二郎は悟空を脇に抱えて廓に帰ってきたが、悟空はまだ泣き続けていた。
「嫌だぁ…死ぬのは嫌だぁ…。」
二郎はどうしたものかと困ってため息を吐きながら廓に入る。
すると、ちょうど良く士郎と王貴人の姿を見付けた。
「士郎、王貴人、ちょうど良かったよ。この子に合う着替えを持ってきてくれるかい。」
「この子というのは老師に抱えられながら泣いている少年の事だろうか?」
士郎は二郎に非難する様な目を向ける。
「伯父上の命でこの子を捕らえにいったんだけど、少し加減を間違えて崩拳をしてしまってね。」
「はぁ…それで履き物を汚しているのか…。」
おおよその事情を理解した士郎がため息を吐くと、王貴人が悟空の着替えを持ってきた。
「家僕達が湯を沸かしておりますので、その子を湯に入れてから着替えさせましょう。」
「あぁ、よろしく頼むよ。」
数百年前まで二郎の廓は士郎が管理をしていたが、今は士郎が忙しく動き回っているので、二郎の廓には士郎を反魂する前の様に家僕がいる。
二郎はそんな家僕達が悟空を湯に入れる為に連れていくのを見送ると、疲れているわけではないが一息つこうと虚空から神酒を取り出した。
「ところで老師、あの少年の名はなんていうのかね?」
「あの子は孫悟空。少し前から中華の天界を騒がせていた者だよ。」
二郎が悟空の名を答えると、士郎はため息を堪えて眉間を揉み始めたのだった。
◆
(ガウタマ・シッダールタに続いて孫悟空か…。)
士郎が知る数多の英雄達と次々に縁を持つ二郎に、士郎は思わずため息を吐きそうになる。
(確か前世の世界では孫悟空と老師は互角に渡り合った筈なのだが、どうやらこの世界では老師が圧倒した様だな。まぁ、老師と真っ向から互角に渡り合える者など想像出来ないが…。)
この世界に転生をして数百年を生きてきた士郎は、この非常識な神代に慣れてしまったと気付いて今度こそため息を吐いてしまった。
「どうした、士郎?」
側に寄りそう最愛の妻である王貴人に、士郎は微笑む。
「なんでもないよ、王貴人。ただ、天帝様が老師に任せる程の相手と手合わせをしてみたかっだけさ。」
「それは私もだが、士郎は二郎真君様と手合わせをして泣いてしまう様な少年相手に全力を出せるのか?」
「老師が加減を間違える様な相手だからな。ならば、本気は出しても油断はしないさ。」
そう言って王貴人の肩を抱き寄せる士郎の姿を見ていた哮天犬は、欠伸を一つして昼寝を始めたのだった。
◆
湯浴みに着替え、そして食事をさせて孫悟空を落ち着かせると、二郎は孫悟空を天帝の宮へと連れていった。
「また会ったな、斉天大聖。」
自由奔放、天真爛漫だった孫悟空が借りてきた猫の様に大人しくなっているのを見て、天帝は苦笑いをする。
「斉天大聖よ、二郎はそれほどに恐ろしかったか?」
「う、うん…。不死の霊薬を一杯飲んだのに、あっさりと殺されたから…。」
「二郎は中華最強の武神であるからな、その程度の事は朝飯前よ。それに、中華には二郎以外にも不死を殺せる者がおるのだぞ。」
天帝の言葉を聞いて悟空は震え出す。
「ふむ、この様子では罪を償わせても意味が無いな。」
まだ善悪の常識すら無い子供故に悟空の命は助けるが、それでも罰を与えて罪を償わせなければならない。
だが今の悟空に罪を償わせても、今度は死への恐怖から同じ事をしかねない。
どうしたものかと天帝がしばし思案をしていると、二郎が口を開いた。
「伯父上、悟空に死への恐怖を乗り越えさせる事が出来る者に当てがあります。」
「ほう?誰を悟空の師にするつもりだ。」
「あの者以上に死への恐怖について考えた者はおらぬでしょう。」
二郎の言葉を聞いた天帝は笑みを浮かべる。
「うむ、ではしばしかの者に悟空を預ける事とする。二郎、任せたぞ。」
「はい。悟空、行くよ。」
「い、行くって、どこに行くんだ?」
目尻に涙を浮かべた悟空を安心させる様に、二郎は微笑む。
「桃源郷だよ。悟空の師になる者を呼んでくるから、そこで桃でも食べながら待ってて。」
怖くて外に出たくないと座り込む悟空を桃源郷に送り届けると、二郎は哮天犬に乗って『涅槃』へと向かったのだった。
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