「よくいらっしゃってくださいました、楊ゼン様。家長である兄に代わりまして、感謝御礼を申し上げます。」
片膝を着いて包拳礼をする諸葛亮に、二郎は笑みを浮かべる。
「亮、かなり背が伸びたね。元気に暮らせているようでよかったよ。」
「これも楊ゼン様のおかげです。あの時助けていただかなければ、今の暮らしはなかったでしょう。」
まだ包拳礼を続ける諸葛亮に、二郎は椅子に座る様に促す。
立ち上がった諸葛亮がもう一度包拳礼をしてから椅子に座ると、諸葛亮の母が麦湯を持って客間にやって来た。
「楊ゼン様、どうぞゆっくりとしていってください。」
「あぁ、ありがとう。」
母が客間を去ったのを確認すると、諸葛亮が口を開く。
「それで楊ゼン様、私に何用でしょうか?」
「そうだね…亮は何用だと思うんだい?」
「仕官を促しにきたと思っております。私は楊ゼン様がおっしゃるのならば、その方にお仕えいたしましょう。」
真剣な面持ちで話す諸葛亮に、二郎は微笑む。
「惜しい、と言っておこうか。」
「違うのですか?」
「世の流れを眺める楽しみは俺も知っているからね。その楽しみを奪おうとは思わないよ。」
二郎の言葉に諸葛亮は僅かに驚き、そして嬉しくなった。
諸葛亮はこれまで幾度も仕官の誘いを断ってきたが、仕官の気持ちが無いわけではない。
むしろ、乱世で己を試したいという気持ちが強いと言えるだろう。
しかし太公望の兵法書を読んだ諸葛亮は、世の流れから諸侯の心の動きを読み取る事に楽しさを見出だしていた。
その結果、これまで仕官を断り隠棲していたのだ。
「答えが欲しいかい?」
「いえ、少し考えさせてください。」
諸葛亮は二郎来訪の理由を考え始める。
仕官でなければ何だろうか?
惜しいと言った言葉の裏は?
自身のこれまでの行動は?
それらを組み合わせた諸葛亮は一つの答えに辿り着く。
「…居留守を使わずに会ってほしい御仁がおられるのですか?」
「うん、やはり亮は聡いね。」
二郎の称賛に諸葛亮は自然と笑みになってしまう。
「それで、その御仁とは?」
「今の中華で亮の様な者を最も必要としている者だよ。」
二郎の言葉を聞いた諸葛亮の頭には、数多くの諸侯とその臣下の名が浮かび上がっていく。
そして一人の人物に思い至った。
「楊ゼン様、水鏡塾で得た私の友の一人がその御仁の元に向かっております。私の友は政戦両略に優れておりますので、私の出番は無いかと…。」
「亮、人一人では国を動かせないよ。」
二郎の言葉に諸葛亮は首を傾げる。
「御言葉ですが、かつての大軍師である太公望と聞仲は一人で国を動かしておりましたが…。」
「太公望と聞仲は道士だからね。人よりもずっと身体が頑丈なのさ。もし人の身であの二人と同じだけ働いたら、十年で心身が壊れてしまうよ。」
諸葛亮は二郎の言葉に驚いて目を見開く。
「一年目は楽しさで疲れに気付かない。二年目には気付くだろうけど、意地で持たせる。そして三年目、亮の友が愚かでなければ、素直に人を求めるだろうね。亮、君の友は愚かなのかい?」
「いえ、素直に己を見詰める事が出来る自慢の友です。」
そう言った諸葛亮はため息を吐く。
「はぁ…私もまだまだですね。」
「時には一見が百聞を上回る事もあるからね。これから学んでいけばいいさ。」
「はい。楊ゼン様、御教授ありがとうございます。」
そう言って包拳礼をした諸葛亮に、二郎は柔らかく微笑んだのだった。
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