(略)のはAce -或る名無しの風- 作:Hydrangea
あくまでも本編が全部終わった後での「IF」なので、今はとりあえず雰囲気だけで読み、本編終了後に、改めて読み返してみてください。そういうものを作れるよう、今後も精進してゆきます。
“最期”を迎えるその瞬間において、果たして人は何を思うのだろうか。
命の灯が渾身の輝きを見せる刹那に、その胸へと湧き上がるのは一体何なのか。その瞳は、何を映すのか。
本能が見せる「死」への恐怖か、理性が描き出す走馬灯か。はたまた、一切が無へと帰す事への嘆きか、受け継がれるであろう次代へと託す祈りか。
億の人間に対し兆の可能性。無限大にも近い解答を有するその問いを、主観に塗れた一個人の感性だけで導き出そうとするのはあまりにも無謀であるし、あまつさえその不完全な足場のみを頼りに“真実”へ辿り着かんとするなど、到底叶わぬ夢物語だろう。有史以来数えきれぬ程の求道者達が挑み、同じ数だけ敗者を積み重ねてきた理の壁は、それ程までに高く険しいのである。
だが少なくとも、今この場において正にその瞬間を迎えんとしていた当事者たる少女――巴マミの心を占めていたのは、前例の何れにも当てはまらないものであった。
牙を剥いて迫りくる死への怖れでも、それを招く事となった自身の油断・詰めの甘さに対する悔恨でも、はたまたこの場に残される事になるであろう後輩達を気遣う心でもない。
ならば、断末のその瞬間、彼女は一体何を思ったというのか。
――何ということはない、その解は「無」という、何よりも
より詳しく正確に述べるとすれば、「何も抱けない」という言い方が近いだろうか。どこまでも残酷で無慈悲なこの世界においては、無知なる弱者には走馬灯さえ許されないのだ。
弱肉強食 食物連鎖 自然の摂理
遍く世界へ確立しているそのピラミッドにおいて、一見して頂点へと君臨しているように見えていた人間も、今この場――歪んだ法だけが世界を回す結界の内においては、“魔女”という強者へと捧げられた餌以外の価値を有さない。その
人外の業を行使する魔女と渡り合う彼女達は生身の人間ではないが、かといって不死不滅の戦士という訳でもなし。魂を宿す核たるソウルジェムが失われてしまえば、後に残るのは中身を亡くした物言わぬ躯のみ。そして、髪飾りとして配されていた彼女のそれは、今更に本性を露わとした化物の顎門によって砕かれんとしていた。
そして繰り返しにはなるが、世界はどこまでも残酷であり、誰よりも冷酷なのである。
これまで多くの命を掬ってきた彼女を、救い手であった少女を救える者は此処にはおらず、そも彼女達に戦う力を与えた張本人さえもが、その滅びを是としている。ならば、それこそが必然であり、世界が弾きだした答えなのだろう。たかが一人間では抗う事さえ許されぬ真理であり、この世の全てが欲した
何より、その「悲劇」という形こそが、
無残なる最期によって物語は次の段階へと進み、観衆は一瞬の感情に興奮を覚える。彼女に与えられた役割は土台であり贄、それこそが脚本。始めから死すべき存在に対し、何故同情心を抱ける事があろうか。一時の戯れに対し、何を真剣になる事があるだろうか。ハンカチを濡らしながらも次への期待に胸を膨らませるのが紳士の嗜みであり、この場における「正しい」対応なのである。
だが、それを良しとしない者達がいた。同じ神の視点を有しながらも、たかが一
そして、その想いは。執念にさえ引けを取らぬ純情は、時に次元を、境界を、世界さえも越えて運ばれる。否、運び届けられる。
もう幻想なのではないのだ。壁を隔てた、しかし確かに存在している世界なのだ。助けられる力と、届けられる想いとが結実した今、どうしてそれを躊躇う必要があるだろうか。
「マミ……さん……?」
「え、何? 何が起きたの?」
然らば、迷い込んだその
稲津の様に激しく 嵐の雄々しく 一迅の
一閃、また一閃、更に一閃。
虚空に描かれた軌跡が「Z」となって闇を切り裂き、
その瞬間に立ち会った誰もが、鮮やかなる剣劇に、華麗なる身のこなしに、思わず目を奪われた。その
夜よりも深き漆のマントが内で煌めくは、真なる「悪」を断つ銀の剣。雪のような長髪に鍔広の帽子をあしらい、紅玉の瞳を闇色の
絵本の中よりそのまま飛び出してきたかのようなその姿は、しかし容姿だけでなく、まるでこの世界が本当にお伽噺の舞台であるかのように、あらゆる危機を、困難を、絶望を打ち砕いてくれるという期待、言葉では言い表せぬ「安心」を纏っていた。
例え無数の悪意が押し寄せ、底無しの深淵が引きずり込まんと襲いかかってきたとしても、その全てを蹴散らし、必ず助けてくれる。そう確信させる程の“何か”を、黒の麗人は有していた。
事情も状況も呑み込めぬまま、唯々最前列の更にその前で観た救出劇の
主たる魔女を失った
奇跡の売り人たるキュゥべぇとの契約により、その道へと進んだ者であれば通らざるを得ない苦難であり、魂を縛られた少女達が拠り所とする最後の希望。彼女達と同じ神秘を操る者であれば、望まざるに関わらず巻き込まれる因果の中心。
だが、黒衣の騎士は自身が成したその戦果には目もくれず、あまつさえ強大な力を有していた
かつては冷たき光を灯していたその瞳に、何よりも温かい優しさを湛えて。
「怪我はありませんか?
◇◇
何故にと問う
誰が為にと問う 君が為と囁く
眼前にて振るわれた剣は何よりも苛烈であり、しかし差しだされたその手は誰よりも温かい。
その姿に、強さと優しさを兼ね備えた存在に、もしかしたら、今は亡き両親の姿を重ねていたのかもしれない。
気付けば、少女の目には涙が滲んでいた。これまで意図せずして封じてきたそれが、今になって解けた理由。それは、生命の危機に、そして未知なる存在に対して抱く根源的な「恐怖」に近いものだろうか。これまで数多の戦いを潜り抜けてきたとはいえ、彼女も未だ子ども。自身の生命を後一歩の所まで脅かした存在に対し恐れを抱く事も、別段可笑しな話という訳ではないだろう。が、一応は覚悟を決めていた道ではあるし、何より人間とは現金なもの。ひとまずの安全が確保されたとあっては、彼女のように「恥」の意識が先行し、思わず顔を伏せてしまうのもまた自然な事かもしれない。
しかし、そんな彼女に対して騎士は、嘲笑う事も呆れる事もなく、黙したまま純白のハンカチをそっと差し出した。
「……怖かっただろう、辛かっただろう。
一人で全て背負ってきたのだ。その感情も当然の事のものだ。
――けど、もう大丈夫だ。もう、何も怖くは無いから」
その言葉に、一押しに、最後の鎖が解かれてゆく。
決壊した少女の涙を、騎士はそっと受け止めた。大樹の様に、慈母の様に。少女が吐き出す悲しみを、溜めこんできたその痛みの全てを出しつくすまで。
◇◇
「……すみません、初対面にも関わらずあんな事をしてしまって」
「構わないさ。むしろ、私みたいな人間が胸を貸せるというのなら、それだけでも光栄な事だよ」
ひとしきり泣きやんだ後、初対面の相手、かつ後輩の前でそのような姿を晒した事との羞恥で再び顔を赤らめる少女であったが、返された騎士の言葉に社交辞令など感じられない。
「だ、大丈夫ですかマミさん。それと、え~っと……」
「えっと、助けてくれてありがとうございます。
その、さっきのからして貴女も……?」
そんな二人の下へと駆け付ける後輩組二人。この様な状況においても真っ先に心配を、そして謝辞を忘れないのは、ひとえに彼女達の人柄、もしくは性格に拠るものだろうか。
が、どうにもその言葉の歯切れはよろしくない。そんな少女達の思惑を察したのか、騎士は苦笑いしつつその質問へと応じた。
「似たようなものではあるが、生憎同業者という訳でもないかな。
見ての通り、「少女」と言うには少々厳しい年齢でもあるからね」
二人が抱いた疑問も、ある意味では自然なものと言えよう。覆面により仔細が判らないとはいえ、騎士の纏う雰囲気は既に完成された大人のそれであり、「頼れる先輩」の更に三歩は先を行くもの。この様な言い方では良い風に聞こえるかもしれないが、要するに極一般的な常識としての「少女」へ含めるには疑問が残る という事である。“上限”についての説明は受けていないとはいえ、「
呑気とも、また危機感の欠如ともとれる彼女達の考えに対し、ともすれば義憤を抱く人も当然いるだろう。確かに、少女達のそれは自身の立場を、“当事者”の一歩手前にまで差し迫っている自覚というものにまるで欠けているのも事実である。
が、その危機感の無さ……或いは「罪」にさえ思える無知こそ、彼女達が未だ「普通の世界」に生きている何よりの証。確かに、戦いの世界――世の中の「裏」たるそれらを知っていれば、視野も考え方も広がる事だろう。その瞳で常人には見えぬものを捉え、決して至らぬ境地へと辿り着く事も可能となるだろう。
しかし、それは決して個人の偉へ直結する事ではないだろう。穢れなき純粋さが、尊きものである事に変わりは無いのだから。
ともあれ、半ば冗談めかしたその返答によって、少女達の内で無意識に生じていた緊張も解れたのだろう。つい先程まで心を占めていた恐怖心は一体何処へ吹き飛んだのか、やれ何処から来たのか、 何時からこの様な事を始めたのか、普段は何をしているのか、等々、湧き上がる好奇心を押さえようともせず、強大なる魔獣を打ち破った騎士さえも圧倒する若さと勢いとを以て、問いにもならない質問を雨霰と浴びせ始めた。もはや、先程負いかけた心の傷の心配など無用だろう。
「…………」
だが、後輩達が織り成す喧騒の中においても唯一人、彼女――巴マミだけは、未だ沈黙を保ったままであった。
無論、死の淵に瀕するような体験をして間も無ければ、人間誰しも口の一つぐらいは重くもなるだろう。どれ程それが現実味の無い経験に拠るものであったとしても、五感に刻み込まれた感触は容易に拭えるものではない。何かと敏感な彼女達程の年頃であれば、極些細な事で一生ものの傷が残ってしまっても何ら不思議ではないだろう。
しかし、今の彼女にとってはそれも単なる杞憂でしかないのかもしれない。言葉には出ずとも、熱に浮かされた少女の瞳は、笑みを湛えた騎士を捉えて離れないのだから。
「さて、すまないがそろそろ私は行かせてもらうよ。
名残惜しいが、まだやるべき事があるのでね」
「おー、正義の味方は多忙って事ですか」
「まぁ、そういう事にさせてもらうよ」
陽も傾き、白壁が橙に染まり始めた頃、別れの言葉を切り出した騎士。それ程長い時間が経っている訳でもないが、その前に起きた救出劇も含め、少女達にとってはこの上無く濃密な一時であったように思えた。
「また会えるでしょうか?」
「おいおい、それじゃあもう一度危ない目に遭う事になるのだが?」
「う゛……それは流石に勘弁かな」
「だろう? 正義の味方なんてのは、必要無いのが一番良いのさ」
頼れる先輩との出会いといい、不信感しかない転校生との遭遇といい、魔女に関しては何かと出会いの付き纏う二人ではあるが、だからとて何度も恐怖体験を味わいたがる程に物好きでもない。
そんな情景を想像し思わず身震いする二人を見て安心した様子の騎士は、やにわに指笛を一吹き。
すると、何処からともなく軽快な音を引き連れて一頭の馬が現れた。この時代、この場所において現実の馬、と驚く二人を尻目に颯爽と跨る騎士の姿は、先程の活躍といい随分と絵になるものであった。
と、いよいよ騎士が去り支度を済ませたところで、これまで口を噤んできたマミがおずおずと声を掛けた。
「あ、あの……さ、先程は助けてくれ……助けて戴きありがとうございました」
「なに、当然の事をしたまでさ」
「そ、それで……その……どういった立場であるかは存じませんが、
よろしければお名前だけでも聞かせて戴けないでしょうか」
名前を聞く ただそれだけの事であれば、別に驚くべき事もなかっただろう。広い世の中には、その為に相手へ光線をぶっ放すような人種も稀にいるようではあるが、今この場におけるそれは、恩人に対しての礼と共にある自然な流れの一部。なんら問題もない。
だが、強大な魔物を相手取って尚優雅に立ち回る度胸と優雅さを兼ね備えていた先輩が、未だ合って間もないとはいえ、何時でも頼りになるお姉さん といった印象の強かった少女が、まるで恋する乙女の様に恥じらう姿を見せつけてくれば、度重なる非日常で耐性が付いたと考えていた少女達の度肝とて容易に貫かれるものだろう。
平時であれば(先輩でも容赦せず)冷やかしの一つでも入れたくなるものだが、もはやそんな気さえも起こさせぬ程に彼女の瞳は真っ直ぐであり、いっそ外野の存在を忘れてしまっていると言っ切っても問題無いぐらいに、今のマミは
「名乗るほどの者でもないが……
……そうだな、火消しの風――ウインドとでも呼んでくれば良いさ。
では、そろそろ失礼させてもらうよ。アディオス!」
帽子を目深に被り直しつつ、果たして少女の求めに応じたのかも判らぬ騎士は、そうして少女達の前から去っていった。
「行っちゃった……なんというか、最初から最後まで風みたいな人でしたね」
「……」
驚きと感謝と、その他諸々の感情を浮かべながらも、少女達はその地平の先を眺め続ける。できるのならばもう少し言葉を交わし、親交を深めてゆきたかった彼女達ではあるが、立場故にそれが叶わぬ身である事は、この世界を知って間もない二人にも良く判っていた。それは、今日の様な事に遭えば尚更だろう。少なくとも、この世の中には未だ“正義の味方”の助けを必要としている人間が、自分達以外にも存在しているのだから。
とはいえ、頭では理解していても寂しいものに変わりはない。特に、助けられた当人が抱いているそれが一入である事は、傍観者であった二人でさえ容易に察せるもの。なまじ「二度と逢えない」という事が感じ取れてしまったのも、それに拍車を掛けていた。
「あ! 見てください、マミさん。あれ!」
「え……!?」
だが、例え二度とは相見える事がなくとも、今日という日の思い出が枯れ果てぬように、少女達を助けた「ヒーロー」という存在が、彼女達の心から忘れ去られる事はないだろう。
その想いは、志は、魂は。受け継ぎ、繋いでゆく者がいる限り、決して途絶えはしない。かつて救われた者が救う者となるように、少女が親となり、その子が再び少女となり、数多の奇跡と出会いに包まれるように。
――そして、深き夜天の先に朝日が煌めくように。
「火消しの風……ウインド様……」
こうして夢のような一夜は幕を下ろし、少女は再び自分達の世界へと戻っていった。
しかし、少女達の瞳の奥へ焼きついた最後の光景――沈みゆく夕陽を背景に高々と剣を掲げた騎士の姿は、決して色あせる事はなかった。
その先の……未来の話は判らない。
だが、見滝原の町に覆面黒マントの少女の姿が見られるようになったのは、また別の話である。
◇◇◇
時間を変えて、場所を変え。町の片隅路地の裏。光差す道の下、順風満帆に発展してきた見滝原の街並みを一切感じさせぬ、しかし確かにその一部である暗がり。その一角を、腰程はあろう黒髪を流した少女――暁美ほむらは歩いていた。
先の騒動において、真っ先に深奥へ巻き込まれた少女・美樹さやかだけは知らなかったが、彼女もまた、病院にて発生したお菓子の魔女が結界の中へと侵入していた。いたのだが、道中にて遭遇した巴マミにより足止めを受けてしまい、彼女がその拘束から逃れられたのは結界が崩壊するのとほぼ同時。結局、この戦いにおいては最後まで蚊帳の外でしかなかったのである。
「……何があったのかしらね、一体」
その後、気配を押し殺しつつ巴マミの無事と未だ契約が成されていない事とを確認はした彼女ではあったが、それなりの労苦の割に得られた
今後の計画を立てる為にも、彼女としても情報は欲しい。が、だからといって直接居合わせた3人へ尋ねる訳にもいかないのが現状。未遂に終わったからといって、好き好んで傷を抉るような趣味は無いし、何より「この世界」における彼女達への印象はお世辞にも良いものとはいえない。下手に手を出せば、最悪関係の悪化にも繋がりかねない。他の目撃者なんてものが期待できない以上、残されているのは「その場に居合わせた者の方から接触を計ってくる」という、何とも都合の良い話だけ。
「知りたいかい? あの時、結界の奥で起きた事を」
「……!?」
だから、本来であればその申し出――まさしくその場に居合わせたであろう「もう一人」から齎される情報は、願ってもみない事の筈なのである。
とはいえ、数えきれぬ程の戦火を潜り抜けてきた彼女の本質が、未だ女子中学生のままで止まっている以上、“諸悪の根源”を相手に感情が先走るのも自然な話なのかもしれない。
「何をしに来たのかしら、
西部劇さながらの早撃ちと、容赦なく額を撃ち抜く精密さとを兼ね備えた中学生らしからぬ所業はさておき、大層な“ご挨拶”も早々、澄ました顔に嫌悪の情を隠そうともせず、少女は“目撃者”――キュゥべぇへと声を掛けた。当然、未だ硝煙を吐き続ける拳銃が下される筈もない。
「……それは、撃ってから言う言葉じゃないだろうに」
哀れにも犠牲となった
が、勿論彼? とてただ的になる為に姿を現した訳ではない。あらかた残骸の処理を終えたキュゥべぇは、見目相応の可愛らしいげっぷと終えて漸く本題へと入った。
「僕だって、無駄な損耗をするつもりはないさ。まぁ、現実はこの通りだけどね。
ただ、“彼女”がどうしても と言うから、それに応じただけさ」
「彼女……?」
と、そこへまたしても影より出でる影。驚くべきは、キュゥべえの出現により警戒の度合を引き上げていたほむらの感覚でさえその出現を捉えられなかった事だろうか。
綺麗事では済まされない荒事へと身を投じている以上、そんな事をされれば誰だって身を強張らせる。にも関わらずその影は、指一本で容易に命を奪えるその凶器を前にしても、なんら動じる様子を見せなかった。
「彼……で良いのかな? とにかく、キュゥべえの言う通り、案内を頼んだのは私だよ」
「貴女は……」
「初めまして、お嬢さん」
未だ臨戦態勢を解かないほむらとは対称的に、その人物――火消しの風・ウインドは、笑みを湛えたまま優雅に挨拶をした。
◇◇
「それを下ろして……と言うのは流石に厳しいかな?
なら、せめて話だけでも聞いてくれるとありがたいのだが」
「……」
その手に武器を持つ少女が研ぎ澄まされたナイフならば、彼女の姿は果たして何なのだろうか。
鈍い鉄と、それ以上に冷たい視線……常人でなくとも身を竦ませたくなるそれを一身に浴びて尚、黒の騎士は柳の体を崩さず、廃材へと腰かけると、そのまま近くにいたキュゥべぇをひょいとつまみ上げ、そのまま膝の上で愛玩動物かのように撫で始めた。
何も知らなければ微笑ましくも見えるその光景も、唯一の見物人たる少女の目と銃口にあっては一層温度を下げるばかり。それでも平然としている騎士は、金剛石の心臓でも宿しているのか、460m/sをものともしない剣の技量を有しているのか、はたまた鉛玉なぞ意味が無いのか。
「……それで、どちら様かしら?
生憎、貴女の様な知人は記憶に無いのだけれど」
何にせよ、このままでは埒が明かない。
そう判断したほむらは、ひとまずの妥協案として銃を下ろした。尤も、下ろしたのはあくまでも外見上だけの話であり、心の中の引き金へと掛けられた指は離れておらず、常に最悪の事態を想定し続ける頭脳は未だ休まる時がない。
少女が抱く「悲願」の難易度は、一分のミスも、また一時の安寧さえも許してはくれないのだ。
「先程助けたお嬢さん達にも言ったが、単なる通りすがりの“正義の味方”さ。
ああ、先に言っておくけど、君達の同業 という訳ではないよ?
御覧の通り、“少女”って年齢では無いものでね」
「そう……貴女が彼女を」
冗談が通じなかった事に残念そうな騎士はさておき、「先程の」という言葉で、ほむらは概ねの事情を飲みこんだ。
「どうやって」魔女を倒したのかは未だ判らないが、はっきり言って彼女にとって
それよりも何よりも重要なのは“結果”……終わり無き負の輪廻から、たった一人の少女を救いだすという結果のみ。その為ならば、文字通り過程や方法なぞ、少女にとってはどうでもよいのだ。
ひとまずの疑問が解けた事により、水面下にて早速今後の……目の前の“自称”正義の味方が自身にとって益か否かの判断も含めた計画を練り始めたほむらであったが、その思考はすぐさま中断されてしまった。
と言っても、それは相対する相手からの不服があった訳ではない。むしろ、其方の方は「質問があれば好きにどうぞ」といった様子でさえある。ならば何故か?
「……先程から気になっていたのだけれど、貴女はそいつが何なのか知っているのかしら?
確かに見た目は愛玩動物みたいかもしれないけれど、そいつはマスコットでも何でもないのよ」
その理由は、先程の問答から片手間で続けられていた行為……手元のそれを小動物のようにあやし続ける騎士と、何の意図故かされるがままとなっていたキュゥべぇとのやりとりにあった。
ほむら自身が言っているように、キュゥべぇを単なるマスコットとして見れば、その姿に対し「少し変わっている」という感想を抱く以外、疑問に思う事なぞ殆ど無いだろう。
だが、彼の存在の本性と本質とを知るほむらにとっては、何にも勝って癪に障る光景にしか映らないのだ。冷淡にさえ感じられる程に冷静な佇まいを、何時だって崩した事の無い彼女が、露骨に感情を滲ませている事からも、その嫌悪の度合が窺えるだろう。
氷柱のような言葉に、見目不相応の威圧感。突きつけられた物も相まって、普通でなくとも鈍くとも、自身を検め、口を噤みたくなる状態。にも関わらず騎士の手は止まらず、態度も改まらず、あまつさえ更なる爆弾を投下してみせる。
「知っているよ。彼が担っている役割も、それを取り巻く
……勿論、と言うのは変かもしれないが、君についても一通り把握してはいるつもりだよ?
暁美ほむら君」
「!?」
自信に満ちた口調に、教えた覚えの無い名前。
驚きよりも早く銃口が上がったほむらではあったが、先にも増して絞られた指は、ともすれば誤って引かれてしまいそうであり、握られた
「……私の事を知っている というのは後にしましょう。
けれど、それなら尚の事、そんな扱いをする理由が判らないわ。
先程貴女が助けた子。彼女達があの場所へ迷い込んだのは、大元を辿ればそいつの所為なのよ?
“正義の味方”なんてものを自称するのなら、尚更放ってはおけない存在でしょうに」
敵か味方か。その真意さえ判らぬ未知の存在。
正義の味方云々の件はさておき、冷静に考えれば、そんな相手が「自身を知る」とあっては、捨て置く訳にはいかない筈であろう。無論、名前だけであれば幾らでも方法はあるし、先程の発言自体が単なる
それを理解し、尚彼女が――普段の姿を見ていればらしからぬ程にキュゥべえの処遇に拘るのは、それだけ彼に向ける感情が強いのか、或いはその源泉たる少女へ抱く想いが大きいのか。
「正義の味方というのは、対立する
本気で根絶やしにしてしまえば、後々になって困るのは自分達の方さ」
何れにせよ、水面下で徐々にその温度を上げてゆくほむらに対し、騎士の方はと言えば務めて冷静。むしろ、落ち着いているというより「冷めきっている」とさえ感じられてしまうかもしれない。少なくとも、今この場面
「それに、今この場で血祭りにあげようと、引きずり降ろして細切れにしようとも、
先程のように別の個体が来るだけさ。
確かに、駐在する個体がいない間は君の言う“被害”も出ないだろう。
が、所詮そんなのは時間稼ぎにしかならないだろう?
……尤も、この程度の事、こんな変な通りすがりに言われる理由も必要も無いだろうけどね」
しかし、そんな影も一瞬。再び諭すように、或いは小馬鹿にするような態度で、弁舌をふるい始める騎士。そんな姿を見て、逆に頭も冷えたのだろう。少女が思い返すのは、これまでの日々……撃っても撃っても湧き出てくる怨敵の様に、抗えども抗えどもままならぬ自身の行い。決して逃れられぬ負の螺旋。
もう何度目かも定かでない「やりなおし」。悲劇に塗られた結末を覆すべく戦えども、その度に助けたかったものは小さな掌より零れ落ちる。守り守り守りぬいた果てに救い切れず、最終最悪の敵となって牙をむく。共に戦場へ立てども、結局は一周目の悪夢を焼き直すばかり。
否、単なる“繰り返し”では済まされない。抗う程に
だが、それでも彼女は繰り返し続ける。繰り返し続けなければならない。今の彼女にはそれしかないから。それ以外に、前へと進む術を知らないから。
「それでも……「なら」……?」
「なら彼らに、この宇宙の秩序を司っているとのたまう連中に、見せてやるしかないじゃないか。
『そんな事をしなくても、世界はやっていける』という事を。
その根拠たる人間の力――可能性という名の希望の力をね」
だが、
その言葉が何を意味し、何を表しているのかまでは、今の彼女には判らない。しかし同時に、紡がれた言霊に否定の意志はなく、向けられる眼差しから敵意を汲みとる事もできない。
些細な、しかし確かに見えたその色合いを訝しむ少女を他所に、尚も騎士は言葉を続ける。
それが対面する少女に当てられたものなのか、騎士自身に向けてのものなのかは定かではない。それでも騎士は言葉を重ね続けた。まるで、何処か懐かしむかのように。
「別に自慢するような事でも無いが、私も昔は君達と同じ様に……
いや、それ以上に荒れていた時期があったものさ。
二次性徴期故の悩みなぞ比較じゃない。自分では何もしない癖に、他者にばかり非を押し付ける。
何も知らないのに、世を知り尽くしたかのように斜に構えては、事ある毎に否定したがる。
全く、今でも思い出したくない黒歴史だよ。若さゆえのなんとやら という奴さ」
「けど、ある時ちょっとした出会いがあってね。その時に大層お叱りを戴いたんだよ。
『お前が考える程人間は愚かでもなければ、そう簡単に挫けるような軟弱者でも無い。
何より、私達が為さずして、一体誰が人を信じるのか』ってね。
笑えないのは、それを言ったのが10年も生きていない女の子だって所かな」
「確かに、人並み以上の苦労を経験していたとはいえ、
あの子の苦労だって君の抱えるそれと比べれば大した事とは言えないだろう。
まして、彼女は極ちっぽけな世界の中でしか生きてこなかった小娘だ。
歳の甲の分、納得よりも反感の方が先走るのが普通だろう」
「けれど、その言葉に真実が含まれていたのも確かだ。
彼女の言う通り、人間はそう簡単に折れる程弱くは無いし、それを輝かせるのもまた人間だ。
――少なくとも、無為に億の歳月を過ごしてきた馬鹿者の目を覚まさせるのには十分過ぎる」
「……それで、結局何が言いたかったのかしら」
教えにも、訓戒にもならぬその言葉。一個人の、一個人による、一個人にしか当てはまらぬであろう思い出話。故に少女は問う。目の前の相手が何を考え、何を思い、何故語ったのかを。
しかし、返される言葉は予想通りとで言うべきか、予定調和を、積み重ねられてきた流れを、全てをひっくり返してしまうものであった。――まるで、その
「ああ、君をそんな奴と一緒にするのは失礼だったね。
何、行き詰っている中での清涼剤代わり……という名の、ただの自己満足さ。
つまらない過去語りに、それ以外の意味なんてありはしないよ。
聞き流すも勝手な想像を膨らますのも、全ては君次第さ」
「……さっきから随分と好き勝手言っているけれど、ならどうすれば良いのかしら。
貴女の様に口先だけを回すのであれば、誰にだってできるのよ」
長々と、一方的に語り続けた挙句、自身で纏める事もなく、全てを他者へ投げ渡す。そんな騎士の態度に、流石の少女も腹に据えかねたのか――それとも、騎士の言葉に何かを突かれでもしたのか、先のものとは比べ物にならぬ程の棘を籠もった言葉を返す。もはや、隠すつもりなど毛頭無いだろう。
そして、これもまた当然とでも言うべきか、相変わらずな騎士が態度を改める素振りは見えない。
「それは君達が考える事さ。
おっと、丸投げだなんて人聞きの悪い事は言わないでくれよ?
確かに派手に暴れはしたが、所詮私は脇役。この世界の主役はあくまでも君達なのだからね」
「……そう。なら、言いたい事はそれで終わりかしら?」
その言葉を最後に、銃を納めたほむらは踵を返す。もう語る言葉も尽きたという事だろう。そして騎士もまた、そんな彼女を引きとめようとはしなかった。
然らば、ほむらが足を止め、再度騎士に言葉を投げかけたのは、他ならぬ彼女自身の意志なのだろう。少なくとも、騎士はその言葉を去りゆく背中に向けて語ったに過ぎないのだから。
「ただまぁ、脇役なりの手助けぐらいなら吝かでもないがね。
――そうだな、とりあえずまだ見ぬ明後日の朝日の為にも、
少々ネジの緩んだ“舞台装置”を治しにでもいくとしようか」
◇◇
振り向かざるを得なかった。問わずにはいられなかった。
自身を知ると言う者が、態々「舞台装置」という言い回しを用いて表す存在……それ即ち、円環の果てに待ち受ける最後の難関。連綿と続くその歴史に照らし合わせても尚「最凶」と言い切れる程の化物。全てを戯曲へと帰す「舞台装置の魔女」――通称を
それを「治しにいく」と言い切ったのだ。これを驚かずしていられようか。
「貴女、自分が言った事を理解しているの?」
思考よりも先に出るのは疑問の皮を被った否定。当然だろう。それを安易に認めてしまえば、今までの自身の行いが――或る少女が払った犠牲が、全て無意味なものへと成り下がってしまうからだ。そう簡単に認められる筈が無い。
にも関わらず、彼女の心へ湧き上がってきたのは呆れよりも驚き。そして、そんな自身に対する戸惑いの感情。
妄言と切り捨てる事もできた。聞き流して立ち去るという選択肢もあった。それでも彼女は立ち止まり、その言葉に耳を傾け、真意を問うた。彼の存在の力は、瞳の奥にまで焼き付いている彼女自身が誰よりも理解している。何の代償も無く、唯一人で打倒するなど、笑い話にすらなりはしない筈。
ならば、何故彼女は足を止めたのか。どうして、一瞬でもその言葉を信じてしまったのか。
「無謀は承知さ。あれが一個人でどうにかなるようなものでは無い事も理解している。
だが、有史以来人間は幾度となく「不可能」の壁にぶちあたっては、それを難無く……
……という訳でもないが、とにかく乗り越えてきたのだ。できない道理はない」
「そんな事……」
その否定は、疑問は、果たして誰に向けられたものだったのか。
目の前の騎士か、それとも、自分自身の中にある常識という名の鎖なのか。今の少女には、その胸の内で疼く葛藤しか判別する事はできない。
だが、その常識の垣根を、黒衣の騎士は苦も無く乗り越えてゆく。非常なる現実を、抱く想い一つだけでひっくり返してゆく。
それも当然。それもまた必然。何故なら騎士はそうあるべき存在だから。「そうあってほしい」という願いの結晶なのだから。
「人間がその脳みそで描ける事などたかが知れている。
そして、その程度の
確かに勝つ為の具体案がある訳ではないが、かといって負けてやる理由も無い。
なに、たかが吊るされ女の一つ、奇跡の力で押し返してみせるさ。
それぐらいの事がやれなければ、偉大な先人達へ合わせる顔が無い」
何時の間にか腰を上げていた騎士は、そのまま少女の傍らへと歩み寄る。そして、そっと銃を下ろさせると、何処からともなく取り出した一輪の花をその手に握らせながら、優しく囁きかけた。
「だからせめて、この世界だけでも友との語らいを楽しんでゆきたまえ。
嫌な事は全てこの変人へと押し付けて、思うがままに学生としての本分を満喫してゆきたまえ。
全てを君一人で背負う事はない、抱え込む必要はない。
少しぐらい寄り道をしたところで、誰も文句など言いはしない。
助けを乞おうと、不満を持つ者が居る筈もない。
諦めない事も確かにそうだが、遠慮せずに助けを求められるのもまた子どもの特権だ。
――君には、そんなものよりも此方の方がずっと相応しい」
親か、教師か、先人か。
その言葉は、まるで全てを包みこむように、抱きとめるように。どこまでも逞しく、頼もしい。
「判っているさ。君が真に望むのが、そんなものじゃない事も。
君が負ってきたものが、この程度の言葉で言い表しきれるものではない事も。
だが、例え偽物でも、幻想であっても。長らく触れていなければ、自ら遠ざけていては、
いつか本当に忘れてしまう。そうなってしまってからでは遅いんだ」
出会ったばかり。信頼も何もない状態。それでも、少女の胸に反発する言葉も意志も湧き起こりはしなかった。肯定する要素なぞ何処にも無い筈なのに、否定する事ができなかった。
「だから、愛する人へ抱いた気持ちを、愛してくれる人の想いを、そこで結ばれた縁を、
どうか忘れないで欲しい。
例え取り繕われたまやかしでも、中身の無い偽物あっても、
君が願い続ける限り、信じ続ける限り、いつかきっと本物になるから」
気付けば、受け取ったそれを確りと握りしめていた。既に武器を取る意志は無く、警戒心などは言わずもがな。隙だらけなその姿は、戦闘者でもなんでもない「普通の少女」の様であり、彼女がとうの昔に捨て去ったと思っていた、弱く見えていた嘗ての己であり――紛れも無い「暁美ほむら」そのものであった。
「これは……?」
「遠いようで近い
どんな形であれ、何が相手であれ、戦っているのは決して君達だけじゃない。
それに、彼女達は求められれば……むしろ、そうでなくとも助けずにはいられない程に
皆お人よし揃いさ。こんな私も含めてね。
――だから、困った時は遠慮せずに助けを求めたまえ。その時は、私が必ず助けにいく。
世界の全てを敵に回そうと構わない。百億年の
必ず君の下へと辿り着き、その剣となり、盾となってみせよう」
そう告げ終えた騎士は、マントを翻し、少女の横を通り過ぎる。
「――何処へ行くの?」
今度は、彼女が引き止める。他ならぬ、少女自身の意志で問いかける。
「風とは常に動き続けるもの……
どうにも、一つの場所に留まっていられない性分でね」
吹かれた指笛に、ほどなくして姿を見せるその愛馬。
成すべき事は終えた。今後どの様に世界が転がってゆくのかは、騎士にさえも判らない。何故なら、世界はもうあるべき場所に、真なる担い手の下へと確かに渡ったのだから。
「なら最後に教えて。
……貴女は一体何なの? 何故ここまでするの」
「私の正体かい? 先程の彼女達にも言ったが……
私は、ただの通りすがりで、正義の味方で、火消しで……
……そうだな、少々偏屈な「星の王子様」さ。
それなら、君達を助けるのに難解な理由など必要無いだろう?」
◇◇
「話は済んだのかい?」
現れるのも、そして立ち去るのも一瞬。時間操作の一端を有するほむらでも捉えきれぬその姿は、まさしく“風”と呼ぶのに相応しいのかもしれない。
そして、去り際に手渡された物を抱きしめるほむらへと、今まで沈黙を保ち続けていたキュゥべえが漸く声を掛けた。
彼がどの程度二人の遣り取りを理解し、どう受け止めたのかは、相変わらずの能面故に判らない。その途中で口を挟んでこなかったのは、益も害も無いと判断した為か、興味を抱かなかった為か、或いはそれ以外の理由があっての事か。
だが、その何れであっても、今のほむらにはさしたる違いも無いのだろう。声を掛けられ、その存在を思い出しても尚、少女の手に握られていたのは一輪の花だったのだから。
その姿を、害も無く、今までの事を考えればむしろ益となり――そして奇妙に思える光景を目の当たりにして、キュゥべぇは自然と首を傾げていた。
彼が何故そのような行動を取り、何故ほむらへと問いかけたのかは判らない。そして、二度とそれを疑問に思う事もないだろう。生き物の行動とは、得てしてそういうものなのだから。
「そういえば、君達人間はそれの一つ一つに態々凝った言葉を意味づけているそうだね。
そんなもの、赤の他人同士の理解と教養とが成り立たなければ何の役に立たないのに」
「そうね。とても面倒で、手間のかかる……
……でも、とても素敵な事だわ」
手渡されたその一輪 記憶の底に眠っていた 遠き日の思い出 “夢”を抱いていたあの頃
美しく染まった青い薔薇 その花言葉はたしか――
IFルート:通りすがりの鬱フラグクラッシャー
コブラじゃねーじゃねーか!!