婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜番外編 作:大岡 ひじき
せめてその日付のうちに書き上がらなければ来年まで待つつもりでした。
「あの…失礼ですが、『藤堂の姫様』じゃありませんか?」
その懐かしい呼び名で呼び止められたのは夏の暑い盛り、まだ小さい我が子を夫に任せて、先年癌で亡くなった幸さんの墓参を済ませた直後の事だった。
「……あの、貴女は?」
声をかけてきたその黒留袖の女性に、私は見覚えがなかった。
否…その顔だちには確かに覚えがあるが、それはどちらかといえば、『誰かに似ている』という類のものだ。
もし知り合いであれば失礼だった筈だが、私のその問いに、その人は特に気分を害した様子もなく、ふわりと儚げに微笑んだ。
「初めまして。私、本間
森田清子の姪で、叔母からはよくお話をうかがっていました。
叔母と一緒に撮った写真を見せてもらった事がありますので、お顔は存じておりました。」
…ああ、と一瞬で納得した。
確かに目の前の彼女には、かの人にどこか似た面影がある。
藤堂の邸で私付きだった女中の清子さんは、男塾を卒業した後ロシアの外交官となったゴバルスキーと結婚して、今は大使夫人として、彼が派遣された国で生活している筈だ。
そしてその清子さんにはお兄さんはいたが未婚のうちに亡くなっており、他に兄弟も姉妹も居ない。
ではこの人はなんなのかというと…清子さん自身が産んだ実子である。
清子さんは藤堂家に来る前、騙されて既婚男性と同棲し子供を産んだ過去がある。
事態が発覚し、慰謝料を受け取って男性と別れた際に、子供は男性の家庭に引き取られたと聞いていたが、どうやら実母と名乗らずに会っていたようだ。
話を聞けば彼女自身、父親の婚外子である事実は知っており、だが母親は既に亡く、清子さんはその妹と聞かされているらしかった。
「こちらに、叔母の本家のお墓があるんです。
叔母が日本を離れる事になった際、掃除をしに来る人が居なくなるからせめて年に一度はと頼まれていまして、その時にこの黒留袖も。」
私はまだ独身なんですけどねー、と笑う彼女は、多分私よりも年下だと思う。
どこか幸薄そうな印象は、彼女の実母である清子さんに似たのだろう。
けど、普段から和服で仕事をしていた彼女の実母と違い、その留袖姿には着慣れないゆえか、どこか違和感があった。
…なんだか、男塾の制服を着ていた頃の自分と重なり、思わず笑みがこぼれる。
「…お墓はどちらに?
よろしければ、お手伝いさせていただいても?」
「本当ですか?助かります!
…頼まれてはいたものの、正直何をすればいいのかよくわからなくて。」
そんな事だろうと思った。
手桶とか柄杓とか花は持ってはいるけど、掃除道具的なものは持ってきてないぽいし。
幸い、私は墓参りが終わったばかりで道具は全て揃っているし、実はその道具も大して使っていないので、ちょっと拍子抜けしていたところだ。
「こちらです!あの端の……あら?」
背の高い男性のようだが…どうもシルエットに見覚えがある。
「……塾長?」
その背中に呼びかけると、高い位置で振り返った
「光か、暫くだな。そうか、幸の墓参りか。
わしも、先程参ってきたところよ。」
「やはりそうでしたか。
私が来た時には、既に綺麗になっておりましたので、私のすべき事がほぼ無かったのです。
お線香をあげて帰ろうとしていたところで、藤堂家で私の世話をしてくださっていた方の、姪御さんとお会いしましたので、お手伝いに同行させていただきました。
この方がその、本間
…ところでひとつ気になるのは、私が間違っていたのでなければ、塾長が前に立っているお墓こそが、
幸さんのお墓参りに来ていたのはともかく、そちらのお墓にも参っているという事は、塾長のお知り合いの方が、ここに眠っているという事だろうか。
「…本間
失礼ですが、江田島先生はこちらの家に
叔母からは本家はもう無く、手入れをしに来る親類は自分しか残っていないと聞いていたのですが…?」
見れば『森田家之墓』と書かれているそのお墓も綺麗に清掃されており、ささやかに花も供えられている。
と、静かな墓地にガランという、乾いた音が響いた。
それは、塾長が手にしていた手桶と柄杓が、何故かその手から落とされた音だ。
「…………サッコ?」
塾長の口から出たのは、先ほどの質問の答えではなかった。
驚いたように見開かれた目は、真っ直ぐに
サッコ…
塾長は彼女を知っていたのだろうか。
呼びかけられキョトンとしている
「あ、あの?」
「…いや、そんな筈はない。
しかし、なんとよく似ていることか…まるで
譫言のように呟いて
なんとなく危険な予感を感じて、私は
「塾長!?意識どこに飛ばしてるんですか!
こっちの世界に戻ってきてください!!」
恐怖を感じて手にしたままの柄杓を、私は塾長の側頭に向かって薙ぐように振った。
柄杓は粉々に砕け散った。
☆☆☆
「あの…大丈夫ですか?」
「フッフフ、わしの石頭、この程度でどうなるものでもない。
それより、驚かせたようで済まなかったな。
貴女がわしの…その、初恋の女性にそっくりだったもので、つい冷静さを失ってしもうたわ。
いや、面目無い。」
今、若い女性に心配されてデレデレになっている塾長によれば、こちらは塾長の初恋の人の生家のお墓とのことで、今日がその方の命日なのだそうだ。
広島の原爆投下により亡くなった、森田幸子さんという名らしいその人とは、初恋とは言ったが、最終的には結婚の約束をしていたという。
清子さんがその分家の血筋なので、つまりその方と
……なんとなくだが、塾長の女性の好みがわかったような気がする。
幸さんも幸薄そうなタイプだったし、それは恐らく結ばれなかったかつての恋人、この
好色だと思っていた塾長は意外と一途だったのだと、その時の私は妙なことに感心していた。
「奥方、申し訳ないが、もう少しだけお付き合い願えぬかな?
なに、年寄りのセンチメンタルとでも思うて、茶の一杯でも御馳走させていただければ満足ゆえ。
光、久しぶりに顔を合わせたのだ、貴様も付き合え。」
「うわ、なにこの扱いの違い。」
「え…?あ、その、私でよろしければ。
あと、この黒留袖は叔母から貰ったもので、他に着るものも思いつかなかっただけで、私はまだ独身です。」
馬鹿正直にそう言う
初恋の女性にそっくりな彼女がまだ独身と聞いた途端、塾長の目の色が変わったのを、見たくもないのに見てしまったから。
「なんと!
こ、これはよもや、運命の出会いか……!?」
「いや、親子どころか下手すりゃ祖父くらい年上のハゲたジジイに、若い女の子が靡くわけないでしょう。」
とりあえず冷静になってくれと横からツッコミを入れてみるも、もう既に私の存在は塾長の目に入っていないと見え、その後3人で入った喫茶店でも、思いの外いい雰囲気で話し始めた2人の横で、私は殆ど蚊帳の外だった。
「さっき、『サッコ』って呼ばれた時、なんだか懐かしい気がしたんです。
今まで誰からだってそんな風に呼ばれたことなんかなかったんですけど。
不思議ですね。」
そんな風に言いながらけぶるように微笑む
モヤモヤしつつ注文したデラックスプリンアラモードの後、抹茶パフェも追加注文してやったが、後で胸焼けしたのは言うまでもない。
そして携帯番号を交換して別れた後、見たことないくらい嬉しそうな塾長に、彼女の母親がゴバルスキーの奥さんだと教えてやったのはその腹いせだ。
この後、塾長の猛アタックに押されて、