双葉家の備忘録   作:maron5650

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7.琥珀の水面は揺らめいて

悪い夢を見た。

趣味が悪いし、気分も悪い。

とにかく、悪い夢だった。

 

「……っ、」

 

乱れた呼吸。へばりついた前髪。

乱雑に掻き上げる。

大きく深呼吸。周囲を見渡す。

事務所の一室。誰も居ない。

仕事から帰って、そのままソファで寝てしまったらしい。

身につけているものは、外行きの服のままだった。

 

息が苦しい。トップスを全て脱ぎ捨てる。

ゆっくりと息を吐く。

……うん。よし。

 

「やっちゃったなぁ……。」

 

着替えずに寝てしまった。

 

最近は仕事終わりに事務所に寄る用事もなかったし。

家に帰ってすぐ倒れても、きらりが着替えさせてくれたから。

それと同じ感覚で、つい横になってしまった。

 

首元の開いた服で寝ないと、私は決まって悪夢を見る。

あの日の夢。あの日の記憶。

お母さんに、殺される夢。

両手が首に纏わりついて。じわりじわりと締め上げて。

私の身体が壊れていって、それでも止めてくれなくて。

私が最期に、ごめんなさい、って。

そう呟いて、目を覚ます。

そんな夢を、必ず見る。

 

だから普段は、「働きたくない」と大きく書かれたTシャツを着て過ごす。

あれを私が着ていることに、誰も違和感を覚えない。

元々はよく分からないノリで部屋着に書き込んだものだったが。

これは私の普段着を誤魔化すのに大変有用だった。

書かれているものが、ニートアイドルのポリシーだというのなら。

毎日似たようなものを着ていても、怪しまれることはない。

似たようなものばかり持っていても、「まあニートだし」で済まされる。

私の要望と、ニートというキャラクターは、これ以上なく合致していた。

 

起きている状態であれば、別段気にすることはない。

チョーカーやネックレスだって付けていられる。

ただ、寝る時だけはダメなのだ。

首元の大きく開いた、ブカブカのTシャツでないと。

私は夢で殺される。

 

そもそも部屋着で寝ればいい話だ。

それはその通り。私だってそうしたい。

だが、アイドル活動というものは、どうも身体を酷使する。

喋らなきゃいけないし。動かなきゃいけないし。

モノによっては頭も使う。

ライブの日なんてそれが全部だ。

体格こそ小学4年生だが、体力もそうだと思わないでほしい。

何が言いたいかって、日中に寝なきゃ身が保たない。

 

だから私は、極力あのTシャツを着て過ごす。

睡魔に襲われても、そのまま寝てしまえるように。

仕事先の控え室等でその姿を目撃されても、スタッフに違和感を持たれないように。

ついでにその姿が、ニートアイドルのイメージを更に確固たるものにするように。

 

ただ今日は、あの服じゃダメな仕事だった。

だからきらりに選んでもらったし、前日はたっぷり寝た。15時間。

……それでも、ダメだった。

 

「おらにげんきをー……、」

 

胡座をかいたまま両手を掲げ、くだらない台詞を吐こうとする。

 

「…………。」

 

それがとんでもなくくだらないことに気付いて、ため息と共に手を下ろした。

 

 

 

 

 

「何を倒そうとしてるんですか、半裸で。」

 

とんでもなくくだらない台詞を聞かれていたことに気付いて、瞬間的に身体が硬直した。

 

 

 

 

 

「……幸子さんや、なんでここにいるんだい。」

 

ギ、ギ、ギ、と、軋んだ機械のように振り向く。

そこには当然、先程の声の主が。

輿水幸子が立っていた。

 

他事務所のアイドルである、白坂小梅と輿水幸子。

この2人は、以前依田芳乃と同じ仕事をしたことがきっかけで。

仕事でもプライベートでも、私達の事務所と密接に関係するようになった。

それこそ、ちょっとした友達感覚だ。

 

「アナタのプロデューサーさんに呼ばれたからですよ、杏さんや。」

 

幸子の言葉に、ようやく思い出す。

幸子ときらりの2人で新しくできたテーマパークのお化け屋敷に入る、という番組の企画。

その詳しい説明を近頃ここで行うと、プロデューサーが言っていたことを。

 

「きらりはまだ来てないよ。」

 

さて、友達感覚とは言ったが、ならば親密なのかと言われると、そうではない。

適当に遊んで、適当に話をして、適当に仲良くやっている。その程度。

その理由を問われたら、私は少し困ってしまう。

 

「みたいですね。1時間は早いですし。」

 

明文化できるほどハッキリとはしていないし、確信的な出来事があったわけでもない。

ただ、なんとなく。

ああ、きっと根本的なところで、この子とは決して交わらないんだろう。

互いを構成するものの、その土台。その前提。その当然が。

 

「真面目だねぇ。」

 

絶対に相容れないのだろう。

理解なんて、できやしないのだろう。

それを表に出してしまえば、きっと退けやしないのだろう。

きっと目の前の人物も、それを理解しているんだろう。

そう、思うのだ。

 

「……というか、大丈夫ですか? 汗、すごいですよ。」

 

だからこそ、この状況は好ましくない。

自分の精神が冷静な状態でないことを、私は自覚している。

だがそれを、この人物に触れさせてはいけない。

それを許せば、何か……自分でも予測できない何かが、崩れることになる。

 

「ああ、ちょっと、冷房が弱いから。」

 

何を言ってるんだ私は。

空調はさっきから、肌寒いほどに効いているじゃないか。

 

「暑がりにも程がありますよ。ほら、背中向けてください。」

 

幸子はいつの間にかハンカチを水で濡らしており、きっと背中を拭こうとしてくれているのだろう。

両の手のひらの上で数回、ぽんぽんと布を跳ねさせていた。

 

「……いや、いいよ。自分でやるから。」

 

「手が届かないでしょう。気にしなくていいですから、ほら──」

 

幸子は私を反転させようと、私の肩に触れる。

その時だった。

 

「──っ、」

 

彼女は、そこで静止した。

時間が止まってしまったかのように。

 

「……幸子?」

 

私の声に、彼女はハッとしたように手を引っ込めた。

 

「ああ、その、えーとですね、早めに来て自習をしようと思ってたんですが、筆記用具を忘れてしまいました。

ので、ちょっと取りに戻りますね。」

 

「え、いや、筆記用具くらい……、」

 

私が言い終わらないうちに、扉の閉まる音が響いた。

 

「…………。」

 

机の上に置かれた、ぬるい麦茶を手に取ろうとする。

私は再び、大きなため息をついた。

 

 

 

 

 

『もしもし、きらりさんですか?

今日の打ち合わせなんですが、少し早めに……というか、今から来れませんか。

杏さんが……、その、多分ですけど、アナタが必要です。

落ち着くまで、ボクは適当に外を歩いてますから。

はい。よろしくお願いします。では。』

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