾を、桜は俯きながら掴んで離さなかったのだ。華奢なその腕の何処にそんな力があるのかと思うくらいに強く。
結局、見かねた先生が二人がかりで桜を引き剥がして、ことなきを得た。
外れかけたシャツのボタンは、桜の抵抗の名残である。付け直さなければすぐに取れてしまいそうだった。
「ねぇ、間桐くん。ちょっと聞きたいことが——」
すれ違いざまに声をかけられた気がしたが、馴染みのない苗字で呼ばれても、真司は現在、取れかけのボタンと桜の事で頭がいっぱいなので気づけない。早足で桜の元へと向かう。
「〜〜〜〜っ!無視してんじゃないわよ!この、
今朝、睨み合った例の少女……
「はぁっ?俺は馬鹿じゃ…。ちょっと!離せよおい!」
「黙ってこっち来なさいよ!」
そして、凛は真司の襟を強引に引っ張って、別の場所に誘導する。今朝の桜に匹敵するほどの力だ。
「く、苦しいから離せって!………うわっボタンが取れたァ!?」
外れかけたボタンが無常にも今生の別れを告げる。
……真司にとっての洗礼はまだ始まってすらいなかったのだ。
抵抗は無意味であることを悟った真司は、首をつままれた猫のように大人しくなり、その強引な誘導に従った。
上靴が廊下の床と擦りあって、悲鳴を上げる。
———許して、桜ちゃん。帰りに大判焼き…いや、クレープ買ってあげるから許して。
教室で待っているであろう桜に、心の内で謝りながら、引きずられていった。
屋上へ入るための施錠された扉の前。凛はこれから話す内容をあまり人に聞かれたくないらしい。人気のないこの場所はそういう話に最適だろう。
「……で?なにさ、聞きたいことって」
「………」
先ほどの勢いはどこへ行ったのやら、凛は腕を組んで真司を見つめている。
真司としては、桜を待たせているので、さっさと用件を済ませて欲しいのだが…。凛は一向に口を開かない。埒があかないので真司は話を促した。
「なあ、凛…だっけ?俺さ、妹を待たせてるんだよ。だから早く帰りたいんだけど」
「…私が聞きたいのは、桜…あんたの、その妹のことよ。…あの子は、元気にしてるの?」
嘘は許さない。真剣な面持ちで真司を映しているその双眸がそう言っていた。
「…うん。最初こそ暗かったし、あんまり何を考えているのか分からなかったけど…。今はちゃんと笑ってくれるし、少しずつ、言いたいことを言ってくれるようになったよ」
「そう………よかった」
凛は安心したのか、深い息を吐く。顔の緊張が緩み、年相応のあどけない表情が初めて露わになった。
真司には、凛と桜の関係が分からないので、なぜ彼女が学年の違うあの子を心配するのかが不思議だった。
「つーか、そんなに心配なら本人に聞けばいいじゃん。教室、知らないわけじゃないんだろ?」
「———っ、そ、それは…」
凛は言葉に詰まって、萎れた花のように俯く。表情が豊かな子だ。
「………うん?」
真司はその表情に、桜の面影を見た。髪や瞳の色こそ違えど、俯く際の動作にいくつか共通点があったからだ。
特に、何かに耐えるように唇を引き締めるところなど瓜二つだ。
———今朝の桜ちゃんも、こんな感じで俯いてたっけ。…なんか二人って、姉妹みたいだな……。そんな訳ないんだけど。
ありもしない妄想を真司がしていると、凛が唐突に話を切り出した。自らの沈んだ気持ちを誤魔化すように早口で言葉をまくし立てる。
心なしか、その声は上ずっていた。
「と、とにかく、あんたっ!自分の妹は絶対に大切にしなさいよね!泣かせたりしたら承知しないんだから!」
「う、うん、言われなくてもそのつもりだよ」
「そ、それと!明日から桜のこと、毎日私に教えなさい!どんなことして遊んだのか、どんなもの食べてるのか、……どんなことが好きになったのか!」
「はぁ!?無茶苦茶すぎる!大体———っ」
真司は凛からの無茶な要求に反論しようとして、口を閉じた。
人気のない閑静な空間に、少女の嗚咽が漏れる。凛は肩を震わせ、濡れた目を何度も擦りながら、言葉を続けようとする。
「あんたがっ、頷くまで、ひぐっ…帰さないんだから!」
「わかったから、わかったから。なんで急に泣くんだよ。…とりあえずこれで涙拭きな。あんまり擦り過ぎると、ものもらいになっちゃうからさ」
真司はポケットから綺麗に折り畳まれたハンカチを取り出し、凛に手渡した。
「あ、ありがと…」
凛は意外にも、お礼を言いながら真司のハンカチを受け取った。相手の純粋な厚意は断らない性格なのだろうか。
自分に対する言動とは真逆なその態度に真司は思わず笑ってしまう。
しばらくして、気持ちを落ち着けた凛が、涙で赤く腫らした瞳で睨んできた。
「な、何笑ってんのよ…」
「ああ、ごめんごめん。……なんなら一緒に桜ちゃんの教室に行く?喧嘩したのか知らないけど、仲直りならその時にすればいいんじゃないの?」
真司の提案に対して、凛は僅かに逡巡した。しかし、首を横に振る。
「……駄目。桜は、私のこときっと…」
「…あ〜、桜ちゃん人見知りだからなぁ。俺の後ろに隠れちゃうか…、今はちょっと仲直りするのは難しいかもな」
凛の煮えきれない様子に、真司は勝手に納得する。桜は他人に対する免疫がほとんど無い。今、無理に会わせたら余計に仲が拗れてしまうかもしれない。
だが、真司は知っていた。分厚い、雨雲のような桜の心の壁に、微かな薄明光線が差し込み始めていることを。
「でもさ、いつになるか分からないけど、何とかなると思うよ」
「………なんでよ?」
凛は真司の言葉の意味を汲み取れないのか、首を傾げている。その様子を見て、真司は話を続けた。
「さっき言ったじゃん。笑うようになったって」
「………で?」
真司の要領を得ない言葉に、凛は眉間に皺を寄せ、結論を促す。
「だからぁ、桜ちゃんはちょっとずつ明るい性格になってきてるんだって!」
「………あっ」
真司が言いたいことにようやく気づいた凛の表情に光が灯る。
「それに、あの子は優しい子なんだ。君が何をしたのかは知らないけど、いつまで経っても許さないなんてことはないよ。……多分」
「…私、桜と仲直りできるのかな」
誰に向けられた言葉でもない内心を凛は呟いた。その言葉に、真司は頭を掻きながら返答する。
「それは…桜ちゃん次第だな…。でも、俺も力を貸すよ。桜ちゃんに友達が増えるのは大歓迎だから。……もういいでしょ?俺、帰るから」
真司はさっさと凛との話を切り上げて、桜の教室へ向かおうとした。
「待って」
しかし、凛が真司の裾を掴んで引き留める。先ほどと打って変わって、その手つきは遠慮がちだった。
真司はうんざりとしながらも振り返る。
「なあ…今日のところはここまでに———」
「———ごめんなさい。私、間桐くんのこと勘違いしてた」
真司の言葉を遮って凛は頭を下げてきた。まさか、謝られるとは思っていなかった真司は、そのしおらしい態度に困惑しながらも、軽く凛の肩を叩く。
「いいって、いいって。それと、間桐じゃなくて真司でいいよ。俺、苗字で呼ばれると咄嗟に反応できなくってさ」
「…わかった。慎二くん、…私が言うのもなんだけど、早く桜を迎えに行ってあげて」
「うん、じゃあね!」
———絶対桜ちゃん怒ってるよ…。
真司は桜への言い訳を考えながら階段の手すりを使って器用に滑り降りて行った。
「…あいつになら桜を任せられるかも」
凛は、嫉妬の感情から乱暴な態度をとってしまった自分に対し、気遣ってくれたあの少年について、複雑な思いを巡らせる。
悔しかった。自分は本当の姉だというのに、桜の側に居てやれない。しかも、あの少年は自分よりも桜に頼られている。そんなことが。
羨ましかった。あの聖杯戦争を経て、父は死に、母は脳に重い障害を負った。自分はあの大きな洋館に独りぼっち。だというのに、桜にはあの少年が側に居る。そんなことが。
「はぁ…。駄目よこんなの、全然優雅じゃないわ…」
凛は深く息を吐いて、遠坂の家訓を心の中で唱えた。
———常に余裕を持って優雅たれ。
今の自分に余裕はないし、優雅でもない。家訓から大きく外れた行為をしてしまった自身を深く恥じる。
そして、大きくかぶりを振ることで、汚れを落とすように、頭の中をリセットした。
「ハンカチ、明日洗って返さないと……ん?」
凛はなんとなく、先ほど渡されたハンカチを広げてみた。
そのハンカチには真ん中に"闘魂"と真っ赤な糸で刺繍されている。夏休み中の暇つぶしに作った、真司お手製の一品だ。
「これ、なんて読むんだろ…」
しかし、まだ凛には読めない漢字だった。家に帰ったら辞書で探してみよう。そんなことを考えながら、凛も帰路についた。
「桜ちゃん…。すぐに来れなかったのは謝るから、そろそろ機嫌なおしてよ…」
「…………」
現在、二人はマウント深山で食べ歩きをしていた。あの日以来、商店の人たちに顔を覚えられるぐらいの恒例行事になっている。
真司は晩御飯の時間を考慮して、腹四分目ぐらいに抑えていたが、桜の方は自棄になってクレープを頬張っている。もう三つ目だ。
「そ、そんなに食べたら晩御飯、食べられなくなっちゃうよ?」
「大丈夫です、晩御飯も全部食べますから」
早急にクレープを食べ終えて、桜は返事をする。
恐らく、その言葉に嘘はない。しばらくの間、共に生活していて判明したことだが、桜は相当の健啖家だった。
まだ、子どもだというのに、真司が驚く程度には。大人になったらどうなってしまうのだろう。
「でも、食べ過ぎたら太る———。ああっ!ごめんごめん!今日は沢山食べても太らない献立考えるから、そんなに早く歩かないでって!」
余計なことを言ってしまい、さらに桜の機嫌が悪くなった。それでも繋いだ手を離さないあたり、釈然としない気分になる。
真司は転びそうになりながらも、桜の後に続いた。
「ど、どこまで歩くんだよ、桜ちゃん。俺、結構疲れたんだけど…」
「…食後の運動です」
桜は、真司の失言をかなり気にしていたらしい。
桜に手を引っ張られて、商店街から離れ、20分ほど歩き続けた。確か、この辺りは立派な武家屋敷が並んでいた場所だったはずだ。
しばらくの間歩いていると、どこかから言い争うような声が聞こえてきた。
「…ん?ねぇ、桜ちゃん、なんか聞こえない?」
「……気のせいですよ、まだ歩き足りません。早く行きましょう、…兄さん?」
桜の遠回しな制止を振り切って真司は歩き出す。あの曲がり角からだ。近づくほどにざわめきが怒声になっていく。
真司は曲がり角に立っている電信柱に隠れてから様子を覗き込んだ。
「……まずいんじゃないか…あれ」
真司の視線の先には、赤毛の少年を、見るからに年上の少年たちが取り囲んでいた。
「やい、衛宮!お前いい加減邪魔するのやめろよな!また俺たちに殴られたいのか!」
「間違ってることを、間違ってるって言って何がいけないんだよ!」
互いに譲らない一触即発の空気だ。あのままでは赤毛の少年が一方的に殴られてしまう。真司はそれを見過ごせなかった。
「ごめん!桜ちゃん。ちょっと俺のランドセル持って隠れてて!」
「…あっ、危ないです!兄さん!」
桜にランドセルを押し付けて、真司は彼らの元へと駆け出した。桜の必死の制止など、もう耳には入っていない。
それも当然だ。困っている人を見かけたら放っておかない。自分に関係のないことでも、首を突っ込み巻き添えを食らう。
「おい!お前ら、ちょっとは落ち着けって!」
城戸真司とは、そういう男なのだから。
まだまだ続く日常パート、もとい顔合わせパート。
早く戦闘パートも描きたいけれど、キャラの掛け合いを描くのが楽しくてつい進行が遅れてしまう…。
感想、アドバイス、お待ちしております。