「周瑜殿、旅の疲れを癒し、英気を養ってくれ。乾杯!」
周瑜が劉備を訪ねたその日の夜、劉備は周瑜とその一行を労って宴を開いた。
酒や食がある程度進んだ頃合いに、周瑜は劉備の臣下達の元に話しに向かった。
顔繋ぎや情報収集が主な目的だが周瑜もまだ年若い為、呂布や関羽といった名高い武人の話を個人的な興味から聞きたかったのだ。
そんな周瑜の様子を、劉備は酒を口にしながらチラリと見る。
(さて…どうしたもんかねぇ?)
劉備の頭に浮かぶのは昼に聞いた周瑜の言葉だ。
『単刀直入に申します。劉備殿、孫家と組みませぬか?末長く両家の縁を結ぶかどうかはまた後日に決めるとして、少なくとも曹操との戦においては組んだ方がよろしいでしょう。』
『孫家は先代の孫堅様が健在の時から袁術の下で辛酸を舐めながらも励んできました。しかし先代様が亡くなり現当主の孫策様の代になっても、いまだに袁術の信を得られません。おそらくは当家の力を削ぐ為に、曹操との戦では先陣を申し付けられるでしょう。』
『失礼な言になりますが、これは劉備殿にも言える事ではありませぬか?袁紹に客将として招かれてからの数年、劉備殿は任されたこの地で善政を敷き、民の生活を豊かにするという功を成しました。されど、直臣にという話は噂すらありませぬでしょう?おそらくは旧臣が袁紹を唆しているのでしょうが、このままでは間違いなく曹操との戦で使い潰されるかと…。』
『袁紹への使いの帰りにまた寄らせていただきます。返事はその時に…。』
劉備は周瑜の言葉を思い返しながら考える。
(正直、呂布と雲長がいれば曹操が相手でも負ける気はしねぇ。でも、孫家と組んだ方がより多くの仲間を生き残らせられるだろうな。だけどよぉ…。)
酒を片手に呂布と関羽の二人と語らう周瑜の方をチラリと見た劉備は頭を掻く。
(なんというか…おいら達の旨味が少ねぇと思うんだよなぁ。)
周囲に気取られぬ様に小さくため息を吐いた劉備は、手にしていた杯を呷る。
(おいら達の事情を知ってたって事は、そいつを知れるだけの『耳』があるんだろうさ。孫家と組めばおいら達もその『耳』を使えんだろうが、おいら達はその『耳』から聞いたもんが正しいかわかんねぇし、それを利用出来るだけの頭もねぇ。)
手酌で酒を注いだ劉備は杯を見詰める。
(やっぱりおいら達には軍師が必要だ。御先祖様に天下を取らせた韓信や、文王様に仕えた太公望の様な軍師が!でもなぁ…。)
そこまで考えた劉備はため息を吐いてしまう。
(頭のいい奴は大抵、袁家の様な名家に仕えるか、曹操の様な勢いのある家に行っちまうからなぁ…。あ~あ、どこかにおいらみたいな奴に仕えてくれる物好きはいねぇかなぁ…?)
やるせなさを紛らわせる為に、劉備は一息で杯を飲み干したのだった。
◆
とある地にて安寧を得た諸葛家は、俗世の喧騒を他所に順調な日々を送っていた。
家長である諸葛瑾も孫家にてそれなりの地位を得ており、諸葛家は順風満帆と言ってよいだろう。
そんな諸葛家の一員である諸葛亮なのだが、彼は高名な水鏡塾を若くして卒業しておりながらも仕官をせず、母やまだ幼い兄弟と共に晴耕雨読の日々を送っていた。
二郎が十分過ぎる程の財を与えているので暮らしには何も問題が無いのだが、水鏡塾の卒業者である諸葛亮が在野に在るとあって、多くの者が諸葛亮を訪ねた。
諸葛亮を訪ねた者達は優遇を約したりと様々な手で誘ったのだが、諸葛亮は頑なに首を縦に振らなかった。
最近では仕官の誘いを断るのも面倒になり、諸葛亮は居留守を使う様になっている。
今日も劉表の使いが居留守で諸葛亮に袖にされたばかりだ。
そんな諸葛亮の元に一人の旅人が訪れたのだった。
◆
「亮、御客様ですよ。」
既に何度も読み返していた太公望の兵法書に目を向けながら、諸葛亮は口を開く。
「母上、御客様に私はいないと伝えてください。」
「なりません。今いらしてくださっている御客様は諸葛家の恩人なのですから。」
「恩人?」
母の言葉を聞いて、諸葛亮は兵法書から母に目を移す。
「そうです、恩人です。いらしてくださったのは楊ゼン様ですよ。」
「母上、それを早く言ってください!」
常の冷静な振る舞いと一転し、諸葛亮は慌ただしく身支度を始める。
それを見た諸葛亮の母親はクスクスと笑う。
「先に客間に案内しておきますからね。早く支度をして客間に来なさい。」
クスクスと笑いながら母親が去ると諸葛亮は一層慌てたのか、積み上げていた竹簡を崩してしまった。
(か、片付けは後で!今は早く身支度を整えて客間に行かなければ!)
今すぐに駆け出したい衝動を抑えて、諸葛亮は早足で客間に向かう。
そして諸葛亮が客間に辿り着くと、そこには出会った頃と変わらぬ二郎の姿があったのだった。
これで本日の投稿は終わりです。
また来週お会いしましょう。