(略)のはAce -或る名無しの風-   作:Hydrangea

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 あんまりにも執筆にもたついていたら総隊長がお亡くなりになっていたでござる。合掌


2章:流されて次元世界
 Aufzeichnung der Vergessenheit


「久しぶり……いや、ここは「はじめまして」と言うべきかな?

 少なくとも、”今の”私とこうして言葉を交わすのは初めてだろうからね」

「……何も、何も変わっておらんな。

 歪んだ性根も、濁りきった瞳も」

「そう言う君の方は随分と老いさらばえたようだがね、カールソン」

 

 

 何処までも乾き切った空と、果てなく続く不毛の大地。

 有用な資源は一つとして見つからず、かといってそれ以外の用途に耐えうる訳でも無く、発見以来手つかず同然であった準管理世界の辺境。「人手不足」という永遠の悩みと同居する時空管理局の方針に則せば、年に一度かそれ以下の頻度しかない定期巡回以外では人影は元より、生物の痕跡さえ見られない世界の最果て。

 だが、そんな場所に今、時空管理局が誇る戦力の一個小隊。それも、狭き門たる武装局員の更に選りすぐりで構成された、言わば精鋭中の精鋭達が集っていた。……そう、集って“いた”のだ。

 

 それがどれ程「異常」な事であるかは、少しでも実態を知る者であれば容易に察せるだろう。

 “持つ者”が秘める力の大きさは、“持たざる者”のそれと比べまさしく別次元のものであり、その絶対数が決して多くはないという事情を引いても尚、管理局の職務は少数による運用で十分に機能している。また、そうでなければ“抑止力”としては過剰な存在となってしまうのだ。

 それがどれ程「足りない」かは、此度の“敵”を知れば知る程骨身にまで沁み渡る事だろう。

 「敵を知り 己を知らば百戦危うからず」という故事の通り、敵を、そして己を深く知るという事は、本来であれば勝利への大きな一歩へと繋がるものである。だが、敵と己を遍く知り、そこに決して覆せぬ程の「壁」があると知った時、勝利への道筋はその闘志と共に消え失せてゆく。通常であれば過剰だ偏頗だと非難されるであろうこの戦力も、実際には十分どころかその倍を以ても尚足りないと言い切れる。それだけの力の差が、対峙する“敵”との間に存在しているのだ。

 

 灰の大地へと力無く伏すは、抜きん出た力量と、それに見劣らぬ意志とを兼ね備える管理局有数の魔導師・己の部下達。

 白き大空にてそれらを見下ろす優男は、この場(せんじょう)には不釣り合いに思える温和な面持ちをし、しかしその本質は吐き気を催す程に悪辣なる稀代の畜生外道――シュトロゼック・テックアート。

 彼奴こそ、次元世界全土を騒がせている一連のテロ事件の黒幕であり、この惨禍を生みだした元凶であり――自身の怨敵たる、“闇の書の主”である。

 

 

 『闇の書』

 知らない者はおよそミッドチルダにおいて存在しないと言い切れる程に有名であり、同時に並び立つ物も存在しないと断言できるまでに悪名高き存在。数多の世界を食い荒らしては、賢人達が積み上げてきた叡智を貪り玩ぶ悪魔。古代ベルカが生みだし破滅と厄災の象徴にして、躊躇いも戸惑いもなく、唯々己が欲望のままにその力を振う史上最低の“悪”。

 遥か古より伝えられ、数えきれぬ程の血肉を啜り生き永らえてきた名と力は、狂気と暴力の下にならず者達を集めては、内包する四人の騎士達と共に歴史の所々で暴虐の限りを重ねてきた。その因縁たるや、未だ管理局が組織として生まれて間もない時分より続く程に長く深いものである。

 無数の次元世界中へ刻まれた数多の悲劇を押しのけて尚「ロストロギア災害」の頂点へと君臨し、一度顕在化すればその都度数えきれぬ涙を流させている彼の存在は、管理局員として、力無き人々の安寧と平穏を祈る者として、是が非でも打倒しなければならぬ存在であると言えよう。

 

 

「しかし……正直、再び会えて嬉しいよ。

 てっきり、前回のあれでとうどうくたばってしまったとばかり思っていたからね」

「儂も同じじゃよ。

 自分の足で立てる内に、貴様の最期へと立ち会えるとはな」

「フン……相変わらず、口だけは良く回るようだな」

「言う相手を間違えてはおらぬか? 儂は、鏡などではないぞ」

 

 また同時に、その因縁は管理局員としてではない“個人”としての自分――カールソン・V・アーレルスマイヤーにとっても浅からぬものでもある。

 「闇の書」としては、それこそ自身が生まれて間もない頃からのものであるし、今代(シュトロゼック)としてであっても、まだ互いに若造以前の幼子であった時からの付き合いとなっている。例え彼奴が見目だけ若々しさを保とうと、この全身へ刻みこまれた無数の皺と傷とが、否が応にも自分達の間にある歴史(いんねん)を形とする。決して風化などしない記憶して存在しつづける。

 非常に不本意だが、ある意味では自分は“闇の書”という存在を、その凶行を記録する生きた媒体と言えなくもないのかもしれない。

 

 そして、そんな自身が抱いている闇の書への感情は、目に見える傷では比較できない程に深く大きい。そんな事は、自分自身が何よりも理解している。この胸の奥底で滾る炎は、それこそ負う使命が無くとも追いたくなる程であり、使命(それ)を捨ててまでも凶行へ走りたくなる程のもの。如何に取り繕おうと、それは紛れもない事実であり、それこそがこの老骨を動かす原動力となっているのだから否定する気にもならない。

 無論、復讐が決して許されぬものである事は、正義を掲げる管理局員としても、剣を取り他者を守る道を選んだ個人としても理解はしている。それが、理性に生きる人間と獣との境界線なのだ。感情を感情で押し返さない事は、人の上へと立ち叱咤激励を飛ばす身として、最低限かつ必要不可欠な戒めである。

 だが、例え理解していたとしても、どうにもならぬ事があるのもまた事実。理性によって動くのが人間という生物の在り方であるのならば、本能に支配されるのは生物としての人間の性。時として人間はその境目を犯し、ヒトという名の獣となってしまうのだ。どれ程の綺麗事を並べようと、その必要性(じじつ)だけは決して無視できるものではなく、してはらないものである。

 畜生を相手とするのならば、自身もまた畜生へ堕ちなければならないように。

 悪鬼を滅さんと欲するのなら、己がそれを越える修羅とならねばならないように。

 

 

 

「……最後に、今一度聞こう」

「……?」

「今までの罪科を認め、自ら裁きを受けるつもりはないか?

 無論、それでも相応の罰は免れられないだろう。

 だが、もしそうするのであれば、必ず法の下に公正な裁きを行わせる。

 そして、それを不当に害する者がいるのであれば、……儂が、全力を以て取り除く」

 

 管理局員としての、「守る者」としての最後通牒。

 判っている、その問いに「問い」としての意味なぞ始めから含まれていない事を。それが、真に自身が望む答を引き出す為の隠れ蓑でしか無い事を。

 所詮は自己満足、始めから結果の判り切っている出来レース。そんな事は、問いかけた己自身が誰よりも理解している。既に回答を得ている問答に何の意味があるのか。この程度の温い優しさ(ぎぜん)で引きとめられる人間に、世界など壊せるものか。

 

 

 

「ふ……クク…………フハハハハハハハハッ!!」

 

 沈黙の後、張り詰めていたそれが高笑いへと姿を変える。判り切った反応に、判り切った回答。

 恐らく、ここまでの遣り取りは闇の書の主(シュトロゼック)の方でさえ承知の事なのだろう。そして、知って尚彼奴は高笑いという形で答えを露わした。どこまでも他者を見下し、神経を逆撫でるその笑みで。

 

 それを聞く度、頭の中で木霊する度に、己が心の内にあった“枷”が緩み、炎が燃え上がる。

 悪魔の様に黒く、地獄の様に熱く。万象一切を……守るべきもの、愛するもの、己自身さえも灰塵と帰す灼熱。人間が有する最凶の鉾にして、正義が唾棄する最悪の剣――「憎悪」の焔が、人間としての理性を、築き上げてきた誇りを、その魂までもを焼き尽くしてゆく。

 

 

「可笑しなことを言う、遂に耄碌(もうろく)したかカールソン。

 いや、所詮常人の枠組みを抜け出せぬ君であれば、それも致し方の無い事か」

「……その理由を、貴様の言い分を聞こうか」

 

 勿論、本来なら“そんな事”を今一度問いなおす必要も無い。半生以上にも渡る長き付き合いが、望まずとも互いの意図をそこいらの親しき間柄以上に通じ合わせているのだ。ある意味では、友人とも恋人とも違う別の形で、鎖よりも硬く、大樹よりも太い縁が結ばれているとも言えるだろう。この場におけるやりとりも、態々言葉にする必要性は無い。

 ならば、何故問い直すのか。何故、己が良心をすり減らしてまで言の葉とするのか。

 改めてそう問われた時、果たして今の自分は正直にその理由を言えるだろうか。“待っている”のだと、正直に告白する事はできるだろうか。だが、例え形には表さずとも、表せずとも。己の心情は決して変わらないし、変わる事も無い。

 

 ああそうだ。自分は待っているのだ。目の前の怨敵が、その口から“言い訳”を漏らす事を。

 最後の枷を、未練を、後悔を、躊躇いを、誇りを、栄誉を、尊厳を、その全てを捨て去るに足る口実を――限界まで高まった、胸の内の煉獄(ほのお)を解き放つ為の「鍵」を。

 

 

 

「簡単な事さ。ああそうとも、実に単純明快、幼子でも容易に理解できる事だ。

 ――この私に、“裁かれる”云われなぞ無い。只、それだけの事だ」

 

 その返答が、紡がれた言霊が、最後の鎖を熔解させる。

 堰を切って溢れだしたこの感情は、もはや何者であろうと止めるは事叶わないだろう。一度坂を転がり始めた石が、そのものが砕け散るまで「止まれない」様に、何処までも何処までも、際限なく堕ちてゆく。

 

 

「……承知した。ならば、これ以上貴様には何も求めるまい」

「ほう。ならば、一体どうしようと言うのかな?」

「知れた事を――」

 

 精神の撃鉄を引き起こし、愛刀を封印(ねむり)から呼び覚ます。今やミッドチルダ式では珍しくなってしまった「武器そのもの」の形をしたそれは、己が肉体同様に年代物と化しつつも、しかし刃に一片の曇りも無く、自らの手足同然に阿吽の呼吸で目覚めてゆく。

 

 砕けるまで止まれないというのならば、砕けるまでの事。自らの意志で止まれないのならば、止まらなければ良いだけの事。ただ、それだけだ。

 しかし、徒で砕けはしない。例え1ミリであっても、大地へと傷跡を付けてみせる。それが、後に続く者達へと成せる、己が最期の務めと信じて。怨念の連鎖を断ち切る為の術であると信じて。

 

 

「法で裁けぬというのなら、儂自らの手で引導を渡すまで。

 ――覚悟しろ、例え魂の一片であろうと、この世へ焼き漏らしはせん」

 

 愛も 情も 優しさも要らない

 仏の慈愛で救えぬのなら、修羅の怒りを以て焼き尽くすまで。

 それで力無き人々を守れるというのならば、この身は喜んで悪魔となろう――

 

 

 ◇◇◇

 

 

「どうした、息が上がっているぞ?

 後方で大人しく踏ん反り返っている方が、老いぼれの身の丈には合っているぞ」

「フン……今の内に、精々粋がっているが良い」

 

 遂に切って落とされた戦いの火蓋。だが、「長きに渡る因縁の戦い」といった題目でも掲げられそうな絶好の舞台(シチュエーション)とは裏腹に、その戦況は面白味も何も無い圧倒的かつ一方的なものであり、そして絶望的なまでに彼……「闇の書」討伐部隊を率いる管理局歴戦の勇士・カールソンにとって不利なものであった。

 これまで如何なる障害をも断ち斬ってきたその刃。飽くなき挑戦と研磨により鍛え上げられてきた必殺必中の一閃は、闇の書が主・シュトロゼックが張る障壁によって悉くが容易に受け止められ、しかもそれは複雑な構成の術式でも、また付与された特殊な属性でもなく、只単純かつ絶対的なる「出力差」に依るもの。シュトロゼック当人もまた、振るわれる渾身の一撃一撃を玩んでいる自覚があるのだろう。彼にとっては回避する事もそう難しくない剣撃の悉くを、敢えて障壁を張り受け止め続けている姿勢からもそれが窺える。

 そして、それだけの余裕を支える力の差は、何も一方的な防御に留まるものではない。時折振るわれる剣十字の杖は、気迫も魂も込められていないにも関わらず、如何なる障壁をも容易く粉砕するだけの破壊力と、軀の芯にまで刻み込まれた筈の反射を嘲笑う速さとを兼ね備えた凶悪な“兵器”として、カールソンの身と精神とをジリジリとすり減らし続けていた。既にその姿は、大規模犯罪組織の壊滅を単騎引き受けてきたと言わんばかりの有様であり、とてもではないが未だに一発たりとも直撃を受けていないとは思えぬ様相である。

 何より、都市一つを容易に壊滅させる戦闘力(ちから)を秘めたオーバーSランカーを片手間であしらっている今の状況でさえ、闇の書が主にとっては余興にさえ足り得ていないのだ。管理局トップクラスの力量を有した者が並々ならぬ気概を負い立ち向かおうと、「雲の上の存在」を自称するシュトロゼックにとっては、そも視界にさえ入っていないのである。果たして、これを一体誰が「戦い」と、一方的な蹂躙劇では無いと言えるだろうか。

 

 

「やれやれ、どうやら本当に“命を削っている”ようだな。

 いくら老い先短いとはいえ、捨て鉢な姿勢は感心できるものではないぞ?」

「…………」

 

 加えて、唯でさえ劣勢であるカールソンの肉体は、その身へ掛けられた極限までの自己ブースト……越えてはならぬ一線を犯したそれによって、内側からもじわりじわりと蝕まれていた。

 見下しきった言葉への返答とばかりに終始無言で剣を振い続けるカールソンであったが、例え言葉に出さずとも、その身体は否応無しに悲鳴を挙げはじめる。当然だろう。何せ、彼は既に子どころか孫がいても可笑しくは無い年齢であり、本来であればシュトロゼックの言う通り、第一戦からは退くべき身なのだ。

 また、それでなくともその戦い方(スタイル)は縦横無尽に飛び回りつつ渾身の一撃を連打するのではなく、相手のそれを柳の様に受け流し、大樹のように不動なるままに、数多の歴史を内包した一閃を以て戦いを終わらせるのが身の丈に適しており、事実として平時はカールソンもその様なスタンスであった。今の様に、どこまでも激しく――暴力的に剣撃を乱打するなどらしくない。

 そも、ブーストとて無尽蔵に力を齎してくれるようなものではなく、あくまでも当人が秘めている力へ発破をかけて引き出すものでしかない。当然ながら無い袖は振れないし、出し尽くせば打ち止めにもなる。また、例え引き出せるだけのものが残されていようと、その出力を上げれば比例して掛かる負担も増加する。魔導師達が戦歴を重ねるにつれカートリッジシステム等の使用を控えるようになるのは、何も技術の向上により頼る必要性が薄れるためだけでは無いのだ。

 ならばこそ、今カールソンが振るっているそれは、本来であればそれこそ払戻が許されぬものを燃料としなければあり得ない。若さが宿す活力(いきおい)と、年月に裏打ちされた知恵(けいけん)。反比例する二つはそれ故に、同時に並べる事ができれば単なる1+1以上の大きな力を生みだす源泉となる。まして、カールソンのそれはどちらに関しても一級品であり、禁忌を犯してまでも両立させている現状のそれは、まさしく「最強」と呼ぶに相応しいもの。その筈なのである。

 

 しかし悲しいかな、それも所詮は「人間」という枠組みの内での事。既にその枠組み(じょうしき)より逸し始めている闇の書の主人・シュトロゼックの前においては、カールソンのそれも無為に命をすり減らすだけの愚策へ成り下がってしまう。当初の勢いと攻め手を失い、徐々に守りきれぬ守勢となり始めたその様子からも容易に窺える。

 “最強”とは、それを更に上回る力の前においては“最強”足り得ない。それが現実なのだ。

 

 

 

 

「カ……ハッ……」

「死にかけの身で良く頑張ったものだ……が、これでお終いだ」

 

 そして、訪れたその瞬間。決して避けられぬ“終わり”の時。

 振るわれる杖撃を受け流しきれず、とうとう弾かれる剣。シュトロゼックはそれをすかさずバインドの応用で手繰り寄せると、無情にもその“主人”へと突き立てた。

 先祖の代より伝えられてきたその名剣は、元々が命を刈り取る形をしているが故に、特別な術式などを施さずとも十分に凶器として働きうる。そして、単なる“道具”として振るわれるそれに、長きに渡って共に歩んできたという歴史が介在する余地など無い。化外の膂力を以て突けば、只それだけであらゆる防壁を無に帰す破城槍となる。

 何より、カールソンには既にそれを防ぐ手立て(よりょく)など残されてはいない。然らば、その結末もまた避けられぬものなのだろう。

 

 

「気が済んだだろう。いい加減、年寄りは大人しくしていたまえ。

 まあ、これでも長い付き合いだ。幕引きぐらいであれば、私が務めてやる」

 

「仕方なく」といった体の物言いではあるが、そう放ったシュトロゼックの表情はこの上無い嗜虐心に満ちており、心の底から今の状況を楽しんでいた。その気になれば一瞬で終わらせられるというのに、態々甚振るかのようにゆっくりと刃を進めてゆく姿からもそれが窺える。事実、彼は長年の宿敵……“敵”というよりはむしろ、煩わしかった目の下の(・・)瘤の命が、その濁血と共に零れ落ちてゆくのを最高の“娯楽”として味わっていた。

 そして、カールソンの方もいよいよ限界が来ているのだろう。膨れ上がった際と同等かそれ以上の速度で萎んでゆくその魔力反応が、老戦士の“終焉”を物語っていた。

 

 もはや、勝敗は完全に決した。否、そんな事は始めから判り切っていたのだ。

 如何にカールソンが管理局指折りの実力者とはいえ、只一人で万人の軍を蹂躙するだけの力を有した闇の書の主へ単騎挑むなど無謀極まる事。これ程までに粘りを見せたその奮闘を湛える言葉はあれど、打倒しえなかった彼へぶつける非難などありはしない。

 最初から「あきらめ」を前提としていれば、損じた際の気落ちも少なくて済む。今回の悲劇も、「また」何時もどおりの結果が繰り返されただけに過ぎないのだ。

 

 

 しかし、その命が風前の灯になろうとも、カールソンの目は死んではいなかった。

 槍が折れ矢も尽きた状況に立たされながらも、彼の胸へ秘められた魂の刃は未だに輝きを有しており、あまつさえその脈動は更なる昂りを見せているようにさえ感じてとれた。あたかも、主君の血肉を啜る事で研ぎ澄まされる妖刀が如く。

 所詮は燃え尽きる間際の蝋燭が見せる、苦し紛れの最後の煌めきに過ぎない。

 そう鼻で笑う事は容易く、またこの戦況を見れば、誰しもがそう思いはするだろう。事実、最も近い位置でそれを見届けていたシュトロゼックもまた、カールソンの目に宿るものがそうであると信じて疑っていなかった。

 

 ――だが、その判断は本当に正しいのだろうか

 もしそれが、今にも消え入りそうな火が、万象を焼き尽くす程に苛烈なる煉獄の種だとしたら

 

 

 

 

「ん……?」

 

 ある意味では当然の話ではあるが、真っ先のその“異変”へと気付いたのは、他ならぬシュトロゼック本人であった。

 己が身へ突きたてられた刃を、研ぎ澄まされた愛剣のそれを、カールソンが固く握りしてめいたのだ。それも、魔力による保護も何もない、文字通りの素手で である。

 これ以上刃を進められまいと押しとどめるのでも、奪われた半身を取り戻さんとするのでも無い。それはむしろ、今の状態を……シュトロゼックの足が止まっているその状態を、少しでも長く保たんとするかの様な様子であった。

 

 

(成程……どうやら、本当に此処を死に場所とする気のようだな)

 

 シュトロゼックとて、ただ無闇矢鱈と力を振りまわすだけの馬鹿ではない。そんなあからさまな様子と、カールソンの内で再び高まり始めた魔力。そして、先程までの後先考えぬ猛攻とを合わせれば、その思惑……自身をその道連れにせんとするカールソンの策にも容易に気付ける。

 成程確かに、始めからそれだけに狙いを絞っていれば、後の事など考えずに文字通りの全力を叩きつける事も可能だろう。或いは、この状況を作りだす為にわざと剣を弾かれたのかもしれない。より屈辱を与えんとしたシュトロゼックがこういった形での決着を付けようとする事も、長い付き合い故に予測できたのかもしれないし、今まさにその通りの展開となっているのだ。

 その“読み”に関しては、正しく「歴戦の勇士」の名に恥じぬだけのものと言えるだろう。

 

 

(だが、残念ながらその計画には一つ致命的な欠点がある。

 ――この私が、態々その様な戯言へと付き合う必要が無い という事だ)

 

 しかし、その計画も所詮はこの状態を維持する事が叶えばの話。そして、今現在シュトロゼックの行動を縛っている“鎖”は、拘束と呼ぶにはあまりにも心もとないものであった。

 幾重もの結界に閉じ込められているのでも、或いは強固なバインドによって繋ぎとめられている訳でも無い。天に立つ強者と地に這う敗者。その二人を結びつけているのは唯一つ、枯れ果てた身へ突きたてられた刃だけであり、それを支えている一端は他でも無い、シュトロゼック自身の手。

 何も難しい話ではない。ただ、シュトロゼックがその手を、指の力を解きさえすれば、己の命をも賭したカールソンの悲願は驚くほどあっけなく崩れ去る。

 無論、“闇の書の主”たるシュトロゼックとしては、たかが管理局の魔導師風情のバインドや結界程度に捕縛されるつもりなど全く無いし、例え超至近距離でミサイルが爆ぜようともかすり傷一つ負わない自信もある。そしてニ度目の許されぬこの作戦を強行するにまで至ったカールソンの執念は、その「宿敵」であるシュトロゼック自身が誰よりも理解しているという自負もある。

 だが、そんなカールソンの思慮も、そこへ掛けられた想いも、「宿敵」であるシュトロゼックにとってはどうでも良い事であるのもまた事実。むしろ、それを知って尚踏みにじらんとするのが彼という人間であり、その様な悲壮な覚悟を抱かれると、どうしても「最高の絶望を彩って」やりたくなるのが闇の書の主なのである。そこに、人間らしい情など欠片たりとも存在はしない。あるのは只、悪魔の如き非道のみ。

 

 

(さらばだカールソン。我が生涯へと纏わり付いた、哀れなる道化よ)

 

 そうして止めの一手、ある一人の男の生涯と共に紡がれてきた悲願を突き崩す最後の一押しが

 

 

 

 

 ――放たれなかった。否、「離れなかった」というのがより適当か。

 

 

 

 

「……何?」

 

 思わず零れた小さな、しかし全知を公言して憚らない“闇の書の主”にとってはあまりにも「らしくない」一言。

 手が離れない 離せない

 文字にすればただそれだけ。そうでなくとも「それがどうした」の一言で済まされてしまいそうな些細なそれはしかし、今この場においては何よりも不可思議極まる事態であった。

 先程も少々触れたが、現在シュトロゼックをカールソンの下へと繋ぎとめているのは、言ってしまえば剣を握るシュトロゼックの右手のみだ。もしそれが、長年シュトロゼックと共に戦い抜いてきた相棒にも等しき存在であれば、まだ手放す事への躊躇いが生じたかもしれない。だが、彼の手にあるのはむしろ正反対のそれであり、いっそ怨敵共々消えてしまった方が清々とさえするもの。まして、“繋がり”を失う事で活路が閉ざされてしまうのはカールソンのみであり、シュトロゼックとしては何らデメリットなど無い。そこに、“躊躇う”理由なぞ欠片も無い筈なのだ。そんな事は、当事者であるシュトロゼックが誰よりも理解している。

 にも関わらず、離せない。五指の力を抜き指を開く。そんな簡単な事が、何故かできない。

 

 そうしている間にも、昂っていたカールソンの魔力は徐々に秩序を失いはじめ、全身より湧き上がる迸りはその量と圧とを増してゆく。目や口、更には全身へ刻まれた傷という傷の古今を問わずより血が滲みだすその様相からも、痩身の内で荒れ狂う力の尋常ならざるが想像できるだろう。

 

 

「貴様……一体何をした」

 

 そんな様子を見れば、素人であろうとカールソンが何か、例え仔細までは判らずとも、警戒心を強めるには十分過ぎる「何か」を目論んでいる事なぞ容易に察せられるし、当然ながらシュトロゼックも判ってはいる。だが、依然として手を離す事は叶わず、その場より動く事さえできない。

 それはまるで――それこそ“常識”で考えれば万に一つもあり得ない話ではあるが、シュトロゼックの四肢へと繰り糸が付けられ、見えざる何者かによりその自由が奪われているかのようにさえ思える。己以外の何者にも縛られず、また律せられる事の無い「闇の書の主」が“動けない”となれば、そんな荒唐無稽な話ぐらいしかありえないのだ。

 平静を取り繕う外見とは真反対の、その内より動揺が滲み出ているシュトロゼックの声色もまた、そんな妄言の信憑性を際立たせているのかもしれない。

 

 

「取り立てて挙げるような事はしておらんよ。

 まぁ、敢えて言うのであれば、少しばかり「後押し」をしただけの事。

 後は只、こうして貴様を討つ支度を整えているだけに過ぎん」

「そんな……そんな、馬鹿な事が」

 

 既に語る余力すら残されていないのか、今にも消え入りそうな声でゆっくりと呟くカールソン。ここまでの経緯を鑑みればそれも当然であるし、むしろ喋る事ができるだけましにさえ思えるだろう。その筈なのに、彼の言葉はシュトロゼックにとっては不思議と良く通るものであった。聴覚を越え、思念通話さえも追い越し、直接脳内へ届けられているとも錯覚してしまう程に。

 負っている傷は言わずもがな、そもそもの土台である地力の差も歴然。その上下など、態々考えるまでもない事。にも関わらず、今の二人の立場は“あるべき姿”とはまるで逆であった。追われるべき者が振りまわされ、追うべきものが優位に立つ。見目に釣り合わないその事実が、更にシュトロゼックを追い詰めてゆく。

 

 徐々に焦燥を募らせてゆくシュトロゼックとは対称的に、相も変わらずカールソンの言葉はゆるりゆるり。会話へ割く力も無い為か。それとも、紡がれる言葉の一言一句が、あたかも判決文の一文一文、或いは絞首台の一段一段の如き重さを有しているが故か。

 

 

「簡単な事だ。

 人を“縛る”のは、何も捕縛術や結界術に限った話ではない。ただそれだけだ」

「なん……だと……?」

 

 シュトロゼックにとって、その言葉は全く以て意味の判らぬ、理解の及ばない事であった。

 にも関わらず、その言葉を聞いた瞬間、確かにその内で「何か」が自身を締め上げる感触が。あらゆる技術の粋を集めた鉄の鎖でも、遍く歴史を束ねた神秘の塊たる魔紐でも捉えられない筈の自分が、がっちりと捕まった感触。そんな「未知」の感覚が、シュトロゼックの内で牙を剥いた。

 

 

「確かなる意志を以て紡がれた言霊、その者の本質を映し出す(かがみ)

 それらは無双の力を与える激励となり、時には目に見えぬ鎖となって術者を縛る。

 当人でさえ判らぬ内にな。

 ――まだ判らんのか。貴様を縛っているのは他でも無い、貴様自身であるという事が」

「どういう……ことだ……?」

 

 張り詰める灼熱の魔力。物理的な力さえ生みだすそれは、間近へ立つシュトロゼックにとってはそれこそ肌を刺す感触と共に体感できるもの。どれ程鉄壁の甲冑があり、それに依る自信(まんしん))があろうと、彼の危機察知能力そのものが消失した訳ではない。決して風化しない“本能”として、魂の奥底にまで刻み込まれているそれは、今確かな警告を――微弱ながらも、しかし久しく鳴らされていなかったそれを発し続けている。

 それでも、離れられない。一歩たりとも、その呪縛(ことば)から逃れる事ができない。

 

 

「決して退かぬ……否、「退けぬ」貴様の心が。“逃げる”勇気を持てぬお前の(ありかた)そのものが、

 上辺だけであっても手を離す事を拒み、やがて目に見えぬ鎖となってその自由を奪う。

 儂は只、それを少しばかり見えやすくしただけに過ぎんよ。

 

 退く事のできぬ傲慢さ。「受け入れる」事のできぬ狭量さ。

 それが貴様の弱さであり、貴様という人間の限界だ」

 

 遂に臨界点を超える軀。全身から噴き出す魔力が、実体ある焔となりその身を焼き始める。

 だが、神経の隅々までもを焼き尽くす激痛の中においても、カールソンは尚悠然とした態度を崩す事はなかった。既に痛覚が死んでいるのか、痛みを凌駕する程の感情がその身体を突き動しているのか。その源動力が何にせよ、相対するシュトロゼックにとってそれは、まさしく人の皮を被った悪鬼か何かに見えた事だろう。

 

 そこで漸く、シュトロゼックは自身が抱いていた「未知」が「恐怖」である事を自覚した。その行いに、カールソンの気迫に、自身が「恐れを抱いている」事を自覚せざるを得なかった。

 

 

「く……血迷ったかカールソン」

 

 ようやっと絞りだせた出せた言葉は、最早「王」としての誇りも外聞も無い弱音。

 常人の感性であれば、未だ不遜さを残しているとも感じられる物言いであるし、勿論、シュトロゼック本人としても命乞いのつもりなど露ともないそれはしかし、聞く者が聞けば、実質的な敗北宣言にも等しいものであった。

 

 そして、その言葉を前に、カールソンの口元からは思わず笑みが零れた。

 

 

人間(われわれ)がその気になれば、例えその肉体(うつわ)を砕けずとも、

 人一人の精神を焼き尽くす事なぞ訳の無い話。

 ――安心しろ、貴様一人で逝かせなどせん。 先に地獄で待っていてやる」

 

 数十年ぶりと言っても良い、久方ぶりに浮かべられたその笑顔は、どこまでも人間らしく、そしてヒトらしからぬ程にどす黒いもの。

 そうして、歓喜と絶望、憎悪を渇望とをない交ぜにした(けだもの)の笑みと共に、限界を越えた戦士の身は白光と共に爆ぜ、大空へ咲く一丸の焔となった。

 

 ◇◇

 

 視覚を焼く光の柱。やや遅れて聴覚を破裂させる轟音。大地へと墜ちる雷をそのままひっくり返したかのように、紅蓮の炎が一直線に天を衝く。

 そんな、天を地をこの世の万象を焼滅せんとする焔の中より、黒煙を引いて伸びる一つの影があった。言うまでもなく、怨敵の“自爆”を逃れた闇の書が主・シュトロゼックである。

 

 

「ちぃっ……あの死に損ないめ、最期にとんだ汚点を残してくれたものだ」

 

 忌々しげな表情と共に悪態を吐くその姿はしかし、「爆心地」に居たとは思えない程にぴんぴんとしていた。規格外の出力に依る騎士甲冑の防御があった為か、多少の焦げつきや煤けこそあるものの、外傷らしい傷は全くと言って良いほど見当たらない。その点に関しては、伊達に古代遺物を統べる者ではないという事だろうか。

 しかし、その見目に反して、彼の内心やプライドは傷だらけであった。例え一瞬一時であっても、確かな“恐怖心”を抱いてしまった事が余程堪えたのだろう。平時であれば決して絶やさぬうすら笑みの仮面をかなぐり捨て、物言えぬ死人へと暴言を浴びせる始末である。とてもではないが、人々の上に立つ「王」たる者の器には見えないだろう。

 

 そして、そんな調子であったからこそ、目まぐるしく移り変わる戦況に――自身が置かれている立ち位置への対応にも遅れが生じたのかもしれない。

 

 

「……!?」

 

 気付けば、シュトロゼックの周囲は管理局所属の魔導師達――この戦闘が始まった早々に彼自身の手で退場させていた、彼にとっては路肩の石にも劣る有象無象達により完全に包囲されていた。

 無論、依然として歴然たる地力の差が存在している以上、只それだけの事であればここまでシュトロゼックが驚く事もなかっただろう。だが、彼を取り囲む管理局員達の雰囲気は明らかに“異常”であった。

 確かに、局員達が纏っている感情が怒りや憎しみだといったものである事に違いは無いのだが、その性質は激しさというよりも鋭さ。熱さよりも冷たさといった表現がより適当であり……簡潔に述べれば、同胞の弔い合戦にしてはあまりにも「落ち着き過ぎている」のだ。それこそ、まるでこうなる事が()()()()()()()()()()()()()()

 

 その徒ならぬ雰囲気を前に、思わず息を飲む闇の書の主(シュトロゼック)

 だが、物珍しくも思えるそんな光景に対しても、局員達は何の反応を見せる事は無い。やがて、包囲網の一人……今この場における最も階級の高い者であり、現在の指揮官であり――隊長(カールソン)の右腕であった人物は、淡々と言葉を発した。

 

 

「まさか、この期に及んで「捕縛」だなんて、そんな甘い事を言うつもりはないよね」

 

 果たしてその言葉は、一体誰に当ててのものであったのか。

 未だ「理性的」な解決を求め続ける本国の上層部に宛ててのものか、母艦にて戦況を見守る“甘ちゃん”な新米艦長へ向けてのものか。或いは傷だらけの部下達か、その言葉を紡ぐ彼自身へか。

それとも、未だ現状を飲みこめていない“敵”へ向けてのものか。

 

 

「――総員、非殺傷設定解除」

 

 放たれた命令に返答は無く、空に響くのは只各々の獲物が牙を剥く音のみ。

理性も規制も。何もかもを投げ捨て、沈黙の中ここに最後の殺し合い(たたかい)が幕を開けた。

 

 ◇◇

 

 まず口火を切ったのは、管理局側の魔導師による砲撃。一見せずとも平々凡々でしかないそれは、時空管理局の基準で見ればこそ上位クラスには入るものの、次元世界中の叡智を一手に握る闇の書の主にとっては何の面白味も無い、そよ風程度の一射。

 だが、それに対するシュトロゼックの反応は防御ではなく回避。それも、紙一重といったものではない、大きく距離を空けた全力のものであった。というよりも、最初から「回避」以外の選択肢が浮かびすらしなかったのだ。

 

 

(気圧されているとでも、臆しているとでも言うのか。闇の書の主たる、この私が)

 

 怒りと屈辱と困惑とに揺れるシュトロゼックであったが、周囲はそんな事に一切構いはしない。そんな事を考えていた時には既に、避けた先にて背後へと回り込んでいた局員の一人が杖先に刃を展開、何の躊躇いも無く振りかぶっていた。

 後ろを取られた事に対する感想を抱く間もなく、シュトロゼックは半ば反射的に十字杖で迎撃する。だが、山一つ容易に消し飛ばせるだけの一振りはしかし、今この場では殺しきれぬ衝撃で何とか距離を空けるのが精一杯であった。そして、息を吐く間もなく全方位から押し寄せる無数の誘導弾。数えるのも馬鹿らしいそれらは、自動的に張られた結界の前に全て粒子となって描き消えるも、目の前で爆ぜる一撃一撃は確実にその精神を疲弊させ、「押されている」という現実を嫌が応にも見せつける。

 

 

「羽虫風情が……あまり図に乗るなよっ……!?」

 

 度重なる屈辱。「王」を称する彼にとってはこの上ない侮蔑。湧き上がり、そして弾けた感情の赴くまま急上昇したシュトロゼックは、見栄えも余裕も無い、只周囲を纏めて吹き飛ばす為だけの起動、その内に眠る膨大な魔力を一挙に高まらせてゆく。

 しかし、そこへ「チャージなどさせるものか」といわんばかりに、四方からバインドが押し寄せる。えも言われぬ悪寒を感じたシュトロゼックは、止むなく術式をキャンセルして緊急回避。その軌跡を、刹那の後に殺到した第二波のバインドと、明確な殺意を含んだ貫通重視の砲撃とがなぞる。

 もし捕まっていれば、そうでなくとも発動を優先し足を止めていれば、今頃その身体には風穴の一つでも開いていたかもしれない。超至近距離での爆発さえ防ぎきった自慢の騎士甲冑も、今のシュトロゼックにとっては信頼しきれるものではなかった。

 そうして包囲網を何とか潜り抜けたシュトロゼックであったが、彼には人並みのそれを安堵する暇さえ許されないのだろう。砲撃、誘導弾、バインドetc.次から次へと多種多様な、しかし「殺意」という一点において共通しているそれらが一切の容赦なく襲いかかる。遥か格下の存在であった筈の者達が振るう剣によって、絶対強者である筈の“闇の書の主”が滑稽にも踊らされ続ける。

 

 言わずもがな、これ程までに“都合の良い”状態が偶発的に引き起こる筈も無い。どれ程その人間性が劣悪であろうと、管理局の魔導師達が今相手にしているのは“次元世界最強”と呼ぶに相応しいだけの戦闘能力を有した闇の書の主なのだ。あらゆる物理法則を平然と捻じ曲げる程に圧倒的なるその力の前では、生半可な幸運や偶然といったものは存在しないにも等しい。真っ当な方法では、如何な正統精鋭な彼らといえでも足元以前の問題である。

 しかし、例えどれ程「闇の書」が強大な力を有し、また如何なるハッキングをも受け付けない複雑怪奇・堅牢強固なシステムを有していようと、人間の常識が通用しない存在であっても、それを操る「主」は間違いなく人間の――その位置がどうであれ、同じカテゴリに属する者。ならば、そちらから攻めればよい。カールソンが、そして管理局員達が思い至ったのはそんな考えであった。

 

 情を捨て誇りを捨てて、同じ獣の域にまで堕ちようと、共に地獄への道ずれとする。人道に則せば決して許されぬ外法。一言で完結に纏めるとすれば、「呪い」とでも言うべき代物。

 科学が著しい発展を遂げた今日日何を前時代的な と笑う者も当然いるだろう。しかし、リンカーコアの根源しかり、インテリジェント・デバイスの中核部(ブラックボックス)しかり。解き明かせぬものなどないと思える昨今においても尚、「未知」と呼べるものはこの世の中に確かにあり、呪いの様な非科学的なものの存在も決して否定しきれないのである。加えて、カールソンの用いた策は別に非科学的でも何でもなく、()()()()()()()()誰にだってできる程明快なものでしかない。

 長きに渡って魔力を流してきた自身の軀を回路に、生まれてより以来脈動を続けてきたリンカーコアそのものを燃料に。怒りと怨念、自身が溜めこんできた全ての感情を一つのベクトルへと束ね、思念通話等に用いられる技術の応用を以て“直接”相手に叩きつける。大規模儀式術もかくやの巨大な爆発(エネルギー)なぞ所詮はおまけに過ぎず、その真髄は対象の精神(こころ)を文字通り焼き尽くす事。そして、その目論見は見事に功を奏しており、一撃で廃する事こそ叶わなかったものの、既にその心をぐらりぐらりと揺さぶり、じわりじわりと蝕みつつある。

 これは、「闇の書」の根幹が、主と同化する性質を持つ融合機だからこその発想と言えよう。どれ程サポートやバックアップ等のシステムが整えられていようとも、それを操る主自体に「誤作動」が生じていれば意味は無い。常識的に考えれば、あくまでも闇の書自体は道具であり従属する存在であり、その本体は人間である主のみ。それを狙ったのがこの作戦であり、その結果が今の戦況なのである。長らく感じていなかった、また闇の書に選ばれてからは無縁だと思っていた「恐怖」を刺激された主――シュトロゼックは、迫りくる格下の者の殺意やそれを防ぎきれない自分等、身の回りのもの全てに対して“恐れ”を抱き、その足を竦ませているのだ。

 

 当然、人道に則しても、またそれを守るべき立場である管理局としても、この様な作戦が許される筈は無い。命を粗末にも使い捨て、あまつさえその犠牲を必要条件とする作戦。非殺傷設定の解除などは言わずもがな、どれをとっても懲戒程度で済まされるものでは無く、縦しんば勝利を得たとしても、非難と反発が四方から浴びせられるのは必至。最悪、彼ら自身が次なる咎人となってしまう事も十分に考えられるだろう。

 しかし、そんな事は“礎”となった隊長(カールソン)は勿論、下手人たらんとする局員達も承知の上。それで力無き人々の平和が、未来が守れるのであれば、喜んで畜生へと墜ちる。そして、悪鬼羅刹として“闇の書”の輪廻を根絶やしとする。それが、人々の平和と安息を祈る「管理局員」としての、彼らなりの覚悟なのである。

 

 

 

 

「いい加減……いい加減しつこいぞ! この虫けら共がぁっ!!」

 

 回す猿回しに 回される猿

 そんな、この場にそぐわない例えさえ想像できそうな戦況を崩したのは、怒りに吠えるシュトロゼックであった。「王」としての、強者としてのプライドが、屈辱極まるその扱いにとうとう我慢の限界を超えさせたのである。

 

 シュトロゼックの身体を中心として閃光が迸り、纏わり付いていたバインドも魔力弾も、その源たる局員達をもまとめて吹き飛ばす。

 ミッドチルダ式で言えばジャケットパージに当たるそれは、本来の用途は同じく緊急用であるのにも関わらず、担い手の地力故かその破壊力は正しく“破壊力”と呼ぶに相応しい代物。回避や防御により直撃した者こそいなかったが、決して途切れる事のなかった――途絶えさせまいとしていた攻め手を止ませるには十分過ぎるものであった。

 そして、何とか仕切り直し(リセット)を成功させた為か、纏っていた騎士甲冑を炸裂させた故に見目こそ良くないものの、シュトロゼックは漸く当初の冷静さを取り戻し始めた。勢いを挫き流れさえ取り戻せば、後は力の差でどうにでもできるという自信もあるのだろう。つい先程まで忌々しげに歪められ続けていたその口元にも、再びうすら笑みが戻ってきた。

 

 

「やれやれ、随分と手間取らせてくれたじゃないか。

 さて、この代償(つけ)をどう清算させてくれよう……か……?」

 

 いよいよ反撃――否、正しい上下関係の下「身の程」を再教育してやる と意気込むその言葉はしかし、シュトロゼック自身によって中断された。ようやっと行き場(はけぐち)を見つけたその激情を押しとどめたのは、ほんの僅かばかりの違和感。再び天へと立ち、見下ろす形となった管理局の凡骨達。見慣れた筈のその光景に、言いようの無い不安を感じたのだ。

 

 

「!?」

 

 だが、例え一瞬であっても彼の足を止めたその疑問は、それを疑問と認識する間もなく砕け散った。――シュトロゼックの胸より飛び出た、朱濡れの刃によって。

 

 

「馬鹿な……こんな、事が……」

 

 痙攣する体を何とか振り向かせたその視線の先に居たのは、管理局員の一人であり、前衛要員の中では最も若く未熟だと思っていた一人の少年であった。以前遭遇した時には、その無力さ故に刃を交えるまでもなく捨て置いた者。シュトロゼックにとってはその程度の価値しかなかった筈の若造。しかし、その彼は今一人の戦士となって、憤怒と決意の眼差しと刃とを以て、闇の書の主を深々と貫いていたのだ。

 これこそが“違和感”の正体。居た筈の人間が、何時の間にか姿を消していた。だが、そんな至極判り易い変化も、自身の力に絶対の自身を持つシュトロゼックにとっては路肩の石にも劣るものでしかなく――それ故に見落とした。

 おそらくはこの瞬間。シュトロゼックが冷静な判断力を失い、かつ防御が手薄となる千載一遇の瞬間の為に、戦いが始まった時よりずっと息を潜めていたのだろう。かつて己を歯牙にもかけなかった闇の書の主なら、そんな自身の事など意にもしない筈。そこに、必ず付け入る隙が生まれる筈。そう信じ、それを成す為、今まで耐え忍んできたのだ。慕ってきた師が自ら命を断った時も、戦友達が死に物狂いで追い縋らんとしている時も、共に戦場へ立つ恋人が傷だらけになろうとも、ずっとずっと、この瞬間の為に、必死に歯を食いしばってきた。そしてその果てに、少年は遂に勝利を得たのだ。あまりにも苦く、あまりにも虚しいその勝利を。

 

 

「アンタお得意の幻術でも、まして錯覚でもない。

 ――これが現実なんだよ、闇の書の王」

 

 ◇◇

 

 支えを失い、突き立てられた楔と共に力無く堕ちてゆく怨敵の姿を眺めながら、少年は一人、何とも言えぬ余韻に浸っていた。

 苦難の果てに、遂に管理局始まって以来の凶悪犯を打倒したのだ、後引くものが残るのも当然と言えよう。勿論、未だ封印などの事後処理は残ってはいるものの、それに関する専属のチームも後方には既に控えているし、何より本体たる闇の書は「物」に過ぎないのだ。世界を我が物にせんという欲望も、全てを破壊し尽くさんとする暴虐の意志も其処には無く、只々担い手の望むがままに秘められた力を解放するだけの存在。そう考えれば、或いは「闇の書」自身もまた被害者なのかもしれない。

 

 にも関わらず、全てを終えたにも関わらず、少年の胸にこみ上げるのは喜びでも達成感でもなく、果てなき虚しさと悲しさだけであった。無論、今しがた虚構の翼を失い地へ伏した闇の書の主が悪人である事に変わりは無い。強大過ぎるその力へ飲み込まれてしまった面は少なからずあるのかもしれないが、幾度となく制止を振り切り、何度もあった対話の機会を蹴り続けてきたのもまた彼なのだ。遺族だ何だといった被害者達は言うまでも無く、直接その手に掛けた少年もまた、管理局員として、また一人間として相応に主に対する怒りの感情はある。

 それでも、その巨悪を打ち果たした現実を喜ぶ事ができない。未だ若輩者である彼の立場を鑑みれば大金星とも言えるそれを、素直に受け取る事ができなかった。彼とて管理局員。この作戦に参加した時に、延いては管理局の門を叩いた際に一通りの「覚悟」は済ませているし、それは彼以外も同じ事。だが、例えそうであっても、この「勝利」の為に払った代償はあまりにも大きすぎたのだ。名も顔も知らぬ人達の正義の為に、強き縁で結ばれた人を犠牲とし、それでもなお平然としていられる程、少年の心は固くはない。

 そして、その吉凶を見定めるのは他ならぬ少年自身。部外者がどれ程口を挟もうと、最後の一押しは彼に委ねられている。選ぶのも、その責を負うのも全ては少年自身。この戦いを契機とし、その果てに壊れてしまうのもまた有り得る一つの未来なのである。

 

 

 だが、例え何を選択肢どの様な道を辿ろうと、一度結ばれた縁はそう容易く解けはしない。隊長(カールソン)(シュトロゼック)がその良い例だろう。“人間関係”とは良くも悪くもその人生を掻き回すものであり、縺れて絡まり固まった縁が首を絞めるというのも珍しい話ではない。金が切れても縁は切れず、地獄の果てまで憑いて回る。

 

 ――だからこそ、そこに“何か”が生まれる。決して解けぬ人とヒト。その間に、神と呼ばれた存在にさえ干渉を許されぬものが芽吹く。

 少年もまた一人では無い。結ばれた縁が、決して彼を独りにはさせない。そして、独りでないかぎり、人は決して孤独になどなりはしない。

 

 

「フォードっ!!」

 

 陰鬱としていたその背中へ軽い衝撃。少年が振り返ったその先には、あらん限りの力で命一杯抱きつく一人の少女の姿があった。

 平時は可愛らしいその顔も、今となっては煤や泥、鼻水等で酷い有様である。尤も、先の奇襲作戦において少年(こいびと)が負っていた責任と危険性とを鑑みれば、その心配も喜びも自然なものと言えるだろう。彼女が少年へと寄せる想いは、それだけ大きいのだから。

 

 

「クラ……失礼しました、ベルトーネ曹長。どうなされたので

 「心配……したんだから。

  ずっと……ずっと、心配してたんだから」

 クラリーチェ……」

 

 自らの手で触れ、無事である事を実感した事でとうとう限界を越えたのか、少女の目には大粒の涙が浮かんでいた。少年があやしてなければ、今にも声を挙げて泣いていた事だろう。

 だがその涙は、乾き始めていた少年の心へと、確かなる一滴の光をもたらすものでもあった。

 得られた物など無く、失った物はあまりにも大きい。だがそれでも、「守りぬいたもの」は此処にある。この広い世界と比べればあまりにもちっぽけかもしれないが、少年にとっては宇宙よりも重いものが、只その存在だけで、自身の行いが間違いではなかったと断言できる程のものが、今此処にはあるのだ。

 

 言葉にはせず、しかし万感の思いを乗せて、少年は小さな身体をそっと抱きしめる。思わぬ返答に一瞬驚く少女であったが、やがて彼女もまたそれを受け入れた。周囲にてそんな光景を眺める隊員(おとな)達はと言えば、大胆な行動に口元を緩ませたり、或いは顔を赤らめたり等様々な反応を見せつつも、しかし誰一人として邪魔をしようとする者はいない。皆等しく満身創痍の身ながらも、その幼いカップルにささやかなエールを送り続けていた。

 

 ――そうだ、守りたいものは此処に在る。

   そしてその想いは、隊長の志は、今もこうして自分達の中で息づいているのだ。

 

 

 

 

 

 

 嗚呼、もしここで、このまま幕を下ろす事ができたのならば、どれ程良かった事だろうか。例え陳腐で有り触れた結末(ハッピーエンド)であろうと、誰もが笑顔で居られた事だろう。

 しかし世界は、現実はどこまでも非情である。数えきれぬ程の幸福をもたらす大団円であろうと、それが二流品の域を越えられぬのであれば、断じて認めてはしない。破滅、絶望、終末。数多の歴史を食し舌の肥えた“世界”という名の美食家は、その程度では決して満足してはくれない。

 彼の者が欲するのは唯一つ。至高にして究極なる、その舌を震わせる刺激に満ちた一流品のみ。

 例え、それが救いの無い結末であろうとも。

 

 

 始めに、そして一人その“違和感”に気付いたのは少年であった。怨敵の遺体へと突き立てたままであった愛剣を思い出し、ふと下を見たのがその切欠である。

 既に決着は付いた。遥か眼下にあるのは、次元世界へ広く災禍をもたらし、しかし今や物言えぬ亡きがらとなった闇の書の主のみ。それが現実であり、こうして目に映るものこそが事実の筈。にも関わらず、その光景に、自身の視覚が捉えるそれに、形容し難い違和感を覚えたのだ。

 

 昂った感情による錯覚か。はたまた、未だその手へ残る感触が見せる幻か。

 取り留めも無く浮かぶ思考の泡粒。しかしそれらは治まる事もなく、直に飛沫となって消え果てた。――少女共々その身体を貫いた一筋の刃……少年の愛剣によって。

 

 

 

 

「……中々、気迫の籠った一撃だったよ。正直に()()()()と賞賛しよう。

 その返礼という訳ではないが……せめてもの情けだ、二人仲良く送ってやる事としよう」

 

 少年の耳へと最期に聞こえてきたその声は、ある筈の無い――こうしている瞬間においても尚、眼下にて躯となっている筈の者のそれであった。しかし時すでに遅く、その理由を考える間もなく少年達は嘗て人間であった物体へと姿を変えた。

 

 人間二人程度の重量を有した物体が大地へと叩きつけられる音の後静寂。悲鳴の一つも上がらなかったのは、目撃者達の胆力が特段優れていたという訳では無く、単に彼らの思考が目の前の出来事に追いついていなかったが為の事だろう。

 その“惨劇”の中心において、下手人たるその男……()()()()()闇の書の主は、血濡れの剣――つい先程まで自身を貫いていた少年の剣を無造作に投げ捨てると、静かに、しかし勝ち誇るかのように宣言した。あたかも“王”か何かの様な尊大なる態度で。

 

 

 

「ああ、先程の言葉。そっくりそのままお返ししよう。

 ――理解したかな? 幻術(ゆめ)でも錯覚(まぼろし)でもない。これが現実だ」

 

 ◇◇

 

「いやはや、まいったね。

 今更何をされても驚くつもりはなかったんが……一体、何をしたんだい?」

 

 沈黙を崩したのは、口火を切った時と同じく副隊長の言葉。しかし、口調こそ何時も通りの飄々とした体ながらも、その瞳にはらしからぬ明らかな動揺の色が浮かんでいた。

 だが、それも当然と言えよう。単なる視覚情報だけならばまだしも、“主の死亡”は魔力反応等でも確かに確認し、それも一人二人だけではなく局員の全て、更には後方で控える支援部隊においても確認していたのだ。何より、此処にいるのは何れも精鋭――単なる学校での成績ではなく、相応の修羅場を乗り越えてきた実績や、それに匹敵するだけの才能・気迫を有している者達ばかり。小手先だけの幻術程度で欺ける相手ではないのだ。にも関わらず、誰一人として今目の前にある事実へ気付く事ができなかった。それこそ、主自身がこうして自ら姿を表さなければ、一生“真実”を知らぬままであったかもしれない程に。

 

 未知とは即ち恐怖。今この場にいる局員達は、間違い無く闇の書が主に“恐れ”を抱いていた。

 

 

「ほう、ならば君達は、あの程度の策で本当に倒せると信じていたのかな?

 闇の書の王たる、この私を」

「……答えに、なってないよ」

 

 獲物を狙う蛇よろしく、局員達が抱いた恐怖心を敏感に嗅ぎ取ったのだろう。実に嬉しそうな表情と共に、言葉の槍を以て追い打ちをかけるシュトロゼック。思わず漏れ出た副隊長の返答も、今の彼にとっては何よりの口実(えさ)でしかない。その言葉を待っていたと言わんばかりに、シュトロゼックは局員達へと語り始めた。

 

 

「やれやれ……どうやら、私は君達を買いかぶっていたらしいな。

 ――何も。そう、何も特別な事などしていない。

 私は只、無知なる君達へと“世界の真理”を垣間見せてやっただけに過ぎない」

 

「絆、結束、信頼。大いに結構。

 しかし、そんなものは所詮、力無き者達が弄する小細工でしかない。

 「本物」の力の前では、藁にも等しい脆弱な繋がり(もの)でしかないのだよ。

 この結果が何よりの証拠だろう?

 私の力は、君達が盲信して止まない「絆」さえも容易に欺けるのだからね。

 だが、何も恥じる事は無い。こうなる事もまた必然なのだよ」

 

「考えてもみたまえ。君達の絆とは、その土台となる五感とは、

 紐解いてゆけば所詮只の電気信号が生みだす虚像であり、空虚なる幻覚だ。

 そこにある信頼性なぞ、君達が後から勝手に付与した意味付け(おしつけ)でしかない。

 その実態は今しがた見せた様に、容易に操れる程に軽いものでしかない。

 世界とは、須らくそういうものなのだよ」

 

 困惑というよりも茫然。あまりにも突飛過ぎるその話へ着いてゆけず、茫然とする局員達。しかし、それでもシュトロゼックは構わずに言葉を続ける。口調こそ諭す様な形ではあるが、そこに教え与える意志などは欠片たりとも存在してはいない。

 反応を求めていないのは、元よりそんなものを期待していないが故。無知な存在として見下し、一方的に語るという行為自体を愉しんでいるが為の事。

 

 

「常識という小さな枠へ囚われるな、神の視点を持ちたまえ。

 この世の全ては必然であり、あたかも台本の定められた物語の様に、

 万事がその役割をこなしているだけに過ぎないのだよ。

 君達がそうやって力を合わせ、そして破れるのもまた必然、なるべくしてなっただけの事。

 この世界そのものが、気まぐれなる神々が用意した(ごらく)では無いと、誰が断言できるのかね?」

 

 

 

 

「納得するつもりなんてのは更々無いけど、君が言いたい事は概ね把握したつもりだよ。

 ……でもそうなると、君自身もまた劇上に立つ“役者”の一人でしかないんじゃないかな?」

 

 だから、お前も分をわきまえろ。

 そんな意味合いが込められた副隊長の返答を契機とし、それまで呆けていた局員達が再び武器を構える。勝算など関係ない。何であれ生きていたのであれば、もう一度黙らせるまでの事。消えかけていた灯が再度猛り始めていた局員達の頭にあるのは、極めて単純なるそんな考えのみ。

 しかし、それに対するシュトロゼックの反応は、己が言葉を理解できない者達への“呆れ”でさえもなかった。呪文を紡ぐのでもなければ、杖を構える事さえしない。只、笑みを浮かべるのみ。

 

 それを、うすら寒いその表情を認識したその瞬間、臨戦態勢であった局員達は、全神経を張り巡らせていた精鋭の魔導師達は、まるで繰り糸が切れた操り人形かのように、四肢の力を失い舞台の下へと堕ちていった。

 何故 どうして 何が 

 思考するという思考さえ思い浮かばず、只々物の様に、自然の法則のままに流されてゆく。

全てを喪失した彼らが「死んでいる」事に漸く気付けたのは、大地と引力とにより自らの軀が潰れる感触を味わった時であった。

 

 

「分をわきまえるのは君達の方だ。

 君達は舞台上で踊る道化であり、私はそれに意味(いのち)を吹き込む脚本家(かみ)だ。

 ――私にはあるのだよ、君達(どうけ)の全てを意のままにする権利(ちから)がね」

 

 

 ◇◇◇

 

 

「……マクラーレン三佐以下11名、反応消失しました」

 

 淡々と、しかし微かに震える声で紡がれた報告に続く言葉は無い。モニター越しに繰り広げられた“惨劇”を目の当たりとすれば、その沈黙も致し方ないだろう。

 彼・彼女達とてその道の第一人者。闇の書と、その主が有する戦闘能力等は重々承知している。だからこそ、こんな作戦を立てた。不退転の覚悟で、文字通り全てを投げ打ってきたのだ。だが現実は、その行いの全てを、彼らの想いさえも嘲笑うかのような結果であった。どれ程強い意志で身を固めようと、彼らもまた人間。全てを捨てても尚人間は辞められないが故に、突き付けられた現実(それ)に対し“絶望”という感情が湧き起こる。身を苛まれる絶望を絶望と認識できる事もまた、ある意味では人間の証明であると言えなくもないのかもしれない。

 

 しかし、それも一瞬。漏れ出そうになる嗚咽を堪えながら、局員達は自身次の工程へと取り掛かる。喪に服す事さえしないそれを非情と捉える事もできるのかもしれないが、今はそんな暇さえ惜しいのもまた事実。強いられた「犠牲」を無駄にしない事こそ、残された者達の役目なのである。

 

 

「全セーフティロック解放、問題無し」

「制御システム回路接続、問題無し」

「出力安定、エネルギー充填開始」

 

 惨状の上へ君臨するその元凶を横目に捉えつつ、一心不乱にコンソールを叩き続ける局員達。悲願は依然変わらず、その目的は唯一つ。最後の切札、公には「開発中」となっている試作型の艦載兵器――この戦いを終わらせる為の「鍵」を起動させるべく、各々がその役割を進めてゆく。

 元より期待はしていない交渉と、持てる全てを注いだ討伐との全てが失敗に終わった際の為に用意された、正しく最後の手段であるそれは、Ⅳ級巡航艦でようやっと積めるだけの規模と、艦の動力の殆どを食う膨大なエネルギー消費、更には解かせるつもりが感じられない程に難解なセキュリティ等のデメリットに違わぬだけの絶大な、絶大と形容する他無いだけの威力を有している「兵器」。弾体自体に攻撃能力を持たせるのでははく、付与されたシステムにより対象範囲の空間そのものに働きかけ、「破壊」ではなく「消滅させる」という、従来までの基本であるエネルギー系兵器とは根本から異なるものである。管理局として現在唯一闇の書へと有効打を与えられると目算されているものであり、旧暦以来長らく「歴史」として眠りについていた遺物。同じく古き時代より続く因縁へと終止符を打つべく、此の度それを歴史の片隅から引っ張り出してきたのである。

 

 勿論、それを使うに当たっての「保証」など何もない。理論上は成立しているとはいえ、「時空管理局」としては一度たりとも実際に運用した記録など無いし、兵器の性質上、万が一にでも失敗すれば即ち大惨事へと繋がるのだ。

 加えて、仮に“成功”したとしても、その引き金を引いた者が、GOサインを出した者達が社会的に無事で居られる可能性は極めて低い。事が事だけに、帰還すれば当然公にせざるを得ないのだが、そうなればその「手段」を問われるのは自明の理。乱世における悪魔の兵器を呼び覚ました者達として、或いは直接刃を以て幕を引いた場合以上の糾弾を受ける事も想像に難くない。

 そんな現実に対し「身勝手」という感情も当然湧くだろう。だが、喉元を過ぎた恐怖の温かさを保つのは、それを口にする事より遥かに難しいのだ。闇の書が引き起こす事案は何れも「根絶やし」同然の凶悪さであり、かつ発生する周期にはかなりの隔たりがある。今こうして相対する者の中においても、“実際に”闇の書が脅威と対面した経験があったのはそれこそ老齢の隊長ぐらいのものであり、例え管理局全体を見回したとしても、それこそ数える程も居ないのだ。お伽噺同然の脅威(そんざい)へ警鐘を鳴らすなど、大衆にとっては道化以外の何者でも無いだろう。

 

 幾ら警察的機構とはいえ、縁もゆかりも無いような事件(もの)の為に命を賭け神経をすり減らし、しかし一切の賞賛も無くあるのは安全圏からの一方的な非難のみ。管理世界は元より、そういったものと未だ縁のない管理外世界であっても真っ向から異を唱えたくなる、そんな理不尽。だが、そんな事はこの場にいる皆が承知の上であり、その事実を知りながらも、誰一人としてその作業の手を止める事は無い。

 例え剣を持たず、戦場を翔けずとも、彼らもまた散っていった者達と同じく戦士。その内へ宿す闘志に貴賎は無く、その道を志した原初の信念に嘘偽りは無い。その魂は、彼ら人間の持つ“輝き”は、如何なる恐怖や理不尽にさえも打ち勝てるだけの可能性(ちから)を秘めているのだから。

 

 

 そうして黙々と、しかし確固たる意志を以て進められてゆく“詰め”の一手。だが、滞りなく事が運ばれる中において唯一人、その女性――時空管理局・巡航Ⅵ級9番艦「ルクレツィア」の長を任せられている人物だけが、自席にて顔を伏し沈黙していた。

 その理由はと言えば、彼女――若き艦長が、この場にいる者達とは多少ばかり毛色が違う為であろう。他の面々が少なからず「打倒」の言葉で取り繕った負の感情により動いている中で、彼女だけは唯一人、最後まで闇の書の主との交渉、和解の余地を信じていたのである。彼女自身、その為にこの役目を引き受けた節がある程である。だからこそ、自身の信じていたものが容易く蹴散らされ、あまつさえ慕っていた人物が無残にも散っていった事が大きなショックだったのである。

 

 彼女の持つ「甘さ」と態度は、張り詰めたこの場(せんじょう)においては不適切と思える程に違和感があるのもまた事実。しかし、誰一人としてそれを咎めたり、或いは陰口叩くような事はしなかった。

 確かに、彼女の姿勢は戦闘者としては“温い”ものなのかもしれない。だがそれは、「管理局員」として、また「正義の味方」としては正しき姿でもある。唯でさえ修羅の道へ堕ちつつある他の局員達は、それこそ彼女の存在が無ければ「唯の人殺し」にまで身を窶していた事だろう。彼女の甘い、人間を信じ続けるその心こそ、ある意味では局員達を「人間」に留まらせていたともいえる。

 

 

「……全工程、間もなく完了します。

 艦長、承認キーのご用意を」

 

 故に、内心において感謝こそすれ、本心としては決して軽んじたり、蔑んだりはしない。それは、平時では冷たい程にそっけない態度を取るこのオペレーターも同じ事。決断を要する場面において愚図ついたり、非情さが求められる時に綺麗事ばかりを言う艦長へ厳しい事を何度も言いはしたものの、その内心では隊長とは別ベクトルで、同じくらいに尊敬しているのである。

 だからこそ、その“引き金”を引かせる事も、内心では非常に心苦しい。

 その規模と威力故に、ハイ/ロ-の両面において厳重なセキュリティが掛けられているのは当然の事。そして、最後の「鍵」はこの場において最も地位の高い者……つまりは、誰よりも優しい艦長へと委ねられる。そんな彼女が、闇の書の主を仲間の遺体諸共焼き払わねばならないのである。促す立場であれば、心苦しくもなるだろう。

 

 

「……艦長?」

 

 だがそれでも、引き金を引かなければならない。そうしなければ、本当に犠牲が無駄となってしまうから。また、同じ悲劇が繰り返されてしまうから。

 故に、彼女は今一度問いなおす。もしかしたら、何時も異常に厳しい物言いとなるかもしれない。けれど、それでもやってもらわなければならないのだ。だからせめて、それだけの「覚悟」を有していると信じて、これを乗り越えて尚、彼女が彼女で居られる強さを持っていると信じて問いかけた。

 

 

 

 

「ああ、済まないがソレの使用は認証しかねるな。

 無知な存在が振るう武器ほど、この世で危険な物は無いからね」

 

 しかし、返された答えは、そんな祈りを纏めて凍てつかせるだけの絶望に満ちたものであった。

 

 ◇◇

 

 放たれた声に、()()()()()()その人物の発言に、局員達の手が止まる。しかし、注目(しせん)を集めた当人はと言うと、乱れ一つ無い騎士甲冑の上から提督用コートを羽織り、艦長席において自然体。どこから持ってきたのか、片手では管理局の正装用の帽子を玩び、まるでそこが最初から自分の居場所であると 言わんばかりの態度であった。

 

 そんな馬鹿な ありえない

 各々が様々な表情でその光景を目撃しつつ、抱く感情は共通しており、また彼らにしてみればそれこそが当然の感想でもある。

 モニターには依然としてシュトロゼックの姿が映し出されており、それは単なる映像のみならず、種々の観測機器が導き出している結果でも同じ。間違いなく、闇の書の主は彼らの足元より遥かに下、管理外世界の地表に「居る」のだ。人間や各々が携帯するデバイスといった、比較的外的要因の影響を受けやすいものとは訳が違う。どれ程外面を取り繕い、またその感覚を欺こうと、全てを等しく、まるで其方こそが真実であるかのように演出するなど到底考えられないし、それは最早「欺く」という次元を遥かに超えている。

 加えて、場所が場所である。現在彼らがいるのは、武装局員達が戦っていた管理外世界の衛星軌道上に位置する次元航行艦の、様々なセキュリティが施されたそれらの中でも一際厳しい「頭脳」に当たる場所。単純な飛行は言わずもがな、転移などを以てしてもそう容易に入り込める場所ではないし、何よりシュトロゼックはつい先程まで眼下で戦闘を行っていたのだ。如何に闇の書の主とはいえ、大規模な転移術を準備する暇は無かった筈であるし、仮に予め用意していたとしても、文字通り「一瞬で」場所を移すなど到底考えられないのだ。それこそ、()()()()そこに居ない限り。

 

 

「そんな……どうして。

 一体、何で……」

 

 無論、そんな事は例え普通ではなくとも「あり得ない」。綴り手の望むがままにできる御伽噺の中ならばまだしも、ここは条理や法則で律せられ、それによって成立している現実の世界。どれ程膨大な魔力を有していようと、人知を超えた高い制御能力を有していようとも、単なる力押しだけでは決して叶えられないものが、この世の中には確かに存在しているのだ。

 しかし、それを闇の書の主は成し遂げた。時間や空間といった神聖不可侵なる「壁」を、局員達の目の前で越えて見せたのだ。オペレーターの口から、思わずそんな疑問(よわね)が漏れ出たのも仕方の無い事だろう。己の理解が及ばぬ存在に対して、人間という生き物はどこまでも無力なのだから。

 

 

「「どうして」、か……中々に面白い事を言ってくれる。

 いや、君達にとってはそれが普通であり、限界でもあるか」

 

 懇願にも似たその問いかけに対し、嘲りと満足の表情を浮かべるシュトロゼック。その姿は、一瞬でも隊長へ“恐れ”の色を見せた事が、その全てが演技(いつわり)であったのだと、そんな確信を抱かせるには十分過ぎるものであった。

 

 怒り 恐怖 憎悪 etc.

 様々な感情が渦巻きつつ、しかし律儀にも大人しく回答(こたえ)を待つ局員達。それはまるで、良く訓練された……頭を垂れるべき相手が持つ“恐怖”を、骨の髄にまで染み込まされた動物の様にさえ見える。

 そんな光景を見届けたシュトロゼックは、一頻りその優越感を愉しんだ後、哀れな子羊達が求めてやまない“(こたえ)”を口にした。どす黒い腹の底より湧き出た、この上無く邪悪なる笑みと共に。

 

 

 

「ならば、逆に尋ねよう。

 ――()()()()、此処にいるのが“本物の”艦長であると錯覚していた?」

 

 その言葉で、彼女達の心は完全に折れた。

 虚ろなる身と成り果てた局員達は、最早自らで思考をする事も儘ならぬ人形にも同じ。全工程を終え、引き金を引くのみとなった艦載兵器がGOサインを出そうと、艦のレーダーに味方のものではない影が映ろうと、シュトロゼックが虚空より十字杖を取りだそうと、ぼんやりと目の前の視覚情報を(レンズ)で受容するのみ。

 彼女達が抱き、信じ続けてきたその「信念」は、単純かつ絶対的なる「力」の差を前に、只々沈黙し続ける事しかできなかった。

 

 

 

「『あり得ない』という事象それ自体が「あり得ない」。

 幼稚な言葉遊びではあるが、私の世界にとってはそれこそが絶対なる法則(ことわり)なのだよ。

 尤も、君達では理解の及ばぬ事ではあろうし、もう関係も無くなる事だろうがね」

 

 

 

 そうして、次元世界の片隅で一つの部隊が姿を消した。

 しかし、その事実は歴史はおろか、管理局の記録にさえ残る事はなかった。そもそもが「最初からいなかった」者達であったのだから、或いはそれも必然なのかもしれない。後に残る「真実」は、只試作型の“何か”を搭載する“予定”であったⅥ級の次元航行艦が一隻、“諸事情”により廃棄されたという事実のみ。

 戦いの歴史とは敗者の歴史。戦場に散っていったその魂が礎となり、勝者の手により紡がれるものこそが“歴史”となる。だが、物言えぬ敗者は勿論、勝者となった者達にその心得が無くては、歴史は歴史として成り立ちはしない。今回のそれもまた同じ事。悲しき信念を背負い戦った者達の存在は、歴史の闇となる事さえ叶わず、永劫なる刻の狭間を彷徨い続けるのである。

 ――唯一つの“例外(イレギュラー)”を除いて

 

 




 前後篇ですが、今回の更新はここまでです。
 後半についてはなるべく早く上げるつもりです。
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