黄金の運命【完結】   作:アイリス

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第四話「丑御前」

 

 土蜘蛛を倒してからしばらく。

 

 俺たちは土蜘蛛を倒したことでまた名を高め、より一層京の守護者として格が上がった。

 

 熊公は傷が癒えるまでしばらく京にいた。

 久しぶりに出会った熊公はやっぱり気があう奴で、傷が治るまでの間京を案内したり、一緒に酒を飲んだりして大いに遊び、楽しんだ。

 だがそれももう随分前の話だ。傷が治ったあいつは星々を巡る旅に戻った。

 少し寂しくもあるが、あいつが元気にやっていることを知れたので、よかったと思う。

 

 そんなこんなで、俺たちはまた平穏な日常を謳歌していた。

 ひだまりのごとく心地の良い日々。しかしそれも、長くは続かない。

 

「金時」

 

 満月が輝く夜。月明かりに照らされた頼光さんが、縁側にて月見酒と洒落込んでいた俺に声をかけた。

 

「どうした、大将」

 

 俺の隣に腰掛ける頼光さん。

 月光が照らし出す頼光さんの顔は、どこか弱々しく見えた。

 

「私は、源氏の次期棟梁としてふさわしいでしょうか」

 

 そう聞く頼光さんは、どこか不安そうだった。

 落ちるのを待つ、花のように。儚く、か弱く。

 

「そりゃあ、ふさわしいだろうよ」

 

 俺はきっぱりと言い切る。

 それは嘘偽りない本心だった。

 頼光さんほど、源氏の棟梁としてふさわしい人間はいないだろう。むしろ、彼女でなければ誰がふさわしいというのか。

 

「俺も、綱の兄貴も、季武も貞光も、この都を守る全ての兵たちも、みんな認めてるさ」

 

 その言葉に、わずかに頼光さんの気配が明るくなる。

 

「怪異どもから都を守り、逆賊どもを懲らしめて、都にいる全ての人々の安寧を守護している。そんなお人が、認められないはずはねぇ」

「金時——」

 

 笑顔を見せる頼光さん。

 俺は言葉を続けて——

 

 そして、間違えた。

 

「大将の親父さんだって、次期棟梁を名乗ることを許してくれてるんだろ?」

 

 その瞬間。

 月を雲が隠す。月明かりは消え、にわかに闇が満ちる。

 頼光さんの顔は影に隠れ、表情が伺えなくなった。

 

 ほんの一瞬。ほんの一瞬の暗闇が、明暗を分けた。

 

「——ええ、そうですね」

 

 雲は流れ、再び月明かりが頼光さんを照らした。

 

 そこには、いつも通りの頼光さんがいた。

 

「私は源氏の次期棟梁。ならば、ふさわしくあらねばならない」

 

 だけど、俺は気づかなかった。

 いつも通り、凛と佇む頼光さんの瞳の奥に。

 助けを求める、少女がいたことに。

 

***

 

「なあ大将、此度の東国行き、本当に必要なことなのか?」

 

 前を歩く頼光さんに、俺は問う。

 満月の夜からしばらく経って、頼光さんと俺たちは、東国に向かうことが決まった。

 しかし、向かう先で鬼が出たという話も蜘蛛が出たという話も聞かない。

 そもそも、浅草川のあたりなど、草原ばかりで何もないはずだ。

 

 源氏の次期棟梁たる彼女が、直々に出向くような案件だろうか?

 

 それに——

 

「最近の大将はちょっと妙だぜ。オレを見て惚けるのも日に一度や二度どころじゃない」

「妙……?」

 

 頼光さんはそう言って、こちらを振り返った。

 

「妙なことなどありませんよ。母はなんら変わりありません。源氏の次期棟梁であり、あなたを慈しむ母のままです」

 

 その表情は、ここではないどこかを見つめているようだった。

 

「いつまでも、永久に、そうなのです……。そうでなければ……ならない……」

 

 そう言って、頼光さんは再び前を向く。

 

「おい、大将! 話はまだ終わっちゃいねぇぞ!」

 

 俺は言うものの、頼光さんは取り合わない。

 そのまま過ぎ去っていく頼光さんを、俺はただ見つめるしかなかった。

 

***

 

 東国に来てしばらく。

 頼光さんは用事があるとかで一人出かけており、俺たちは大将を欠いた状態で活動していた。

 

「また出たようだぞ」

 

 綱の兄貴が言う。その顔は厳しく歪められていた。

 

 こちらでは鬼も蜘蛛も出ていなかったが、俺たちが来たのに呼応したかのように、怪異が出没し始めていた。

 

「牛鬼か」

 

 牛鬼。それが出没する怪異の名前。

 牛の頭に、鬼の体、下半身は蜘蛛という姿の、恐ろしい怪異だ。

 強さも鬼とつくだけあって生半可なものではなく、俺たち四天王全員で挑むべき相手である。

 

 これまで何度か倒しているが、どこかから湧いては人を襲っていた。

 

「浅草寺から始まり、これでもう七度目だ」

 

 始まりは浅草寺だった。牛のような怪異が寺の食堂に飛び込み、そこにいた坊主二十四人が障りを受け病にかかった。七人に至っては即死していた。

 

 寺が襲われた。それは、重要な意味を持つ。

 寺はそういった怪異に対する対抗策を持っているものだ。並大抵の怪異ならば、寺はむしろ避ける。

 それが通じなかった相手というと、相当な難敵と思うべきだ。

 

 しかし、その難敵を俺たちはまだ見つけられていない。

 並みの牛鬼は見つかるのだが、寺を襲えるほどの強力な牛鬼は見つけられていないのは事実だ。

 

「今回はどちらですかな」

 

 貞光が言う。

 浅草寺の怪異が見つかったか、新手か。

 

「わからんが、俺は浅草寺を襲ったやつの可能性が高い、と判断している」

 

 綱の兄貴は言った。

 

「なるほど。強敵のようですね」

 

 貞光が言う。

 浅草寺を襲った下手人かどうかはわからないが、少なくともそれができるほどの相手ではあるようだ。

 

「早速退治に行こう。大将がいない今、東国は我らが守らねばならん」

 

 俺たちは頷いて、戦いの準備を始めた。

 

***

 

 夜。

 浅草寺に出たと言う牛鬼であろう怪異を追い詰めた俺たちは、ようやっとそれを倒し、一息ついていた。

 張り詰めていた空気は弛緩し、穏やかな勝利の空気が漂っている。

 

 周囲には戦いがいつにも増して激しかったことを示す、痛々しいほどの破壊跡。大地は割れ、木々はなぎ倒され、周囲の地形は変わっていた。

 あれほどの怪異を討伐したのだから、当然とも言える。

 

 一つ気がかりなのが、あの怪異が最後まで浅草寺の件を否定していたことだが、それはいいだろう。

 

 尋常ならざる難敵だった。あるいは、あの土蜘蛛に匹敵するほど。

 熊公がおらず、大将も欠いた状態であったが、俺たちも日々成長している。なんとか四人でも勝利をもぎ取れた。

 

 しかしその代償として、俺以外の全員が結構な傷を負っていた。特に貞光が重傷で、両足の骨が砕けているようだ。

 俺自身も傷は負ったが、それでも他に比べれば軽傷。その上、俺は傷の治りも早い。

 

 俺は残りの三人を担いで帰ろうかと考え——

 

 濃密な、魔の気配。

 

 それは先ほどまで戦っていた牛鬼など比べ物にもならない魔の気配。

 

 見れば、遠く、鈴ヶ森のあたり。

 その上空には黒々とした暗雲が渦巻き、激しい雷雨を生じさせていた。

 

「あれは……」

 

 綱の兄貴が声を漏らす。

 

 魔の気配は刻一刻と濃く、強くなって行く。

 今やそれは荒ぶる神のごとしで、この距離であっても肌がひりつくほど。

 これを放置すれば、間違いなく東国は終わるだろう。

 

 そして何より——

 

 鈴ヶ森は、頼光さんが向かうと言っていた場所だ。

 

「頼光さん!」

 

 俺は駆け出していた。

 戦力にならない他の三人は置いて、ただ一人。

 

 まさかりを手に握り、転がるように夜を走る。

 限界を超えた速度で走り続けた俺は、息を切らせながら鈴ヶ森へとたどり着いた。

 

「大将!」

 

 森の中で、轟音が聞こえる。

 鋭い金属音や、何かが砕ける音。絶えず聞こえる雷鳴が俺の叫びをかき消す。

 俺はそれを忌々しく思いながら、声を上げる。

 

「大将! どこだ!」

 

 そして次の瞬間、俺の横に何かが吹き飛んでくる。

 木々をなぎ倒して、転がり、何度か跳ねながらも受け身をとって着地したそれは、傷だらけになった頼光さんだった。

 

「大将!?」

 

 驚きの声を上げながら、隣に着地した頼光さんを見る。

 頼光さんの左手は、曲がってはいけない方向に折れ曲がっていた。それ以外にも全身に裂傷と火傷を負い、見事な甲冑はぼろぼろになっていた。

 

 今まで見たこともないほど傷を負い、血まみれになった頼光さんを見て、俺は血の気が引いた。

 

「大丈夫か大将!?」

「金時ですか。大丈夫です。この程度、傷のうちにも入りません」

 

 口の中に溜まった血を吐き捨てた頼光さんは、俺の方を見ることもなく吹き飛んできた方向を見て、右手一本で刀を構えた。

 

「それより金時、手伝いなさい」

「お、おう! それで、敵は——」

 

 俺は頼光さんと同じ方向を見た。

 そして、ほうけたように口を開ける。

 

「頼光さんが、二人……!?」

 

 頼光さんの敵だというその相手は、頼光さんと同じ姿をしていた。

 

***

 

「金時。()()()()()()

 

 言い聞かせるように、噛んで含めるようにそういう頼光さん。

 

「斬りなさい」

 

 そう命ずる頼光さんの目は鋭く、氷のように冷たかった。

 

「でもよ、大将——」

「まあ酷い、まがいなりにも息子に対して、頼光(わたし)を斬れなどと……」

 

 頼光さんが敵だと語る頼光さんが、頼光さんと同じ声で語る。

 

「黙りなさい、()()()。あなたは私ではない」

 

 丑御前と呼ばれた敵が、目を細めた。

 

「あなたは私を否定するのですね。それほどまでに、人になりたいのですか?」

 

 優しげに微笑んで、そういう丑御前。

 表情も、仕草も、どれもが頼光さんと良く似ている。いや、それそのものだ。

 

「黙りなさい」

「いいえ、黙りません。だって私はあなたの願望。自由に、なんの制約もなく。そうあれと作られたのだから。人ごっこをするのはもうおやめなさい、頼光(わたし)

「黙れ黙れ黙れ!」

 

 髪を振り乱して、黙れと叫ぶ頼光さん。それは幼い娘の懇願にも似て、ゆえに悲痛だった。

 

 いや、それよりも——

 

「さっきから人になりたいだの人ごっこだの、なんの話だ!」

 

 それを叫べば、丑御前と頼光さん両方の目が見開かれる。

 片方は驚愕に片方は絶望に。その目を開いた。

 

「まあ、息子だのなんだのと言いながら、何も言っていなかったのですね」

「やめなさい!」

「——浅草寺の牛鬼。その正体は私です」

 

 その言葉を、脳が理解することを拒む。

 あの人は、何を言っている?

 

「あなた方は別の怪異を退治して、それで終わったと考えたようですがね。それは間違い。僧侶二十四人を病にかけ、七人を殺したのはこの私」

 

 丑御前は語る。

 

「金時、頼光(わたし)はね、あなたを人だと言ったこの頼光(わたし)は——」

 

 にんまりと、笑う。

 

「鬼なのですよ」

 

 頼光さんの叫びが、森にこだました。

 

***

 

「あるところに、一人の娘がおりました」

「北野天神、牛頭天王の申し子たるその娘は、母の腹に三年三月止まった後、丑の年丑の日丑の刻に生まれました」

「その娘は生まれたときから歯が生えそろい、髪は長く、目は朝日のように爛々と輝いておりました」

「ゆえに娘は鬼子として忌み嫌われ、父からは殺すように命じられました」

「それを哀れんだ母によって、娘は遠く大和国の寺に預けられました」

「寺に預けられた娘は密かに育ち、やがて神のごとき力を持つようになりました」

「当然ですね。その娘は、半神なのだから」

「娘は何も知らずに育ちました。父の名も、父が源氏の棟梁であることも」

「十五の頃。寺に遣いのものがやって来ました」

「今更になって娘の才が惜しくなった父は、娘を呼び戻しました」

「父が帰参を望んでいる。それを知って、娘は喜びました」

「喜びのままに都に訪れた娘に、父は新たな息子として名を与えました」

 

「その名を」

 

「——源頼光と言いました」

 

***

 

 雨が降る。ざあざあと音を立てて、雨が降る。

 

 頼光さんの叫びは枯れ果て、今はただうずくまるのみになった。

 

「そこの女はね、鬼なのですよ。忌み嫌われ、恐れられ、退治される、鬼なのです」

 

 丑御前は楽しそうに笑う。子供が秘密を親友に打ち明けるように。

 

「それが、どうしたってんだ」

 

 俺は言って、まさかりを構えた。

 真正面に丑御前を見据え、雷を迸らせる。

 

「そんなことは関係ねぇ。頼光さんは頼光さんだ。お前なんかに、頼光さんは殺させねぇ!」

 

 雄叫びをあげて、丑御前へと飛びかかる俺。

 

 しかし俺は、間違えていた。

 致命的に、致死的に。

 

「あら、まだ勘違いしているのですか?」

 

 飛びかかる俺の横を、神速で何かがすり抜ける。

 

「先に襲いかかって来たのは」

 

 ——頼光(わたし)の方なのですよ。

 

 きらめく閃光。鈍色の光。

 

 頼光さんの刀が、丑御前の左腕を切り飛ばした。

 

***

 

 

 

 己は、魔性として生を受けた。

 

 

 

***

 

 剣閃が走る。

 頼光さんと丑御前は、全くの互角で争い合う。

 

 否、わずかに。わずかに、頼光さんの優勢だ。

 

 丑御前には縛りがなく、果てがなく、際限がない。

 全てから解放されて戦う丑御前は、荒ぶる魔性そのものであり、ゆえにこそ頼光さんよりも強い。

 両方とも片手は潰されており、状況は互角なれど、圧倒的な差があるだろう。

 

 にもかかわらず。

 

 頼光さんは、丑御前を押していた。

 

 鬼気迫る。その言葉がまさに正鵠を射ている。

 

 疾さ。腕の力。滾る神力。そのどれもが丑御前の方が上だ。

 それを、ただ気力のみで圧倒していた。

 

 連続して響く金属音。

 この俺ですら目で追えぬ速度で振るわれる刀。

 紫と黒の雷が交差し、周囲の地形を変えて行く。

 

 上段から振るわれた刀をするりと避けた頼光さんが、その勢いのまま体を回転させ、捻るように逆袈裟に切り上げる。

 

 それを皮一枚で交わした丑御前は、雷を放つ剣で目にも留まらぬ三連突きを放つ。頭、心臓、右足。致命傷を二つと、機動力を奪う配置。身体能力で上回る丑御前が放った突きは、しかし身をかがめることで頭へのものを躱され、身をよじることで心臓を避けられ、手甲で弾くことで足を守られた。

 

 返す刀で左足を狙う頼光さん。下段で横薙ぎに振るわれた刀を、丑御前は飛び跳ねて躱す。

 

 空中に躍り出た丑御前。それは明確な隙であるはず。

 それを頼光さんも感じ取ったのか、必殺の突きを放とうとして——

 側頭部に、強烈な蹴り。

 

 空中で身を捩り、雷を放つことで反力を生んだ丑御前は、強烈な膝蹴りを頼光さんの側頭部にお見舞いした。

 

 ぐらりと体勢を崩す頼光さん。

 着地した丑御前はその隙を見逃さず、さらに崩れ行く頼光さんの腹を蹴って吹き飛ばした。

 

 吹き飛ばされる勢いのまま大木へと飛んで行った頼光さんは、空中で姿勢を立て直して真横に着地し、大木を蹴って自らを射出した。

 その勢いのまま突き出した突きは防ぐことかなわず、丑御前の左肩に突き刺さった。

 そのまま刀を捻るように引き抜いて、傷口を拡大させた頼光さん。

 丑午前の肩から鮮血が吹き出し、それを浴びた頼光さんはさらに赤く染まる。

 

 頼光さんの猛攻は止まらない。

 痛みを感じないのか、肩をずたずたにされても痛がるそぶりも見せず即座に反応してみせる丑御前だが、遅い。

 回転し、勢いを増して横薙ぎに斬りつける頼光さん。

 狙いは脇腹。深々と切り裂かれる丑御前。分が悪いと感じたのか、一気に跳躍して後ろに下がる。

 

 再び、戦況は膠着した。

 

「まあ、随分と手酷くやってくれましたね。はらわたがこぼれてしまいそう……」

 

 微笑む丑御前。

 

あなた(頼光)(丑御前)丑御前()頼光(あなた)。何を拒むのです」

「お前は、鬼です」

「あなたも、そうなのですよ」

「私は、人です」

「人であらねばならない」

「父に認めてもらうために」

「人に認めてもらうために」

「わたしは」

「人であらねばならない」

 

 だから。

 

「斬る」

 

 頼光さんが一陣の風となってかける。

 

 首を狙った神速の一刀。一秒を億と分けてなお目で追えぬ。雷すら遅いと嘲笑う。剣の極地。只人が受ければ首は飛ぶのではなく飛んでいた。そう形容するしかっただろう。

 

 しかし、敵もさるもの。

 人間にはあり得ない速度で、腕の筋肉を破壊しながら腕を動かし、強引に防御する。刀によって弾かれた首狙いの一撃。しかしそれもほとんど偶然のようなもの。二度はない。それが分かっているからこそ攻めに転じる。

 

 刹那の閃光。振るわれた太刀筋は消えたとしか思えぬほど。しかしそれを余裕を持って防御する頼光さん。

 刀と手甲がぶつかり火花を散らす。胴狙いの逆袈裟は軽く防がれる。

 ならばとばかりに接近し、刀ではなく拳の間合いに。

 刀を持った手で顔面を殴りつけ、足払いからの強烈な蹴り。

 

 吹き飛ぶ頼光さんに追撃が入る。一息で間合いを詰めた丑御前は突きを放つ。

 必勝を期した一撃。されど、その先に敵はいない。

 一瞬の空白。

 丑午前に影がかかる。見れば、空中に頼光さんがいた。

 上空からの体重が乗った振り下ろし。それをまともに受けた丑御前は、体に斜めに走る裂傷を負う。

 

 それは不毛な戦いだった。

 誰も幸せになれない戦いだった。

 

 叫びを上げて斬りかかる頼光さん。その声は悲鳴にも、助けを求める幼子の声にも聞こえる。

 

 こんなことに意味はなかった。

 ただ悲しいだけだった。

 

 頼光さんの刀が丑御前の足を捉え、右足が空を舞う。

 そして、丑午前の心臓をめがけて、頼光さんは刀を放った。

 

***

 

 

 

「悪い鬼は、殺さねばなりません」

 

 幼い少女と、向かい合うように座っていた。

 

「世のため人のため。京の平穏のためにも、人々の安寧のためにも」

 

 そう言って、兜をかぶる少女。身の丈にあってないそれはぶかぶかで、そんなものを被らなければいけないほど、少女は大人には見えなかった。

 

「それが人々を守る、源氏の棟梁としての役目なのです」

 

 そう言って、年相応に笑う。

 

 そうして笑っているだけで。

 そうして笑っているだけでいられれば、どんなに幸せだっただろうか。

 

「そう、お前は源氏の棟梁だ」

 

 少女の背後に、男が立つ。

 それは具現化した闇のように暗く、人型の氷のように冷たかった。

 

「あ……父上……」

 

 震えた声で、少女は父と呼ぶ。

 それは少女の父親だった。

 

「魔を殺せ。賊を殺せ。源氏にあだなす全てを殺せ」

 

 それは呪いの言葉だった。

 少女にかけるような言葉ではなく、ただひたすらにいびつな呪詛だった。

 

「お前は、人であらねばならぬ」

 

 それは縛めの言葉だった。

 がんじがらめの重たい鎖。少女が背負うにはあまりにも重い荷物だった。

 

「お前は、鬼であってはならぬ」

 

 それは。

 それは。

 

 それは、あまりにも酷な言葉だった。

 

「務めを果たすのだ。頼光」

 

 そして、目から光をなくした少女は。

 

「はい、父上……」

 

 全てを諦めるように、頷いた。

 

 

 

***

 

 ぼたぼたと、手のひらから血が流れる。

 けれど、血が溢れ出る手のひらよりも、何よりも心が痛かった。

 

「金時……?」

 

 あり得ないと言いたげに、頼光さんは声を出した。

 頼光さんが突き出した刀を、俺は左手でつかんでいた。

 

 丑御前の胸に突き刺さる寸前で止まった刀。

 俺はそれに安堵して、わずかにため息を漏らす。

 

「大将、もう、やめてくれ」

 

 俺は言った。

 万感の思いを込めて、言葉を紡ぐ。

 

「自分を殺すなんてことは、しないでくれ」

 

 頼光さんがやろうとしているのは、自分殺しだ。

 丑御前は、頼光さんの半身。頼光さんの魔性の具現化。その関係性は表と裏。

 丑御前は、頼光さんなのだ。

 

 半身たる丑御前を殺せば、頼光さんは死ぬ。

 

 当然だ、生き物は半分になってまで生きられるようにはできていない。

 

 自分を殺せば、死ぬ。

 

 魔性だけが消え去るなんて、都合のいいことはない。

 

「金時……」

 

 頼光さんは、静かに俺の名を呼んだ。

 

「源氏の棟梁が」

 

 ぽたぽたと、雫が落ちる。

 それは雨に混じって、溶けて流れる。

 

「父上の子が」

 

 ざあざあと雨が降る。冷たい雨は体温を奪い、俺たちを冷たくする。

 

「私が殺すべき鬼は」

 

 ゆっくりと、顔を上げる頼光さん。

 

「私だったのですよ。金時」

 

 震える声は、あまりにも悲痛で。

 

 その声さえも、雨音が飲み込んだ。

 

***

 

 手から刀が引き抜かれた。

 

 引き抜いた刀を持って、頼光さんは俺に斬りかかる。

 

 神速の大上段。剣閃はわずかなきらめき。

 鈍色の轟音が響く。

 俺はまさかりで、刀を受け止めていた。

 

「日の本だとか、京だとか」

 

 雷を迸らせる。体が焼け焦げるほどに。痛みで身をよじるほどに。

 

「武家だとか源氏だとか、父親だとか世間だとか」

 

 雷光が弾ける。それは魂の激発。限界を超えて流れ出る神鳴は、黄金に輝いていた。

 こぼれ落ちる涙が雷に焼かれ蒸発していく。

 

「真っ当な人間だとか!」

 

 俺は、頼光さんの刀をはじき返した。

 

「それが、そんなに大事かよ!」

 

 俺は叫んだ。

 

「そいつらに認められなきゃいけないのか!? そいつらが許さねぇとだめなのかよ!」

 

 それは心の底からの叫びだった。魂の絶叫だった。

 喉の奥から溢れ出る言葉は、怒りと、嘆きと、ありとあらゆる感情が入り混じった何かだった。

 

「いいじゃねえか! 俺たちが、俺が、綱の兄貴が、季武が、貞光が、いるじゃねえか……!」

 

 まさかりを振るって、刀を弾き飛ばした。

 遠くへと飛んでいく刀。手に何も持たなくなった頼光さんを見て、俺はまさかりを投げ捨てた。

 

「俺たちじゃだめなのか? 俺たちじゃあんたの心の拠り所になれねぇのかよ……!」

 

 頼光さんの両肩をつかんで揺さぶる。

 頼光さんは下を向いて、俺と目を合わせようとしない。

 

「源頼光は! 俺たちの大将で! 暖かくて、料理が上手い、誰よりも優しい俺の母親で!」

 

 俺は、叫ぶ。

 

「——それだけでいいじゃねぇか!!!」

 

 縋り付くように、言葉を紡ぐ。

 

「……やめてくれよ。……自分を殺すなんて、自分から死ぬなんて……やめてくれ……」

 

 俺は涙を流していた。

 無様に、みっともなく泣き叫んでいた。

 

「あんたが死ぬなんて耐えられない。あんたがいない世界なんて耐えられねぇんだ……!」

 

 強く、強く抱きしめた。縋るように、どこかへ行ってしまわないように。

 どこにも行けないように、少女を強く抱きしめた。

 

「頼む……頼むから……生きてくれ。誰でもない源頼光が、俺には必要なんだ……」

 

 そっと、背中に手が回る。

 

「金時……」

 

 胸に、雨とは違う、暖かい雫が沁みた。

 

「ごめんなさい……! 私は……! 私は……!」

 

 声を押し殺して、涙を流す少女。

 お互いの体温を確かめるように、お互いの愛を確かめるように、そこにいることを確かめるように。

 俺たちは強く抱きしめあった。

 

 気がつけば、雨雲は晴れて消え。

 

 月明かりが、俺たちを照らしていた。

 

***

 

 限界を超えたのか、頼光さんは寝息を立て始めた。

 どうやら、気を失ったらしい。

 

「……あとは、あんただな」

 

 言って振り向く先には、もう一人の頼光さん。

 

 すなわち、丑御前。

 

「心配せずとも良いですよ。私はすぐに、彼女の中に帰ります。もう二度と、出てくることもないでしょう」

 

 そう言って、丑御前は俺の方に近づいてきた。

 

「やっぱり、あなたは頼光(わたし)の息子なのですね……」

 

 そう言って、丑御前は俺の頬を撫でる。

 愛おしそうに、慈しむように。母が子を撫でるように、優しく、儚く。

 

「金時……これからも、頼光(わたし)を愛してくださいね」

 

 丑御前は、淡い光となって頼光さんの中へと戻って行く。

 つま先からだんだんと消えていく丑御前。

 

「でないと、私……」

 

 最後に、ふわりと微笑んで。

 

「泣いてしまうかも、しれません」

 

 彼女は、そう言った。

 

***

 

 俺たちは京に戻ってきた。

 長らく東国にいた俺たちにとって、京の活気は懐かしかった。

 

 頼光さんは変わった。

 元に戻ったのとも少し違う。

 吹っ切れた、というのが一番近い。

 

 具体的には、俺への愛情を一切隠さなくなった。

 

「金時!」

「なんだ大しょ、おぉおっ!?」

 

 突然に名を呼ばれたかと思えば、正面から衝撃。

 起伏に富んだ弾力のある体が、俺を抱きしめた。

 

「ちょ、大将!」

「どうしたのですか金時」

「いきなりこんなとこで抱きつくなよ!」

「これは親子の愛情表現です」

 

 きっぱりと言い切って、俺を抱きしめ続ける頼光さん。

 最近はずっとこんな調子で、少し困る。こうも臆面なく愛情をぶつけられると、照れてしまう。

 まあしばらくすれば落ち着くだろうとは思うが、長引くと大変だな……と思いつつ、頼光さんを押しのけようとする。

 

「まあ! 母の抱擁を拒むなど、何事ですか!?」

 

 そう言って、頼光さんは大仰に驚いてみせる。

 

「そんなことをされては、母は、母は、泣いてしまいますよ!?」

 

 そう言って、目に涙をため始める頼光さん。

 俺は慌てて、頼光さんを抱きしめ返した。

 

「悪かったよ大将。これでいいだろ?」

 

 そう言って、頼光さんの瞳を覗き込む。

 

 頼光さんの瞳の中に、小さな少女が映っていた。

 その少女は、もう以前までの泣き顔ではなくて。

 

 幸せそうに、微笑んでいるのだった。

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