「ここか?竜よりも強ぇ猛犬がいるっていうのは。」
眉目秀麗ながら野性味を感じさせる容貌の美少年が、ニヤリと口角を引き上げる。
この少年の名はセタンタ。
ケルトの太陽神ルーの血を色濃く継いだ男の子である。
この少年はそれほどの身でありながら供も連れずに一人でケルトのとある家に訪れている。
少年の目的は彼の言葉通りに猛犬にあるのだが、猛犬を見る事が目的ではない。
猛犬と戦う事が目的なのだ。
「これは『光の御子』様、我が家になにようですかな?」
家の主たる男が現れると、セタンタは男に挑戦的な目を向ける。
「ここに竜より強ぇ猛犬がいると聞いた。」
「おっしゃる通りに我が家の猛犬は竜をも噛み殺しております。」
「へっ、そうか。なら、俺と戦わせろ!」
セタンタの言葉に猛犬の主は眉を寄せる。
「光の御子様、我が家の猛犬は手加減など出来ませんぞ?」
「上等じゃねぇか。」
「御身の命が危うくなるやもしれぬのですぞ?」
「はっ!ケルトの戦士に死を怖れて戦いを避けろってか?笑わせるぜ!」
ケルトの戦士にとって勇を示す事ことは誉れである。
セタンタはまだ幼少の身であるが、そのケルトの戦士としての心意気を身に付けていた。
猛犬の主は困ってしまった。
ケルトの流儀ではセタンタが望んだ戦い故に、猛犬がセタンタを噛み殺しても問題はない。
だがセタンタの父である太陽神ルーの逆鱗に触れる可能性はある。
退けばケルトの者として最大の屈辱である臆病者の謗りを受け、セタンタを殺してしまえば太陽神ルーの怒りによって一族が滅ぼされるかもしれない。
猛犬の主はセタンタに言葉を返せなかった。
しかし、猛犬が主に近付くとペロリとその顔を舐めた。
竜をも噛み殺した猛犬は人の心を理解する程に賢かった。
主が思い悩んでいるのを察した猛犬は、主の為に死ぬことを決意した。
「お、お前…。」
震える主の顔をもう一度舐めると、猛犬はセタンタの前に立ち天に向かって哮える。
セタンタはニヤリと笑うと、見上げる程の巨体を持つ猛犬に素手で立ち向かったのだった。
◆
「おぉぉ…。」
横たわる猛犬の亡骸に、猛犬の主がすがり付いて涙を流している。
その主の姿を見てセタンタは動揺した。
ケルトの戦士にとって己の勇を示す事は誉れだ。
だが今の己の心を占めるのは誉れではない。
まだ幼い少年であるセタンタにはそのことが理解出来なかった。
「おい、なんで泣いてるんだ?戦って勇を示すのは誉れだろ?」
「…家族を失えば、嘆き悲しむのは、当然でございます。」
「家族?」
今の時代、冬に飢えれば犬を食らうのは当然であった。
食料である筈の犬を家族と呼ぶ。
この事は理解出来なかったが、それでもセタンタは猛犬の主の大事なものを奪ってしまった事は理解した。
「…すまねぇ。」
セタンタの謝罪の言葉に、猛犬の主は目を向ける。
「光の御子様…一つだけお聞きしてもよろしいですか?」
「…あぁ。」
「我が子は勇ましかったですか?強かったですか?」
猛犬の主の言葉に、セタンタの心を激しい後悔が支配したのだった。
◆
『セタンタ』
ケルト神話にあるアルスター伝説の主要人物であり、最大の英雄であるクー・フーリンの幼少時の名である。
セタンタの伝説の一つに、竜よりも強い猛犬との戦いがある。
この戦いでセタンタは大人の男性をも優に超える巨体を持つ猛犬を素手で殴り殺しているのだが、その戦いの後に猛犬の主が嘆き悲しむ姿を見て激しく後悔したと綴られている。
『セタンタ』
アルスター伝説に登場する最大の英雄の栄光は後年の騎士達に多くの影響を与えたが、その栄光の影には成長の糧となった失敗も多く存在するのだった。
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