マーラがシッダールタに幻術を掛け続けて三日が経った。
しかしシッダールタは瞑想の姿勢を崩さずに、マーラの淫猥な幻術に耐えていく。
「ぬぅ…我の幻術にここまで耐えるとは…シッダールタよ、汝は不能か?」
「去れ、マーラよ!」
「ふむ、非生産的ではあるが男好きな可能性も否定出来ぬか。かつて存在したギリシャの大神は老若男女どころか種族すら問わない漢だったゆえな!」
「私には故郷に妻と子がいる!去れ、マーラよ!」
数多の美女、美少女の幻想を見せても耐えてみせるシッダールタに業を煮やしたマーラは、趣向を変えて美男、美少年による濃厚な幻想を見せようとした。
だがシッダールタが妻と子がいると答えた事で鎌首を曲げた。
「うむぅ…性欲が無いわけではないか…。これはいよいよ『解脱』の危機だわい。」
「理解したのならばいい加減に諦めよ、マーラ!」
「グワッハッハッハッ!汝に性欲を含めた欲があるとわかればヤりようはあるわい!さぁ、イクぞ!」
その後マーラは淫猥な幻術だけでなく、人の持つあらゆる欲を刺激する幻術を掛けていく。
だがシッダールタはその全ての幻術に耐えていく。
そしてシッダールタとマーラの攻防は七日も続くと、シッダールタとマーラは一時休戦して、二郎が振る舞う神酒を口にするのだった。
◆
シッダールタは神酒を一口飲むと人心地がついたのか、大きく息を吐いた。
「む?あと一息で堕ちていたのか、シッダールタよ?」
「たとえ断食でこの命が果てようとも、私は『解脱』の境地を諦めぬ。」
「ほう、流石は我の幻術に耐え抜いているだけはあるわい。」
なにやら様子の違うマーラにシッダールタは首を傾げる。
そんなシッダールタの疑問に二郎が答えた。
「シッダールタ、マーラは既に君の事を認めているよ。」
「ゼン様…ですが、マーラに諦める様子はないようですが?」
「それは神としての面子があるからだよ。」
二郎の言葉にシッダールタは二度首を傾げる。
「マーラは世界中で信仰されているって話はしただろう?それゆえに神々の中にはマーラを快く思っていない神も多いんだ。人々の信仰を奪われていると考えてね。」
二郎の言葉にマーラは雄々しい御神体を何度も縦に振るう。
「もしマーラがここで簡単に諦めたら、その神々はどうすると思う?」
二郎の問い掛けに、シッダールタは顎に手を当てて考え込む。
シッダールタとて元は王族の者である。
なので、ある程度の政治的な動きについては理解があった。
「マーラを信仰している人々に、マーラの力は信用ならないと吹聴する…でしょうか?」
「うん、その通りだね。」
「まったく…尻の穴の小さい連中よ!」
シッダールタの解答に二郎は頷き、マーラは御神体を震わせていきり立つ。
「そういうわけでマーラはシッダールタを認めても、自身の信仰を守る為にはそう簡単に諦めるわけにはいかないのさ。」
マーラは二郎の言葉に我が意を得たりとばかりに雄々しくそそり立つ。
「だからシッダールタはもう少しマーラに付き合ってあげてほしい。そうすれば他の神々もシッダールタの意思の強さを認めて、マーラの失敗を咎めにくいからね。」
「うむ、そういうわけだ!シッダールタよ、我と存分にツキ合ってもらうぞ!」
マーラの執拗さの理由を理解したシッダールタだが、それでもため息を吐くのを堪える事は出来なかったのだった。
◆
『覚者』ガウタマ・シッダールタの逸話に登場したマーラは魔王と綴られているが、その正体は世界中で信仰されていた男根思想の神なのではと考えられている。
では何故にそのマーラがシッダールタの下に現れ、彼の者の『解脱』を邪魔したのかと疑問がわくが、その理由は定かにはなっていない。
マーラ。
ガウタマ・シッダールタの教えでは魔王と称される存在だが、神代の時代から現代に至るまで人々の間では『子宝を授ける神』として広く信仰されてきた善性の神でもあるのだった。
本日は4話投稿します。
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