士郎と王貴人が夫婦となってから十年程の月日が流れた。
その十年程の月日の間に周は更に勢力図を広げ、中華の八割を統べている。
しかし、ここで完全に周の快進撃が止まってしまった。
それは殷の大師(軍師)である聞仲が殷の軍を指揮した事と、紂王が戦線に出て兵を鼓舞する様になったからだ。
聞仲は太公望の策を読み切って対応し、紂王が士気を高める事で殷の軍は周の軍を押し返す様になった。
しかし、この周の停滞は聞仲と紂王の活躍によるものだけではない。
殷の国土が狭まった事で、太公望が取れる策が制限される様になったからだ。
戦略的に圧倒的に優位に立ったことで戦術が制限される。
この現状に太公望は頭を抱えた。
士郎と王貴人を始めとして、周の名だたる将の活躍により負けはしていない周の軍だが、黄天化が雑兵に傷を負わされ士気が下がるなどといった状況が続いていた。
これ以上の引き延ばしは更なる状況悪化を招くと判断をした太公望は、聞仲の思惑に乗って決戦をする事に決めたのだった。
◆
「皆、よく集まってくれたのう。」
玉座に座る武王を前に周の全ての将が片膝をついて包拳礼をしている。
「儂としては不本意な形だが、次の戦は殷との決戦となる。」
決戦の言葉に、周の達からざわめきが起こる。
「太公望、何故不本意なのだ?」
数多の戦を経験して王たる貫禄を備えた武王が問い質すと、太公望は小さくため息を吐きながら答える。
「次の決戦は聞仲が描いた決戦となるからだのう。」
「だが、今では兵数でも我等は殷を超えている。決戦をするに不足はなかろう?」
「普通ならそうだのう。だが小さいながら連勝を重ね士気を上げた殷が、死を覚悟して戦に臨む…。形勢をひっくり返されかねぬ条件が揃っておるのだ。」
そう言って太公望は頭を掻くが、太公望の懸念を武王が笑い飛ばした。
「相手にとって不足無し!そうであろう?」
武王が見渡すと、周の将達は烈迫の気合いを込めて返事をしたのだった。
◆
「聞仲よ、首尾はどうだ?」
「次の戦は間違いなく決戦となるでしょう。」
「そうか、いよいよか。」
玉座を立った紂王は腰の後ろで手を組み、ゆっくりと歩き出す。
その紂王の後ろに聞仲が続く。
「余の宮も随分と静かになったものよ。」
「多くの者が逃げ出しておりますれば。」
「ハッハッハッ!日頃から余の為に、殷の為にと言っていた連中が真っ先に逃げるとは皮肉よな、ハッハッハッ!」
後宮の前に辿り着くと紂王の足が止まる。
「あらん?いらっしゃい、紂王ちゃん。」
そう言って妲己が出迎えるが、後宮には妲己の他に人の姿はなかった。
「妲己よ、余の妃や子達はどうか?」
「黄氏(黄飛虎の妹、紂王の元妃)の伝を使って周の都に逃がしてあるわん。これで紂王ちゃんと殷が滅びても、紂王ちゃんの血は残るわねん。」
「そうか、礼を言うぞ、妲己。」
既に紂王は妲己が女媧の遣いである事を認識している。
殷と自身を滅ぼす為に動いていた事も。
それらを知りながらも紂王は、妻や子供達がかつての己の愚行に巻き込まれて滅びぬ様にと妲己に頭を下げていたのだ。
もっとも、紂王の関係者がこの先に日の目を見る可能性は限り無く少なく、また政に利用される可能性が大きいだろう。
それでも紂王は妻や子供達が生きて先の世を見届ける事を望んだのだ。
「これで思い残す事は…いや、一つだけあったな。」
「あらん、何かしらん?」
「幻術ではない本当の妲己を一度も抱けなかった事だ。」
紂王がそう言うと妲己はクスクスと笑い、紂王の後ろに控えていた聞仲はため息を吐いた。
「妲己よ、情けとして余に抱かれぬか?」
「ごめんなさぁい、私には心に決めた人がいるのぉん。」
あっさりと断られた紂王は肩を竦めてから微笑むと踵を返した。
「妲己よ、お前と会ってからの数十年、楽しかったぞ。」
「この数十年で、紂王ちゃんはいい男になったわん。」
妲己の言葉に、紂王は満足そうに笑いながら去っていったのだった。
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