「こうして改めて見ると、百万を超える軍勢というのは壮観ですな。」
中華の都の外周に建てられている城壁に立つ張遼は、地平線に見えた諸侯連合の軍を見て楽しんでいる。
「ちょ、張遼。」
己と同じく城壁の上にやって来た呂布に、張遼は笑みを浮かべる。
「奥方との挨拶は済んだ様ですな。」
「う、うむ、法師様が連れて行ってくれる。」
政略的に悪にされてしまった董卓軍の人々をなるべく多く救うべく、三蔵一行は洛陽から可能な限り人々を連れ出していた。
今の時代、敵地に侵攻すれば略奪や乱暴狼藉は当たり前である。
それ故に三蔵一行は洛陽の人々を逃がすことにしたのだ。
「ちょ、張遼、騎馬はお前が率いろ。お、俺は弓を使う。」
呂布の言葉に張遼は驚いた後、不敵な笑みを浮かべる。
「呂布殿が弓を使えば百万の軍勢が相手でも、諸々が整うまでの時間は十分に稼げますな。」
「め、飯と矢があれば幾らでも行ける。」
「ハッハッハッ!流石ですぞ、呂布殿!」
呂布の武は数人を一振りで吹き飛ばす圧倒的な膂力が注目される事が多い。
だが呂布の武の本質は人馬一体となる馬術と、目で捉えたものには必ず中てる弓術にこそある。
その馬術と弓術を呂布に教えた師は董卓である。
今ではたっぷりと肥えてしまった董卓だが、涼州を治めていた時は自ら軍を率い賊を討伐して名を上げていた武人だったのだ。
「さて、先ずは諸侯連合に軽く一当てしてまいります。」
不敵な笑みを浮かべた張遼が城壁を下りていくと、呂布は諸侯連合を見据えながら弓を手に取るのだった。
◆
諸侯連合が洛陽に詰め寄ってから二十日後、呂布と張遼を始めとした董卓の配下は主である董卓の首を持って諸侯連合に降伏した。
その後、中華の都である洛陽は諸侯連合の兵達によって焼き討ち、略奪をされたのだが人的被害はほとんど無かったのだった。
◆
『洛陽焼き討ち』
三国志の一節に書かれているこの出来事は、日本では二次創作である三国志演義に悪人として描かれている董卓が行った事だとして認識されている事が多い。
しかし本来は諸侯連合の兵達によって行われた事である。
敵地からの略奪が非道であるという倫理が出来たのは近代の事で、日本の戦国時代でも当然の様に行われていた事なのだ。
『洛陽焼き討ち』
三国志演義では道連れに都である洛陽を焼いた悪人の董卓だが、本来は涼州や洛陽の人々に支持されていた好漢であり、三国志の時代を代表する英雄の一人である呂布の師に当たる人物なのだ。
◆
「法師様、改めて礼を言わせて貰いますぞ。」
「礼ならば二郎真君様に。私はこうして洛陽の人達の避難をお手伝いしているだけだもの。」
多くの人達と共に涼州に向けて歩く三蔵の隣に一人の男がいる。
何を隠そうこの男は、呂布と張遼が諸侯連合に降伏する際に首を討たれた筈の董卓である。
では何故に死んだ筈の董卓が此処にいるのか?
それは…。
「しかし、僅か数日で儂に瓜二つの人形(ひとがた)を造ってしまうとは…流石は二郎真君様ですなぁ。」
だいたい二郎のせいである。
エルキドゥや士郎の身体を造った二郎にしてみれば、神秘も魂も込める必要がない人形を造るなど朝飯前なのだ。
「痩せたら随分と印象が変わったわね。それに若返ったから、事を知らなかったら誰かわからないわ。」
「まさか丸薬一つで痩せた上に若返るとは思いませんでしたな。別れの挨拶をしに行った時に帝も目を見開いて驚いておりました、ガッハッハッハッ!」
曹操や袁紹は洛陽での政務によるストレスから暴食をして肥えてしまった董卓の姿しか知らない。
それ故に痩せて若返れば董卓の事がばれにくいだろうと、二郎が霊薬を渡したのだ。
「それで董…華佗さんはこれからどうするの?」
「そうですなぁ…。二郎真君様に医術の事を書いた竹簡をいただきましたので、これを学び、漢方薬等を使って中華の人々を救済していくとしましょうかな。」
ニッコリと笑った董卓…もとい華佗の笑顔は、まるで憑き物が落ちた様に爽やかなものなのであった。
これで本日の投稿は終わりです。
また来週お会いしましょう。