胡喜媚達が西岐にやって来てから三ヶ月程が過ぎた頃、中華の覇者を決める周と殷の決戦が始まろうとしていた。
周の軍師である太公望は軍を決戦を想定した場所に進軍させると、各将軍に指示を出して布陣をさせ、自らは陣幕の中で物見に行った士郎の帰りを待っていた。
「ご主人、ようやくここまできたっすね。」
「…そうだのう。」
元始天尊に封神計画を命じられてから数十年、四不象の一言で太公望はこれまでの事を思い出す。
(申公豹に出会っていきなり死にかけた儂が、今では中華の八割を統べる国の軍師か…。人生というのはどう変わっていくのかわからぬものだのう。)
友との出会い、妲己に手酷く負けて力不足の実感、二郎による修行の日々、そして軍師としての戦いの日々が、次々と太公望の脳裏に思い浮かんでは消えていく。
(千年分の勤勉を使い果たした気分だのう…。)
かつての思い出が過ぎ去り、次に太公望の思考を占めるのは後の時代の事だ。
殷の世を壊す事よりも、新たに周の治世を造り出す事の方が難しい。
それは、軍師として周の政にも関わってきて実感した事だ。
(殷は滅ぼしたから後は頼むと放り出すわけにはいかんかのう…?)
数十年に渡って下界に関わった太公望には、色々なしがらみが絡み付いてしまっている。
友である士郎と王貴人をくっつけたのは己だが、戦後の後処理が片付いたら今度は自分の番だろうと思うと、太公望は無意識にため息を吐いた。
「ご主人、どうしたんすか?」
「なんでもない。ただ、今回の戦の後の事を考えると頭が痛くてのう。」
「ご主人には軍師としての立場があるから仕方ないっス。頑張るっすよ、ご主人。」
「スープーは気楽でいいのう…。」
数十年前から変わらぬ献身で仕えてきた四不象に、太公望は心から感謝を感じるのだった。
◆
「士郎、ご苦労だったのう。」
物見から戻った士郎の報告を受けた太公望は、顎に手を当てて決戦の策を考えていく。
「やはり、紂王の周りを固めている道士達が厄介だのう…。」
殷の兵を鼓舞する為に戦場に顔を出すようになった紂王の周りには、常に十人の道士の姿がある。
この道士達は妲己の配下であり、殷にいる道士の中でも精鋭だ。
今の時代において殷の支配を完全に終わらせるには、王である紂王を討たねばならない。
だが、その紂王を討つには妲己の配下達に加えて聞仲も討たねばならない。
これだけならば太公望も直ぐに策を思い付いただろうが、士郎のとある報告が太公望を悩ませている。
それは、敵の本陣に妲己の姿もあったという報告だ。
(あやつの動きだけは読めん…。どうしたものかのう?)
開戦は翌日だが、それまでに決断をしなければならない。
太公望は日が変わるまで悩み続けたのだった。
◆
「聞仲よ、首尾はどうだ?」
「全て整いました。」
「うむ、後は日が明けるまでゆるりとするだけか。」
「御意。」
紂王が手を叩くと、供回りの者が大きな酒壺を持ってくる。
豪快に酒壺から杯に酒を酌んだ紂王は、その杯を聞仲に差し出した。
「思えば、聞仲とゆっくりと飲んだ事はなかったな。まぁ、余が後宮に入り浸っていたせいだがな、ハッハッハッ!」
差し出された杯を受け取った聞仲は一息で杯を干す。
「ほう?堅物の聞仲もいける口とは初めて知ったな。」
「先代様達に鍛えられましたので。」
聞仲の返答に紂王は大声で笑う。
「あらん?随分と楽しそうねぇん。私もご相伴してもいいかしらん?」
「余は女の同席を断る意思の強さを持っておらぬからな。それも傾国の美女が相手ならばこちらから頼みたいほどだ。」
おどける紂王に聞仲はため息を吐き、妲己がクスクスと笑う。
三人はしばしの間、ゆっくりと酒を味わっていく。
元々は政敵であった聞仲と妲己だが、今この時に限っては同じ酒を味わう仲間だった。
夜も更けて最後の一杯となると、紂王は微笑みながら杯を上に掲げる。
聞仲と妲己も杯を掲げて紂王と杯を打ち鳴らすと、三人は一息で杯を干したのだった。
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