カレー、それは夢と希望。
「……仁奈、これが。
私達が昼寝してる間に買い物に行った、きらりの残したメモ。」
カレー、それは譲れない矜持。
「『今日のおゆはんはカレーだよぉ☆』……これは……!」
カレー、それは無数の最適解。
「そう。これを見つけてしまった以上、争いは避けられない。」
負けられない意地が、そこにある。
「「勝負……!」」
これは、2人の少女が互いの尊厳をかけた、熱き戦いの記録である。
先に動いたのは杏だった。
その手にはジャワカレー(辛口)。彼女の矜持そのものである。
「カレーは辛口こそ正義! 今日のカレーは辛口になるべきなんだ!」
勢いよくパッケージを掲げ、高らかに宣言する。
それは彼女の主張と同時に、仁奈に対する宣戦布告でもあった。
「ちげーです! カレーは優しい味であるべきでごぜーます!」
仁奈はこれを受け、杏同様パッケージを掲げる。
手にしたのはバーモントカレー(甘口)。彼女の想いの結晶である。
「辛口!」
「甘口!」
両者、更に1歩間合いを詰める。
決して退かない。退いてはいけない。
退くわけには、いかないのだ。
「「ぐぬぬぬぬ……!」」
まさに一触即発。その時であった。
「たっだいまー! すぐに準備するからねぇ☆」
「おかえり!」
「おかえりなせー!」
第1ラウンド終了のゴングが、玄関のドアを開けた。
3人でレジ袋の中のものを冷蔵庫に仕舞った後。
第2ラウンドの先手を取ったのは仁奈だった。
「どうして杏おねーさんは、かれー方がいいんでやがりますか!?
飴好きじゃねーんですか!」
確かにそれもそうだ、と、きらりは心の中で同意する。
ピーラーでジャガイモの皮を剥く手は止めないまま。
「……ふっふっふ。聞いたね。聞いてしまったね?」
悪役のような台詞を吐きながら、杏は不敵な笑みを浮かべる。
攻撃が全く効いていないこと、恐らく手痛い反撃が来ることを察し。
仁奈はバーモントカレーを盾のようにして、対ショック姿勢を取った。
「仁奈。カレーはどうしてカレーって言うか、知ってる?」
確か色々と説があったような気がする。
鍋を2つ用意しながら、きらりは記憶を手繰り始めた。
「……っ!? ま、まさか!?」
仁奈が何かに気付いた様子。
甘口派が困るような説なんてあったっけ。
「そう! カレーはかれーからカレーと名付けられた!
つまり辛くないカレーは! カレーではないのだ!」
そういうことかい。
きらりは水を入れるために持っていた鍋を落としかけた。
「…………っ!?!?!?」
その痛烈な一撃は防御を貫通し、仁奈に深いダメージを与え──
「いやごめんこれは嘘。」
──る前に杏の良心が折れた。
だって思ったよりショック受けちゃってるんだもの。
この世が終わったような顔をしていたもの。
仁奈の世界を終わらせるとこだったもの。
「……あ、あぶねーとこでごぜーました……!」
仁奈の頬に冷や汗がつたう。
だが、なんとか杏の攻撃を凌ぎ切ることができた。
今こそ反撃の時だ。
「でも嘘ってことは! カレーは甘くてもいいはずでごぜーます!
なんでかれーカレーにこだわるんでごぜーますか!」
確かに、辛くするべきという杏の主張を通すならば。
カレーが辛くなくてはならない根拠が必要だ。
甘いカレーが選択肢として残るのなら、仁奈の敗北は一気に遠ざかる。
特に普段から飴を好んで食している杏は、この攻撃を躱すことは難しいだろう。
「……お母さんが、好きでさ。辛いの。
前は家族分の食事を私が作ってたから。
我慢して、辛いのばっか作ってたんだよ。
そしたら慣れたというか……好きになれたというか……。
思い出す、と、いうか……。」
待って。初耳です。
思いがけぬ流れ弾に当たり、きらりは下唇をきゅっと噛み締めた。
タマネギを切ってもいないのに、ここで泣くわけにはいかない。
「……そ、それなら仁奈だっておんなじでごぜーます!
ママはかれーカレーが好きなのに、作り置きのカレーはいつも甘口でごぜーました!
あめーカレーを食べると、優しかった時のママを思い出すですよ!」
駄目です。流れ弾が流星群。
きらりはポロポロと涙をこぼしながら人参を乱切りにする。
「ああ待ったこの話やめようきらりがやばい。
まだタマネギ切ってないのに。」
「きらりおねーさん、どっか痛てーですか!?」
第2ラウンド終了の合図は、彼女の涙だった。
3人での共同生活の中で、初めてカレーを作った時。
甘口か辛口かで、杏と仁奈は揉めた。それはもう揉めに揉めた。
きらりが2つ目の鍋を自分の家から持ってきて、両方作ると決めたくらい揉めた。
それ以来、カレーは甘口と辛口の両方を作るのがお決まりになっている。
ちなみにきらりは中辛派なので、2つのカレーを混ぜて食べる。
だから本来、杏と仁奈の口論は全く必要ないのだが。
どうやら何だかんだ楽しかったようで、カレーの日には必ずやっている。
そして杏が口論を続ける理由は、楽しいだけではなかった。
カレーは具の都合上、ジャガイモや人参の皮を剥く必要がある。
つまりは、ピーラーを用いる必要がある。
しかし仁奈にピーラーを見せると、まずいことになる。
いや、まずいことになった。
具体的に何がどうなるのかは、察して欲しい。
彼女は野菜の皮を剥く道具を、それ以外の用途で使われていた。
だから杏が仁奈の注意を自分に向けさせることで。
きらりがピーラーを握っている姿を、極力見させないようにし。
きらりは仁奈がこちらを見ていないことを常に確認しながら、ピーラーを使う。
そうやって仁奈を守ることも、杏がこの口論を続ける理由だった。
ピーラーを使わずに包丁で剥けばいいと思い、やってみたことはある。
だが結果、仁奈は「自分のせいでピーラーが使えず不便を強いている」と思ってしまった。
消え入りそうな声で、仁奈を謝らせてしまった。
それでは、意味がないのだ。
「あー、やっぱカレーはかれーもんだよ。」
目の前のカレーを一口食べ、杏は目を細めた。
「あめーカレーだってうめーです! ほら!」
仁奈が半ば強引に、杏の口に手に持ったスプーンを突っ込む。
「むぐ。……もぐもぐ。ごくん。
……まあ、悪くはないね、うん。」
杏の返答を聞き、仁奈は満足そうに笑った。
「おかわりあるからねぇ☆」
そんな2人のやり取りを見て、微笑みながらきらりが言うと。
「うーい。」
「はいです!」
スプーンを握った手を止めないままの、2人の声が返ってくる。
双葉家の食卓は、今日も笑顔が彩った。