婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜番外編 作:大岡 ひじき
薫と赤石先輩の出会いと襲撃エピソードは『婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜』プロローグ2を参照。
「姉さん!」
春休みまで10日を切った高校2年の三学期の朝、登校途中のオレはいきなり、知らない男に肩を掴まれた。
「……!?」
驚きながら見上げた視線の先に居たのは若い男だった。
明らかにサイズがひと回り小さいだろう詰襟学生服の下に無理矢理収めているだろう分厚い胸板。
オレの肩を掴む腕も、太い筋肉の形が、その学生服の袖を押し上げている。
広い肩幅、太い猪首。その上に乗った小さめの顔は精悍で、太く濃い眉とやけに長い睫毛の、非常に濃い顔立ちなのだが、それよりも恐らくは強い癖毛なのだろう短く刈り上げた髪の、何故か長めに残されてくるんと巻いているモミアゲのほうがより強く印象に残る。
だがまあしかし、今はその青年の印象よりも、よっぽど気になる事が、オレにはひとつあった。
「探したぞ。無事だったんだな、姉さん。
…だが、こんなところにいてはまずい。
すぐに俺と来い。
大丈夫だ、俺が必ず守ってや…」
「姉さん、ね。
つまりアンタ、オレと似た顔の女を、知ってるって事だな。」
その長い睫毛に囲まれた目を見返してそう言うと、驚いたように男の目が
恐らくは、返ってきた声が想定していたものと違ったからだろう。
オレは、顔は女みたいだと言われるし、背もそれほど高くはないが、アメリカで年上の友人ができたのと同じくらいの頃に変声期を迎えており、普通に聞けばちゃんと男の声だとわかる…筈だ。
もっとも、それでも顔の印象に騙されて女の子だと思われてしつこく声をかけられた事も一度や二度じゃないけど。
…うちの学校も、制服だったらよかったんだけどな。
「貴様…!?」
男の太い眉根が寄せられ、本人はそうしているつもりはないのだろうが、睨むような目がオレを凝視した。
傍目には怖そうに映るだろうが、何故かオレの目にはそこに不安げな、どこか寂しげな色が見えた気がした。
……何となくだが、この
何というか、印象が……そう、若いのだ。
オレより体格のひと回り大きな彼に対して、『可愛い』という感想を抱いてしまう程度には。
「…いや、すまん。どうやら人違いのようだ。」
男は、不意に鋭い視線を緩めると、オレの肩から手を離した。
そのまま背中を向けて立ち去ろうとする。だが。
「探してたって言ったな。
オレもこの顔の女を探してる。
アンタとオレ、探してるのは同じ女なんじゃないのか?」
その背中に向けて、オレはまた声をかける。
それは、帰国して初めて見つけた手がかりだった。
初見でオレと見間違えるほど似た顔の女なんて、思い当たる人物は1人しか居ない。
オレがアメリカで世話になっている養父母に我儘を言ってまで、日本の高校に通いたいとこちらに帰してもらったのは、その人物を探して会う為だった。
オレの命と引き替えに、売られる形で金持ちに引き取られたオレの半身……オレの、双子の妹に。
だから。絶対に逃すわけにはいかない。なのに。
「…手を引け。」
と思って引き留めた彼は、一度振り返って見据えたオレにそう言い放った。
「事情は話せんが、悪い事は言わん。
命が惜しいならその女の件から手を引け。
貴様が誰かは知らんし、敢えて聞かん。
だからこれ以上関わるな。」
冷たい口調とは裏腹に、内容はオレを気遣うものであり、同時に妹の置かれた状況がひどく不穏なものである事を、それは否応なくオレに知らしめるものだった。
「待てよ。…これ、オレの連絡先。
気が変わったら連絡してくれ。」
それを聞けば尚更諦める事が出来ず、オレは彼の腕を掴むと、普段から常に用意して持ち歩いている手作りの名刺を、その手に無理矢理ねじ込んだ。
彼の大きな手は、中三本の指の付け根がやけに硬くなっている以外、爪や指先に至るまでが、意外なほどに綺麗だった。
…その時のオレは冷静じゃなかったんだと思う。
彼が『探している』という時点で、彼もまた『姉さん』の行方が掴めていない事実を、完全に失念していたのだから。
☆☆☆
「おい…大丈夫か橘。」
「……マジで一瞬、お花畑が見えましたけどね。
助かりました、剛次さん。」
情けなくもふらつく脚をなんとか立ち上がらせたものの、やっぱり転けそうになったところを、太く逞しい腕が支えてくれた。
…ほんと、羨ましいな。
この人…赤石剛次さんは、オレがこう生まれたかった『男』の理想型みたいな人だ。
初めて会った時からそう思っていた。
ひょっとして、世に言う一目惚れっていうのはこんな感じだろうか。
そういう奴らから声がかかった事はあっても、オレ自身にそのケはなかった筈なんだが。
そんな埒もない事を考えてるオレに、剛次さんが怪訝そうな目を向ける。
その表情が何だか知らないけど可愛く見えて、そんな必要もないのに、剛次さんの分厚い胸にもたれかかった。
…ああ、安心感が半端ないな。
なんかもう、ずっとこうしていたい。
「…橘?」
「すいません、なんでもないです。
…けど、どうしてセンセイが、オレの事を…!?」
問うでもなく呟きつつ、先ほど細くて硬い紐のようなものが食い込んでいた首筋に指をやると、擦りむいたみたいにヒリヒリした。
…どうやら『みたい』じゃなくほんとに擦りむいてるぽい。
『済まない、薫……!
おまえとあの方を、会わせるわけにはいかないんだ…!!』
間にブランコの支柱を挟んだ状態から、耳元に囁かれた声に、どこか悲痛なものが混じっていたのと、剛次さんの声に驚いて手を離した直後の、魂消るような絶叫を、同時に思い出し背筋が震える。
『昨日の朝、あなたに人違いで声をかけた方の、私は代理の者です。
ついては今夜7時に、集英公園でお会いしたいと申しておりますが、御都合はいかがでしょうか?』
今朝の電話で提示された時間は、何の予定もない時間だったから、一も二もなく了承した。
あの時は興奮していて気がつかなかったけど、よくよく思い返せば、あれもセンセイの声だったし、センセイならばオレのスケジュールは把握していたから、予定のない時間にぶつけてくるのは容易い事だったろう。
だとすれば、彼が
……けど、何か違和感があった。
というより、信じたくなかったのかもしれない。
オレを妹と間違えて声をかけた時、あの
『姉さん』の事を本気で心配していたのでなければ、あの表情にはならない筈だ。
それにその後『手を引け』とオレに忠告した時、あの
「…『センセイ』!?今の野郎、知り合いか!?」
そんな事を考えつつ、首元を手で押さえながら言ったオレの言葉に、剛次さんが目を
その問いに頷き、答えを返す。
「あの人、オレの身元引受人ですよ。弁護士の……」
「待て。
て事はてめえ、今家に帰ったらまずいんじゃねえのか!?」
その
「…そう、なんでしょうか。」
それ以上力が込められないうちにその手を掴みながら、体で押してひっくり返して外す。
その左手の掌のあの
…剛次さんは実家が代々剣術の師範をやってきた家系で、本人も幼少期から真剣を握る生活をしてきて、その修業は今も続けていると聞いたことがある。
もしかするとあの
その掴んだ手をじっと見てしまっていたら、呆れたような声が頭から降ってきた。
「……危機感が足りなすぎるだろ。来い。
いつまでもってわけにはいかねえが、今日は俺が匿ってやる。」
「あーでも、10時間ごとに飲まなきゃならない薬があって、それは取りに戻らないと…」
オレの心臓はもとは他人のそれだ。
生まれつき心臓に持病があり、11歳半の時に手術を受けて、大抵の事は常人と変わりない生活ができるところまで回復したが、拒絶反応を抑えるための免疫抑制剤は、一生服用し続けなければならない。
また強いショックや激しい運動といった、心臓に負担のかかる事も避けなければならず、さっきの出来事などは下手をすれば、絞死させられる前に心臓が止まってもおかしくなかった。
一応手術は成功した筈なのだが、身体の調子が戻ってもその辺が改善しない理由は、医師にもよくわからないらしい。
オレが言うのを聞き、剛次さんが眉を顰めて舌打ちをする。
「……なら、一緒に家まで行ってやるから、必要な物だけ持って来い。
まあ、ヤツは片腕ぶった斬ってやったから、待ち伏せするより先に病院に行くだろうがな。
だが仲間がいる可能性もある。」
「…わかりました。」
オレは彼の言葉に素直に頷いた。
剛次さんが声をかけてくれるのがあと一瞬遅く、オレが落ちた後であったなら、多分オレは死んでいた。
センセイがどうしてあんな真似をしたにせよ、命を奪われそうになったからには、彼はオレの『敵』だ。
…そのあと、剛次さんに家までついてきて貰い、何事もなく薬を回収した。
居間で必要な荷物を纏めている間、縁側から庭を警戒してくれていた剛次さんに声をかける。
「…結構、見事な桜の木でしょ?
帰国してこの家に戻った時、まだ枯れずに残っててくれた事に、すごく感動したんですよ。」
と言っても、夜の庭でライトアップしているわけでもないので、そろそろ終わり頃の桜はよく見えない。
もっとも剛次さんはやたら目がいいので、夜の暗さなんて関係なく見えてるだろう。
ひょっとしたら以前在籍していたという私塾の庭に咲いていたという、一年中咲いている桜のことでも思い出しているのかも。
そんな事を感じたのは、ゆっくりと振り返った顔が、こんな時だっていうのに穏やかに見えたから。
「…て事は前に言ってた、妹が花びらを取ろうとしてた桜ってのは、この木のことか。」
「はい。
……でも、この木ともまたしばらくお別れかな。」
「…桜なんざ、これから嫌ってほど見られるさ。」
そう呟いた意味は、その時には判らなかったが、今のオレが信じられる唯一の人の言葉に、オレは迷う事なく頷いた。
剛次さんが居てくれるならば、恐いものなんて何もない。
その夜は、やけに桜が薫った。
・・・
前にも一度お邪魔した剛次さんの家で、一週間ほどを過ごした後、連れていかれたのは『男塾』の名が掲げられた、広大な敷地のある校舎だった。
剛次さんがかつて在籍していたと知ってはいたが、私塾であると聞いていたからもっとこぢんまりとしたところを想像していたのに、これは普通の高校どころか、敷地だけなら大学レベルだ。
「俺は、ここの塾長にてめえを託そうと思ってる。
恐らくてめえにとっては、ここがこの世で一番安全な場所だろうぜ。」
そう言われて引き合わされた
「……貴様、名をなんという。」
「橘 薫です。……あの、何か?」
「うむ……わしが男塾塾長、江田島平八である。」
いや、自己紹介を求めたわけじゃないんですけど。
思わず後ろに立つ剛次さんの顔を振り返ると、剛次さんは小声で『気にすんな、平常運転だ』と言った。
意味がまったくわからない。
「……赤石よ。貴様の頼み、引き受けよう。
ただし、貴様もこの男塾に戻る事、それが条件だ。
あの件から3年、既に事件の始末は付いているし、二号生筆頭の椅子は、ずっと江戸川に守らせてある。
あやつはそこに座る器ではないが、温めさせておくには適任だからのう。
そもそも貴様自身、一度身内に入れた者を他人に任せきりにできる性分でもあるまい?」
江田島塾長はそう言ってニヤリと笑った…え!?
「………判りました。
ですが、それには片付けなければいけない事があります。
それが済んだら必ず戻りますんで、それまではコイツを頼みます。」
「任せるが良い。
わしが男塾塾長、江田島平八である!」
いやなんか、オレの頭を通り越して2人で話が進んでるけど。
「待ってください!
剛次さん自身は、ここに戻っていいんですか!?
オレの為に仕方なく、ていうんなら、オレは……」
オレの存在で、剛次さんの意志がねじ曲げられるのは、オレの望むところじゃない。
だってそれじゃ、妹の時と同じことになってしまうから。
オレの言わんとしている事が理解できたんだろう。
剛次さんは、厚い唇に悪そうな笑みを浮かべ、その大きな手で、オレの頭を……叩いた。
もう、スパーンと見事にいい音をたてて。
「自惚れんな、馬鹿。
俺をこの件に引っ張り込んだのは確かにてめえだが、関わると決めたのは俺の意志だ。
てめえの責任でもなんでもねえ。」
うん、細かいことはまるで考えないあたりは実に剛次さんらしい。そして痛い。
……結局、オレが脳が揺れるのを耐えてる間に剛次さんはいなくなっており、オレは一旦江田島塾長の別宅に引き取られる事になった。
「…橘、薫か。『
この言葉に、聞き覚えはあるか?」
その問いかけに、心臓がおかしな動きをするのが判った。
聞き覚えどころの話じゃない。
オレがなんの問題もなく生まれていたなら、それはオレが父から受け継いでいた、オレの家系に代々伝わる秘術の名だ。
結果、オレの代わりに継承者となった妹は、一族の中でも比類なき才能を見せて、10歳になる前にその全てを極めたというのだから、結果オーライというやつだったのだろうが。
オレの反応を見て、江田島塾長は何か得心したように一度頷くと、次にはその目に、どこか悲痛な色を浮かべて言った。
「…二週間ほど前の話だ。
わしの古い友人であるとある要人が、忍び遊びの帰りに命を狙われた。
たまたま通りかかったわしがそれを止め事なきを得て、その暗殺者はわしが連れ帰った。
…そやつは、まだ若い
飼い主の名どころか己の名すら言おうとはせなんだが、話をしてみれば心根はまっさらで、更生の余地ありと判断して、わしの家で少しの間生活させており、いずれは塾に職員として置くつもりであった。」
……過去形だ。その事が、何故か引っかかった。
「……わしはその者を受け入れる体制を整える為に、数日塾のほうに詰めており、帰ってきた時には全て終わっておった。
世話をさせていた女と2人で、足りないものを購う為に家を出たその帰りに、仲間の暗殺者に始末されよったのだ。
というか、1人ならば逃げおおせたものを、わしの女を助ける為に、己の命を使い果たしたらしい。
助けられた女が泣きながら言うには、喉に致命傷を受けて死ぬと思った時に、その娘の手が触れた途端に傷の痛みは消えて、目が覚めた時には、確かに負った傷が塞がっていたのだと。
…なまじ、人間の情など教えたばかりに、かわいそうな事をした。
結局、名すらわからぬうちに死なせてしもうたゆえ、葬式も出してやれなんだが、せめて骨はわしが家の菩提寺に、納めてやるつもりでおる。」
……話の中ほどまで聞いたところで、気がつけば身体が震えていた。
死んだ娘。助けられた女。
手を触れた途端に塞がった傷。
「……なぜ、その話をオレに?」
それ以上のことを聞きたくないと思っていた筈なのに、気付けばオレの唇は、そう言葉を紡いでいた。
そして、それに答えた江田島塾長の言葉は、オレが一番聞きたくなかったものだった。
「…その娘の顔、貴様にそっくりだったのだ。」
その言葉を聞いた瞬間、深い絶望に全身を蝕まれ、オレの視界は黒く塗りつぶされた。
「────光……!」
…………気がつけば真っ白い暗闇の中、誰かの問いかける声だけが響いた。
『いきたいか?』
一瞬、どっちの意味だろうと思った。
『生きたい』ならば生、『逝きたい』ならば死、全く逆の意味になる。
どう答えようかと思案して、どちらもそう変わらないなと思い直した。
それが神の救いの声か、悪魔の誘惑の声なのか、わからぬままオレは頷いた。
☆☆☆
「三年です。
私では、父のようには生かせませんでした。
三年の間にこの者の心がその心臓に満ちなければ、その者は再び死にましょう。」
「どういう事だ、炎蓮よ。」
「元々この男の心には、生きている事への罪悪感がありました。
そしてそれは、探していつか会いたいと思っていた妹の死を知った事により強まっております。
今は私の秘術により防いでいますが、今のままでは3年経てばその効果は消え、その罪悪感がこの者の心臓を再び止めて、もはや二度と蘇生はできますまい。」
「ならば、どうすれば良いのだ。」
「命の熱さを、この者の心と身体に教え込むのです。
何もしなくて構わない。
かつて私や仲間たちがそうであったように、塾生としての日々がこの男に、男の魂を刻んでくれる。
塾長。貴方に出来ることはただ一つ。
この者を、塾生として受け入れる事だけです。」
薄らと目を覚ましたオレの頭の上で為されていた、江田島塾長と知らない男のやりとりをぼんやりと聞きながら、オレはかつての妹の声を思い出していた。
私の心臓を、お兄ちゃんにあげる。
判ったよ、光。これからはそのつもりで生きる。
おまえが生きたかった分、おまえが生きられなかった分まで、何がなんでも生きてやる。
再び落ちた意識がもう一度戻り、差し出された書類に血判を押した後、もうオレの心に迷いはなかった。
☆☆☆
「ねえ、君すっごく強いでしょ?見てわかるよ!」
「フッフフ、そう見えるか?」
「うん。ね、友達になってくれないかな?」
「おかしなことを言うんだな。
今日からおまえもここで、同じ釜の飯を食う仲間なんだぜ?
友達ってんなら、もう既にそれだろう?」
「……そっか!オレ、橘薫!よろしく!!」
「押忍。俺は一号生筆頭・剣桃太郎。
こちらこそよろしくな、薫。」
その日、最初に挨拶したその青年が、この後男塾の歴史を変えていく存在になること、この時のオレはまだ知らなかった。
すいません錯乱しました(爆
つづく……かどうかは知らない。