第146話
姫昌が亡くなってから三百年程が経つと、平和だった中華の地に変化が訪れた。
それは周の支配に揺らぎが生じたのだ。
後に春秋時代と呼ばれる時代の始まりがこの時である。
姫一族の王位に変わりはないが、中華の各地で有力者が立ち上がった事で新たな時代への変動の臭いを醸し始める。
この臭いに敏感に反応した王夫妻だが、天帝自ら関わることを禁じた。
士郎も王貴人も姫昌が亡くなってからの数百年の修行で、黒麒麟に主と認められる程の力を身に付けている。
そんな二人が介入すれば揺らぎ始めた周の世は再び安定するだろうが、そうすれば中華の人々の歩みや変革まで止まってしまう。
それらが止まり続ければ中華の人々は他の地に比べ文明の進みが遅れてしまい、神秘の薄まりと共に生じる変化に着いていけず、いずれは滅びへと向かうだろう。
その事を天帝に告げられた王夫妻は悔しそうに歯噛みをした。
それが人の世の理。
それが英雄の王たるギルガメッシュが切り開いた人の世なのだ。
だが、ここで二郎が二人にある言葉を発した。
それは…。
「国が滅びれば時代は変わるけど、国と一緒に人まで滅ぶ必要はないかな。もっとも、妲己の様に上手く立ち回る必要があるけどね。」
この二郎の言葉を聞いた王夫妻は精力的に動き始める。
蛟や邪仙退治等を続けて中華の神々の心証を良くする傍らで、姫一族や姜一族に黄一族といった者達の血が、後の時代でも残る様に根回しをしていったのだ。
二人のこの動きを知った太公望もそれとなく助言をしている。
太公望曰く『嫁達の涙には逆らえんからのう。』との事だ。
また二郎も自身が請け負う筈だった天帝からの任を王夫妻に回して二人を後押しする。
だが、そうした事で二郎は暇になってしまった。
王夫妻が動き始めてから百年程が経ったある時、暇を持て余していた二郎は哮天犬に乗って中華の外にぶらりと足を運んだのだった。
◆
「おや?哮天犬、彼等は何をしているんだろうね?」
「ク~ン?」
ぶらりと世界を回っていた二郎はとある地で奇怪な事をしている一団に目を止めた。
「茨に身を投げて身体を痛め付けたり、虫を身体に這わせて噛ませたりと、随分変わった事をしているんだね。」
二郎がそう評した彼等の行動は苦行と呼ばれる修行の一種である。
世界を巡って様々な光景を目にしてきた二郎だが、自ら進んで身体を傷付けている彼等の姿は非常に奇妙に見えた。
二郎はしばらく彼等を観察していると、彼等の中で周囲の者と違う様子の人物を見つけた。
「彼だけが周囲の者とは違う『モノ』を見ようとしている気がするね。何を求めているのかな?」
苦行とは肉体を激しく苦しめる行いによって精神を浄化する修行である。
だが二郎が興味を抱いた人物は、苦行による精神の浄化とは別の『モノ』を求めている様に見えた。
二郎が観察を続ける中で件の人物は苦行を続けていく。
身体の痛みにのたうち回りながらも苦行を続ける彼は何を欲しているのか?
数百年振りに訪れた新たな出会いの予感に、二郎は笑みを浮かべながら彼に近付いていくのだった。
◆
「ギャァアアアア!」
茨に身を投げた一人の男が痛みに悲鳴を上げる。
そして全身に傷を負うと、這うようにして茨から抜け出した。
(人は何故に死ぬのだろうか?)
彼の名はガウタマ・シッダールタ。
かつてはとある国の王族だった者だ。
戦争や略奪、さらに病や飢餓など理由は様々だが人は必ず死を迎える。
そういった人々の姿を多く目にしてきた彼は死に恐怖した。
何故に人は死ぬのか。
わからない故に彼は生きる事に苦しんでいた。
(わからない…何故?…何故?)
答えを求める彼は、今度は虫を身に這わせる。
(痛い!痛い!痛い痛い痛い!)
痛みに苦しむ彼は本能的にそれから逃れようとのたうち回る。
(これほど苦しいのに、何故私は生きようとする?わからない…。)
のたうち回り続けて虫を払った彼は体力が尽き、地に身を投げ出して天を見詰めた。
「誰か…教えてくれ…。」
そんなシッダールタの声に応える様に、一人の見目麗しい男が大きな犬の神獣と共に姿を現したのだった。
本日は5話投稿します。
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