第一話:地獄の釜の底
――――勝たなきゃゴミだ……!
どこか分からぬ薄暗い地下で地面を掘るスコップの音、絶え間無く動き続ける機械の重機音、ゴミや岩を運び続けるトロッコの音が延々と響き渡る。
ここは視界は最悪そのもの、さらに粉塵や悪臭がひどくマスク無しでは耐えられないほどの劣悪な環境である。
普通の人間なら尻尾を巻いて逃げ出しているだろうが、ここにいる者達はとある組織によって労働を強いられており、逃げる事は許されない。
ここは人が人の扱いなどされず、奴隷以下の存在として生きなければならない地獄の釜の底…………。
そんな蟻の様に地面を掘り続ける男達の中に一人、金色の髪を束ねてスコップを振る女がいた。
「はぁ……!はぁ………!」
彼女はスコップの動きを止めてマスクを取り、苦しそうに息をする。
美しい顔立ちにモデル顔負けのボディーラインをしている彼女の存在は、
この掃き溜めのような地下において明らかに異質…………。
「おい!何を休んでいる!さっさと動け、クズがっ…!」
「も、申し訳ありません…」
作業状況を確認しにきた工事長に怒号を浴びせられ、彼女は慌てた様子で再び作業を再開する。
ここでは男も女も関係ない。等しく【奴隷】の扱いを受けるのだ。
(なんで…!なんでこの私がこのような場所にいなければならないの………?)
歯をギリリと鳴らしながら、少女はこの地獄で自分が働いている事に対して怒りを覚える。
彼女の名前はエリザベス・メイブリー。
ウエストゼネティックスの学年順位2位で神算鬼謀の執行者と呼ばれ、周囲から尊敬の眼差しを送られていたパンドラだ。
大財閥メイブリーグループの令嬢でもあり、本来なら彼女はこのような場所で働く者達をアゴで使う立場にある。
そんな彼女が何故、地下で働いているのか?それは一ヶ月前に遡る―――――。
エリザベスは自分が所属していたシュバリエの総司令部に招集され、活動していたが
とある事件に巻き込まれ、その日からシュバリエに強い不信感を抱くようになった。
そしてエリザベスはシュバリエについて独自で調査した所、信じられない事実を知ったのである。
ノヴァと呼ばれる異次元体に対抗するために作られた組織だったはずのシュバリエが
とある組織によって事実上の支配を受けていた事。
そしてその組織が裏で多くの人達を苦しめ、自分のいるシュバリエすらもその悪行に加担していたのである。
人類を守るはずのシュバリエが逆に数多の人間の悲しみを生んでいる………その事実を知った時
エリザベスは、はらわたが煮え繰り返るような激情に襲われた。
そしてこの事実を世間へと知らしめ、人の生き血を吸う今のシュバリエとシュバリエを支配する悪の組織を倒そうと
メイブリー社の社長である自分の父に数々の悪行をまとめたレポートを送ろうとする。
人を守るパンドラとしての彼女の行動は正しいといえるだろう………だが、それを闇を支配する組織が許すはずがなかったのであった。
運命の日、その日も更なる悪事をまとめていたエリザベスであったが、自分に会いたい者がいるので司令官室に来るよう命令を受けた。
エリザベスは一抹の不安を覚えながらも、命令に従い司令官へと足を運ぶ。
「失礼します………」
エリザベスは司令官室のドアのノックして中へと入り歩みを進める。
「来たか、エリザベス・メイブリー……待っていたよ」
シュバリエの総司令官が椅子からゆっくりと立ち上がり、エリザベスの方に顔を向けた。
部屋は何故か電気を付いておらずとても暗い。その事にエリザベスは不信感を抱く。
何かがおかしい、とにかくこの部屋から出なければ。
エリザベスは内心そう考えながら口を開いた。
「あの、私に会いたい方というのはどちら様でしょうか?
私にはやらないといけない事がありますので、あまり時間がないのですけど………」
「ククク………!そのやらなければならない事とは一体何かね………?」
突然、後ろから声がした事にエリザベスは驚きながら振り向く。
そこにはロマンスグレーのオールバックの髪をした男が不敵な笑みを浮かべながら、立っていた。
(この男……!一体いつからここに……?全く気配がしなかったのに……!)
動揺しているエリザベスを余所にオールバックの男はフフッと鼻で笑いつつ言葉を続ける。
「ククク………!君があのメイブリーさんの娘か………。中々に容姿端麗なお嬢さんだな………」
「………父を知っているんですか?」
「もちろん知っているさ………彼とは何回も顔を合わせているんだからね」
「あなたは一体………?」
「ククク………ワシは利根川幸雄………君がコソコソと調べ回っていた……帝愛の幹部さ………!」
「―――――――!」
奴等に自分の行動がバレていた。エリザベスは利根川に対して
咄嗟に身構えるが、司令官が後ろからハンカチのようなもので彼女の口を塞いだ。
「むぐっ!?ん………むぅ…………んんん!」
エリザベスは必死に司令官の手を握り、自分の口から離そうとするが何故か力が入らない。
パンドラの中でもトップクラスの実力者である彼女なら、ただの人間である司令官など腕一本で弾き返せるはずなのに。
ジタバタと暴れてどうにか逃げようとしていたエリザベスであったが、やがてグッタリとした様子になり
司令官がハンカチを離すと彼女はその場に倒れこんでしまった。
「ククク…!エリザベス君………パンドラ専用として特別に作った睡眠剤の効果はいかがかね………?
この睡眠剤はパンドラに対してはかなり強力でね………あまり数は作れないが、ちょっと嗅いだだけで力が出なくなるのだよ………!今の君のようにな………」
利根川はニヤニヤと笑いながら床に倒れているエリザベスを見下す。
エリザベスは震える手でどうにか立ち上がろうとするが、結局は徒労に過ぎずうつ伏せになる。
「わ………私…………を……どうす…………る…………」
「ククク………君はパンドラという身分であるのにも関わらず、我々に対して噛み付こうとした………。
よって制裁っ………!我々に刃向かったエリザベス君…………制裁っ………!
会長は…………そう仰られたのだよ………!ククク………カカカ……!」
「かい……ちょう……?せ………い……さい……?それは………いったい………?」
「そうだな………君には地獄の釜の底で働いてもらう事にしよう…………だいたい10年くらい……!」
「10年………だって………!?」
「そう、10年…!まぁまぁ…この先は目覚めてからのお楽しみという事で………おい」
「はっ、かしこまりました!」
司令官は利根川に頭を下げるとエリザベスの身体を担ぎ上げる。
「はなひ………なはい………!わらひは………へりはへす………めいふひー………!
わらしを…………はなひ………」
薄れゆく意識の中でエリザベスはろれつの回らない口で言葉を放つ。
そんなエリザベスに利根川がニヤリと悪魔の笑みを浮かべ、言い放った。
はなひはせんっ・・・・!へりはへす君っ・・・・・!
―――――こうしてエリザベスは帝愛によって暗い闇の中へと堕ちていった。
「くっ…………!」
エリザベスはストレスをぶつけるようにスコップの先を地面へと叩きつける。
自分をこんな地獄に叩き落とした利根川によると、この工事は帝愛の幹部…及び帝愛が支配する組織の選ばれた者達が
避難に使う超豪勢な地下シェルター作りのためらしい。
彼女が掘っている場所は巨大なカジノ場になる予定との事。
(バカバカしい………!バカバカしい事この上ありませんわ………!弱者を虐げ続ける組織のために働いている自分が情けない……!)
エリザベスは顔をしかめながら蟻のように地面を掘る。
だけどエリザベスはこんなバカバカしい事を毎日毎日やり続けなければならない。
そう…利根川が提示した10年の間ずっと………彼女自身の若い時分をこんなゴミのような場所で送るのである。
「作業終了!各班ごとに整列!さっさと並べ!」
作業終了の笛の音と共に工事長の怒鳴り声が鳴り響く。
エリザベスはスコップを地面に置き、小さく息を吐くと列の最後尾へと並ぶ。
「おい、エリザベス………お前はまた班の最後尾に並んでいるな。
そんなに自分の裸を男に見せるのが嫌なのか?ああ~~~~~?」
エリザベスのいるE班とは別の班の男が意地悪そうに問いかける。
エリザベスは聞いてきた男の顔をキッと睨み付け、そっぽを向いて答える。
「………当たり前でしょう?」
「やれやれ…お前さんだって俺達と同じように借金を払えなくてこんな地下に堕ちちまったんだろ?
いわばお前は俺達と同じ穴のムジナってやつじゃねーか………違うかい?」
「違います!あなた達と一緒にしないで欲しいですわ!」
「おーおー!怖い怖い………お高くとまったお嬢さんはすぐにムキになっちゃって………」
「くっ………!」
「何をしている貴様ら!私語をするな!」
工事長に怒鳴られ、エリザベスは男に背を向けた。
こんな低俗な男に同類呼ばわりされる事にエリザベスは強い屈辱感を覚えるが、だからといってどうにかなる訳でもない。
エリザベスはこの屈辱に手を強く握り締めて耐えながらも、E班の男達と共に歩き始めた。
脱衣場に入っていく男達をエリザベスは列から離れて眺め続ける。
班の男達が全員シャワーを終えるまでエリザベスはずっと脱衣場の前で待つ。
彼女は自分の身体を見せる人間を一人でも少なくしたかったのである。
やがて班の人間全員がシャワーを終えた事を確認したエリザベスは
脱衣場で一人作業服を脱ぎシャワールームへと入る。
しかしシャワールームと言っても使えるのは一握りのシャンプーのみ、身体を洗うスポンジやトリートメントなど存在しない。
しかもシャワーはただ天井に着いているだけで、さらに入浴時間は短いというオマケ付きである。
(ふざけてる…!こんなのでは汚れが取れる訳がないわ……!
けど…洗えないよりはマシだと思わないとやってられない…)
エリザベスは手で全身を洗い泡を落とすと、シャワールームを後にする。
着替えが終わったら食事になるが、
他の男がシャワーを終えるまで待ち続けるエリザベスが食事をする時間はあまりにも短い。
エリザベスは急いでトレーを受けとり、配られる食べ物を乗せる。
トレーの上に乗せられたものはご飯と鮭一切れとタクアン、そして味噌汁だけという貧しい食事。
今まで贅沢なものを食べてきたエリザベスにとって
到底満足できる代物ではないが、他に食べるものなど無く、これで我慢するしかないのだ。
エリザベスは大きな溜め息をはきながらもタクアンを口に運ぶ。
(ケーキが食べたい………ケーキじゃなくても何か甘いものが食べたい……)
味噌汁をすすりながらエリザベスは様々なデザートを思い浮かべるが
それは泡となって消え、塩辛い鮭の味で一気に現実に戻されていくのであった。
食事が終わったら再び整列、部屋に戻る。部屋はE班24人の相部屋、あるのは古い雑誌に古新聞、チェスや将棋やトランプの類い。
テレビやラジオはもちろん、鏡などは一切ない。
そして四六時中、他の班の人間達と一緒。
朝も…昼も…夜も…プライベートなどありやしないのである。
エリザベスは部屋の隅っこで一人、体育座りをしながら消灯の時間までじっと待ち続ける。
班の仲間に話しかけられても、素っ気なく返事をして受け流す。
(もう嫌………こんな生活)
エリザベスは唇を噛みながら自分の首に付けられているチョーカーに触れる。
このチョーカーには帝愛が作った特製のもので、聖痕の力を大きく規制する効果がある。
これによってボルトウェポンやボルトテクスチャ等々、
パンドラとしての能力は使う事ができない。
一応、帝愛の慈愛とやらでエリザベスに対して、
乱暴を働こうとする者を軽く叩きのめす事が出来るくらいには力を残してやってあるらしいが……。
消灯の時間になり、ベッドに横たわりながらエリザベスは外の事を考える。
今頃、皆は自分がいなくなった事をどう思っているのだろうか?
おそらくシュバリエ…いや、帝愛の事だからエリザベス・メイブリーは誘拐されたとか
パンドラとして生きる事に耐えかねて、逃げ出したとか様々な捏造をして周りを納得させているに違いない。
(皆に会いたい………アーネット…イングリット…アティア…クレオ………アンドレ………!)
エリザベスは布団を握り身体を丸める。
ウエストゼネティックスでリミッターであるアンドレや、仲間達に囲まれて楽しく過ごしていた日々が頭の中で駆け巡る。
だけど……もう、あの日には戻れない。10年間…自分はこの亡者巣食う地獄の釜の底で働き続けなければならないのだから。
エリザベスの目に涙が浮かび上がっていく。自分は間違っていたのだろうか?やはりパンドラはパンドラらしく、シュバリエに従っていれば良かったのだろうか?
そんな疑問に答えてくれる者は誰もいない。エリザベスはゆっくりと瞳を閉じて深い眠りへとついた………明日のために。