黄金の運命【完結】 作:アイリス
物心つく頃には、獣に混じり野山をかけていた。
獣と心を通わせ、時には命を奪い合い、野生の中で暮らしていた。
自分が獣ではなく、人と言う分類であると気づいたのは、気づかされたのは、それからそれなりに後のことになる。
獣の言葉を解し、並外れた怪力を持つ、人喰いの山姥と龍神の子である俺が人間を名乗っていいのかどうかは疑問が残るが、あの人がそうだと認めてくれたのだから、俺は人間なのだろう。
さて。俺が人間になる前。つまり、俺が獣だった頃。
俺は二人の女性に出会った。
まるで正反対な二人だったけれど、彼女たちがこそ、俺と言う人間の根幹を形作っているのだろう。
今でも夢に見る。
鮮烈で、熱烈で、甘くとろけるような、雷が落ちるような、その出会いを。
ねじれて、狂いに狂って、どうしようもなくなって訪れた、その別れを。
これは男の物語だ。
女と出会い、女と別れ、変わり続けた男の、恋の物語。
***
愛用のまさかりを担ぎ、自らが住む山をかける。
人の手が入らぬ、獣道とさえ言えぬ道無き道を苦もなく進み、木々の間をすり抜け、獲物を探す。
最近は体も育つ頃。生半可な獲物では腹は満たされぬ。
狙うは大物。それも、とびきりのやつだ。
川のほとりまで来ると目当ての獲物を発見する。
川で水を飲んでいる、とてつもなく巨大な猪だ。肩高
すなわち、魔猪——の、なりかけ、といったところか。
なりかけとは言え、魔性の怪物。生半可な相手ではない。
しかし——
「上等」
口に出して呟く。
この獲物を倒せずして、この山で生きれるはずもなく。
俺は真正面から猪へと挑む。
俺は木々の間から姿を現した。
威嚇するように気配を表し、威圧するようにゆっくりと猪へ近づいていく。
川に向けていた頭を振り向かせ、こちらを振り向く猪。
瞬間、猪も理解する。目の前にいるこの俺が、尋常ならざる強敵であると。
猪が前足で地面を掻く。俺はそれを見てまさかりを投げ捨て、腰を落とし、構えに入る。
次の瞬間、何がきっかけか、猪がこちらへと駆け出す。
巌のごとき巨体が、恐ろしい速度でこちらへと突っ込んでくる。超級の突進。覇者の進撃は、あらゆるものを蹴散らし、粉砕するだろう。
この俺を、のぞいて。
突進してくる猪。体重の乗った一撃を、俺は避けることなどなく真正面から受け止める。
二本の牙を両の手で掴み、猪の突進を止めた。
猪の激突により俺が多少押されたものの、それ以降はびくともせずにとどまる。
「へっ!」
にやりと笑う。力比べは、俺の勝ちのようだった。
猪はなおも進もうと暴れるが、俺がそれを許さない。
牙を持つ手に力を入れる。万が一にも滑らぬように、固く固く握り締めた。
そして、全身に力を込める。
踏み込んだ足から力が伝わり、丹田に蓄積される。渦巻く爆発的な力は一瞬停滞し、次の瞬間上半身へと行き渡る。
爆発する力の奔流。全身の筋肉が隆起し、顔が赤らむのがわかる。
「雄々おおおおおッッ!!」
雄叫びをあげ、猪を投げ飛ばす。
猪は踏ん張るが、無意味。
宙を舞う猪。人を超えた怪力を持って投げ飛ばされ、数秒の滞空の後地面へと叩きつけられる。
間髪入れず、猪の頭へと拳を振りかぶった。
そして——
轟音。
隕石のごとく猪の頭に向けて落下した拳は、全身から伝わる力を余すところなく猪に伝え、猪の頭を完膚なきまでに叩き潰した。
血と脳漿がぶちまけられ、大地を汚す。
「一丁上がりってな」
言って、息を吐く。
力を出し切った肉体が熱を発散し始めた。
さて、このまま解体してしまおうか。
まさかりを探し、振り向いたそこに——
美しい、女がいた。
藤色の瞳でこちらを見つめるそれは、少女の形をしていた。
はだけた着物を見に纏う肢体は、起伏には富まないものの見るものを惹きつけてやまない。
すらりと伸びた手足は美しく、透き通る肌は白雪のよう。
整いすぎるほど整った顔は、幼く見えるようでとろけるように妖艶。虫を誘う花のように蠱惑。怖気すら感じる美しさ。
絹糸のごとき黒髪は、いわゆるおかっぱに。
その髪を貫くようにひたいから生える二本の角が、彼女が人ならざるものであることを告げていた。
俺と同じ、人ならざるものであることを。
生まれて初めて、俺は同族というものを見た。
母は山姥、父は龍神。ならばその合いの子たる俺は何者か。
その答えが、目の前にいるような気がした。
じっと少女を見つめた。
見惚れるように、とろけるように、いかほどの時間見つめあっただろうか。
「なんやの、そないに見つめられたら穴空いてしまうわ」
くすくすと笑いながら、少女は言った。言葉とともに、果実のような、酒気のようなそれが香る。脳がとろけ出してしまいそうだ。
笑う姿も美しい。そう思ってしまった自分がなんだか恥ずかしくて、俺は慌てて目をそらした。思い出したように頬が赤くなるのを感じる。
「ふふ、
顔を赤くする俺を見て、さらに少女が笑う。
それが恥ずかしくて、俺はさらに顔を赤くした。
「別に気にせんでええよ。先に見てたんはこっちやし」
それより。
「それ、血抜きとかせんでええの?」
せっかく仕留めたんやろ、それ。
猪の死体を指差して、少女は言う。
どうにも、感覚のつかめない少女だと思った。
***
巨大な猪の死体は内臓を抜き、血抜きと温度を下げるために川の流れが緩い部分につけておいた。
「小僧はえらい力持ちなんやねぇ」
隣にいる少女が言う。
猪を水にさらしている間、なぜか少女と話すことになった。
河原にある岩の上に並んで座り、少女と話す。
「ま、まあな」
すぐ近くに年の近い同族の異性がいると言うのは初めての経験で、なんだかどぎまぎしてしまう。
動揺が声に出て、わずかに震えた。
「ていうか、小僧ってなんだよ。お前もオレとそう変わらない年だろ?」
俺よりわずかだが背も低いし。
「ふうん、そう見える?」
「そりゃ、そうとしか見えねぇけど……」
どこからどう見ても、少女は俺と同年代にしか見えない。大人びた雰囲気だから多少は年上なのかもしれないが、それでもそう離れてはいないだろう。
「こう見えてもうち、お姉さんなんよ。小僧が小僧に見えるくらいにはなぁ」
どうやら、小僧呼びをやめるつもりはないらしい。
そして少女曰く、彼女は俺よりも年上なようだ。
「……なぁ、お前、なんなんだ?」
最大の疑問を口にした。だれではなく、なにと言う問い。
俺は彼女のことが知りたかった。彼女を知れば、自分が何者であるかを知れると思ったから。
「ん? うち? うちは『鬼』やで」
鬼。あっさりと言ってのける少女。
しかし、鬼といえばあの鬼か。
剛力無双、悪逆非道、魔の中の魔。人の世にあだなす人喰いの怪異。頭に角を生やした巨躯の化け物。
なるほど、たしかに角は生えていよう。しかし、あのくそったれな母親から聞いた鬼の印象とは、ずいぶん異なる。
けれど、俺は目の前の少女が鬼であることを疑わなかった。
何故だか、「ああ、彼女こそが鬼なのだ」と納得していた。
「鬼……か……」
「そう、鬼」
彼女が鬼ならば——
「——オレも、鬼なのか?」
その言葉に、一瞬少女は目を丸くして、そして
「うーん、どやろねぇ。小僧はどっちやろか」
「はぐらかすなよ」
「はぐらかしてるんとちゃうよ。悩んでるんよ。小僧はどっちやろなぁ、ってなぁ」
やはり、俺は半端ものなのだろうか。獣でなく、人でなく、神でなく、さりとて鬼でもないとしてたら。
俺は、何者なのだろうか。
「気になる?」
ずい、と少女が顔を近づけて、俺の瞳を覗き込む。
それに驚いてバランスを崩し、岩から転げ落ちた。
「いきなり近づくなよ!」
「あら、うちのこと嫌い?」
「そういうわけじゃねぇけど……」
どうにも彼女に翻弄されている。
転げ落ちて地面に直接座る俺を見下ろしながら、少女は言った。
「そやなぁ……ほな、三日後またここにおいで。試しに連れてったげるわ」
「連れてくって、どこにだ?」
俺の問いを聞いて、鬼の少女は、にんまりと笑った。
「人里」
***
三日後。
三日前と同じ河原で、鬼の少女と合流する。
少女は、三日前に出会った時ははだけていた着物を多少直し、隠すべきものを隠していた。
「ほないこか」
そう言って、俺の手を握る少女。
どきりと心臓が跳ね上がり、体温が上昇するのがわかった。
「お、おい!」
「ん? どしたん?」
思わず声をあげてしまった俺に対して、少女はあくまで自然体だ。
俺の心を遠慮なくかき乱すくせに、自分は自然体のままなんて不公平だ、と思いつつも、何もできない。
俺はごまかし半分で疑問を投げかけた。
「人里に行くっていうけどよ、お前の角とか、オレの髪の毛とかどうするんだ?」
俺の髪の毛は見事な金色だ。
普通、人間の髪は黒。老いれば白だ。金髪なんて聞いたこともない。
俺の生みの親である山姥ですら金髪ではない。
おそらく、龍神の血のせいでこうなっているのだろう。
おまけに瞳は碧眼。
この見た目のせいで、以前こっそり人里に向かおうとした時は、途中で出会った旅人に斬られかけた。
少女の角がなかったとしても、人里に入るのは難しいのではないだろうか。
「その辺は術でちゃちゃっとするさかい、気にせんでええよ」
「術?」
「神通力て言うたほうがわかりやすいやろか」
ほれ。
少女が言うと、少女のひたいから生えた角が霞のように消え去った。
なるほど。鬼ともなればそう言った力もあるのだろう。
「すげぇんだな、鬼ってやつは」
感心を声に出す。心の底からの賞賛だった。
「ふふ、おおきに。そないに目ぇ輝かせてくれるんやったらやった甲斐があるわ」
そう言って、酒呑童子は俺にも術をかける。
少女の瞳に映る俺の金髪が瞬く間に黒くなり、瞳も黒く染まった。
「おお、すげぇじゃん!」
「ほな、改めていこか」
そう言って、少女は再び俺の手を握る。
手を離してくれる気はないらしく、俺の手はぎゅっと握られていた。
そして諦めて歩き出そうとすると、ふわりと体が浮き上がる。
足が地面を離れ、地を蹴って跳ぶのとはまた違う浮遊感が襲う。
どう言うことだと少女を見れば、少女も浮き上がってた。
むしろ、少女が浮かぶのに引っ張られて俺が浮かんでいると言ったほうが正しいか。
「ど、どうなってんだこれ!」
「これも神通力。便利やろ?」
そう言って、少女はぐんぐんと高度を上昇させて行く。
そのまま上空へと浮かび、そしてそこから空の旅が始まった。
「なんだこれ! すっげぇじゃん! オレ、空飛んでる!」
興奮して叫ぶ。上空から見る景色は美しかった。
この世を上から俯瞰して見るなんて言う経験をしたものは、そう多くないだろう。
木々や山が小さく見える。雄大な山の、なんとちっぽけなことか。空から見る景色は、俺に衝撃を与えた。
「はしゃぐんはええけど、手は離さんときや。落ちたら小僧でも死んでしまうで」
そうでなくても大怪我や。
そう言われて少し怖くなり、少女の手をしっかりと握る。
「なあ、今日はなにしに行くんだ?」
空の旅にも少しなれた俺は、少女に問いかける。
「こないだ言うたやろ。お試しってやつ」
「なんのお試しだよ」
「秘密」
肝心な部分を秘す少女。望んだ答えが得られなかった不満を覚えつつも、空の旅の興奮と、人里への期待で胸が高鳴る。
「そろそろ降りるで」
しばらく飛んで、少女は高度を下げ始めた。
だんだんと地面が近づいてきて、やがて俺たちはふわりと地面に着地した。
「ここ、どこだ?」
「相模国の中心、ってとこやろか」
町のはずれに着地した俺たちは、町の中へと入って行く。
生まれて初めて、人里というものを見た。
人自体は、見たことがある。生みの親は人喰いの山姥で、人をさらって食っている。俺自身、人里に出向こうとして旅人に出会ったりなどの経験もある。
しかし、その人がこうも集まり、町を作っている場所に来たことはなかった。
「すっげぇ……」
無学ゆえに、月並みな言葉すら出てこない。
ただただ感銘を受け、町の様子をキョロキョロと見て回る。
多くの建物があり、多くの道があって、多くの人がいた。
町には活気があった。人々は生きることに全力で、明日に希望を見出して生きていた。
これが人というものか。
俺はおそらくこの時にこそ、初めて人を見たのだろう。
***
しばらく町を見て回ると、だんだんと違和感を感じるようになって来た。
牛車に米俵が積まれていた。商人らしき男の部下が、重そうに米俵を下ろしていた。
——俺ならば重さなど感じないだろう。
大工がいた。家の柱に使うのだろう大きな木を、数人で人間で運んでいた。
——俺ならば、一人でかつげる。
道端で喧嘩をする人間がいた。本気で殴り合う二人は、気迫だけは一丁前だが、まるで力が足りておらず、子供の争いに見えた。
——俺ならば、二人どころか百人まとめてでも相手にできる。
違う。違う。違う。
人は、俺とは違った。
己のうちに、言葉にできない虚無感が広がるのがわかる。
気がつけば、俺は立ち止まっていた。
「どうしたん、小僧」
それに合わせて少女も止まった。
「いや、なんでもねぇよ……」
口に出して、声が沈んでいることに気づいた。
俺は姿こそ人に似ているが、やはり人ではないのだろう。
あのような輝きを見せる人間には、なれないのだ。
「ふぅん。まあええけど」
俺の落ち込みを大して気にすることもなく、少女は再び歩き出す。
俺もそれに合わせて歩き出し、再び町を歩き出す。
初めは輝いて見えた街も、今では異質なものに見え始めていた。
言いようのない不安が胸を襲い、俺はだんだんと顔を下に向け始めていた。
「どうしたお前。元気ねぇな」
そこへ、一人の少年が声をかけて来た。
人の子だ。なんの変哲も無い、人の子。
彼は俺を見て、心配そうに声をかける。
心配されるほど落ち込んでいたか、俺は。
「いや、大丈夫だ。なんでもねぇさ」
そう言って、俺は顔を上げた。
「そうか? ならいいけどよ……。ここらじゃ見ねぇ顔だな。どっかから来たか」
「まあ、そんなところだ」
「ふぅん。なあ、せっかくだから一緒に遊んでいかねぇか」
そう言って、少年は手を差し出した。
無邪気に差し出される手。
それがあまりにも眩しく見えて、気がつけば俺はその手を掴んでいた。
「おっしゃ。そっちの女の子もどうだ?」
「うちも誘ってくれるん? あら嬉し」
少女も乗り気なようだ。
少年は俺の手を引いてかけて行く。
俺たちは少年に手を引かれるまま、かけていった。
***
子供たちと遊ぶのは楽しかった。
無邪気にはしゃぎ、駆け巡る。
しがらみも、悩みも、何もかも忘れて、俺は年相応にはしゃぎまわった。
少女もお姉さんだなんだと言いつつそれを楽しみ、子供に混じって遊んでいた。
そして、日暮れが来る。
楽しかった時間ももう終わり。夜が来れば、人の時間は終わるのだ。
「じゃあな。楽しかったぜ。また会おう」
そういった少年はくるりと体を翻し、夕暮れの町を歩いていく。
俺はそれを見送りながら、ふと隣を見た。
そこには、鬼がいた。
口元は弧を描き、目は爛々と輝いている。
それは魔性の顕現。夕暮れ時は逢魔時。すなわち、魔に出逢う時間。
彼女は、何をしようとしているのだろうか。
その視線の先は、帰路につく少年。
「ようみときや」
そう言って、少女は一歩踏み出す。
俺は、それを見て——
「
少女の腕を掴んだ。
予感があった。そうしなければ、恐ろしい事が起こると。あの輝きが、潰えてしまうと。
「ふぅん?」
首だけを回して、少女はこちらを見る。
その目は邪魔するなと言っていた。
けれど——
「それは、だめだ」
きっぱりと、言い切る。
それをすれば、全てが嘘になってしまう。楽しかった時間も、あの輝きも、救われた心も。
「やめてほしいんか。でもなぁ……」
うち、今
怖気が走る。
少女の気配が、まるで変わった。
まるで目の前に巨大な化け物が現れたかのように。
体躯は少女のままであるというのに、巨大な怪物に見下ろされているかのように感じる。
本能的な恐怖が俺を襲う。これに逆らってはいけない。これに歯向かってはいけない。
そう言った強迫観念が、俺の中に芽生えた。
それでも。
「
ここで踏みとどまらなければいけない。逃げてはいけない。迎合してはいけない。それをすれば、俺はきっと
「……あほらし。やめやめ」
ふっと、気配が消失する。
年相応の少女らしい気配に戻った少女には、もう危険を感じなかった。
「帰ろか」
少女はそう言った。
少年の姿はもう見えず。
日は、暮れていた。
行きと同じに空を飛び、双方無言で山へと帰った。
「あんたは、鬼とちゃうよ」
振り向かず。こちらに顔を向けず。別れの時にそう言った彼女は、わずかに寂しそうだった。
***
それからも、少女は時々俺に会いに来た。
人里へ行くことはなく、山の中でだが、様々なことをした。
どこかから少女が仕入れて来た遊戯で賭け事をして見たり、一緒に釣りをして成果を競い合ったり、相撲を取ってみたこともあった。
驚くべきことに、いや、そう驚くことでもないかもしれないが、少女は俺と互角だった。
賭け事や釣りで勝負がつかないのはわかる。しかし、相撲でも勝負がつかなかった。
さすがは鬼、ということだろう。
少女との思い出を反芻しているうちに、今日も少女は俺に会いに来た。
いつも通りに適当に遊び、一息ついた頃、俺は少女に問いを投げかけた。
「——俺は、なんなんだ」
それは、昔から感じていたことだった。
俺は獣だと思っていた。しかし、俺は獣とは違う姿をしていた。言葉を話し、二本の足で歩く。そして何より人の腹から生まれてきた。
ならば俺は人かと思った。しかし、それは違うと気付かされた。人里に降りようとして、旅人に出会い、化け物と言われた。少女と共に人里に行き、その意味を知った。
ならば俺は鬼かと思った。しかし、少女は俺を鬼でないという。
ならば俺は何者か。
「小僧は、小僧や」
少女は言った。
「獣、人、鬼、神。そこに差はあらへん。だれかにそうであると見られた時、自分でそうあろうと思う時、それは獣に、人に、鬼に、神になるんや」
どういう意味だろうか。俺は学がないから、難しい言い回しは苦手だ。
「要は、どれにでもなれるってことや」
小僧は、何になりたい?
そう聞かれて俺は。
——あの輝きを思い出す。
「……やっぱりあんたは、鬼とはちゃうなあ」
しみじみと、少女は言った。
「何にでもなれるんじゃなかったのかよ」
「それは自分で思う分には、ってことや。他人からもそう見られて、初めてそうなれるんよ」
よくわからない。
俺はそう思いながら、少女を見つめた。
ならば彼女は、鬼になりたいと思ったのだろうか。
鬼になりたいと思い、鬼であると見られ、鬼になったのだろうか。
「……そろそろ行くわ」
少女はそう言って、立ち上がった。
「帰るのか」
「ううん。出て行くってこと」
「出て行く?」
「そう」
その言葉に不穏なものを感じて、俺も立ち上がった。
「そろそろ、別のとこ行くわ」
「別のとこって、どこだよ」
「そやなぁ。とりあえず西の方行って、京にでもいけたらええなあ」
「京!?」
俺は驚きに声を上げた。
そんな遠くに行く、ということは。
「そう。小僧とは今日でお別れや」
楽しかったで。
そう言って、少女は歩き出す。
「待て!」
「待たへん」
なんで。どうして。
そんな言葉が胸中に満ちる。
思わず手を伸ばすものの払いのけられた。
「小僧といるのは楽しいけどな。そろそろ怖いもんがくるさかい」
「怖いもんってなんだよ! 鬼に怖いもんなんてないだろ!」
「あるよ」
くるり、と振り向き、少女は俺を見つめた。
藤色の瞳が俺を射抜いた。
「人間」
そう言って、少女は今度こそ姿を消した。
「人間が怖いなんて、鬼のくせに……」
名前さえ聞けなかったな、なんて思いながら、俺は伸ばした手を下ろした。
***
それからひと月。俺はあの少女と別れ、元の生活に戻っていた。
獣と戯れ、獣のごとく。
野山をかけて暮らしていた。
少女のことは気がかりだったが、彼女のことだ。きっと元気にやっているだろう。
そんなある日、いつも通りの日常。狩りを終えて帰ってきた俺は、いつもと違うものを見た。
俺と生みの親の住処である山の中の小屋は、完膚なきまでに破壊されていた。
まるで竜巻でも到来したかのように、めちゃくちゃに破壊された小屋。家とも呼べぬボロ小屋だが、一応は生まれ育った場所だ。
一体何が起こったのかと目を凝らせば、そこには、四人の人間がいた。
甲冑に身を包んだ四人の人間。
刀を持った髭面の巨漢。弓を持った優男。槍を持った影の薄い男。
そのどれもが、圧倒的な強者だった。
生物として格上の存在に出会った時特有の感覚。
あるいは、あの鬼の少女がわずかに漏らした鬼気にすら迫るほど。
しかし、その三人はほとんど俺の目に入らなかった。
その中心となる将。豪奢かつ実用的な甲冑に身を包み、恐ろしいほどに鋭く、神々しさすら感じさせる刀を持った、一人の女。
烏の濡れ羽色の長い髪。
起伏に富んだ体は鍛え上げられ、独特の美を放っている。
女性らしく、それでいて凛々しい顔つきは清流のよう。
鮮血に濡れたその姿は、魔性すら感じるほどに神々しかった。
なるほど、人間が怖いとは、こう言うことか。
しばし、あるいは一瞬、その女に見ほれていた。
しかし、次の瞬間、その足元に倒れる存在に気づく。
それは俺の生みの親だった。
袈裟斬りに切られ、おびただしいほどの血を流しているそれは、もはや生きてはいなかった。
——ああ、死んだか。
胸中に浮かんだのはそれだった。
いつかそうなるだろうとは思っていた。人喰いなど、化け物と変わらない。
ならば、退治されるのが道理だろう。
けれど。
——母親を殺されて、仇を討たぬは男じゃねぇ。
「あなたは、この山姥の子ですか」
女が問いかける。
「そうだ」
俺は答えて、獲ってきた獲物を放り捨て、まさかりを構えた。
それに呼応して、三人の男たちも各々の武器を構える。
しかし、女がそれを手で制した。
「この山姥は、人喰いでした。人の世にあだなす怪物でした。ですので、殺しました」
「そうかよ」
そんなことは知っている。
そいつはくそったれだった。どうしようもない怪物だった。
それでも、そいつは。
「俺の親だったんだ!」
体を黄金の雷が纏う。龍神の血が激発し、雷光が迸る。
ぐっと体を沈める。腰を落とし、跳躍への『ため』を作る。
まさかりを握りしめ、足を踏み出す。
駆け上がる昇り竜のごとき力。足の筋肉が爆発し、蓄積した力が膝という発条によって跳ねあげられる。
上空に躍り出る体。渦巻く力が蓄えられ、体が大きく反る。全身の筋肉が限界を超えて隆起し、雷が勢いを大きくました。
全ての力を集中させ、まさかりを振り下ろす。必殺の一撃。もはや逃れることはできず、どうあがいてもこの破壊は炸裂する。
「
炸裂する怒りの一撃。生半可な存在であれば跡形もなく消え去る一撃。
決まった。
確信する。しかし、その寸前——
「
閃光がきらめく。刀が神速で動き、俺のまさかりにあてがわれる。
刀の表面を滑り行くまさかり。
驚きに目を見開く暇すらなく、まさかりの軌道はそらされ、斜めに滑って行く。
そして着弾。その先は女の肉体ではなく地面。
巨大な爆発音とともに破壊が振りまかれ、炸裂した一撃が大地を割るも、女は無傷。
そして次の瞬間、再び閃光がきらめく。
刀がまさかりに絡みつき、そのまま攫って弾き飛ばした。
武器を失った俺に対し、女は俺の喉元に刀を突きつけた。
「……俺の負けだ」
俺は負けを宣言した。どうあがいても、ここから逆転することはできない。
俺は死ぬだろう。あの少女と再会できなかったことが気がかりではあるが、もはやどうしようもない。
「あなた、名はなんと言うのです」
「金太郎だ」
俺は自らの名を名乗った。母からもらった数少ないものの中では、それなりに気に入っているそれを。
「では金太郎、一つ聞きます。なぜあなたは私に向かってきたのですか」
「へっ……あんなくそったれでも親なんだ。親を殺されて仇を討たねぇなんて、男じゃねぇ」
そう答えると、女は一瞬目を閉じて、そして再び見開いた。
「決めました。あなたは私が育てます」
「は?」
意味がわからなかった。
女の口から出た言葉を理解できない。
「頼光殿、何を言っておられるのですか」
槍を持った男が言う。
完全に同意見だ。敵側と意見が合うなんてことはそうそうないだろう。
「この子は恨みではなく、義によって私へと挑みました。それはこの子が魔性ではなく人であることの証明。ならば、この子を討つべきではない。きちんと育てれば、立派な人になりましょう」
そう言い切ってみせる頼光と呼ばれた女。
そんなことを言われたのは初めてで、だからこそ俺はとっさに否定した。
「オレは人じゃねぇ」
そう言った俺に、しかし女は笑ってみせた。
「いいえ、あなたは人です。だってほら」
——こんなにも、あたたかい。
微笑む女は刀を捨てて、静かに俺を抱きしめた。
史実というか伝説では、酒呑童子は大江山にくる以前に全国の山を巡っていたらしいです。
あと、酒呑童子は神通力を持っていたというのも史実伝説。少なくとも、飛行自在は持っていたはず。神便鬼毒酒の効能に、鬼が飛行自在の能力を失う、というものがあったはずなので。
ということで、酒呑ちゃんには飛んでもらいました。