Fate/Advent Hero   作:絹ごし

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第7話『別世界』

「わざわざ送ってもらって、ありがとうございました!」

 

「…ました」

 

 真司と桜は、運転手にお礼を言って黒塗りの高級車から降りた。外はすっかり暗くなっており、街灯の光が道路を照らしている。

 衛宮家で晩御飯をご馳走になった後に、小学生二人で暗い夜道を歩いて帰るのは危ないから。と大河が気を利かせて、帰りの車を用意してくれた。重要なのは大河が、ということである。

 

「いえいえ、お嬢からのお願いは断れませんって。よければまた今度、一緒に遊んであげてくださいね」

 

 運転手はそう言いながら車を出す。そのこめかみには痛々しい切り傷の痕が髪で見え隠れしていた。

 真司が車に向かって大きく手を振ってみると、返事をするかのように、クラクションが二回鳴らされた。ユーモアのある人だ。

 

「見た目はおっかないけど、話してみたら意外と優しい雰囲気だったよな…」

 

「は、はい」

 

 大河の実家はヤクザ屋さんであった。本人がそう言っていたわけでもないし、確証もない。

 だが、ジャーナリストとして培ってきた真司の勘が警鐘を鳴らしていた。あれは少なくとも堅気の人間ではないと。

 だからといって、早速彼女たちとの縁を切りたくなったというわけではないが。

 あんな男所帯の中で育ってきたのなら、大河の御転婆な性格にも納得がいく。

 

 間桐邸の門を開いて、相変わらずお化け屋敷の様相を晒している洋館を見上げる。もう見慣れてしまったものだ。

 …いや、訂正しよう。夜の間桐邸は外から見ると不気味すぎる。何か、妖に近しい者が潜んでいるようにしか見えない。ご近所さんが殆ど通りがからないのも納得だ。

 真司は、我が家の外観の惨状を再確認した。再確認した上で目を逸らす。

 

「鈴虫…?」

 

 視線の先の荒れ放題の庭では、鈴虫が求愛行動を表す輪唱を喚き散らしていた。

 本来ならば秋の到来を感じさせるものなのだが、いかんせん数が多すぎて、非常に喧しかった。

 なによりも、その鳴き声はミラーモンスターの出現を連想させた。真司からすれば、まったくもって縁起が悪い。

 

「もう、秋になるんですね…」

 

 いつのまにか、桜が隣に立っていた。どこか懐かしそうに鈴虫の輪唱を聴き入っている。

 

「確かにそっか、まだまだ暑いからわかんなかったよ…。あっそういえば、俺がこっちに来てからもう三週間くらいか、早いもんだなぁ」

 

「三週間、ですか」

 

 あっという間の日々だった。だが、三週間など感慨に耽るには短すぎる期間だろう。一生このままの状態かもしれないのだから。

 いつ、この体が本来の間桐慎二に返されるのか、真司には分からない。そもそも、どうやったら元通りになるかも分からない。

 だからこそ、間桐慎二の代わりに自分が幼い桜を隣で守ってやらねば。

 

「あ〜…」

 

 そんな決意をよそに門をくぐると、これまで忘れていた疲労が爪先からドッと押し寄せて来た。

 桜も同様らしく、口に手を添えて、小さな欠伸をしていた。漏れでた涙を擦りながらも、後をついて来ている。

 

「桜ちゃん。明日も早いし、さっさと風呂入って歯磨いて寝ようか。俺、なんかもうクタクタでさ…」

 

 真司はそう言いながら玄関へと、疲れ果てた足取りで向かう。普段は活力に溢れた真司がこうなる程度には、今日は濃密な一日であったらしい。

 暗闇の中、鍵を挿し込むのに四苦八苦しながらも、施錠された玄関の扉を開け、二人はようやく帰宅することができた。

 

「ただいま…。誰も居ないんだろうけど。えっと…暗くてなんも見えないや、電気電気っと」

 

 しばらくして、夜の暗闇に溶け込んでいた間桐邸の窓に明かりが漏れ出した。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

 その世界では、ありとあらゆるものが右と左に反転していた。木や岩などの天然物を見ても、おそらく違和感には気がつかないだろう。分かりやすいのは街を飾る広告や看板、道路標識を見上げてみることだ。

 その世界では、ありとあらゆる生物の気配が感じられなかった。どんなに耳をすまそうが、人間の喧騒はおろか、鳥のさえずり、虫のさざめきさえも聞こえはしない。

 そこまで分かれば、どんなに勘の鈍い者だろうが否応なしに気づかされるはずだ。

 ここは、自分たちが居るべき世界ではないということに。自分たちが知る世界の法則は役に立たないということに。

 誰がこの世界を生み出したのかは不明だ。いつから在ったのかも不明だ。

 まともな方法では、認識することも叶わない。だが確かにそこに存在していた。鏡写しの、別の世界が。

 

 

 

 空を見上げると、赤い龍が高層ビルの谷間を縫うように回遊していた。闇夜に煌めく双眸は何かを探し求めている。

 龍…それは現代では失われた幻想の頂点に位置する存在。そんな幻想の存在が町の上空を飛んでいる。その光景自体がひどく非現実的なものだった。

 そして、赤い龍は大橋にある獲物を捉え、急降下した。

 

「ヴッヴ…」

 

 そこでは、幽鬼のように彷徨する人型の異形が、ぐちゃぐちゃに乱れた列を形成して赤い大橋を渡っていた。その緩慢な足取りに明確な目的や意思は感じ取れない。

 

「ヴッヴヴ…」

 

 静寂な世界に、異形たちの濁った足音と奇妙な吃音が響き渡る。まるで、ここは自分たちのみが存在を許された世界なのだと誇示するかのように。

 

「ヴヴッ———」

 

 だが、そんな異形たちの誇示は、上空からの轟音によって掻き消された。

 爆炎が隕石のごとく降り注ぎ、全てを焼き尽くす。

 運良く免れた一部の異形たちは蜘蛛の子を散らして、迫り来る炎から逃れようとした。だが、赤い龍はそれを逃すことはない。

 ある異形は巨大な顎に頭から噛みちぎられ、ある異形は青龍刀を象った尾に胴体を袈裟斬りにされた。

 

 そして、赤い龍の口から放たれる三度の轟音の後に、動くものは居なくなり、肉を焦がす火の音だけが残る。

 やがて燃え尽きた灰から、眩い光の集合体が浮かび上がった。その光は赤い龍に吸い寄せられていく。

 なんの感慨もなく赤い龍はそれを受け入れると、雄叫びをあげて、夜空へと消えて行った。

 その夜空に星は見えない。動きの止まった雲が道を塞ぐように浮かんでいる。

 月明かりに照らされたビルのガラスに、赤い龍の鏡像が映り込む。

 しかし、ガラスはその向こう側の世界を映すことはなかった。

 

 

 

 世界と世界の境界線は、未だ何の揺らめきも見せていない。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………なんか、眠れないなぁ」

 

 横になったままの体勢で時計を見ると、時針は午前の二時を指していた。まだ寝ていられる時間だ。

 体は干された雑巾のようにくたびれている。だというのに、意識は水を浴びせられたかのように覚めている。

 この歳にして、不眠症を発症してしまったのか。

 いや、外の庭で未だに喚き散らしている鈴虫のせいだ。そうに違いない。

 不安を覚えながらも、真司は隣で自分の腕を抱いて寝ている桜を起こさないように、ゆっくりとその腕を解いて起き上がった。

 このまま横になっていても、おそらく眠ることは出来ないだろう。ただ朝になるのを待っていても暇すぎる。

 

「桜ちゃん、起きてない…よね?」

 

 隣を見やると、桜はあどけない寝顔を晒し、安らかな息を立てていた。髪が頬にかかっていて邪魔そうだったので、こっそりと手で整えておいてやる。

 桜が寝ていることを確認して、真司は部屋の扉へと忍び足で向かった。

 

「にい…さん」

 

 桜を起こしてしまったか。そう思い、真司はゆっくりと振り返る。

 だが、桜は寝言を呟いていただけのようで、布団を真司の腕と勘違いして抱きしめている。微笑ましいものだ。

 ドアノブに手をかけて、音を出さずに開ける。

 

 ———リビングに何か暇を潰せるものがあればいいな…。

 

 真司はそう考えながら部屋の外の廊下に出た。

 

 

 

「やっぱり戻ろうか…」

 

 薄暗い廊下が奥までトンネルのように続いている。窓の外から漏れる街灯の明かりが唯一の光源だ。

 深夜の廊下とは、なぜこんなにも怖気を駆り立てるものなのか。壁に立てかけられた絵画や、木彫りの像がいい雰囲気を醸し出していて、もはや家の中で肝試しができる。

 それとも、真司がこの屋敷に抱く印象が、そう感じさせているのだろうか。心なしか、背筋に這うような悪寒がする。

 電気を点けることができればいいのだが…。生憎、照明スイッチはもう少し歩いた先にある。

 

「いやいや、暗いのが怖いから戻るって…。子どもじゃあるまいし」

 

 実際に体は子どもなのだが、中身は大人なのだ。暗闇が怖いから戻るなど、まったくもって情けない。

 それに、ここで戻ったら今後しばらくは暗い道を一人で歩けなくなる。

 さらに、追い討ちをかけるように、とある感覚が真司の神経を刺激した。思わず内股になってしまう。

 

「ううっ、なんで急にトイレに行きたくなるんだよ…」

 

 このようなタイミングで尿意を催すとは、まるで怪談話ではないか。戻るに戻れない状況になってしまった。だが、幸いなことにトイレは二階にもある。

 そうこうしているうちに、どうにか照明スイッチの前にたどり着くことができた。眩しい世界が真司を待っている。

 

「…ふう、長かったぁ」

 

 安堵の息を漏らして真司はスイッチを押そうと、指を伸ばす。

 

「……………」

 

 しかし、スイッチを押そうとする寸前で、真司の指は止まった。

 

 ———なんか…俺は今、肝を試されている気がする。

 

 このまま電気を点けてしまっていいのか。

 確かに深夜の間桐邸は恐ろしい。もし、誰かに曰く付きの物件と言われたら騙されてしまうだろう。

 だが、この廊下の暗闇を乗り越えることができなければ、認めることになる気がした。自分が臆病者だということを。

 

「ふ…ふふっ、暗いからなんだっていうんだ」

 

 真司は自分の中の怖気を笑い飛ばし、電気を点けずに暗闇へと突き進むことを選んだ。ちなみに内股のままである。

 目的地のトイレは突き当りを曲がってすぐのところだ。子どもの歩数にして五十歩弱。その一歩目を真司は踏み出した。

 

 

 

「な、なんだよ。やっぱりなんともないじゃん」

 

 言葉とは裏腹に、真司はまだ警戒を緩めてはいない。

 すでに用は足した。あとは部屋に戻るだけだ。それなのに、真司はトイレの扉を開けることができずにいた。

 思い出してしまったのだ。現在の時刻は午前二時。つまり、丑三つ時だということを。

 お盆の時期に桜と一緒にテレビ番組の特集で見た記憶がある。丑三つ時とは、この世とは別の世界との繋がりができる時間帯なのだと。幽霊や妖怪と出会う確率が最も高い時間帯なのだと。

 素直な気持ちを述べると、このまま外が明るくなるまでトイレに篭っていたかった。

 

「…………出るか」

 

 それでも、廊下の電気を点けなかったのは自分自身の選択だ。今更引き篭もるなど、その選択を無かったことにするのと同義だ。

 真司は口の中に溜まった固唾を飲み込んで、ドアノブに手をかけた。時計回りに捻って、扉の隙間をゆっくりと広げてゆく。

 隙間が広がるにつれて、喉が叫び声を上げる準備を進める。

 

「あぁ〜、よかったぁ〜」

 

 トイレからの明かりが廊下を照らし出す。しかし、そこには何も居なかった。

 真司は先ほど以上に、安堵の吐息を漏らした。その吐息とともに身体中に張りつめられた緊張が緩んでいく。

 そもそも、幽霊が出たからなんだというのだ。自分はそれよりも危険な存在たちと約一年間戦ってきた実績がある。怖がる理由など、どこにも無いではないか。

 肝は既に十分試されたとみていい。真司はトイレから出て、意気揚々と自分の部屋へと歩き出した。

 …当初の目的は頭から完全に抜け落ちているようだ。

 

「…………………」

 

 だが、歩いている最中、真司は背後になにかの息遣いを、気配を感じた。そして、それは確実にこちらの後をついてきている。

 鶴野だろうか…いや、あり得ない。たしか、明日の夜に帰ってくると言っていた。

 未だ会ったことのない祖父だろうか…。それも違うだろう。祖父は普段から土地の管理に出かけていて、家を空けていると鶴野が教えてくれた。

 つまり、自分以外に廊下にいる者など居てはいけないのだ。

 真司に背後を振り返る勇気はなかった。早足で歩き、部屋へと向かう。

 いつも自分の腕を抱きしめて寝ている桜の温もりが恋しいと思ったのは初めてだ。

 閑静な屋敷の廊下に二人分の足音が響く。最後の方は駆け足になりながら、真司は部屋に辿り着いて勢いよく扉を開けた。

 

「…えっ」

 

 そこに真司が求めていた桜の姿は無かった。若干乱れているベッドの痕跡から先ほどまではそこで寝ていたのはみて取れる。

 まるで、煙のように消えてしまったとしか思えない。

 

「———っ!」

 

 いや、消えてしまったのは自分の方なのではないか。

 丑三つ時、それは別の世界との繋がりができる時間帯。

 廊下を歩いているうちに、真司は迷い込んでしまったのだ。別の世界に。

 あれほど喧しかった鈴虫の鳴き声も止んでいる。その事実が、真司の脳裏によぎった愚説に説得力を持たせていた。

 それと同時のタイミングだった。白く細い腕がゆっくりと真司の肩を抱きしめたのは。

 

「うひゃあああぁっ!?」

 

 真司の間抜けな叫び声が、間桐邸に響き渡った。

 

 

 

 

○○○

 

 

 

「………いってきま〜す」

 

「………」

 

 真司は玄関の鍵を閉めて、学校へと続く通学路を歩き始める。もちろん桜も一緒だ。

 真司を抱きしめたあの腕の正体は桜だった。自分が部屋を出た後に目を覚ましたらしい。

 そして、真司が隣に居ないことに気づき、心細くなって電気も点けずに廊下を彷徨っていたとのことだ。

 せめて声をかけて欲しかったが…。どのみち真司は驚いて飛び上がったことだろう。

 

「あ、あの…兄さん」

 

「うん?どうかしたの?」

 

 桜に声をかけられて、真司は振り返った。その目の下には倦怠の暗い陰がくっきりと見える。隈だ。

 結局、真司はあの後も眠ることができなかった。今度は妹の前で情けなく叫んでしまった恥ずかしさからである。

 一旦落ち着いて考えれば、桜が目を覚ましていることなど簡単に分かったというのに。自分の思い込みの激しさが恨めしい。

 

「その、手…繋いでもいいですか?」

 

「うんいいよ。別に」

 

 だが、あの恐怖体験を経て、分かったことがある。若干、自意識過剰とは思うが、まだ桜には自分が必要だということだ。

 それもそうだろう。少しずつ成長しているとはいえ、桜は自分と出会ってから三週間しか経ってないのだから。人の性格が根本から変わる期間にしては短すぎる。

 桜の方から差し出された手を取って真司は再び歩き始める。

 その動作が自然すぎて、気がつくことはなかったが、桜から手を差し出すのは初めてのことだった。

 

「あっ!…そういえばさ、今日から給食始まるよね。献立ってなんだっけ?」

 

「……ワンタンスープにあさりのクラムチャウダー、イカフライと揚げパン…だったと思います」

 

「やった!揚げパンとか随分久々に食べるなぁ。……っていうか、俺が聞いといてなんだけど、桜ちゃん給食の献立暗記してるんだ。……結構楽しみにしてるの?」

 

「……………内緒です」

 

 他愛のない会話を交わして二人は手を繋いで歩く。いつまでこうしていられるかは分からない。

 

 ———もし自分が居ない場所でも、この子が笑える日が来ますように。

 

 そんな願いを込めて真司は桜の手をそっと握った。その手はとっても暖かかった。

 

 

 

 しかし、真司は知らなかった。この少女の未来には、残酷な運命の夜が待ち構えていることを。

 




これにて少年時代終了になります…。
まだまだ書きたいネタはあったんですけどもね、いい加減、収集がつかなくなりそうで…。

感想、アドバイス、お待ちしております。

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