「お帰りなさい、悟空。…ところで、そちらの御方は?」
身の丈よりも大きい猪を軽々と持ち上げながら戻ってきた悟空に気付いた三蔵だが、その悟空の隣にいる青髪の美青年に目が行った。
「初めましてだね。俺は姓を楊、字をゼンという者だよ。道教の習わしで名は親しい者か認めた者にしか預けないから、名は名乗らないよ。」
美青年の名乗りで三蔵は思わず彼の額に目を向けてしまう。
「へぇ、二郎真君様と同じ姓と字なんだな。額に紋様があったら完璧だったのに。」
「八戒、楊さんに失礼ですよ。二郎真君様の額の紋様は仙人の証です。それに、二郎真君様にあやかって楊を姓に持つ男子の多くはゼンの字を名乗っているじゃないですか。」
悟浄の言う通りに楊を姓に持つ男子の多くは、字をゼンとしているのが現在の中華だ。
これは二郎の人気の高さを物語っていると言えよう。
ちなみにこの美青年の正体はもちろん二郎である。
額の紋様は『変化の術』を応用して隠しているのだ。
額をジロジロと見てしまった事を誤魔化す様に咳払いをした三蔵は笑みを浮かべる。
「ここで出会ったのも何かの縁でしょう。楊さんも一緒に食事をいかがですか?」
「それじゃ、ご一緒させてもらおうかな。」
二郎が微笑むと、その微笑みを見た三蔵は顔を紅くしてしまったのだった。
◆
(私もまだまだ修行不足ですね…。)
先程、顔を紅くしてしまったのを自覚した三蔵は、自身の修行不足を恥じて内心でため息を吐く。
(でも、仕方ないじゃない。楊さんって、すっごくカッコいいんだもん!)
内心で口調が崩れてしまっている三蔵だが、それも仕方ない事なのだろう。
何故なら二郎は中華の歴史の中で、三指に入る程の美女の内二人と恋仲になった程の色男である。
まだ修行不足の三蔵が心乱されてしまうのも無理はない。
「なぁ、楊はなんでこんなところにいるんだ?」
「気まぐれかな。」
「気まぐれ?」
「そう、気まぐれ。己が心のままに生きるのが俺の『道(タオ)』だからね。」
千年程前の殷周革命の後に崑崙山が『世界』の外側に移動してからは、『世界』の内側で仙術を学ぶ道士や仙人の姿を中華の民が見掛けるのは稀になってしまった。
なので三蔵と八戒と悟浄が道士(仙人)を見るのはこれが初めてなのだ。
「己が心のままに生きるですか…簡単な様で凄く難しいですね。」
「お師匠様、それって自分の思った様に生きるって事だろ?簡単じゃねぇか。」
「八戒、己を曲げないというのはとても大変な事なのですよ。例えば、貴方や悟浄が御仏の教えを学ぼうと思ったのも、見方を変えれば己を曲げたと言えるのですから。」
八戒や悟浄も三蔵と出会う前は中華の民にとって最も身近な道教を信仰していた。
しかし三蔵や悟空との出会いを得て、シッダールタの教えに鞍替えをしたのだ。
「ところで楊さん、楊さんは道教を学んでいるのですよね?」
「うん、そうだよ。」
「では、拳法も修めているのですか?」
「俺が一番修行をしているのは拳法だね。」
悟浄の問い掛けに二郎が答えると、八戒は興味深そうに目を向ける。
「楊って強いのか?」
「どうかな?中華の外にはまだ見ぬ強者がいるかもしれないからね。でも、今まで戦いで負けた事はないよ。」
「へぇ、そうは見えねぇなぁ。」
八戒の言葉に悟空は苦笑いをする。
知らぬというのは怖いことなのだ。
「それじゃ、メシを食ったら俺と手合わせをしようぜ!」
「うん、いいよ。」
「八戒、やり過ぎたらいけませんよ。」
三蔵がそれとなく八戒に釘を刺すのだが、悟空は乾いた笑いをするしかなかったのだった。
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