「士郎、私以外の者にやられるなど承知しないぞ。」
「ほう?心配してくれるのかね?」
「だ、誰がお前を心配するものか!」
房中術の修行を始めてから一年近くが経ち、士郎が崑崙山に戻る時がやって来た。
今、王貴人と士郎は別れの挨拶をしているのである。
「王貴人、君こそ気をつけるのだな。どうも君はうっかりなところがあるからな。」
「誰がうっかりだ!」
顔を赤くして叫ぶ王貴人の姿に士郎は笑いを堪える。
「さて、そろそろ行くよ。」
二郎の言葉で士郎と王貴人は見詰め合う。
そして…。
「また会おう、王貴人。」
「…ふんっ!士郎が生きていたらな。」
そんな王貴人の態度に笑みを浮かべた士郎は二郎と共に哮天犬に乗って去っていった。
士郎達が去っていった空を、王貴人は見続けている。
「王貴人ちゃん、寂しいのかしらん?」
「だ、妲己姉様!?」
瞬時に顔を真っ赤に染めた王貴人だったが、妲己の言葉を否定しない。
「もう少し素直になったらどうかしらん?」
「…私と士郎は敵ですから。」
「うふん、そんなのは関係ないわよん。私と楊ゼン様も敵と言えるのだものん。」
「二郎真君様は敵味方以前の問題だと思いますが…。」
そう言いながら王貴人は苦笑いをするが、不意に俯いて表情を暗くする。
「少なくとも、私と士郎にはワガママを押し通す力はありません。」
「確かに王貴人ちゃんと士郎ちゃんにはその力は無いわねん。」
「はい…でも、今はです。」
王貴人は顔を上げると笑みを浮かべた。
「今の私は戦いに私情を持ち込む余裕はありません。ですが、これから先もそうあり続けるつもりはありません。」
「ふふ、いい顔をする様になったわねん、王貴人ちゃん。」
王貴人の答えに満足した妲己は上機嫌に微笑みながら歩き出す。
歩き出した妲己を見た王貴人は一度士郎達が去っていった空に振り向いて微笑むと、妲己の背に追い付く為に走り出したのだった。
◆
「士郎、肩肘の力が抜けている所を見ると、どうやら有意義な日々を送れた様だね。」
「…そう見えるかね?」
「少なくとも、俺にはそう見えるね。」
二郎に指摘されて自然体になっている事を自覚した士郎は苦笑いをする。
「夢が叶うと意気込み過ぎていたという事か…。」
「かもしれないね。さて、士郎は王貴人をどうしたいのかな?」
「察していて聞いてくるのは性質が悪いと思うが?」
「生憎、千年生きても人の心はわからないよ。」
微笑みながら振り返った二郎がそう言うと、士郎はため息を吐く。
「彼女を救いたい。」
「そうかい。」
「老師、否定しないのかね?」
「思うのは自由だよ。それを成せるかは別だけどね。」
確かにと納得した士郎はため息を一つ吐いてから話し出す。
「前世の私の師が言うには心の贅肉なのだそうだ。」
「心の贅肉?」
「効率良く目的を成す、それ以外の行動は心の贅肉と言っていた。」
「心の贅肉か…大いに結構だね。」
心の贅肉を肯定する二郎に士郎は驚く。
「士郎の前世の師の言葉を借りるなら、心の贅肉を余すことなく背負って生き抜いた男がいたよ。」
「人類史上最高の賢王、ギルガメッシュの事かね?」
「そう、俺の自慢の友だよ。」
「ワンッ!」
二郎の言葉に続く様に哮天犬が哮えると、二郎は哮天犬の頭を撫でる。
「ギルガメッシュの様に全てとはいかないだろうけど、士郎にも心の贅肉の一つや二つは背負える様に鍛えてあげるよ。」
「あぁ、よろしく頼むよ、老師。」
風が頬を撫でると士郎は風につられる様に振り向く。
そしてその振り向いた先が殷の都の方角だと気が付くと、士郎は見えぬ先にいる王貴人に微笑んだのだった。
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