諸葛亮と会った劉備は幾度かの問答の後に、諸葛亮を仲間に迎える事が出来た。
これで徐庶の負担も軽くなると思った劉備は、帰り道では鼻歌を歌い出しそうな程に上機嫌だった。
そんな劉備一行の道中で、諸葛亮は関羽に声を掛けた。
「関羽殿、劉備様は随分と機嫌がいい様子ですね。」
「ここ最近、我々の軍師である徐庶殿は御疲れだったのでな。諸葛亮殿が我等の仲間になってくれたので、兄者はこれで徐庶殿も楽になると喜んでおられるのだろう。」
関羽の言葉に諸葛亮は意味深な笑みを浮かべる。
「楊ゼン様の読みよりも早かったですね。元直は余程一人で無理をしたのでしょうか?」
諸葛亮の言葉を聞いた関羽は、驚いて目を見開く。
「諸葛亮殿…今、楊ゼン様と…?」
「えぇ、言いましたよ。関羽殿の事は楊ゼン様から伺っております。」
関羽は諸葛亮の肩を掴む。
「諸葛亮殿!楊ゼン様は…我が師は何処に?!」
「それは私にも…何分、御自由な御方ですから…。」
諸葛亮の返答に関羽は肩を落とす。
「楊ゼン様が我等と共に戦ってくだされば百人力なのだが…。」
(桁が違いますよ、関羽殿。)
実は劉備達が訪ねてくる前に諸葛亮は二郎と会い、その正体を聞いていた。
半ば予想していた事だったが、それでも諸葛亮は大いに驚いた。
その後は諸葛一族で道教を信仰する事を二郎に誓ったのだが、諸葛亮は旅立ちの餞別として『無病息災の霊薬』を渡されている。
これで寿命と戦死以外で諸葛亮が死ぬことは無い。
士郎が聞いたら頭を抱えるであろう案件なのだが、二郎を含めた神々の依怙贔屓は今に始まった事ではないので仕方ない。
「関羽殿、楊ゼン様からお聞きしたのですが…攻城戦や籠城戦は不得手なのですか?」
「師からそれらに関しては凡才と言われた事がある。董卓軍と諸侯連合の戦で関の攻めに参加したが、思った以上に戦果は奮わなかった。それで私自身、攻城戦と籠城戦の才が無いのを自覚した…。」
そう言って関羽は大きなため息を吐いた。
(なるほど…二郎真君様がおっしゃられた通りに、関羽殿は実直な方だ。)
二郎の人物評が間違っているなど欠片も思っていないが、それでもこうして試してしまう己の性質に諸葛亮は苦笑いをしてしまう。
「その事は元直に伝えてありますか?」
「徐庶殿だけでなく、兄者達にも伝えてある。私の我儘で、皆を危うくするわけにはいかぬからな。」
己の弱さを認め受け入れられるその姿に、諸葛亮は関羽の強さを感じた。
「関羽殿はお強いのですね。」
「全ては我が師の教えだ。師の教えなくば私は増長して、いずれ道半ばで散っていただろう。」
そう言う関羽は胸を張っていた。
その関羽の姿に、諸葛亮はますます二郎へ敬意を抱いた。
当人はただ『面白そうだったから』という理由で関羽を鍛えただけなのだが、その事を関羽と諸葛亮の二人は知らぬのであった。
◆
「急に呼び出してきてどうしたんだい、スカサハ?」
劉備達が諸葛亮を連れて領地に戻っていた頃、二郎はケルトに足を運んでいた。
「我が子に『無病息災の霊薬』を与えたくての。」
スカサハが腕に抱く赤子はコンラとの間に産まれた子である。
セタンタとの決闘を経て立派な青年に成長したコンラをスカサハが押し倒して夫にしたのだが、その話を耳にしたセタンタがスカサハと全力で殴り合いをした事はケルトで伝説になっている。
「それは構わないけど、君の夫になったコンラはどこに行ったんだい?」
「馬鹿弟子が食事に誘われてのこのこと敵国に行ったのでな。父を救いに行っておるわ。」
セタンタはゲッシュにより自身より下の者からの食事の誘いを断る事が出来ない。
例えそれが毒入りの食事であってもだ。
「前から思っていたけど、なんでケルトの戦士はそんな面倒な呪いをするのかなぁ?」
「不利な状況で勝つのが誉れという認識が広がっているからな。だが、これはゼンの影響でもあるのだぞ?」
スカサハの言葉に二郎は首を傾げる。
「かつてウルクの天界で、ゼンは単身で神の軍に勝っておるであろう?その話が巡り巡ってケルトの戦士の在り方に繋がっておるのだ。」
そう言われた二郎が頭を掻くと、スカサハは笑い声を上げた。
「さて、そろそろ帰るよ。あ、これが霊薬だよ。」
「うむ、確かに受け取った。ところでゼンよ、真っ直ぐ帰るのかのう?」
早速とばかりに赤子に霊薬を与えているスカサハは、そう二郎に問う。
「いや、ギルガメッシュの墓に寄って帰るよ。俺の弟子が新たな調味料を作ったから御裾分けしようと思ってね。」
「ほう?その新たな調味料とはなんじゃ?」
二郎は虚空から二つの壺を取り出す。
「豆から作られた物でね。士郎は『味噌』と『醤油』と言っていたよ。」
◆
『味噌と醤油』
現代日本の食卓に欠かせない調味料である味噌と醤油だが、この二つの調味料の発祥には幾つか諸説がある。
その諸説の一つが、殷周革命時代に活躍した武将の王士郎が作ったという説だ。
王士郎は戦場で兵に料理を振る舞ったという逸話が幾つもあるのだが、その料理にも長けていた王士郎が作ったというのが、味噌と醤油発祥の地である中華で最も有力な説となっている。
しかし味噌と醤油の記述が歴史上初めて登場したのはいわゆる三国志の時代である事もあり、この説は日本では否定的に見ている。
だが中華では不老不死の道士である王士郎なのだから不思議では無いとして、この説を強く推しているのだ。
『味噌と醤油』
後に幾種も作られたこれらの調味料は古代の食事情を変えたとして讃えられ、今では世界中に愛好家を産み出す程に素晴らしい物となったのであった。
本日は3話投稿します。
次の投稿は9:00の予定です。
何気に歴史を変えてしまっている士郎さん。
第二の生を思いっきり満喫しております。