姜子牙の呟きの後、士郎達は殷の都から離れる為に動き出した。
士郎も姜子牙も万全の状態ではないため、もし追手に襲われたら危険だからだ。
「それで、どこまで行くのかね?」
「とりあえず、露を凌げる場所ならよいだろう。殷の都に近い町では待ち伏せの危険もあるからのう。」
そう言って地を歩く姜子牙の隣を四不象がフラフラと飛んでいる。
「スープーよ、大丈夫か?」
「ご主人こそ大丈夫っすか?僕に乗っても大丈夫っすよ?」
「今回の一件で修行不足が身に染みたからのう。少しでも鍛える為に歩かねばな。」
「了解っス!」
そんな主従のやり取りを士郎は微笑ましそうに見ている。
すると、不意に姜子牙が士郎の方に振り向いて口を開いた。
「士郎よ、一つ聞いてもいいかのう?もちろん、話したくなければ構わぬ。」
「何を聞きたいのかね?」
「妲己達に隙を作ったアレの事だ。」
姜子牙の言葉に四不象が首を傾げる。
「僕、あの時の事は全然覚えてないっすけど、何かあったっすか?」
「士郎よ、話しても構わぬか?」
「あぁ、構わんよ。」
士郎の返事を聞いた姜子牙が四不象にあの時の事話していく。
「へぇ~、士郎さんが剣を手も使わずに妲己達に放って隙を作ったんすね。」
「うむ、それが無ければ儂らはあの場を脱する事は出来なかったであろうのう。」
「士郎さん、ありがとうっス!」
素直に感謝を述べて頭を下げてくる四不象の姿に、士郎は表情が綻ばないように気を引き締めた。
「それで、聞きたい事とはあの剣の事かね?」
「うむ、儂の予測ではあれが士郎の魔術とやらだと思っておるのだが、違うかのう?」
「いや、正解だ。」
士郎は僅かな手掛かりからあっさりと正解に辿り着く姜子牙の才能に驚く。
「君の思考は一体どうなっているのかね?あの一瞬で私の魔術に当たりをつけるとはな。」
「偶然よ。あの時は生き延びる為に集中していたからのう。」
「そういう事にしておこうか。」
軽くため息を吐いた士郎は歩みを止めぬまま、慣れた様子で右手に飾り気の無い無骨な剣を投影する。
「あれ?波紋が無いって事は鍵の宝貝を使ってないんすか?」
「あぁ、これは私の魔術で造り出した物だ。」
「へぇ~。」
四不象はゆっくりと飛び続けながら感心の声を上げるが、士郎の魔術を見た姜子牙は驚きのあまりに歩みを止めてしまった。
「あれ、ご主人?」
「あ、あぁ、すまぬのう。」
足早に追い付いた姜子牙が興味深そうに士郎の剣に目を向ける。
「ご主人、随分と驚いているっすね?」
「スープーよ、士郎は己が身一つで無から有を造り出したのだぞ?つまり士郎は自身の力で宝貝と同等の事を成し遂げているのだ。」
「士郎さん、スゴいっス!」
「スープーは気楽だのう…。」
四不象の反応に姜子牙は頭を抱えるが、気を取り直すと士郎に目を向ける。
「士郎よ、それを儂とスープーに見せて構わぬのか?」
「君達は信頼出来ると踏んだのだが…違ったかね?」
「…では、その信頼に応えるとしようかのう。」
姜子牙は立ち止まると士郎に包拳礼をする。
そして…。
「儂は姓を姜、名を尚、字を子牙という。士郎の信頼に応える為に、儂の名を預けよう。」
姜子牙の名乗りに四不象が驚きの表情を浮かべる。
だが、四不象は直ぐに笑顔を浮かべて姜子牙と士郎に祝福の言葉を送ったのだった。
◆
封神演義の一節にはこう綴られている。
『妲己に敗れた姜子牙は、その逃亡の途中に士郎に名を預けて真の友となった。』
当時の慣習では名を預ける事は命を預ける事と同義とされていた。
それ故に名を預ける事は最大の信頼を示す行為でもあるのだ。
後に姜子牙は大公に望まれた者と呼ばれるのだが、その多くの伝説の中でも最高の決断と評価されるのが、この士郎に名を預けた事なのだった。
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