諸侯連合が董卓軍と戦いを始めてから半月が経とうとしていた。
しかし諸侯連合は董卓軍と比して圧倒的な兵数を有していながら、まだ一つ目の関の攻略の足掛かりさえ掴めていない。
この現状を打開すべく、諸侯の代表者達が一つの陣幕に集まるのだった。
◆
「ええい!誰か突破口を開こうという将はおらんのか!?」
苛立ちの感情が込められた袁紹の大声が陣幕に響く。
しかし袁紹と目を合わせる者はいなかった。
(ふんっ、何故に貴様の茶番に付き合って戦力を消耗せねばならん。)
神妙に諸侯を見渡す振りをしながら曹操は内心で鼻を鳴らす。
(しかし、このままでは兵糧が尽きてしまうのも確かだ。何か一手打たねばなるまい。)
自軍の戦力を可能な限り温存し、この戦に勝たねばならない。
では、誰を勝利への贄として捧げるかだ。
(公孫瓚は戦後の袁紹に対する壁として消耗は避けたい。となれば…袁術の下にいる江東の虎に役目を割り振るのがよかろう。)
江東の虎の異名を持つ孫堅は優秀な男なのだが、食糧事情等から現在では袁術の配下となっている。
孫堅もいつかは袁術の喉笛を噛み千切らんと牙を研いでいるのだが、部下達を食わせるには袁術に頼らなければならない。
いつの世も食糧事情、経済事情を握られた者の立場は弱いものなのだ。
そういった孫堅の情報を得ている曹操は袁術の背後に控える張勲に目配せをする。
張勲は袁術の信が厚い重臣で、智に長けた者である。
曹操の目配せの意味を察した張勲は微笑むと、袁術に耳打ちをする。
(やはり聡いな張勲。家柄と自尊心だけは一人前の其奴になど仕えずに、俺の下に来ればよいものを…。)
曹操には幾つか部下の悩みの種となっている悪癖がある。
その一つが『人材収集癖』だ。
才を有している士を見つけたら欲さずにはいられない。
それが例え他者の配下であろうとだ。
他にも人妻に懸想するといった悪癖もあるのだが、それは一先ず置いておこう。
張勲から耳打ちを受けた袁術が、顔を紅潮させて喚き散らしている袁紹に声を掛ける。
「従兄弟殿、ちょっとよろしいか?」
袁紹と袁術はお互いの立場上、家の仲が悪い。
その事があるので袁紹は複雑な表情をしながら袁術に顔を向ける。
「あの関を落とすのに、我が配下である江東の虎に一役買ってもらおうかと思うが如何か?」
袁術の言葉を受けて、袁紹は顎髭を撫でながら思考を巡らせる。
袁術に武功を上げられるのは面白くないが、中華にて名が売れている孫堅が己の檄に応えて陣に馳せ参じ、武を振るうのは己の面目が立つ。
しくじれば袁術に責を問い、成れば己の功とする。
そこまで考えてニヤリと笑みを浮かべた袁紹は、大仰な仕草で孫堅へと振り向く。
そして…。
「孫堅よ!この袁本初が貴様にあの忌々しき関の攻略の楔を打つ事を命ずる!」
「…はっ!」
やや間を置くと、孫堅は包拳礼をしながら袁紹に応える。
その孫堅の姿を見て曹操が不敵な笑みを浮かべると、孫堅は努めて表情を隠すのだった。
◆
袁紹からの命を受けた孫堅は己が軍を率いると、地元の民に賂を渡して抜け道を聞き出した。
この抜け道は関を通る際の税を払いたくない者等が通る道だ。
孫堅はその抜け道を使って一つ目の関の裏手に抜けると、一つ目の関を本軍と挟み撃ちにする形で攻め立てていった。
昼夜を問わずに攻め立てる様子を見せる事で一つ目の関に籠る董卓軍の疲労を誘うと、それまでの戦場の硬直が嘘の様に攻略が進んでいった。
関の前面に仕掛けられていた馬防柵を取り払い、各所に掘られていた落とし穴や空堀を埋め立て、一つ目の関の壁にまで迫れる様になったのだ。
一つ目の関に立て籠る董卓軍は疲労し、更に一つ目の関の周囲に仕掛けられた防御陣も破壊した。
誰の目にも一つ目の関の攻略まであと一歩だった。
しかし、そのあと一歩というところで諸侯連合の動きが止まってしまう。
何故か?
それは…兵糧が尽きた孫堅軍が一つ目の関の裏手から撤退したからだった。
◆
「張勲殿!」
戦場の埃にまみれ、肩を怒らせた孫堅が大股で歩み寄ってくる。
常人ならその姿を見ただけで腰を抜かしてしまう程の圧力があったが、その圧力を受ける当人である張勲は涼しげな表情で竹簡から目を上げた。
「おや?孫堅殿、如何いたしました?」
「如何いたしましたではない!何故に俺の軍に兵糧を送ってこない!?おかげで俺の軍は飢え、関の裏手から撤退するしかなかった!」
「はて?私は兵糧をしっかりと送りましたが?」
「その兵糧が来なかったから!俺はこうしてここにいるんだ!」
激昂して声を荒げる孫堅に対して、張勲は調子を崩さずに微笑んだまま地図を広げた。
「私は確かに、こちらの道を通って兵糧を届けさせています。予定では後七日で届く筈でしたが?」
声を上げそうになった孫堅は歯を食いしばって堪える。
そんな孫堅を見て張勲は冷笑を浮かべる。
「おや、どうかしましたか?もしかしてどこか他に裏手に抜ける道がありましたか?私はその様な報告は受けていませんが?」
怒りのあまりに孫堅は身を振るわせるが、拳を握り締めて耐える。
だが、この孫堅の怒りは張勲の嫌がらせの様な謀略に対してではない。
その嫌がらせ程度の謀略で立ち行かなくなってしまう程に弱い己に対して怒りが沸いているのだ。
一つ謝罪の言葉を述べた孫堅が張勲の元を去ると、張勲はやれやれとばかりに首を横に振る。
「孫家の方々は非常に好ましい気質の御仁が多いので少々心苦しいですね。彼等がかつて失った先祖伝来の土地への執着を捨てれば、袁家と共に歩み続ける事も出来るのでしょうが…。」
そう言って軽くため息を吐いた張勲は、視線を落として竹簡に目を通し始めるのだった。
これで本日の投稿は終わりです。
そして今年の投稿も終わらせていただきます。
また来年お会いしましょう。