周の地へと進軍して周の軍と対陣した翌日、日の出と共に物見の報告を受けた魔礼青は呆れた様にため息を吐いた。
「西岐の連中は千年前から進歩していないのか?」
魔礼青がそう言うのも無理はないだろう。
何故なら最前線となる無数の矢筒を立てた場所に一人の男がいるだけで、周の兵はその1km後方にいるのだから。
「一人の英雄が戦陣を切り開く時代は終わったのだ。今は一軍を己が手足の様に自在に操る将の時代なのだ。それを西岐の連中に教えてやろうではないか。」
ニヤリと不敵に笑った魔礼青は将として鍛えられた大声で指示を出す。
「弓兵を下げよ!歩兵を前に!西岐の弱兵など踏み潰してくれるわ!」
◆
「弓兵を下げて歩兵を前に出している。先ずは油断を…か、尚の予想通りの動きだな。」
黒塗りの洋弓を片手に一人最前線にいる士郎は、地平線にて動いている殷の軍を見て不敵な笑みを浮かべた。
今の時代の飛び道具の主役は弓である。
戦での弓の出番は、主に両軍がぶつかり合う前の遠距離戦においてだ。
これは矢の雨を降らせて相手の兵の士気を挫いたり、陣形に穴を開けるためである。
だが魔礼青は両軍の兵数差と、周の軍の陣を見て弓兵の必要無しと油断をしたのだ。
「せいぜい油断をしろ。その間に一万は貰う。」
足下にある矢筒から矢を引き抜いた士郎は、殷の軍へ向けて弓を構えるのだった。
◆
後の時代に『士郎の戦』と呼ばれる戦が始まった。
殷の軍を率いていた魔礼青は弓兵を下げて歩兵を最前線に出すと、兵を横陣にして堂々と周の軍へ向けて歩ませた。
弓兵を下げたのは姜子牙の策による油断だったが、兵を歩ませたのは誤りではないだろう。
何故なら、周の軍はまだ地平線にいたからだ。
その距離はおよそ4km。
勢いをつけて兵を当てるにしても遠い距離であり、何よりもこの時代の一般常識的に遠距離武器が絶対に届かない距離である。
だが、その常識を士郎は覆した。
一人で周の軍の最前列に立つ士郎は黒塗りの弓に矢をつがえると、徐に天に向けて矢を放つ。
すると、その矢は殷の最前列にいる歩兵の額を射抜いた。
たった一本の矢に殷の軍にざわめきが起こる。
初めは近くに潜んでいた伏兵が矢を放ったのかと思われた。
だが、その思いは直ぐに消え去る事になる。
何故なら、天から士郎が放った矢の雨が降り注いだからだ。
士郎が放った矢の雨は、その一本一本が正確に殷の歩兵の致命傷となる部位を射抜いていった。
士郎の弓により殷の兵が百人倒れると殷の軍の歩みが止まり、千人倒れると恐慌し、万人が倒れると兵が四散していった。
この時代の兵の多くは民である。
ある者は立身出世を夢見て、ある者は敵地での乱取りに心を踊らせて戦に加わっていた。
彼等が求めるのは勝ち戦だ。
より少ないリスクでのリターンを求めている。
そんな彼等にとって士郎の矢は死を告げる死神の鎌に見えたのかもしれない。
だからこそ彼等は我先にと逃げ出した。
立身出世も乱取りも命あってこそのものである。
死んでは元も子もない。
そんな彼等を戦場に押し留めようと魔礼青の配下の者が武器を振るおうとした。
見せしめに幾人かの命を奪い、恐怖で民兵を支配して戦わせようとしたのだ。
だが士郎の矢がまるで神の審判の如く魔礼青の配下だけを射抜いていく。
民兵が四散すると、殷の軍は半数の五万しか残っていなかった。
その五万の兵もいつ降ってくるかわからない矢に恐怖している。
ここに至り魔礼青は己のしくじりを自覚した。
こうなってはもう戦どころではない。
だが魔礼青も一軍を率いる将である。
彼にはまだこの状況を打開する策が一つだけあった。
それは一騎討ちで士郎を討ち果たす事である。
魔礼青は腰に帯びていた宝貝の青雲剣を引き抜くと、一人で前へと進み出ていくのであった。
◆
「先ずはお見事ってところかな。」
「ワンッ!」
周と殷の初戦を隠形の術で姿を隠し、空に立って観戦している二郎が笑みを浮かべながら頷く。
「うふふ、士郎ちゃんもやる様になったわねん♡」
「あのぐらい、士郎ならば当然です。」
哮天犬の背に腰掛けて観戦している妲己が士郎を誉めると、妲己の横で哮天犬の背に腰掛けている王貴人が誇らしげに胸を張る。
「ここまでは上手くいったけどん、士郎ちゃんは魔礼青ちゃんに勝てるかしらん?」
「妲己姉様、士郎なら勝ちます。」
「あらあら、王貴人ちゃんと士郎ちゃんは熱々ねぇん♡」
妲己のからかいに頬を紅に染めた王貴人は顔を逸らす。
そんな二人のやり取りに二郎が肩を竦めると、戦場の中央では士郎と魔礼青が一騎討ちを始めようとしていたのだった。
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