元董卓軍である呂布達が劉備の下に行ってから二年程の月日が流れた。
劉備は元董卓軍の文官から学ぶ事で役人としての力量を少しずつ高めていくと、治める領地の人々から人としてだけでなく為政者としても信頼される様になっていった。
治める者が民と共に笑い合う日々。
それは荒れていた人々の心を癒し、未来への希望を与えていった。
しかし、そんな日常に不意に影が落ちる。
それは劉備に送られてきた一枚の書状が原因なのだった。
◆
「う~ん…。」
開かれた書状を前にして劉備が唸る。
何度も首を傾げる事を繰り返し、唸り声は止まらない。
そんな唸り声を上げ続ける劉備の執務室に、現在の劉備配下の主だった者達がやって来た。
「兄者、どうされた?文官達が心配していたぞ。」
執務室にやって来た者を代表して関羽が劉備に声を掛ける。
関羽の掛け声に劉備はため息を吐くと、一枚の書状を関羽に渡す。
「これは?」
「曹操からの書状。」
「曹操殿からの?」
関羽を囲む様にして張飛、呂布、張遼が曹操からの書状を覗き込む。
「あぁ、もう!なんでお偉いさんは、こう小難しい時節の挨拶を書きやがるんだ!」
心底嫌そうに悪態を吐きながら頭を掻き回す張飛に、呂布が同意する様に頷く。
「これは…!?」
書状を読んだ関羽が驚きの声を上げ、張遼が目を見開く。
「なんて書いてあんだ?」
「一言で言えば、呂布を差し出せだとさ。」
書状を持つ手を震わせる関羽に代わって劉備がそう答える。
「はぁ?」
訳がわからないと首を傾げる張飛に劉備が書状の内容を語る。
帝に弓を引いた元董卓軍の者達を配下にするとは何事だ。
貴様に無双の士である呂布を御せる器量があるのか?
また呂布達が中華を騒がせる前に、無双の士である呂布が仕えるに相応しい者が預かるべきだろう。
疚しい心無くば、一軍を寄越す故に潔く引き渡されたし。
劉備が曹操の書状の内容を語り終えると、張飛は顔を怒りで紅に染めた。
「あんのチビ野郎がぁぁぁあああああ!」
張飛の領地中に届くのでは思われる程の大音量の怒声が執務室に響き渡る。
しかし関羽や張遼は黙して腕を組み、思考を巡らせていた。
「どうするべきか…。」
「曹操殿…いや、曹操は実に巧妙な手を打ってきましたな。」
今回の謀略は劉備がどちらを選んでも曹操には好都合なところが肝である。
例えば呂布の身を曹操に差し出せばどうなるか?
曹操は劉備が治める領地の民に、劉備は保身の為に仲間を売ったと噂を広めるだろう。
そうなれば劉備は民の信を失ってしまう。
また民の信を得るにはこの二年の何倍もの労力と時間を必要とするだろう。
では呂布を差し出さなければどうなるか?
その時は劉備に漢への叛意有りとして噂が広められ、董卓の二の舞となってしまうだろう。
正に進退窮まる状況なのだ。
関羽達があれこれと意見を交わすが、劉備は目を瞑って思考を続けたままだ。
およそ半刻(一時間)程経った頃、劉備は大きく息を吐く。
それは覚悟を決める為のものだった。
いまだに議論を続ける場の注意を引く為に、劉備が柏手を一つ打つ。
皆の注目が集まると、劉備はニッと笑みを浮かべた。
そして…。
「よし!逃げるぞ!」
関羽達が呆然とする中で劉備は笑顔で言葉を続けていく。
「元々おいらには役も領地も無かったんだ。それを失ったって大した事じゃねぇや。またどこかで手柄を立てればいい話だからな。あ、でも逃げる前に帝に書状を送らなきゃいけねぇか。そうしねぇとまた難癖つけられて曹操に追われかねねぇかんなぁ。」
笑いながら話す劉備の姿に、呆然としていた皆が気を取り戻す。
「りゅ、劉備…。」
「呂布よぉ、おめぇさんが良くても奥方の貂蝉殿はどうなるんだい?曹操は他人の女が好きってのは皆が知ってるんだぜ?あれだけの器量良しだ。曹操が手を出さねぇ筈がねぇだろう?」
呂布の妻である貂蝉の容姿は、殷周時代の伝説の美女である妲己や竜吉公主に匹敵すると世の人々に謳われている程だ。
それだけの美女ならば曹操でなくとも手を出そうとするだろう。
「それにおいらは仲間を売ってまで出世したかねぇ。そんな事するぐれぇなら喜んで身分を捨てるさ。」
そう言ってニッと笑う劉備の姿に関羽と張飛は胸を張り、呂布と張遼は胸を打たれた。
呂布と張遼は顔を見合わせて一つ頷くと、劉備の前で片膝を着いて包拳礼をする。
「りょ、呂布 奉先。劉備に仕える。」
「私は姓を張、名を遼、字は文遠!どうか私を劉備様の旗下の末席にお加えください!」
劉備は呂布と張遼の元に歩み寄り、二人の肩に手を置く。
そして…。
「おう!二人共、よろしくな!」
満面の笑みを浮かべた劉備に、呂布と張遼は頭を垂れ続けたのだった。
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