双葉家の備忘録   作:maron5650

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4.風邪を引いた日 : 双葉杏

杏ちゃんが風邪を引いた。

私が治ったのと、ほぼ同時。

まるで病原菌が、そっくり移住したかのようだった。

 

杏ちゃんは身体が小さい。

それは先天的な体力と免疫力の欠落を意味していた。

一般的な風邪でさえ、彼女の身体には荷が重い。

彼女は数日前から高熱が続き、布団から起き上がれないままだった。

 

「……っ、ぅ……。」

 

杏ちゃんが、うめき声にもなっていない何かを発する。

私の呼吸音にすら掻き消されてしまいそうなそれを、聞き漏らすわけにはいかなかった。

 

「……杏ちゃん。起きた?」

 

彼女の眉間のシワが、一層深く刻まれる。

その表情が苦しさを増すのに比例して、目蓋がゆっくりと開いた。

 

「お水は飲めそう? おえってしちゃいそう?」

 

枕元のペットボトルを手に取り、キャップを外す。

杏ちゃんは目だけを動かして私を捉えると、荒々しい呼吸と共に言葉を吐き出した。

 

「……か……いま……るから……。」

 

「……杏ちゃん?」

 

彼女に顔を近付け、目を閉じ耳を澄ます。

掠れた声で、少女は再び呟いた。

 

「ぉかあ、さ、ごめ…………ぃま、ようい、……るから。」

 

お母さん、ごめんなさい、今、用意するから。

 

彼女はそう言っていた。

立ち上がることすら出来ない身体で。

焦点もはっきりしない目で。

何かに耐えるような表情で。

絶え絶えな息を吐きながら。

私を見て、他のものを映しながら。

その何かに、謝っていた。

 

「……杏ちゃん、いいの。いいのよ。」

 

彼女のぼやけた目は、私を母親と認識していた。

回らない頭は、昔の記憶を掘り出していた。

前に彼女は言っていた。

家族と暮らしていた頃は、何でも自分がやっていたと。

褒められるために、頑張っていたと。

それでも褒められなかったと。

 

愛してなんてくれなかったと。

 

「……でも……わた、し、っ……やらな、きゃ……。」

 

こちらに手を伸ばし、ボロボロになった彼女は起き上がろうとする。

その手を握って、私はできるだけ、大人びた優しい声を出した。

 

「ううん、いいの。

杏ちゃんはいつも、とっても頑張ってるから。

今日くらいは、ゆっくり休んで? 」

 

握った手が、少しずつ重くなっていく。

彼女から力が抜けていく。

目蓋がゆっくりと下がっていく。

疲弊しきった少女の眉間のシワが、ほんの少し薄くなった気がした。

 

「……ね。……か、さ。

おねが……しても……い?」

 

ね。お母さん。お願いしてもいい? ……だろうか。

 

「うん。何でも言って?」

 

タオルで彼女の額の汗を拭い、私は再び声を作った。

 

「……あの、ね。

……あたま……なでて……?」

 

その声が。震えていたのは。怯えていたのは。

気のせいでもなく。

風邪のせいでもなく。

他の何かが原因なんだろう。

彼女の記憶が原因なんだろう。

彼女の過去が原因なんだろう。

それは決して、無くなってはくれないんだろう。

彼女の言動が、そう確信させてしまうから。

私は精一杯優しく、彼女の頭に触れた。

 

「……ありが、と……。」

 

やっと安心したように、杏ちゃんは目を閉じた。

私はいつまでも、彼女の頭を撫で続けた。

その傷痕に触れるように。

癒えることを願うように。

何も出来ない自分を、悔やむように。

 

これが滑稽なごっこ遊びでも。

稚拙なお遊戯会だとしても。

彼女が欲しがっているものの、劣化したレプリカでもいい。

彼女の夢が醒めるまでは、この模造品は本物だ。

 

なら、せめて今だけは。

幸せな家族を、彼女にあげたい。

暖かな温もりを、感じさせてあげたい。

夢の中でくらい、望むものを与えたい。

素直に求めて、素直に与えられる。

そんな、彼女が貰えなかった幸せを。

 

だから私は、彼女を撫で続けた。

いつまでも。いつまでも。

 

 

 

 

 

いつまでも、ずっと。

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