「なに?関羽の旗があっただと?」
公孫瓚達に追い付いた追撃軍総大将の夏侯惇は、物見の報告を聞いて舌打ちをする。
「どうするのだ、夏侯惇殿?」
曹一族の曹仁の言葉に夏侯惇は思考を巡らせる。
(追撃軍の面目を考えれば一当てはせねばなるまい。だが相手に関羽がいるとなれば、こちらの被害もバカにならんものになるやもしれん…。)
面目を立てるというのは今の時代ではバカに出来ないものである。
数万を超える兵を率いるには、それに相応しい地位と将としての威が必要だからだ。
それに夏侯惇は劉備軍と関わった戦いでは連戦連敗を続けてしまっている。
曹操の贔屓により地位の失墜は免れているが、これ以上の敗戦は流石にまずいだろう。
負けるぐらいなら戦わずに退くべきだ。
そうわかっているのだが、面目との板挟みになってしまっている。
そういった夏侯惇の悩みを察したからこそ、曹仁はあえて退くことを告げた。
「夏侯惇殿、ここは退くことも考えるべきだ。」
「退く?一戦も交えずに退けというのか?」
「我等の任は公孫瓚への追撃であり、劉備と事を構える事ではない。袁紹への備えとして戦力を温存せねばならぬ以上、いたずらに戦線を広げかねぬ今回は退くべきだ。」
曹仁の言葉に夏侯惇は救われる思いがした。
だが、最低限やるべき事はやらねばならない。
「…直ぐに退ける様にして一当てする。」
「わかりもうした。では、某は退く準備をしておきましょう。」
そう言って兵に指示を出し始めた曹仁を見て、夏侯惇はため息を吐いたのだった。
◆
「そちらの軍師殿の読み通りに、曹操軍は騎兵だけで仕掛けてきましたなぁ。」
騎兵を率いて仕掛けてきた夏侯惇を見て、趙雲は感心した様に声を上げる。
「趙雲殿、予定通りに頼むぞ。」
「安んじてお任せあれ。」
公孫瓚に一礼した趙雲は颯爽と愛馬に跨がると、公孫瓚軍が誇る騎兵の一軍を率いて夏侯惇が率いる一軍に向かう。
「上手くいくでしょうが、何もせずに見ているだけというのも歯痒いものですな。」
「関羽殿の名は今や中華では高名ですからな。そこに在るだけで戦術となるなど、武人としてはこれ以上ない程の誉れでしょう。」
「そういった役割は呂布殿のものかと思っていたのですがな。」
そんな会話をした関羽と公孫瓚は、顔を見合わせて笑ったのだった。
◆
後に公孫瓚追撃戦と呼ばれる戦いが始まった。
戦いの始まりは追撃軍総大将の夏侯惇と、公孫瓚側の将である趙雲がお互いに騎兵を率いてぶつかったのだが、両軍がぶつかって互いに足が止まったところに、公孫瓚の援軍に来ていた劉備軍の将である張遼が横合いから奇襲を仕掛けた。
この奇襲で夏侯惇が率いていた一軍は隊列を崩してしまったのだが、そこに追撃軍側の将である曹仁が援護に入った事で夏侯惇は事なきを得る。
手痛い奇襲を受けた追撃軍だが戦列を整えるとそれ以上の戦いを止め、整然と退いたのであった。
◆
『夏侯惇』
二次創作では猛将として描かれる事の多い夏侯惇だが、正史では総じて凡将である印象が強い。
もっともこれは曹操の贔屓で夏侯惇が大将として一軍を率いた際に、運悪く呂布や関羽といった当時の最高峰の名将達と戦う事が多かったからだ。
その為、夏侯惇は劉備軍との戦で連戦連敗をしてしまうのだが、その尽くを生き抜く彼の悪運の強さを曹操は最も信頼していた。
『夏侯惇』
曹操の従兄弟である彼はその功績以上の地位に就いた事で、当時や後世の人々に揶揄される事も多かったが、数多の敗戦で尽く生き残った彼の悪運の強さは曹操に数多くの戦訓をもたらし、曹操の覇業の一助となっていったのであった。
次の投稿は11:00の予定です。
拙作の夏侯惇のイメージは銀英伝のビッテ〇フェルトといったところですかね。