黄金の運命【完結】   作:アイリス

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最終回。長いです。



第終話「酒呑童子」

 

 近頃、京にはよくない空気が漂っていた。

 暗く、落ち込み、ふさぎ込むような悪い空気だ。人々の顔は暗く沈み、町にも活気がない。

 

 その原因は、はっきりとわかっている。

 

 それは、鬼だ。

 

 曰く、鬼の棟梁率いる鬼の集団が、町に来るのだという。

 町に来た鬼は悪逆の限りを尽くし、物を奪い、建物を壊し、人を喰らい、さらって行く。

 大抵の場合結界などが貼られているはずの貴人の家にまで押し入り、そう言ったことをするもので、俺たちも頭を悩ませている。

 

 さっさと退治に行けば良いではないかという話だが、それができない理由がある。

 

 ——見つからないのだ。

 

 被害が出たと判明する頃には鬼たちは逃げ去っており、俺たちがたどり着く頃には居なくなっている。

 兵たちに足止めをさせようとしても、生半可な兵では蹴散らされてしまうようで、町中に配置した警備兵はほとんど意味をなして居なかった。

 ならばと占術に頼ろうとしても、晴明も今は時期が悪いだのなんだのと言って占おうとしないため、どうにもならない状態だ。

 晴明より下の陰陽師では占っても何もわからず、意味がなかった。

 

 幸いなのは鬼が来る頻度がそう高くないことだが、それでも被害は出続けている。

 

 そんなこんなで俺たちは下手人たる鬼と戦うことすらできず、頭を抱えていた。

 

「どうすりゃいいんだ……」

 

 言いながら、町中を歩く。

 俺たち頼光四天王は、単体で見れば超級の戦力だが、単体であるがゆえにこう言った事件に弱い。

 

 町中は、活気を失いつつある。

 人々はうつむくように歩き、明日への希望が見出せていない。

 

「くそっ」

 

 俺は悪態をついた。

 何もできない、できていない自分に嫌気がさす。

 俺は人々を守る(つわもの)であるというのに、その役目を果たせていない。

 なんのために俺がいるのだ。人々に平穏な日常を、笑顔がある日々を過ごさせてやるためじゃないのか。

 

 俺はきつく拳を握りしめて、また歩き出した。

 

***

 

 夜である。

 月もない新月の空。星明かりだけの夜は暗く、どこか恐ろしい。

 

 鬼は、夜に来る。

 人々が寝静まる夜。それは怪異の時間だ。

 暗き闇に這い寄るように、奴らはやって来る。

 

 俺も夜は寝ずに警備をしているが、未だ鬼たちを捉えられないままだ。

 

 あまり寝れていないため、少し体の調子が落ちているのを感じつつ、夜警をする。

 

 それにしても、鬼。

 鬼だ。

 

 鬼といえば、俺の心に思い浮かぶのは一人の少女。

 俺を鬼ではないと言った少女を。俺に何者にもなれると言った少女を。俺に人を見せてくれた少女を。俺に鬼を見せてくれた少女を。

 あの鮮烈な微笑みを。とろけるような声を。

 

 今でも、思い出す。

 

「鬼が出たぞ!」

 

 遠くで男の叫び声が聞こえ、はっと意識を現実に戻す。

 

 俺は声のする方に駆け出した。

 すぐさま叫ぶ男が見えて来る。

 

「どっちに出た!」

「金時様! ——の方で出たそうです!」

 

 返事を聞いて、その方向へ走り出す。

 雷光を纏い、体を活性化させ、できる限りの速度で駆ける。

 

 しかし、現場にたどり着いた時、そこはすでに地獄になっていた。

 

 鬼どもの姿は見えず、代わりに見えるのは燃え盛る建物と、散らばった無数の死体。

 兵どもは散々に殺され尽くし、無残な死体となってあたりに転がっていた。もはや原型すら留めておらず、まるで遊んだ後のようにちぎられ、すり潰された死体。あまりに酷いその死に様に、思わず握る手に力が入る。

 

 血の海に、燃え盛る建物が反射していた。

 

「くそっ!」

 

 自らの無力を嘆くように、言葉を吐き捨てた。

 

 生存者がいる可能性に望みをかけ、火の手が回った建物の中に入って行く。

 空気が熱され、煤と煙が舞っている。が、熱いのは我慢すればいい。煤と煙は息を止めればいい。俺は気にせず奥へと進んでいく。

 

「誰かいねぇか!」

 

 大声で呼びかけながら、建物の中を回る。

 時折壁や天井が崩れ、炎を纏った瓦礫が落ちて来る。

 

「うぅ……」

「どこだ!?」

 

 近くで、声が聞こえた。

 俺は耳をすませ、声の元をたどる。

 

 そうすれば、瓦礫の山に行き当たった。

 

「ここか!?」

 

 俺は言いながら、炎を纏った瓦礫を素手で退ける。

 手が焼けるが、こんなもの大百足の火や土蜘蛛の炎に比べれば屁でもない。

 俺はどんどんと瓦礫を退け、生存者へとたどり着いた。

 

 そこには齢十二、三ほどの幼子がいた。

 右腕は半ばからちぎられ、その傷口は炎で炙られたのか焦げ付いている。全身のいたるところに裂傷があり、それは刀のような鋭利なものでつけられたものではなく、爪で切り裂かれたような醜い傷だった。

 そして何より、少女には片目がなかった。眼球はえぐり取られており、そこから涙のように血が流れていた。

 

 早いうちから落ちた瓦礫に守られていたのか、火傷はそこまでないが、あまりにも血を流しすぎているように見える。

 

 ——助からない。

 

 直感してしまう。

 今までの戦いでも、多くの怪我人を見てきた。その経験からの直感が、この少女の死を悟ってしまう。

 

 それを否定して、俺は少女を助け起こした。

 

「もう大丈夫だ。すぐに安全なところまで連れてってやる!」

 

 言って、少女を担ぎ、移動を始める。

 すぐに治療を受けさせないといけない。

 俺は繰り返し言い聞かせるように大丈夫だと呟きながら、少女を運んだ。

 誰に対して言っているのかは、俺にも分からなかった。

 

「お武家様ですか……?」

「ああ、そうだ!」

 

 背中の少女の言葉に、俺は返答する。

 

「音の聞こえし頼光四天王、坂田金時だ。絶対にお前を助けてやる」

 

 言って、先を急ぐ。落ちてくる瓦礫に気をつけて進まなければいけないから、時間がかかってしまう。

 

「坂田様……なんで私は、こんな……こんな目にあわねばならなかったのでしょうか……」

「——ッ!」

 

 理不尽を嘆く少女の声に、胸が張り裂けそうになる。

 俺は何もできなかった。鬼と戦うのが俺の役目だと言うのに、何もできなかったのだ。

 

 この少女が傷ついたのは、俺のせいだ。俺が、間に合わなかったから——!

 

「痛い……痛いです……。奪われて、傷つけられて、殺されて……なぜこんな……こんな……」

 

 うわごとのように繰り返す少女。その声には、言い知れぬ絶望が滲んでいた。

 

「私……許せない……」

 

 もうすぐ、建物から出られそうだった。

 

「お願いします……坂田様……あの鬼を……私たちを虐げたあの鬼を……」

 

 外の景色が見える。外にはすでに兵たちが集まっていた。

 

退治()してください……」

 

 ずしりと、背中が重くなる。

 

 それっきり、背中からは声も、息をする音さえも聞こえてこなかった。

 

「……ああ、必ず」

 

 俺は、そう答えた。

 

 奥歯が砕けそうなほど歯を噛み締めた。

 この想いを、この無念を、風化させてはならないと思った。

 

 少女の痛みを、苦しみを、嘆きを。

 

 深く胸に、刻みつけた。

 

***

 

「晴明、どうにもならねぇのか!?」

 

 俺は晴明の屋敷に来ていた。

 あれからも、俺たちは鬼を取り逃がし続けた。

 被害は増え続けており、町中は鬼に怯える空気で充満している。

 

「言っただろう。まだその時期ではない、と」

「時期がどうとか、そんなこと言ってる場合じゃねぇんだよ!」

 

 俺は怒鳴り声をあげた。この男が占ってくれさえすれば、すぐにでも鬼たちは見つかるだろう。

 だと言うのに、この男は動かない。

 頑なに占うことを拒み、それどころか屋敷から出てこようともしない。

 

「死人が出てんだ! 老若男女、貴賎を問わず、大勢の人が犠牲になってる!」

「大勢ったって千かそこらじゃないか。それなりだが、大した数じゃない」

 

 その言葉に、かっと頭に血が昇るのを感じた。

 

「てめぇ!」

「なんだ、ご自慢の怪力で僕を殴りつけるつもりか? それに意味があると思うのならばやってみるといい」

 

 冷ややかな目線でこちらを見つめる晴明。

 振り上げた拳を必死に押しとどめ、なんとかおろすことに成功する。

 ここで晴明を殴りつけても、なんの解決にもならない。

 

「全く、少しは落ち着いてほしいものだね。心配せずとも、今都を賑わせている鬼は()()退治されるよ。ただ、今でないと言うだけ」

「……なんで今じゃだめなんだ」

 

 被害者は増え続けている。この男が言うのだから、鬼は退治されるのだろうが、一刻一秒でも早いほうがいいに決まっている。

 

「今君に鬼の居場所を教えても、なにも好転しないよ」

 

 晴明は言って、茶を啜った。

 その優雅な所作に腹がたつ。

 今尚鬼による襲撃は続いている。だと言うのに、この男は何もする気がないらしい。

 

「鬼は、確実に退治される。しかし、それはひと月後かもしれないし、一年後かもしれないし、十年後かもしれない。決まった出来事——イベントは必ず起きる。けれど、その時期は決まっていないんだ。そして、それを早めようと思えば時期を見極めるしかない。少なくとも、今すぐに鬼の場所を教えても、イベントは起きないんだ」

 

 致命的に、それを起こすための発生条件——フラグが足りない。

 

時間収斂(バックノズル)。物語において、起こるべきことは必ず起こる。しかし、その起き方を変えることはできるんだ。それが最良になるように、僕は調整している」

 

 例えば。

 

「生き物は死ぬ。それは変えられない事実で、避けられないイベントだ。しかし、死に方を選ぶことはできる。寿命、病死、戦死から自死までなんでもござれさ。それを最もいい死に様にするために、僕は今沈黙を保っているのさ」

「……意味がわからねぇ」

 

 それに尽きる。この男が言うことはあいも変わらず理解できない。

 

「君にわかってもらおうと思って喋ったわけじゃないからね……ともかく、君に話せることは何一つない。さあ、帰った帰った」

 

 そう言って、晴明は俺を帰らそうとする。

 しかし、はいそうですかと帰るわけにはいかない。

 俺は、なんとしても鬼たちを倒さなければならないのだ。

 ここで引き下がるわけにはいかなかった。

 

「……頼む、晴明。なんでもいいんだ。鬼について教えてくれ……!」

 

 俺は土下座した。

 誠心誠意頭を下げて、無様に懇願した。

 俺には役目がある。あの嘆きを、あの無念を、晴らすという役目が。

 それを果たすためなら、俺はなんだってやるつもりだった。

 

「…………………………………………………………はぁ」

 

 たっぷりと沈黙した後、晴明はため息をついた。

 

「そこまでするなら……そうだな。明日の夜、法輪寺橋(渡月橋)まで一人で行ってみるといい。結局意味のない行為だろうが、まあ、それに何を見出すかは君の勝手だ」

 

 晴明は言う。

 どうやら、手がかりを教えてくれたようだ。

 

「恩に着る……!」

 

 俺は言って、もう一度頭を下げた。

 

「着なくていい。君に何をしたわけでもない」

 

 結局のところ。

 

「それは意味のないことなのだから」

 

***

 

「坂田金時」

「平安の英雄。頼光四天王の一人」

「神と鬼の間に生まれ、異界にて育ち、そして二人の女と出会い変わった男」

「京の平穏を守護し、人々を守る兵」

「多くの怪異を打ち滅ぼした神秘を狩る神秘」

「まさに理想の英雄だ。子供たちの憧れだ」

「だが心せよ」

「坂田金時。その物語に——」

 

「——幸福な結末(ハッピーエンド)は、訪れない」

 

***

 

 夜。

 美しい三日月。薄く微笑むようなそれが、空に輝いている。

 桂川にかかる法輪寺橋も、その月明かりに照らされて、夜に浮かんでいた。

 

 その橋の中腹あたりに、小さな人影。あるいはその人影こそが、晴明が夜にこの橋に行けと言った理由なのだろうか。

 俺はその影に近づいて行く。

 

 その人影は小柄だ。こちらに後ろを向けている姿は、ともすれば子供と見紛うほど。

 性別は女性だった。

 青紫に紅の柄が入った着物を羽織り、腰に瓢箪を下げている。

 後ろ姿からでもわかる、その色香。着物に覆われていない肌は透き通るように白く、思わずくらりとくるほどだ。

 烏の濡れ羽色の髪は短く。髪の終わりと着物の隙間から覗くうなじの白さが美しい。

 

 そうして、俺が声が届くだろう距離まで近づいた時。

 ふと、女が振り返る。

 

 ひたいから伸びる、二本の角。

 薄く、微笑をたたえた口元から漏れだすのは、果実の酒気。

 人ならざる魔を感じさせるほどに美しい(かんばせ)

 こちらを見つめる、藤色の瞳。

 

「あ……」

 

 思わず口から声が漏れ出る。惚けたように口が開いた。

 

 そんな俺の姿を見て、その女は「ふふ」と笑った。

 

「久しぶりやねぇ……小僧?」

 

 妖しげに、艶やかに、そう言って笑う女を、俺はよく知っていた。

 

「お前、あの時の……!」

 

 その女は、俺はまだ何者でもなかった頃。

 足柄山で出会った、鬼の少女だった。

 

 再会を祝福するように、人と鬼の出会いを嘲笑うように。

 三日月は爛々と輝いていた。

 

***

 

 あの時、確かに鬼の少女は確かに京に行くと言っていた。しかし、こんなところで、こんな形で再会するとは思わなかった。

 

「へぇ……立派な人になったんやね、小僧」

「お前は、鬼のままだな」

 

 しげしげと俺を眺める少女に、俺は言葉を返す。

 混乱と困惑で、頭がどうにかなりそうだった。

 

「小僧はずいぶん変わったなぁ……」

「お前は、変わらねぇな……」

 

 少女は、あの時見た少女の姿のままだった。

 着ている着物こそ変わっていたが、姿形はなに一つとして変わっていない。

 出会った時のままだった。

 

「なあ」

 

 俺は、ついに切り出した。

 

「京の都を襲っている鬼は、てめぇか?」

 

 それはどうしたって聞かなければいけないことだった。

 たとえこの少女が俺の昔馴染みであったとしても。

 

 返答次第ではいつでもまさかりを抜けるように構える。

 

「うーん、どやろなぁ」

 

 少女はのらりくらりと口を濁す。

 答えるつもりがあるのかないのか、少女は薄く笑っている。

 

「小僧は、どっちがいい?」

 

 少女は問うた。

 その問いは、俺の心に刃となって突き立った。

 

 どちらがいいか、なんて、馬鹿げている。

 どちらだろうと、相手は鬼だ。退治せねばならない相手だ。

 だと言うのに、俺は。

 

「……」

 

 なにも、言えなかった。

 ただ沈黙するだけで、なにを言うでもなく、なにをするでもなく立ち尽くした。

 

 できることならば、きっと俺は、少女に否定して欲しかったのだろう。

 

「ほなちょっと、勝負しよか」

「勝負?」

 

 俺は聞き返した。

 

「うん、そう。今から本気で(たたこ)うて、小僧が勝ったら、うちはさっきの質問に答える。その代わりうちが勝ったら——」

 

 小僧をもらおか。

 

 にんまりと、少女は笑う。魔のように、鬼のように、恋する乙女のように。

 

「俺をもらうって、どう言うことだよ」

 

 まさか戦利品として俺を奪い去っていくとでも言うのだろうか?

 

「そのまさか。小僧をうちのものとして、お山に持ち帰るんや」

 

 そう言って、とろけるような表情を見せる少女。

 

 しかし、それでは釣り合いが取れていない。

 俺が勝って質問に答えてもらうだけなのに対し、少女が勝ったら俺の全てを持っていかれる。それでは割りに合わない。

 

「なんや、負けるのが怖いんか? ああ、それとも」

 

 小僧もうちが欲しい?

 

 溶け落ちるような果実の吐息が、俺の耳にかかった。

 

「い、いらねぇよ!」

 

 動揺して、思わず後ろに下がる。

 頼光さんである程度耐性がついたとは言え、未だ女性は苦手だ。

 

「ほなやっぱり負けるのが怖い?」

「いや、怖かねぇさ。勝つのは俺だからな」

 

 啖呵を切る。

 背中に背負ったまさかりを抜き、構えた。

 雷を滾らせ、体を黄金に輝かせる。体が活性化して、否が応でも戦意が高揚する。

 

 結局のところ相手は鬼だ。どうあれ、戦うしかない。

 

「ふぅん。やる気になったんやね。ほな、やろか」

 

 そう言ったはものの、少女は自然体のままで構えようともしない。

 その代わりに、膨大なほどの鬼気が溢れ出す。

 丑御前にすら匹敵。あるいは凌駕するほどの威圧感が放たれ、少女の姿が恐ろしく見えてくる。人に近い姿だからこそ、恐ろしい。

 化け物が恐ろしいのは当然だが、人が恐ろしいのは当然ではない。だからこそ恐ろしく、おぞましく見える。

 

 荒れ狂い、渦巻く魔の気配。

 

 それが、黄金の光とぶつかった。

 

***

 

 

 

「あなたは、何なのですか」

 

 それは、いつかどこかであった出会い。

 鏡の向こう。水面の先。あるいは、違う道の自分との出会い。

 

「うちは、鬼や」

 

 嗤う少女は、誇るように、楽しむように、認めるように、見せつけるように、言う。

 私はそれが、たまらなく■■■かった。

 

「——あんたこそ、何やの?」

 

 見すかすように。見極めるように。問いを投げかける少女。

 

 その問いに、私は——

 

 

 

***

 

 先に仕掛けて来たのは鬼の少女だった。

 少女は右の拳を強く握りしめ、下から上へと突き上げるような一撃をお見舞いしてくる。圧倒的な身体能力によって繰り出される打撃は巨岩すら打ち砕くだろう。

 

 俺はそれを上体をそらすことで紙一重に避ける。

 そのまま後ろに宙返りするように動き、拳を外した少女の顎を蹴り上げた。

 重い一撃が鮮烈に決まる。顎の骨を砕かんばかりに力を入れた強烈な蹴りが、少女を捉えた。

 

 足に衝撃が伝わる。尋常ならざる硬さを誇る鬼の骨は、俺の蹴りを持ってしても砕けなかったようだ。

 しかし、顎を揺らせば、脳が揺れる。脳が揺れれば、隙ができる。鬼であろうが、人型である以上、それは同じなはず——!

 

 俺はそのまま一回転して着地し、まさかりを大上段に振りかぶる。

 

 が。

 

 ぐるり、と、蹴り上げられて上を向いていた少女の顔が正面を向く。

 

 背筋が泡立つ。予感。それは悪寒にも似て。

 

 腹部に、強烈な衝撃。

 

「ごはぁッ!?」

 

 口から血液がこぼれ落ちた。

 

 少女は、その細腕からは信じられないほどの怪力で、俺の腹部を殴りつけた。

 顎を強烈に蹴り上げたはずだと言うのに、脳が揺れることもなく、隙ができることもなく、逆に俺が痛烈な一撃をお見舞いされた。

 腹部に突き刺さった拳。その暴力的な衝撃は内臓に伝播し、俺の体内をめちゃくちゃにした。

 内臓が破壊され、耐え難い痛みが俺を襲う。

 

「鬼を人と同じと思たらあかんよ」

 

 余裕の忠告。

 そのまま少女は悶絶する俺に蹴りを放ち、吹き飛ばした。

 橋を転がる俺。しかし、俺は転がりながらも体勢を立て直し、立ち上がる。

 

 べっ、と口の中に溜まった血を吐き捨て、再び少女へと向かっていく。

 

 刹那の交差。斜め上から肩口へと袈裟斬りに振り下ろされるまさかり。雷を纏ったそのまさかりは、超級の破壊力を秘めている。

 落雷のごとき速度で振り下ろされるまさかり。それはもはや俺自身にも止めること叶わず、少女へと突き進んでいく。

 

 しかし——。

 

 強烈な金属音。

 

 見れば、少女の腕がまさかりを止めていた。

 半ばほどまで食い込んだまさかりは、しかしそれ以上はびくともせず、完全に受け止められていた。どうやら、骨のあたりで完全に止められたらしい。

 

 土蜘蛛か、それ以上に硬い。

 

 土蜘蛛の時よりも、俺は成長したと言えるだろう。しかし、それでもこの少女の骨は断ち切れない。それほどに硬かった。

 

 諦めてまさかりを引き抜き、俺は再び隙なくまさかりを構える。

 

「うちに傷つけられるくらいになったんか……。ふふ、ええ男に育ったやないの」

 

 そう言って、腕の傷をべろりと舐める少女。流れ出る血を舐め取るその動きは、いやに艶かしかった。

 

「今度はこっちの番や」

 

 言葉が耳に届くよりも早く、懐に潜り込んだ少女。

 腹部に衝撃。

 一、二、三、四、五、六。音楽を奏でるように調子よく俺を殴りつける少女。

 一撃一撃が岩をも砕く衝撃を持って伝えられ、痛みと苦しみが脳を襲う。

 

 しかし、やられるままでいるわけにはいかない。

 

 少女を左右からがっしりと掴み、投げ飛ばす。空中に放り投げられた少女を、まさかりで以って追撃する。

 

 ぐっと膝に力を溜め、一気に跳躍。放たれた力に橋が大きく軋む。

 

 そのまま空中に躍り出た俺は、まさかりを下から上へと振り上げ、落ちてくる少女をかちあげた。

 駆け上がる雷を纏ったまさかりは、昇り竜のごとく。

 雷撃が迸り、空に稲妻が拡散する。それは全て余波であり、本命たる稲妻の濁流は、少女の体を貫いた。

 

 吹き飛ぶ少女。再び空中を舞った少女は、地面に叩きつけられるよりも先に体勢を立て直し、両足で華麗に着地した。

 

 橋の欄干に佇む少女。月の光を浴びて淡く輝く少女は、一枚の絵画のようだ。

 

「はぁぁ……! ええよ、小僧……! 小僧の熱いもんがうちの中に入ってきて……最高の気分やわ……」

 

 誤解を招くような言い方をする少女。その顔は快楽に染まり、頬に朱が注がれていた。

 

 少女は欄干から飛び跳ね、またこちらへと向かって来る。

 超速の突撃。刹那のうちに距離を詰め、上空から痛烈なかかと落としを放つ少女。それを両腕を交差させて防いだ俺は、全身の筋肉を隆起させ、逆に少女を跳ね飛ばした。

 

 ひらりと舞うように宙返りし、橋に降り立つ少女。俺は少女が攻撃に転ずる前にこちらから仕掛け、まさかりを横薙ぎに振るう。

 

 それを少女は手刀で迎撃する。強烈な金属音が響き、まさかりが受け止められた。

 見れば、伸びた爪が刃となって俺のまさかりを受け止めていた。

 

 俺はそれに驚きながらも、連続して攻撃する。

 上段からの唐竹割り、下からのかち上げ、斜めからの袈裟斬り、横薙ぎ、逆袈裟。四方八方から少女へと攻撃する。

 それはさながら暴風のごとく。小さな台風が、橋の上に顕現した。

 

 連続して金属音が響き、夜に火花が散る。

 まさかりと少女の爪が幾度も打ち合い、火花を散らす。

 全くの互角。少女と俺の実力差は、零に等しかった。

 

「チィッ!」

 

 舌打ちを一つ。後方に跳躍し、距離を取る。

 助走をつけて、改めて突撃。防御は捨てる。回避も捨てる。

 ただ相手を破壊するためだけに全ての力を注ぎ、打ち合った。

 

 少女もそれに答えるように、防御を捨てる。

 妖艶に笑い、闘争を楽しんでいた。

 

 まさかりの一撃が少女の肩肉をえぐり、少女の爪が俺の脇腹を削り取って行く。

 俺の拳が少女の顔を捉え、少女の蹴りが俺の腿をしたたかに打つ。

 俺の頭突きが少女にひたいにぶつかり、お互い頭から血を流す。

 少女のかかと落としを食らいながらまさかりを振り回し、少女の腕に深い傷を与える。

 少女が俺の腕に噛み付いて、俺は逆の腕で少女の水月を殴りつける。

 

 お互いがお互いに傷つけあい、その傷を物ともせずさらなる傷を与えて行く。

 全身に無数の傷が増え続け、それがどこか心地よくて、いつの間にか俺は、俺たちは笑っていた。

 

 渦巻く暴力。岩をも砕く拳と、鉄をも刻むまさかりが交差する。

 

 一つ傷が増えるたび、一つ傷を与えるたび、俺たちは笑い合う。絶頂よりも心地よい時間。なにものにも変えがたい至高のひと時。

 

 しかしそれも、終わらせなければいけない。

 

「そろそろ終わりにしようや」

 

 言って、距離を取りまさかりを構えた。

 深く深く体を沈め、心の臓が作り出す力を蓄え始める。

 

「よろしおす……」

 

 少女も拳を構え、そこに渦巻く鬼気を集中させ始める。

 

「派手に行くぜ」

 

 俺は一歩踏み出す。橋にかかる力は零に等しい。踏み出した足の作る力の全てが、踏み出した先ではなく膝へと蓄えられた結果だった。

 爆発する力が俺を跳ね上げる。跳躍。大空へと体を飛ばす。

 

「吹き飛べ」

 

 限界まで反らせた体。渦巻く暴力的な力は一点へと集中されて行く。全身の筋肉が爆発的に鼓動し、この世を破壊してしまわんばかりの力を生み出す。

 

 限界を超えて体が雷を纏い、夜を黄金に照らす。

 渦巻く天の黄金。龍の咆哮たる稲妻が、まさかりへと集まって行く。それは神の怒り。両腕に宿る赤龍の尺骨が吠え猛るのを感じる。

 

「必殺」

 

 黄金衝撃。

 

 放たれるは究極の大破壊。この世全てを焼き尽くし、消滅させるようなそれ。

 

 対するは、鬼の拳。ただそこにあるだけで暴力である鬼の、その全てを込めた拳。

 跳躍する少女。上空から流星のごとく落ち行く俺を迎撃する。

 彼女の中に息づく大いなる蛇の鼓動が拳に宿り、俺のまさかりを迎え撃つ。

 

 そして、激突。

 

 次いで、爆発。

 

 限界を超えた究極の破壊同士の激突は、太陽にも匹敵する大爆発を生んだ。

 地上に太陽が降臨する。

 橋の上空で、球状に展開する絶対破壊空間。それは大いなる衝撃となって、世界を揺らした。

 

 激突する究極の力に耐えきれず、俺たちは吹き飛ばされ、そして——

 

***

 

 はっ、と目がさめる。

 どうやら、わずかな間気絶していたらしい。

 見れば、俺の体はぼろぼろになっていた。

 まさかりを持っていた手は焼け焦げており、全身の傷の上から爆発の衝撃を受け、ひどい有様だった。

 

 立ち上がろうとして、立ち上がることができず膝をつく。

 相当な傷を負ったようだ。見た目以上に深い。内臓もやられているようだった。

 

 なんとかあたりを見回せば、少し離れた位置に少女が座り込んでいた。

 どうやら意識はあるようだが、俺と同じように立ち上がれないらしい。

 

「……今日のところは、引き分けにしとこか」

 

 少女はそう言った。

 

「……そうだな……」

 

 俺も、そう答えた。

 

 これ以上戦う気にはなれなかった。

 限界以上を出し切ったという感覚。お互いがお互いの全力をぶつけ合い、それでも決着がつかなかった。

 ならば、引き分けだろう。

 俺たちの勝負は、どちらの勝ちでもどちらの負けでもなく終わった。

 

「ほなうち、帰るわ」

 

 そう言って、なんとかと言った調子で立ち上がる少女。

 ふらふらしながらもなんとか歩き出し、離れて行く少女。

 その背中に、俺は声をかけた。

 

「なあ、次の勝負はいつにする!」

 

 俺は言った。

 このままでは、何も手がかりを得られていない。それに、少女がこの京を襲っている鬼なのかも分からなかった。

 

 少女が振り向いて、こちらを見た。

 

「ほな、三日後、またこの橋で」

 

 それと。

 

「うちの名前は酒呑童子。酒を呑む童子て書いて、酒呑童子や」

 

 そう言って、また少女——酒呑童子は前を向いた。

 

 酒を呑む童子。なるほど、あの果実の酒気を放つ少女には、ぴったりの名前だろう。

 

「俺は坂田金時だ! 音に聞こえし頼光四天王が一人! 忘れんなよ!」

 

 俺も自分の名前を告げた。

 少女は振り返らずに軽く手を上げて、そのまま歩き去った。

 

 俺は、あの少女の名前を知り、少しだけ浮かれていた。

 

***

 

 そのあと、俺は何度も酒呑童子と勝負した。

 腕っ節の勝負だけでなく、盤双六での賭け事や、酒の飲み比べなんかでも勝負した。

 

 計六度。勝負をせども、決着はつかなかった。

 

 今日も酒呑童子と引き分けてきた俺は、夜遅くに家に帰った。

 もう明け方の方が近いだろう。

 

 不謹慎なことだが、俺は酒呑童子との戦いを楽しんでいた。

 限界を超えて力を出し、それでも決着がつかない。腕っ節以外でも完全に互角。いわば好敵手とも言える相手の登場に、俺は浮かれていた。

 

 そして何より、俺は酒呑童子の気質を、なんとなく好いていた。あいつと勝負をするのは、あいつとともに時間を過ごすのは、妙に居心地が良かった。

 

 家の戸を静かに開けて、自分の部屋へと戻ろうとする。

 

 部屋の戸を開けると、そこには涙目の頼光さんがいた。

 

「うおっ!?」

 

 思わず声を上げてしまう。

 部屋の中で涙を溜めながら正座する頼光さんは、怪談話にでも出てきそうだった。

 

「大将、あんたなんでこんな時間に起きてんだ!?」

 

 というか、なぜ俺の部屋にいるのか。

 

「金時こそ、最近どこに出かけているのです……?」

 

 その質問の答えに窮する。

 素直に酒呑童子と勝負をしに行っているというのは憚られた。

 

「あーそれは……」

「傷だらけで帰ってきたことも一度や二度ではありません。母は知っているのですよ!」

 

 そう言われて、さらに困ってしまう。

 

「その……怪異のことでちょっとな……」

「怪異……まさか、あの鬼どもを見つけたのですか?」

「それは違う」

 

 思わず否定してから、はっと思い直す。

 酒呑童子が、京を襲う鬼どもと関わりがないとは言えないのだ。

 関わりがあるのかないのかを聞くために、俺は戦っているのだから。

 

「ああ、いや……その……それの手がかりになるかもしれない奴に聴き出しに行ってるっつーか……なんつーか」

 

 しどろもどろになって答える。

 後ろめたい気がして、うまく言えなかった。

 

「金時では聞き出せないのですか? ならば母もともに行きます」

「……いや、それはやめてくれ」

 

 俺は気がつけば拒否していた。

 

「その……なんだ……大将だからいうけどよ……その相手ってのが、昔馴染みなんだ」

 

 俺は言ってしまった。

 頼光さんならば、誠心誠意話せばわかってくれると信じて。

 

「俺がまだガキだった頃。大将に拾われるより前に出会ったやつでな。今回の鬼のことをなんか知ってるかもしれねぇんだ」

 

 俺は語る。後ろめたくて、目をそらしながら。

 

「それで、それを聞き出すために最近勝負してんだけど、決着がつかなくてな……。まあ、あいつの気質からして多分関係ねぇと思うんだがよ……」

 

 それを聞いた頼光さんの表情を、俺は見ていなかった。

 

「ともかく、この件は俺にやらせてくれ。頼む!」

 

 そう言って、俺は頭を下げた。

 そこに、頼光さんから問いが投げかけられる。

 

「その相手は、どんな人なのですか?」

「どんな人って言われてもなあ……自由っつーか快楽主義者っつーか、そんな女だよ」

「女?」

 

 それに反応した頼光さんは、わずかに声色を変えた。

 それは気づかないほどにほんのわずかで、俺はそれを気のせいだと断じてしまった。

 

「金時……その相手は鬼ですか?」

 

 その声は、真剣な響きだった。

 鋼のような鋭さを持つ問いだった。

 

「それは……」

「——いえ、良いです。金時、今日は眠りなさい」

 

 頼光さんは、そう言って話を切り上げた。

 部屋から出て言ってしまった頼光さんを追うかどうか迷ったが、結局俺は追わなかった。

 

 床につき、目を閉じる。

 結局話してしまったが、頼光さんのことだ。悪いようにはしないはず。

 そう信じて、俺は眠りについた。

 

 けれど、この日話したことを。

 

 俺は一生、後悔し続けることになる。

 

***

 

 三日後。

 次の勝負まではまだ時間がある。具体的には、一週間ほど。前回の時に、十日後と約束したのだ。

 

 そんな日、俺は頼光さんに呼ばれた。

 何事かと思い、指定された部屋に出向く。

 そこには、頼光さん、綱の兄貴、季武、貞光、そして頼光四天王と同じく京を守護する(つわもの)の一人、藤原保昌。

 それと——

 

「晴明!?」

 

 ——安倍晴明。

 

「お前、なんで——」

「ここにいるか。それは、時期が来たからだ」

 

 線の細い青年は、涼やかに語った。

 嫌な汗が背を這う。動揺のあまり手が震える。

 錚々たる面子が揃っていた。これほどまでに人を集め、やることといえば何か。

 

「金時」

 

 頼光さんが、鋼の光を宿して目でこちらを見ていた。

 まるでいつもの頼光さんらしからぬ、感情を廃した瞳だった。

 

「鬼退治です」

 

 形のいい唇から、言葉が紡がれる。

 それは、俺にとっての絶望の言葉。

 

「敵がいるのは大江山。そして敵の鬼の首魁は——」

 

 ——酒呑童子。

 

***

 

 何かの間違いだと思いたかった。

 酒呑童子が、鬼どもの首魁であるという晴明の言葉を、俺は信じたくなかった。

 そも、あんな自由を具現化したような女が、鬼をまとめ上げられるはずがない。

 惹きつける才はあろう。されど、纏め上げる才はない。そんな女だ、あれは。

 

 けれど、晴明の占いは今まで外れたことがない。ならば、そうであるのだろう。

 それが俺には、たまらなく受け入れ難い現実だった。

 

 否が応でも時は進む。

 

 俺たちは晴明を除く全員で、大江山へと来ていた。

 晴明の術によって、俺たちは山伏へと変装して。

 晴明は単なる変装ではなく、上から山伏という概念を被せているがゆえに、正体が露見することはないだろうとかなんとか言っていたが、術のことはさっぱりだ。ただ、ばれないだろうということだけはわかった。

 

 頼光さんが石清水八幡、住吉明神、熊野権現の神々に祈祷し、授かったという酒——神便鬼毒酒を持ち、同じく授かったという兜——星甲を密かに持って、俺たちは山を登る。

 作戦は、山伏に化けた俺たちを信用させて、人が飲めば力となり、鬼が飲めば力を失う酒、神便鬼毒酒を飲ませる。そして弱ったところを、首を跳ねるということになっている。

 

 しかし、俺はそれに反対だった。

 酒呑童子との決着を、そんな卑劣さで穢したくなかったのだ。

 

「なあ、大将。正面から行くんじゃだめなのか」

 

 俺は、最後の望みをかけて、頼光さんに問いかける。

 

「確実に鬼を退治するためです。鬼を相手に、卑怯も何も言っていられません」

 

 きっぱりと言われ、俺は奥歯を噛み締めた。

 俺だって、わかっているのだ。鬼は確実に退治せねばならない。これ以上の被害を食い止めるためにも、確実に殲滅しなければいけないのだ。

 

 けれど、けれど。

 

 俺は、納得がいかなかったのだ。

 

***

 

 鬼の城の前。

 空は曇天。いまにも雨が降りそうだった。

 

「人間か?」

「人間か?」

 

 門の前に立つ二人の門番の鬼が、俺たちを見て首をかしげる。

 

「どうするべきか」

「どうするべきか」

 

 顔を見合わせ、全く同じ調子で、同じ言葉を繰り返す二人の鬼。全く同じ姿で、全く同じ装いの二人は、完全に同一の存在のように見えた。

 

「茨木様に献上するか」

「茨木様に献上するか」

 

 二人の鬼はそう言って、俺たちの方をもう一度見た。

 ぎょろりとした大きな眼球が四つ、俺たちを見る。

 

「人間よ、ついてこい」

「人間よ、ついてこい」

 

 二人の鬼はそう言って、俺たちを捕らえて中へと連れた。頼光さんが抵抗しないようにと手で制したため、俺たちは無抵抗で中へと連れていかることになった。

 

 鬼の城の中に入ると、大勢の鬼たちがいた。

 小さいもの、大きいもの、細いもの、太いもの。様々な姿の、大勢の鬼がいた。

 

 曲がり角を何度か曲がり、扉を幾度かくぐった先で、俺は決して会いたくなかった鬼と出会った。

 

「えらい珍しいお客さんやなぁ」

 

 瞳に映るのは、あの日と変わらない姿の酒呑童子。

 妖艶なその姿は、初めて出会った時とも、再開した三日月の夜とも変わらない。

 

 微笑をたたえた酒呑童子。

 こんな形では、再会したくなかった。

 

 部屋の最奥に座る二人の鬼。

 酒呑童子と、それに控えるように座る黄色の衣の鬼。

 最も人に近いその二人こそが、最も恐ろしい鬼に見えた。

 

「貴様ら、どこから来たのだ?」

 

 黄色の衣の鬼が聞く。

 その顔にはわずかに疑いの色が浮かんでいた。

 

 その疑いを晴らすべく、頼光さんは口を開く。

 

「私たちは山伏でして。大峰山での修行を終えて、出羽国に帰る道中、一目京の都が見たいと思い、道を迷ってしまいました。お陰で鬼の棟梁たる酒呑童子様に御目通りが叶い、良い土産ができました」

「ああ、うちは棟梁とちゃうよ」

 

 酒呑童子は、頼光さんの言葉を一部否定した。

 

「うちはあくまで食客でなぁ。ほんまの棟梁はこっち」

 

 言って、酒呑童子は隣の鬼を指す。黄色の衣の鬼は、その言葉を受けて胸を張り、笑みを浮かべた。

 

「そうとも、吾こそは大江山の主、茨木童子よ」

 

 そう言って、凶悪な笑みを浮かべた茨木童子。

 しかし、席の位置などからして、彼女は酒呑童子の方を上と見ているようだった。

 

「それは失礼を——」

「否、気にすることはない。むしろ、酒呑の素晴らしさを見抜き、棟梁と見まごうたその目、価値がある」

 

 そう言って、さらに笑みを深める茨木童子。

 

「客人よ、歓迎しよう。——酒を持て。肴もな!」

 

 茨木童子がそう言うと、鬼たちが慌ただしく動き始める。

 少しして、扉から鬼ではなく人が入ってくる。

 やつれたようなそれは都から連れ去られた姫君であり、彼女らは怯えきった表情で俺たちの前に酒と何も載っていない皿を置いていく。

 

 今すぐに助けられない状況に歯噛みし、悔しさを飲み込んだ。

 

 そして、置かれた酒を見て、俺は凍りついた。

 

 それは人の血だった。赤く、どす黒いそれは、人の血の匂いがした。

 

 だが、地獄はそこで終わらなかった。

 

「ほな、肴を作ろか」

 

 そう言って、酒呑童子は俺たちの前に酒をもってきた人間の一人をつかんだ。

 

 嫌な予感がして、思わず動きそうになるのを、頼光さんが目で制した。

 

「いや、やめてください! それだけは! 私まだ、死にたくな——」

「うるさ」

 

 軽く。

 なんの感慨もなく、少女の首をひねる酒呑童子。

 首がねじ切れて、血しぶきが舞う。頬に、跳ねた血がついた。

 香る鉄臭さが、胸に広がる絶望を深めた。

 

「よいしょっと」

 

 酒呑童子はその人だったものを解体し、肉塊へと変えて行った。

 そして、その肉塊は小さく分けられ、俺たちの前に置かれた皿の上に乗った。

 

 俺はただ呆然と、その様子を見ていた。

 

 奴らは、鬼だ。

 しかしその意味を、俺は真に理解していなかったのである。

 鬼は、人と相容れない。根本的に、違うのだ。

 

「さて、これが食べれるかな? お客人」

 

 嫌な笑みを浮かべて問う茨木童子。

 しかし、それに対して——

 

「ええ」

 

 源頼光は、答える。

 

 箸を伸ばし、切り身になった人肉を掴む頼光さん。

 

 俺は、その光景から目を離すことができなかった。

 決して見たくない光景だと言うのに、決して見てはいけない光景だと言うのに。

 

 俺は目をそらすことが、できなかった。

 

 口へ運ばれて行く、赤い肉。

 恐ろしいほどに赤く、おぞましいほど赤いそれは、頼光さんの口の中へと消えて行った。

 

 ぐちゃぐちゃと、咀嚼される人の肉。

 やがて口の動きは止まり、喉が動く。

 

 そして、頼光さんは口を開いた。

 

「結構なご馳走です」

 

 鬼が、ひときわ強く笑った。

 

***

 

 頼光さんに倣い、人の肉を喰らい、血の酒を飲んだ。

 それは、まさにこの世の地獄だった。

 人の肉の味など、知りたくはなかった。

 

 けれど、俺たちはそうせねばならなかった。都の人々の、無念を晴らすために。

 

「結構なご馳走をいただいたので、こちらも返礼を」

 

 人の肉を食べ終えた頼光さんは、そう言って神便鬼毒酒を取り出した。

 入れ物に入った状態でもわかる、芳醇な酒気。酒呑童子から香る果実の酒気とはまた違う、極上の香り。

 

 にわかに、鬼たちの目の色が変わった。

 

「へぇ……えらいことええお酒やねぇ」

 

 酒呑童子の持つ杯に、注がれて行く神便鬼毒酒。

 透き通ったその酒は、極上の毒だった。

 

「ほな、乾杯」

 

 全ての鬼に酒が行き渡った時、そう言って、酒呑童子は杯を掲げた。

 俺たちも倣い、そして酒を飲み干す。

 にわかに、力が湧いてくるのがわかった。

 

 鬼たちとはいえば、その酒に魅了されたように酒を求め、次々に注いでは飲み干して行く。

 

「はぁ……! こら極上やな……」

「うむ、これは素晴らしいぞ、酒呑」

 

 酒呑童子も茨木童子も、注いでは飲み干し注いでは飲み干し。取り憑かれたように酒を飲んでいた。

 

 そうこうしているうちに、やがて——

 

「あ……?」

 

 ぐらり、と酒呑童子がよろめく。

 手から杯がこぼれ落ち、床に落ちた。

 

 他の鬼たちも、次々と倒れこんで行く。

 

「謀ったな……!」

「ようやく効きましたか」

 

 そう言って、頼光さんたちは立ち上がる。

 山伏の概念を脱ぎ捨て、甲冑姿に戻った。

 頭に星甲を被り、戦闘態勢を整えた俺たち。

 

「では、始めますよ」

 

 片っ端から、鬼を切り裂いて行く。

 手当たり次第鬼に刀を突き立て、殺して行く。

 俺も、笈に隠していた波切という刀を取り出し、鬼を切り裂いていく。

 

 幾度鬼の首をはねただろうか。幾度恨みの言葉を吐かれただろうか。幾度呪いの言葉を叫ばれただろうか。

 

 俺たちは鬼を殺して。殺して。殺して、殺して。殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して。

 

 そして、立ち止まる。

 

 残ったのは、酒呑童子と茨木童子だけだった。

 

「何をしているのです、金時」

 

 背後から、声がかかった。

 

「酒呑童子を殺しなさい」

 

 頼光さんの声は、恐ろしいほど優しかった。

 

「刀を抜いて、首に滑らせるのです」

 

 優しく、言い聞かせるように。できの悪い子供を導くように言う頼光さん。

 

 俺は、震える手で刀を抜いた。

 

 酒呑童子は何も言わず、ただじっと俺を見つめていた。

 

「あなたは、人でしょう」

 

 ただ苦しかった。

 

「都を守る、(つわもの)でしょう」

 

 ただ悲しかった。

 

「私の愛する、息子なのでしょう」

 

 ただ辛かった。

 

「ならば、斬りなさい」

 

 俺たちの結末が。

 

「斬るのです」

 

 こんなふうに訪れるなんて。

 

「——ぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!」

 

 俺は、刃を、振り下ろした。

 

***

 

 そして、刃を振り下ろす、その瞬間。

 

 女は、花がほころぶように。

 

 おぞましく綺麗に、笑ったのだ。





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