「いらっしゃい、二人とも。いや、お帰りが正しいかな?」
士郎と王貴人の実力を正確に読み取り、二人が廓に来る時間に合わせて料理をしていた二郎が歓迎の言葉を掛ける。
「ちょうど作り終えた所を見ると、私達が龍を討伐出来た時間は老師の予想通りという事か…。」
師の思惑を超える事が出来なかった事に士郎は肩を落とす。
そんな士郎の肩を王貴人が軽く叩いて慰めた。
「さぁ、早く席について食事を始めようか。哮天犬が待ちくたびれているからね。」
「ワンッ!」
行儀よくお座りをして待っていた哮天犬が一哮えすると、全員で食事を始めたのだった。
◆
「士郎、一つ聞いてもいいかい?」
食事を終えた士郎と王貴人が二郎が造った神水で割った蜂蜜水を飲んで喉を潤していると、不意に二郎が士郎に問い掛けた。
「なんだろうか?」
「士郎は俺に反魂される前の事を覚えているかい?」
「あの時の事は数百年経とうとも忘れていないが…それがどうかしたのか?」
二郎は神酒を一口飲んでから話だす。
「中華の外で出会ったとある苦行者が生の苦しみに悩んでいてね。俺は生の苦しみを知らないからその問いに答えられなかったんだけど、士郎なら答えられるかと思ったんだ。」
「ふむ…生の苦しみか。」
二郎の問い掛けに士郎は顎に手を当てて考える。
「『世界の守護者』だった頃の私は自身を殺したい程に憎んでいたし、間違いなく生に苦しみを感じていた。だが、自力でその生の苦しみから解き放たれたわけではないからな。申し訳ないが、その苦行者の悩みを晴らす答えを私は持ち得てはいない。」
士郎がそう答えると、王貴人は心配そうに士郎を見詰めた。
「大丈夫だよ、王貴人。今の私は君と生きる事が何よりも嬉しく、何より楽しい。生の苦しみなど欠片も感じていないさ。」
「…そうか。」
微笑みながら答える士郎に、王貴人は安堵の笑みを浮かべる。
「ところで老師、その苦行者とはどこで出会ったのだ?」
「土地の名は知らないけど、たしかそこの天界の主神はヴィシュヌとブラフマーとシヴァっていったかな?」
封神演義が起こったとされる時代と今生を生きてきた年月、そして二郎が話した主神達の名を聞いた士郎は、前世においてとある宗教を造った偉大な人物の名が思い浮かんで冷や汗を流す。
「…老師、その苦行者の名は?」
「ん?ガウタマ・シッダールタだけど、それがどうかしたのかい?」
常と変わらず極自然に二郎が苦行者の名を告げると、士郎は乾いた笑いと共に遠くを見詰めたのだった。
◆
二郎が中華に戻ってから数年の月日が流れた。
あれからも二郎は年に一度はシッダールタの元に足を運んでいる。
シッダールタは変わらずに苦行に励み悟りを開こうとしているが、まだ『解脱』へと至っていない。
しかし二郎から英雄達の話を聞いて生き様についても考える様になったシッダールタは、もし今この時に死が訪れても、苦行の日々を無駄だったと思うことなく死んでいけるだろうと感じていた。
それが死への恐怖から眠れぬ日々を送っていたシッダールタを救っていた。
そしていつの日からか、シッダールタは苦行で身体を痛め付ける事を止め、瞑想にて生の苦しみについて考える様になっていった。
苦行の日々と二郎から聞いた英雄達の死をも恐れぬ生き様を合わせて、シッダールタは生の苦しみについて考え続ける。
何故己は死を恐れ、英雄達は死を恐れなかったのか?
己と英雄達の違いは何か?
そうか…彼等は死を受け入れたのだ。
そう答えを得たシッダールタは、心が晴れていくのを感じた。
あぁ…なんと簡単で、なんと難しい事か…。
答えを得たシッダールタは菩提樹の下で瞑想に入る。
生も死も、己が在る『この世界の全て』をも在るがままに受け入れる。
その境地に至る為にシッダールタが瞑想を続けていたある日の事。
不意に緑色の御立派な姿をした神が現れ、シッダールタに全力で幻術を掛け始めたのだった。
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