二郎が玄奘三蔵一行を鍛え始めてから三ヶ月程の時が過ぎた頃、中華の地を騒がせていた黄巾党が滅んだ。
これで中華に安寧がと思った者は少ない。
何故なら官軍が幾度も黄巾党に敗戦を重ねて漢王朝の力の衰えを見せてしまった事で、中華の各地の有力者達の野心に火を付けてしまったからだ。
中華に覇を唱える為に力を蓄える者、情勢を見守る者、苦しむ民を救おうとする者など様々だが、中華にはハッキリとした乱世の兆しが見え始めていたのだった。
◆
「ハッ!」
立派な髭を生やした偉丈夫が得物を振るう。
すると、偉丈夫と対峙していた数人の賊の身体が上下に分かれた。
偉丈夫は得物を振るった勢いを利用して背面から仕掛けてきていた賊も斬り捨てる。
戦いを始めてから四半刻(30分)程経った頃、賊の一団は壊滅していた。
「ヒュ~!流石は雲長兄貴だぜ!俺も踏ん張ったけどよ、雲長兄貴には及ばねぇや!」
大声で筋骨隆々の小柄な男が、立派な髭を生やした偉丈夫に声を掛ける。
偉丈夫は姓を関、名を羽、字を雲長という男である。
そして小柄な男は姓を張、名を飛、字を翼徳という男だ。
二人は義兄弟の契りを結んでおり、関羽が次兄、張飛が末弟となっている。
では長兄はどこにいるのか?
それは…。
「いや~、はっはっ!なんとか生き残れたぜ。」
関羽と張飛は声の主へと振り向く。
そこには大きな耳が特徴的な男の姿があった。
「おう!玄徳兄貴!無事だったか!」
「兄者、御無事でなによりです。」
大きな耳の男は張飛と関羽の言葉に笑顔を見せた。
この男は姓を劉、名を備、字を玄徳といい、関羽と張飛の二人と義兄弟の契りを交わし、三兄弟の長兄となった者である。
「やっぱ雲長も翼徳もすげぇや。おいらが逃げ回っている間に賊の一団を壊滅させちまうんだからなぁ。」
「玄徳兄貴、俺よりも雲長兄貴の方がすげぇんだぜ。手合わせでは一回も勝った事ねぇんだから。」
劉備と張飛の会話に、関羽は微笑みを浮かべている。
「ところで玄徳兄貴、役人を辞めちまってよかったのか?」
黄巾党と官軍の戦いは現在では『黄巾の乱』と呼ばれているのだが、その黄巾の乱で関羽と張飛と共に手柄を立てた劉備は、その報酬としてとある町の役人へと任命されていた。
しかし今ではその役人の座を辞して三兄弟で流浪の日々を送っている。
劉備が役人の座を辞したのは何故なのか?
その理由は…。
「しかたねぇだろ、中央のお偉いさんをぶん殴っちまったんだから。」
そう、劉備は所謂不祥事を起こして役人を辞めたのである。
「お偉いさんが賂を要求してきたんだろ?なら悪いのはお偉いさんの方じゃねぇか。」
「翼徳よぉ、おいらは別に賂が悪いとは思っちゃいないぜ。」
劉備の言葉に張飛は驚いて目を見開く。
「例えばだ。翼徳、お前さん、政は出来るか?」
「玄徳兄貴、まともに文字を読めねぇ俺に出来るわけねぇよ。」
「それじゃあ、目の前に背丈程に積み上げられた竹簡に目を通すのは?」
「無理無理!俺は文字を見たら身体が痒くなっちまうんだ!」
「はっはっはっ!翼徳らしいな!まぁ、おいらも似た様なもんだけどよ。」
義兄弟達の会話を聞いている関羽が眉間を揉む。
「さて、そんな面倒な政をやってるのがお偉いさん達なんだが…そのお偉いさん達が少しぐらい多く酒を飲んでもいいじゃねぇかって始まったのが賂さ。だからおいらは賂が悪いとは思わねぇ。けどよ、それでも限度ってもんがある。民が苦しまない程度にってな。」
劉備の話に引き込まれている張飛は感心しているのか、頻りに頷いている。
二人の会話を聞いている関羽は、髭を撫でながら劉備との出会いを思い出す。
(あの時も、私と翼徳は兄者の言葉に引き込まれた…。これは兄者が高祖の血を引くからだろうか?)
数ヵ月前、関羽が私塾を開いていた町に義勇兵を募集する高札が立ったのだが、それを見に関羽と張飛が足を運ぶと、そこには筵を売りに来ていた劉備の姿があった。
当時の劉備は質素な服を着ている中肉中背の男であり、大きな耳以外には目立った特徴のない男だった。
しかし関羽は張飛に高札を読んでくれと声を掛けられるまで何故か劉備から目を離せなかった。
そこで関羽は劉備に声を掛けると、筵を売る為の口上や荒れる中華の現状を嘆く劉備の話に引き込まれた。
関羽は劉備に話の礼にと酒を奢ると後日、劉備に彼の家に招かれた。
そして劉備の母から劉備が高祖の血を引く者だと教えられた関羽と張飛は、なんやかんやあって義兄弟の契りを交わし、義勇兵として黄巾の乱に参加したのだ。
(私達の大望…いや、大義も兄者とならば成せると思えてしまう…不思議なものだ。)
劉備三兄弟の大義。
それは…漢王朝中興の祖である光武帝の様に漢王朝を再興させる事だ。
光武帝とは簒奪された漢王朝を奪い返し、腐敗していた王朝を建て直した英雄なのだが、その名声は現在において高祖と同等かそれ以上のものになっている。
また、二郎が死後の光武帝を桃源郷に招いているので、それだけでも並大抵の英雄ではない事がわかるだろう。
つまり劉備三兄弟は、その英雄が成した難事に匹敵する事を成そうとしているのだ。
(今は影も形も見えぬ大義だが…我ら三人ならばいつの日か…!)
天を見上げた関羽は、雲一つ見えぬ青空に笑みを浮かべたのだった。
これで本日の投稿は終わりです。
また来週お会いしましょう。