諸星きらりは、抱いた感情をどう処理すればいいか分からなくなっていた。
事の発端は、昨日。
双葉杏と市原仁奈が、風邪でほぼ同時に倒れたのだ。
病状自体は問題ない。昨日は丸一日寝込んだが、今は微熱があるくらいなものだ。
問題なのは、2人共、数日間にわたり体調不良を隠していたということだった。
諸星きらりには、その理由が分かっていた。
双葉杏も市原仁奈も、決して良好とは言えない家庭環境で育った。
彼女達はその中で、体調が優れないことを家族に伝えると。
返ってくるのは、怒号だけだった。
だから彼女達は、当然のように風邪をひた隠すようになった。
報告したところで、家族を苛立たせるだけなのだから。
それを今も、当たり前のように続けているのだ。
だから彼女達は、諸星きらりに体調不良を報告しなかった。
不調を隠し、いつも通りに振る舞い、そして昨日、限界が来た。
諸星きらりはそれに思い至った瞬間、何かの感情を抱いた。
激情と言ってもいいものだった。
だが、これが何なのかが分からなかった。
客観的に観察することができないほど、その感情は激情だった。
自作のクッションに座り、諸星きらりは内省しようとする。
しかし、それはいつまでも上手くいかなかった。
『HQHQ、こちら仁奈。ターゲットを視認したでごぜーます。オーバー。』
オモチャのトランシーバーから、仁奈の声が響く。
「こちらHQ了解。引き続き様子を伺って、オーバー。」
オモチャのボタンを押しながら、マイク部分に語りかける。
『こちら仁奈、了解でごぜーます。アウト。』
ぶつり、と、通信が途切れる。
仁奈よりも少しだけ具合の悪い私は、布団の上で寝返りをうった。
何故私達が某ステルスアクションの真似事をしているのかといえば、その理由は2つある。
最近私がプレイしているのを横で見ていた仁奈が無線のやり取りに心惹かれたらしいから、というのがひとつ。
余談だが、9歳に血を見せるわけにもいかず、必然的に初見ノーキルノーアラートを強いられた。結構きつかった。
そしてもうひとつは、私と仁奈がほぼ同時に風邪を引き。
その直後、きらりの機嫌が悪くなったからだ。それはもうべらぼうに。
きらりの怒り、その理由が一向に分からない。
怒りというのも、恐らくあれは怒っているんだろう、という程度の推測だ。
きらりは私や仁奈に直接それをぶつけてはいない。
ただ、不機嫌なのだ。それはもうすごいくらい。
私達が同時に風邪を引き、きらりの負担が一気に増したから。
……そんなことで怒る彼女ではないだろう。
だが、風邪を引いたのとほぼ同時に機嫌が悪くなったのも事実。
つまりは、私または仁奈もしくは両方が、風邪を引いた前後に何かをやってしまった。
その何かが原因で、きらりが不機嫌になった。
そしてそれは、きらりが面と向かって怒れるようなものではないらしい。
何かをやってしまったなら、謝るのが道理というわけで。
しかし何が悪かったのかを理解しないまま頭を下げたところで、生じるのは微々たる風だけだ。
故に私達は、何をやってしまったのかを把握する必要がある。
そもそもきらりが抱いている感情は、本当に「怒り」なのか。それも確認しなくては。
そこで、話は冒頭に戻るわけだ。
『HQHQ、こちら仁奈! ターゲットが動きやがりました! オーバー!』
再び通信。緊迫した仁奈の声。
「こちらHQ了解、一挙手一投足に気を配って。オーバー。」
『いっ……きょ……?』
「ちょっとした動きも見逃さずってこと。」
『了解でごぜーます!』
さて。
先程からきらり特製クッションの上にちょこんと座ったまま微動だにしなかった彼女。
それが遂に動いたという。
何かヒントになるものが得られるといいが。
『HQ! きらりおねーさんは……冷蔵庫からプリンを出しやがりました!』
「え゛っ」
現在、家の冷蔵庫にあるプリン。
それはいわゆる限定品。とても高価。とても希少。
きらりは随分と長い時間並んでそれを購入した。……と言っていた。
無事買えたはいいが、食べるのがもったいないと数日間冷やし続けていたそれを。
多分賞味期限ギリギリまでそうしているんだろうなと思わせたそれを。
今、このタイミングで解禁したということは。
「めっっっちゃ怒ってるじゃん……。」
確定である。
『……仁奈、帰っていーです?』
身の危険を感じたのか、仁奈は帰投を希望する。
「うん。……くれぐれも、見つからないように。」
きらりは、とんでもなく怒っている。
それが知れただけでも収穫としては十分だろう。
……できれば、知りたくなかったけど。
作戦会議である。
私はうさぎのぬいぐるみを抱きかかえ、布団の上にあぐらをかく。
仁奈は同じように枕を抱きしめ、足を投げ出して座っていた。
「心当たりは。」
「あったら苦労しねーですよ……。」
それもそうである。
私達はうーんと唸りながら、それぞれ抱きしめたまま腕を組んだ。
「……はっ! そーいえば!」
すると、仁奈が何かに気づいたように顔を上げる。
「……服を泥だらけにしちまったからかもしれねーです。」
なるほど元気な証拠である。
「……それ、かな?」
原因としてはいささか弱いような気がするが。
しかしようやく思い当たった貴重なひとつだ。
「よし。……行ってみよう。」
「……いっしょに謝ってくだせー。」
「もちろん。」
善は急げ。謝るのは早いに越したことはない。
私達はプリンを食べ終えた頃を見計らって、きらりの元へと向かった。
作戦会議である。
「どうしよう仁奈、流石に泣かれるのは予想外だ。」
私達は頭を下げ、懺悔した。
この度は砂場でテンションが上がってしまい服を泥だらけにしてごめんなさい。
するときらりはどうしたか。
仁奈を許すでもなく。そうではないと怒るでもなく。
ただ、泣き出したのだ。
あまりに想定外の状況に、一度布団まで退避し、現在に至る。
「泣きたくなるほど汚しちまったでごぜーますかね……。」
そこまで行くと一体どれだけ汚したのか気になってくる。
……と、冗談はさておき。
「謝る内容が間違ってたのかも。」
仁奈は私の言葉に対し、もう心当たりなんて無いと言わんばかりに後ろに倒れ込んだ。
「……杏おねーさんは、ねーんですか? 心当たり。」
「ありすぎて困る。」
それはもう大量にあるともさ。
きらりとは仁奈より長い付き合いだし、私は仁奈より良い子ではないもの。
「一番やべーのは何でやがりますか?」
「一番かぁ……。」
その膨大なやらかしの中で、一番やべーやつと聞かれると。
「……あ。」
ひとつ、思い当たった。
そうか。それかもしれない。それしかないんじゃないか。それに違いない。
一度考えてしまうと、それ以外有り得ないような気がしてくる。
「……よし。行こうか。」
「……はいです。」
私達はのそりと起き上がり、再びきらりの元へ向かった。
作戦会議である。
「どうしよう仁奈、身動きが取れん。」
再び頭を下げ、懺悔すると。
私はきらりにがっしりと抱き締められていた。
彼女は依然として泣き止まないままだ。
「仁奈もおんなじでごぜーます。」
左側から仁奈の声。
どうやら両手で包み込むように2人とも抱き締められているらしい。
「きっとまた間違えたんでごぜーますよ……。」
マジで言っているのか。
「徹夜でゲームが罪ではないと……?」
そんなはずはあるまい。
完徹ゲームは罪だ。だって甘美な味がするもの。
「もうなんもわかんねーです……。」
仁奈は諦めるように呟く。
いいのか。諦めていいのか。諦めるしかないのか。
結局私達は何をやらかしたんだ。
声をかけても、きらりは抱き締める力を強くするだけだし。
でも、やっぱりきらりの感触は心地良くて。
泣き止んだら、素直に教えてもらうしかないか、なんて。
そんなことを考えながら、私は頭をきらりに預け、そっと目を閉じる。
心臓の脈動は、穏やかな子守唄。