婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜番外編 作:大岡 ひじき
ただしこの話は、光が
「猫が好きか?」
唐突に背中から話しかけられて、6歳の
たまたま珍しく朝早くに目を覚まして、この後待っている父の厳しい修業に思いを馳せてしまい、つい邸を飛び出してしまったのが3時間ほど前の事。
日が昇るにつれ徐々に冷静になり、とんでもないことをしたと反省はしたものの、さすがに直ぐには帰り辛い上、帰ってから父にどれほど叱られるかを考えると、帰ろうとする足が自然に止まってしまい、たまたま側を通りがかって何故か足元にころんと転がり、腹を見せてきた白い猫を、現実逃避気味に撫でていた
…だが撫でる手を止めると猫は、
「…猫は、初めて触りましたわ。
犬と違って、柔らかくて小さいのですわね。」
仕方なく、撫でる手を止めぬまま振り返って答える。
話しかけてきたのは、和服姿の老人だった。
頭頂部は禿げ上がっているが耳の上くらいのラインから残った白髪は長く伸ばされて、シワの多い顔には、白い口ひげもたくわえている。
仙人のようだわ、と
「犬ならば、種類で大きさも形もまちまちであろうが。
その言い方からすると、貴様の家には大型犬がおるようだな。」
その仙人のような老人は、
距離が近いことに戸惑いはあったが、何故だか警戒心は起きなかった。
「…今はおりません。
去年の夏に飼っていたドーベルマンが亡くなってから、新しい犬は飼っておりませんの。
それも先代の頃に、警備の一環として十数頭飼育していたうちの、最後の一頭だったと聞いております。
警備ならば餌代やその他にかかる費用より、セキュリティ会社を入れる方が安上がりだと、お父様が。」
とても賢く、いつも自分を守るようにそばにいてくれたその犬のことを思い出して、
両親は、敢えて名前は付けていないのだと言ったが、彼女は密かにその犬のことを『クロちゃん』と呼んでいた。
…確かに『クロちゃん』は、その時点でドーベルマンの平均寿命は越えていたから、『その時』はそう遠くはなかったろうが、実際に『クロちゃん』が死んだのは寿命ではなかった。
藤堂家の裏庭に埋められていたその死体からは、毒物が検出された。
そしてそれが発見されたのは、専属で仕えていた女中に
彼女を家から連れ出すのに邪魔だった為に殺したと、犯人である女中が自白したという。
「安上がりか。いかにも奴が言いそうなことよ。
…そもそも貴様の母は、動物があまり好きではないからな。そのせいもあろうよ。」
と、猫は急に起き上がり、唐突に老人のしゃがんだ膝の上に飛び乗った。
老人が慣れた手つきでそれを抱き上げて立ち上がると、喉を鳴らすごーろごーろという音が、
この猫は、どうやらこの老人の飼い猫であるらしい。
「…お母様を御存知ですの?」
「まあな。あやつは犬どもには何故か懐かれていたが、これの前にいた2匹の猫とは、顔を合わせるたびに威嚇しあっておったわ。」
「……それ、本当に私のお母様ですか?」
猫と威嚇し合うとか、人間の尊厳はどこに。
彼女が不得要領な顔をしているのに気がついたのか、老人は可笑しそうに喉の奥で笑った。
「フフフ。どうやら娘の前では、文字通り『猫を被って』おるようだな。
一応、ちゃんと母親らしく振舞っておるということか。
…というか、貴様はわしを知らぬようじゃな。
あやつら、わざと教えなんだな。
貴様の誘拐事件の際には、わしも探すのに手を尽くしてやったというのに。」
どきん。
去年の秋に起きたその事件は、徹底的に箝口令が敷かれ、それがあった事すら世間に認識されてはいない。
それを知っている、数少ない関係者。
両親のことを、よく知っているらしい言動。
「…先代様でしたのね。
その節は、ありがとうございました。
御迷惑をお掛けして申し訳ございません。」
「…泣きもせぬ上に、大人以上に口がまわりよる。
可愛げのないことだ。
貴様の父は、貴様の歳にはまだ、すぐ上の兄にちょっかいを出されるたびに、グズグズ泣いていたものだが。」
「お父様が、ですか?」
「まだ貴様にはわからぬ事だろうが、奴らにも子供の頃はあったということよ。
それよりも、『先代様』は無かろうが。
わしは貴様にとっては祖父にあたるのだぞ。」
その言葉に、
その彼女の反応をどう受け止めたものか、老人は猫の首筋を指先で撫でながら言う。
「…わしは、猫が好きだ。
それはこやつらが、自分の好きに生きておるからだ。
猫は、能力だけならば犬などよりもずっと優れておる。
だがその能力を、自分以外の誰かのために使おうという概念だけがない。
真の強者とは、そうあるべきなのだ。
貴様も、そう生きてみると良い。
意に染まぬ事には、抗え。
己が意のままに生きる為に、力を求めよ。
そこに立ちはだかる障害があるというならば、貴様の力がそこまでということよ。
なれば障害を乗り越えるべく、更なる力を求めればよい。」
…将来、藤堂家の後継となるべく英才教育を受けているとはいえ、まだ幼い少女でしかない
だが、それまで胸の奥に、絡んだ糸のようにわだかまっていたものが、いつの間にか解けている感覚だけが、彼女を支配していた。
好きに生きるためには、強くならねばならない。
自由というのは、きっと強者だけに許された権利なのだ。
そもそも強くなければ、大切なものを守れない。
ならば強くなろう。全てはそこからだ。
「……私、そろそろ帰ります。
両親が心配するといけませんから。」
「そうか。また来るがよい、
「はい、【おじい様】。」
言って、淑女の礼を取って頭を下げる。
そうしてもう一度、『祖父』の腕の中の猫の頭を、腕を伸ばしてそっと撫でた。
ごろごろという音が一瞬止まり、くあ、とあくびをしてから、猫はその綺麗な目を
「うなんな。」