(略)のはAce -或る名無しの風-   作:Hydrangea

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当初の予定を変更しての完全新規話にてお送りいたします。これもうリメイクどころじゃねぇじゃん……
あと、今回もまた行間その他を意識して変えてみました。良い塩梅が見つかれば、執筆の合間を縫って既投稿分も随時修正してゆくかもです



 Hund von heute

 『盾の守護獣』たる自身の朝は早い。

 それが刻み込まれた「守護獣」としての本能(プログラム)なのか、はたまた「ザフィーラ」という個体が持つ性格故のものなのかは判らない。しかし、今日もこの身体は自然と夜明けに先んじて動きだしており、そんな習慣を特段変えようとも思わなかった。

 

 未だ夢の中漂う同居人達を起こさぬよう、足音を殺して部屋を出る。足取りが緩やかなのは、かく言う自分自身もまた完全に目覚めきっていないが為の事だろうか。

 一歩、また一歩と廊下を進み、鼻先で解錠、外に面した大窓を前足で押し開け庭へと出る。「大型犬」としては聊か器用すぎるかもしれないが、ノブを回さなければならない玄関扉よりは遥かに現実的であろう(尤も、本来ならばこの姿であっても扉の一つ程度造作もないのだが)。

 

 そうして外気を肺へ十二分に取り入れた後、頃合いを見計らって正面玄関へと回り、そのまま暫し「待て」の姿勢で鎮座する。与えられた役割故か、こうして黙し続ける事もそう苦痛ではない。

 待つ事数分。自然と耳を傾けていた小鳥の囀りを吹き散らすかのようにして、威勢の良い車輪の音が遠方より聞こえてくる。目線を横にすれば、“見知った顔”は既に視界の端へ映り始めていた。

 

「おはようザッフィー! 相変わらず朝早いね。

 ハイ、これ今朝の分ね!」

 

 まるで風そのものであるかのように、欠片たりとも自転車の速度を緩めず、しかし正確に職務を遂行してゆく赤茶色の髪の少女。言葉を返す間も無い(そもそも対外的には「返せない」のだが)一瞬のすれ違いではあるが、投函され(なげいれられ)た新聞と響き渡る髪飾りの鈴の音が、少女と自分との間にある確かな縁の証明となっていた。

 

 この朝刊の回収もまた、今の自分の務めの一つであり、先の少女との出会いは、それが齎した結果の一つである。

 「犬」としては大きすぎるサイズ等もあり、当初こそあからさまに警戒されてはいたが、恐らくは彼女自身中々に肝の据わった性格であったのだろう。今ではすっかり「賢いワンちゃん」程度の認識に納まっており、また世間から“そういった風”に扱われる事に対して、何処か慣れてしまっている自分もいた。

 

 

 新聞を居間へ置き、ゴミを集積場へと出して帰ってくれば、丁度他の家人達も床から覚める時分となる。

 未だ夢現の者も多いが、中には既に覚醒し、己へ課した「務め」を果たさんとする殊勝な者もいる。庭先より聞こえてくる風切り音は、その筆頭にして唯一の例である。

 

「……朝早くから精が出るな、シグナム」

「ふっ! はっ! ザフィーラか。

 どうにも、ふっ! 時折こうして剣を振っていなければ、調子が狂うからな。はっ!」

 

 小豆色のジャージに身を包み、唯只管真っ直ぐと竹刀を振り続けるは、我らが守護騎士の将たる烈火の剣士・シグナム。

 誰よりも騎士であり、また剣士でもある彼女は、こうして戦いとは縁遠い世界であっても、己の為……延いては敬愛する主の為、時折こうして剣を振っている。「そんなの日」の彼女の朝は、それこそ自身のそれに勝るとも劣らず、或いは魁の座を明け渡す事すらある程である。

 

 身内の評価にはなるが、そうして己を律し続ける彼女の姿は、掛け値なしに「美しい」と断言できるものであった。そういった事には疎い自分ではあるが、或いはだからこそ、その程度が推し量れるだろうか。

 その凛とした横顔からは、とてもではないが常日頃の…………いや、みなまで言うまい。そういった「差分」もまた、彼女の持つ人間味であり魅力であるのだろうから。

 

 

「……ふぅ。

 さて、待たせて済まなかったな。今日も行くのだろう?」

「うむ。此方こそ済まないな。毎度付き合わせてしまって」

「なに、我々の仲だ。そう気にする事もあるまい。

 何より、“家族”が通報されかねない事案を見過ごす程、私は性根腐ってはいない」

 

 早朝の出来事からも察せるとは思うが、今代此の世界における自分は、世間一般にとって「八神家の飼い犬」という立ち位置であり、自然、そこには「散歩」という習慣が伴う事となる。事実、今日の様な早朝であったり、或いは夕暮れ刻におけるそれは、自身のみならず家族にとっても、最早日常の一部と化している。

 

 だが、当初そこには一つの問題点があった。

 そもそも、今代の主・八神はやての故郷たる日本という国は、(少なくとも表向きには)大層平和な国であり、また在り難い事に、現在住まう海鳴という町もまた、争乱はおろか大きな犯罪とも縁遠い安らかな地であった。

 しかし、それは翻せば、どれ程些細な事であっても大事に()()()()()()という事でもある。あくまでも“例えば”の話ではあるが、仮に長閑な街並みを獰猛な肉食獣たる狼――それもかなりの大型の一頭――なんてものが自由気ままに闊歩しようものなら、それこそ町を包む一大事にまで発展するだろう。言わずもがな、それが「大型犬」であったとしても、幼子もいる町中を首輪も付けずに放っておくのは重大なマナー違反であり、「飼い主」の責任問題となるのは自明の理。

 

 つまり何が言いたいのかと言うと、自分がこうして散歩一つするにしても、「同伴者」の存在が不可欠 という事である。

 ここで「ならば人間の姿で行けば良いじゃないか」と考えるのは非常に浅はかであり、また残念ながら的外れな思考と言わざるを得ない。必要なのは「八神家の犬が散歩をしている」という事実であり、「時折ふらりと姿を見せる、八神家唯一の男性住人」ではないのだ。

 我ながら、面倒な事だとは思いもする。しかし、それが平和な世界における「世間体」というものであり、また「近所づきあい」というものらしい。戦いしか知らなかった思考回路を振り絞って、我々はそう結論付けたのだ。

 

 ともあれ、色々と理屈を並びたてつつ、自分がこの一時を楽しみとしているのもまた事実。

 特に、一日の始まりを迎えた街並みとその空気が持つ清々しさは、これまで(よる)の中でしか生きられなかった自分達にとっては何にも勝る爽快な刺激であり、個人的には、間違いなく三文以上の価値があると言い切れるものでもあった。

 今日の様に同伴する事の多い(シグナム)は勿論、諸々の偶然と必然とが重ならなければ機会に恵まれない残り二人にとってもそうであると信じているし、またそうであってほしいと、私は密やかに思ってもいるのだ。

 

 

 ▽

 

 

 そうして、一月以上経っても尚褪せぬ心地良さを満喫し終えた頃になれば、既に明かりの点いた“我が家”より鼻腔を擽る香りが漂い始める頃合いとなる。

 思えば、この「食事」という習慣にも、自分達は随分と慣らされてしまったのだろう。データにより構成される仮初のものとはいえ、その刺激を引き金に蠢き始めた胃袋(はらわた)が、否応無しにその調教具合を物語っている。

 所詮は見栄えを取り繕う為だけの機能(まやかし)。しかし、この限られた期間でそれだけの反応を植え付けられたのは、偏に主の熱心な勧めと素晴らしき腕前あっての事だろう。

 

 厨房へ立つ小さな主へ挨拶を済ませ、手を洗った後に配膳の手伝い、自然と決まっていた各々の席へと着く。

 既に新聞を広げている者、未だ眠たそうに目をこすっている者、そんな“家族”を微笑ましげに見守っている者。出自が何であれ、そこには十人十色の“個性”があり、主が欲していたであろう「家庭」に近しいものが、確かに存在していた。

 

 そして、そんな「家庭」において“守護獣”たる自分はというと、扉の外で黙すのでも、床に伏して平皿を乞うのでもなく、獣としての耳と尾と納め、「人間」として卓へと着いていた。

 今更論ずるまでもなく、自身の本質はあくまでも狼であり獣。必要に応じて人の姿をとりもするし、爪も牙をも失った家畜に堕したつもりも更々ないが、どちらかと言えば先の「八神家の犬」こそが、より現実には近しい在り方なのである。

 

 しかし、それを理解して尚……己が領分を逸脱する行いである事を承知しながらも、自分は人間の姿を以て此れに臨んでいる。

 食事だけではない。守護騎士が交代で受け持つ主との入浴や、或いはちょっとした近場への買い物等、日常における様々な場面において、獣としての自分と同程度に、「人間としての自分」が存在しているのである。

 

 女性ばかりの家において男一人というのは、双方向で気を使いそうなものではあるのだと思う。しかし、他ならぬ家主が「一人ぐらい男の人が居たって良い」という発想(わがまま)の持ち主でもあるのだ。

 如何に騎士四人を纏めあげているとはいえ、主もまだ幼い身。恐らく、そこには早くに亡くしてしまい、それ故に十分な時間を得られなかった両親の存在があるのだろう。主として、また敬愛する一人の人間として、元より異を唱えるつもりもないのだが、こんな自分であっても足りるというのならば、喜んで男親の変わりとなろう。

 そういった事情もあり、少なくとも食事時においてはほぼ必ず人間態を保ち、獣としてではなく、一人の人間としてその団欒へと加わっているのである。あまりにもその状態で馴染み過ぎてしまった為、「もうどちらが本体なのか判らない」とは仲間の弁である。

 

 

 寝起きもあって“和気藹々”とまでは行かずとも、しかし穏やかなる一時にも区切りが見え始めると、決まって廊下から流れてくる一つの影がある。

 “この世界の常識”に当てはめれば所謂「ホラー」にでも該当しそうなそれはしかし、この家の住人にとっては最早見慣れた日常の一部。“それ”に対し声を掛ける事はあれども、一人として慄き箸を止めはしない。

 

 八神家における“それ”――『闇の書』の扱いは、「犬」である自分が言うのも奇妙であり、またそれを差し置いて という話にもなるが、専ら愛玩動物(ペット)にも似たものとなっている。少なくとも、自分達と同様同程度の人格と人間性とを有しているとは思われていないだろう。

 そして、本来ならば「消耗品」に過ぎぬ守護騎士(じぶんたち)より遥かに重んずるべき、古代ベルカの至宝が「そんな扱い」に留まっているのは、偏にその常日頃の行動に依るものが大きい。

 

 融合機(デバイス)たる書の「あるべき場所」とは、当然ながら主君の傍らである。まして、その重要性や現在の主の戦闘能力とを鑑みれば、まず安易に離れるべきではないだろう。

 が、現在の書は兎角落ち着きに欠けており、突飛な行動に出る事も決して少なくはない。

 ふらり姿を消したと思えば衣装箪笥の中に埋もれている事など序の口であり、縁あってケーキを譲り受ければクリームへと吶喊し、干していた布団を取り込めばその間へと挟まっている事も屡。そして、我々が遊戯に興じていると、「自分も混ぜろ」と言わんばかりにその輪へ加わらんとするのである。(加わる事それ自体は一向に構わないのだが)

 騎士どころか忠犬でさえなく、さながら気ままな猫か何かといった所であるそれが、愛玩されこそすれ大役を仕られる筈も無し。古代遺物の頂と呼んでも差し支えない逸品も、今世当代にあっては「風変りなマスコット」程度でしかないのである。

 

 

 これまでも「そう」であったのか。それとも、今回のみが「特別」なのか。それは、悠久の時を共に歩んできた筈の自分達でさえも判らない。

 そもそもが守護騎士とは一線を画す存在故、基礎(プログラム)の段階から我々と書との間には大きな隔たりがある。しかし、それを差し引いたとしても尚、書には多くの「謎」が存在している。そしてそれは、単なる情報や知識の不足・欠落といったものに留まらないのだ。

 

 時折、ふと書がその動きを止め、何をするでもなく黙し続けている事がある。そして、そんな書の姿を見ていると、えも言われぬ不安――自分が自分で無くなるような、底知れぬ感覚――がこみ上げてくるような気がしてならない。

 

 そも、そんな機能が存在しているのか。存在しているとして、何故自分に働くのか。その感覚の正体は。どうしてその様な事が起きるのか。

 湧き上がる疑問は尽きず、解明の糸口は欠片として見つからず。ただ、厚い「謎」だけがカバーとなってその嵩を増してゆく。そんな極めて個人的な感想こそ、何よりも身近である筈の書に「よく解らない」という一段下がった評価を付けさせている要因でもあるのだ。

 

 

 とはいえ、それが態度や行動に現れる事もなく、またこの家における絶対的な評価でもない。

 仲間内で共有している訳でもないが、先のそれはあくまでも個人的な考えに過ぎず、主が提唱する「マスコット」という認識に異論は無いのだ。今こうしている間にも隣席のトースト(ジャム付き)へ頭から飛び込んでいったが、直接的な被害は回避できた故不満も無い。あるとすれば、騒がしくてニュースが聞こえない程度の事。

 

 そう だから これで良いのだ

 

 

 ▽

 

 

 朝食、またその片づけを終えれば、各々へ割り振られた「仕事」の時間が幕を開ける。

 ある者は掃除洗濯といった典型的なる「家事」を、またある者は、さながら小学生が日課とする朝顔の生育の様な……もとい、細やかながらも立派なる「家庭菜園」の世話を、といった様に、少しでも朝の涼しさ残る内に、或いは午後を気ままに過ごす為に、自らの「日課」へ取り組んで往くのである(一部「例外」も存在はしているが、その名誉の為詳細は伏す事とする)

 

 無論、務めを負っているのは主とて例外ではない。これまではどれ程求めても得られなかった「遊び相手」という至上の宝を傍らに置きながらも、決してその誘惑に流される事なく、「何時か学校に戻れた時のために」と、日々通信教育に勤しんでいるのだ。

 年齢を考慮すれば十分利発ながらも、慢心する事なく目標の為努力を重ねられるその姿は、主として、また一人の人間としても尊ばれるべきものであろう。

 

 その“目標”への道程を妨げている最大の要因が一つへ関係するこの身にあっては、そんな主の健気なる姿勢も心へ突き刺さるものとなる。が、心優しき主のこと、例え一切の非無くしても、自分達のそんな苦悩を、自らのそれと同様に抱えてしまうのは明々白々。

 故に我々は、そんな自分達の「罪」を数えて尚、それについて言及する事はせず、しかし影ながら力となれるよう、これまで幼き主が一日の大半を費やしてきた家事その他を分担するようにしたのである。

 

 

 「唯一の男性」となる自分へ割り振られる役割は、自然と力仕事に関するものが多かった。

 実際、日常生活で必要となる程度であれば、性別や体格の如何を問わず、騎士の誰であろうと魔力による強化で事足りる。とはいえ、ここでは基礎スペックにおける馬力の差以上に、「男手という存在」が求められているのだ。例え数値上では実の無い采配であったとしても、その行いに意味が無い筈がない。

 

 尤も、そもそもが「9歳の女児一人でも賄える」よう整えられていたこの家において、男手が必要となる場面はそう多くは無い。精々が時折声を掛けられる程度であり、そんな力仕事だけに限定していれば、午前の大半は無為に過ごすだけとなっていた事だろう。

 故に自分は、倉庫の片隅にて眠っていた工具一式を引っ張り出し、平時は専ら素人なりの日用大工へ時間を費やしていた。

 始めは加減さえ判らずに苦慮してはいたものの、これが慣れれば存外に楽しいものであり、先日も中々に見られる「ザフィーラ」用の犬小屋を完成させたばかりである。(これについては、かねてより仲間の一人から大層からかわれていたものでもあるのだが、竣工時に“意趣返し”を済ませられた為良しとする)。

 最近では、季節の移ろいによって増えた需要を満たすべく、新たに手作りの衣類棚なんてものに手を出し始めた所である。月並みな感想ではあるが、雄として男として、やはりこういった形であれ自分の「力」を重用されるのは気分が良いものである。

 

 

 庭の片隅へ納めていた製作途中の物を引っ張り出し、鉢巻と腕まくりを終えいざゆかん と意気込んでいたまさにその時、ぱたり と軽い音が家の方より聞こえてきた。振り返ってみれば、やはりというべきか『闇の書』であった。

 恐らくは「掃除の邪魔」といった理由で居間から追いやられたのであろうその姿は、どこか現在の将にも通じる哀愁(もの)を感じさせてならなかった。

 

 ふと、他愛も無い気紛れから、動かさんとしていた手を止め書の様子を眺める。

 力なく伏していた(様に見える)書は、しかしぶるりと一つ震えた後器用にも置き上がると、まるで行き先を探し求めるかのように、右へ左へと揺れ始めた。が、直に観察する自分の存在に気付いたのだろう、ふわり浮き上がると、相も変わらず揺れ動きつつ、しかし真っ直ぐと自分の方へ向かってきた。

 恐らく、アレなりに此処が「魔導文明の存在しない世界」であるが為に必要な“気遣い”を心得てはいるのだろう。こういった事をするのは決まって人の目が存在しない時と場所に限られており、精々が塀の上から猫が眺めている程度。掴みどころに欠ける存在ながらも、決して主に迷惑を振りかけるような行いをしないのは、自分達としても幸いである。

 

 飛び込んで来るのでもなく、また手を伸ばして受け止める訳でもなく。

 牛の歩みで自分の下へ辿り着いた闇の書は、居場所を見つけたといわんばかりに横へと寝そべり、そのまま居座る姿勢を見せ始めた。

 

 “本体”としての、主とはまた別の上下関係が存在しているとはいえ、先述の通り現在はマスコット同然の地位(あつかい)であり、益も無ければ害がある訳でも無し。掃除の邪魔にはなれども、日用大工の障害となる事はまず考えられないだろう。

 故に、そんな不遜にさえ感じられる書の態度も捨て置き、自分は再び日課へと取り掛かる。

 そも、男一人に本一冊という組み合わせでは生まれようも無いのだが、元よりそう口数の多くない自分と、会話する機能を有さない闇の書との間で、言葉のキャッチボールが行われる筈も無し。

 今日もまた、単調なる工作音だけが、ただ午前の八神家が庭を流れてゆく。

 

 

 ▽

 

 

 そうしている合間にも、東より昇っていた太陽は歩みを止める事なく、またいつもの様に中天へさしかかる。そうなれば、誰に呼ばれる訳でもなく、散っていた家人達が一人、また一人と居間へ集ってゆく。

 朝よりは幾許か早い支度を済ませ、季節気候を反映した主の手料理を堪能した後は、午前とは逆に各々が気ままに過ごす自由な時間。「個性」と共に芽生えた趣味であったり、相手に飢えていた主の求めであったりと、社会的な制約を負っている身分であっても尚需要は尽きず、日々は流れるように過ぎてゆくものであった。

 

 しかし、今日に限ってはそうでも無く、現状は「暇」同然のものとなっていた。

 と言うのも、今日は他の家族達――即ち八神家における女性陣――が、少々遠方まで買い物に出かけているのである。面々は既に出立済みであり、話す相手さえ居ないが故に「暇」となっているのがこの正午過ぎなのだ。

 

 とはいえ、その留守番の任自体は、命令されたものではなく自ら申し出たもの役目である。

 それは、「盾」としての本能に依るものであり、買い物にあってはどうしてもフットワークを重くしかねない「大型犬」として、また唯一の「男」としての気遣いに依るものでもある(後はまぁ、女性の買い物(それ)には中々に着いてゆけないという本音も、心の何処かにはあるのだが)。

 

 また、話し相手がいないからとて、この家に只一人きり という訳でもない。無論、本当に一人きりであったとしても「寂しい」などと女々しい弱音を漏らすつもりは更々なく、“それ”が留守番の供であるのは、ただ「置いていった方が無難である」という判断を踏まえての事でしかない。

 ――そう、今こうしている間にも自身の背へ横たわっている、『闇の書』の存在である。

 

 先にも少々触れたが、魔導文明の存在しないこの世界にあっては、「種も仕掛けも無く本が浮遊する」というのは非日常の領分であり、「大型犬」のように誤魔化せるものでもない。仮に携帯せんとしても、ああも重々しい装飾をしていては、悪目立ちしてしまう事もまた必然。

 そして何より、いざとなれば世界の果てにあっても転移する事が可能であり、かつ「いざ」が起きる可能性も限り無く低い。

 つまり、唯でさえ周囲の視線を集めやすい主が、態々奇異の情その他を倍増させてまで持ち出す必然性は存在しないのである。

 

 そういった訳で一頭と一冊とは、こうしてうららかなる午後の晴れ空の下、特に何をするでもなく縁側にてぼんやりとしているのである。

 暇を持て余しているのは書もまた同じであるらしく、先程から背中の上をごろりごろりと行ったり来たり。決して回転運動には向いていないその形状を鑑みればさぞ奇妙な光景ではあろうが、最早「その程度」では首を傾ける気にもなれないのは、偏に常日頃の行いの賜物であろう。

 

 

 話す相手も無く、また丁度二人きりという事もあったのだろう。ふと思考の表層へ湧き上がってきたのは、『闇の書』……というより、その“中身”たる「管制人格」の事についてであった。

 

 切欠は、それこそ態々取り立てる程でもない些細な思いつき――同じく留守番に甘んじてはいるが、一応は「彼女」もまた(少なくとも見目は)女性であった筈――でしかなかった。

 生憎と明瞭な情報はその程度しか持ち合わせていないが、そも従属物に過ぎぬ守護騎士(じぶんたち)と、中核たる管制人格との間には、同じ『闇の書』の構成要素であっても確かな序列が存在しているのだ。

 彼女の発現は、ある意味では書に選ばれし魔導師の使命が一であり、言ってしまえば自分達はその為の道具。「目的」と「手段」の上下関係は言わずもがな、そこに認識と知見の隔たりが存在する事は、「力関係」という視点で考えれば自然な事とも言えるだろう。

 

 しかし、そこに一つの疑問が生じた。

 ――そういった立ち位置の事情を抜いたとしても、自分は彼女について、その発現条件たる「『闇の書』の完成」について、あまりにも()()()()()()()――と。

 

 確かに、十二分なまでの待遇が与えられている今代とは異なり、これまでの主の下ではまさしく「道具」としての扱いを受け、生きているのか死んでいるのかも定かでない状態ではあった。唯でさえ朧なる記憶からして、その終盤は例外なく「憶えていたくもない」程に劣悪な環境であった事は想像に難くない。

 だが、例えそうであったとしても「少なすぎる」のだ……否、それは「存在していない」と言い切ってしまっても問題無い程だ。それこそ、「完成」そのものの存否を疑いたくもなるまでに。

 

 “寝返り”が止まった事で集中が増したのだろうか、周囲の雑音がシャットアウトされ、思考は尚も深まってゆく。

 

 確かに、選ばれた全ての主が等しく「完成」へと至れる訳でもなく、また約束されし強大な力も「完成」あっての事。その前に突発的な不幸に見舞われる可能性は否定できず、またこうして当代(はやて)の下へ参じた事実からも、先代が資格を喪失するだけの事態に面した事は確定的に明らか。

 何しろ、自分達は遜色なく「強大な力」であり、それだけで争いの火種となり得るものなのだ。欲望と謀略が絶え間なくその周囲を渦巻くのが常であり、今代の様にきな臭さ一つ感じられないのは例外中の例外。まずもって一般的な事象とは言い難い。

 

 或いは、「完成」そのものにさえ至らなかった という選択肢も考えられるだろうか。

しかしそうなると、今度は「何を以て“完成”とするのか」という問題へぶつかる事となる。

 暴論にはなるが、ただ「頁を埋める」だけであれば、手段を選ばなければ如何様にもなる筈なのだ。それこそ、ランクに違わぬ魔力を内包する守護騎士の一人か二人でも「喰わせる」事で、詰めの一手には十分事足りる。完成された『闇の書』とその主にあっては、最早我々さえ足手まといにしかならないのだから、それもまた合理的な判断と言えるだろう。

 

 それとも、ただ頁を埋めるだけでは足りないのだろうか。それ以外の「何か」が、闇の書の完成には必要なのだろうか。

 ならば、それは一体――――

 

 

 

 ▲

 ▽

 

 

 

 ふと見上げれば、青かった筈空は、次第に橙へ染まり始めていた。身体の赴くままに伸びをすると、固まっていた骨のそこかしこから小気味よい音が漏れ出る。

 どうやら転寝――それも、日が傾く程の間――をしていたらしい。意図せず眠りに落ちていた為か、未だ思考は定まらず、直前まで何を考えていたのかさえはっきりとしない。

 

 そんな気持ちを入れ替える意味も込め、再び伸びを一つ。

 と、反らした背より落ちたそれなりの重量物の気配を感じ……そこで漸く、『闇の書』が自身と共に居た事を思い出した。恐らくは似たような状態であったのだろう、落ちた衝撃で再び動き始めた書は、ぶるり と一度身を震わせると、そのまま何時もの様にふらふらふよふよと浮かび始めた。(尤も、行くあても無いため離れる事はなかったが)

 

 

 堪え切れぬ欠伸をなんとか噛み殺しつつ、そんな衝動にさえ内心で苦笑を浮かべる――随分と、腑抜けたものだな――と。

 いくら平和といえ、陽気に易々屈するなど「盾」以前に「守護獣」としても失格ものの所業。この調子では、「本来の役割」を果たせるのどうかも疑わしい。

 

 確かに、この国へ降り立ってより目立った争乱の気配もなく、また主自身がそういったものを避ける考えを掲げているが為に平和ではある。しかし、その「平和」とはあくまでも「現在」においての話であり、決して永遠不変のものではないのだ。

 この先主が成長し、その中途で大きく心変わりしてしまう事だって考えられる。魔導の如何を問わず、決して社会的に強い立場とは言えない主へ邪な心を抱く者が現れ、それが実行されたが為に望まぬ諍いへ巻き込まれる可能性も否定できない。今の平穏なる一時は、あくまでも数多の偶然と幸運とが積み重なった上に成り立っているものでしかない。

 

 何より、繰り返しにはなるが、他ならぬ『闇の書(じぶんたち)』こそが争乱の火種であり、守護騎士たるこの身は「戦い」そのものでもあるのだ。

 血を流す事を本懐とする存在が、戦いという呪縛から逃れられる筈がない。(たて)として生まれた自分達にとっては、それこそが宿命であり必然であるのだ、どうしてそれを避けられよう。

 

 そして、「その時」――何時になるのか、本当に訪れるのかも判らないその瞬間が訪れた時、果たして自分は本当に「盾」となる事ができるのだろうか。

 

 断ち切る刃も、それを振るう腕にも錆付きは一切ない。プログラムであるそれらに、劣化など在る筈も無い。

 しかし、それら「力」を律する「魂」はどうだろうか。自分のそれは「騎士」から「家族」へと、武器を取る者から、そう在らざる者へと移り変わってはいないだろうか。

 何も、自分だけに限った話ではない。今朝方の将の一件は、まさしく典型的な例と言えるだろう。一体どうして、「騎士」として造り出された人工物(モノ)が、鍛練などという人間染みた行いをする必要があるのか。そうでもしなければ、「騎士」である己を保てないとでも言うのだろうか。

 それはまさしく、「守護騎士」としてのアイデンティティの崩壊であり、自分達の存在意義そのものを揺るがすだけの危機(クライシス)と言える事案なのだろう。

 

 

 だが、そんな「危機」を認識して尚、一方では平然としている自分がいる。「それがどうした」と、積み上げられてきた過去が風化する事を歯牙にもかけぬ己がいる。

 

 もしかしたら、それ自体もまた微温い思考の一片であるのかもしれない。しかし、自分はそうであるとは思っていない。

 その「油断」は、「騎士としての自分」以外のアイデンティティを築き始めているが故の「余裕」であり、命ぜられるまま与えられ続けてきた過去との決別――自らの意志で切り開いてゆく未来の選択――であると信じているからだ。

 

 この身は最早、「ヴォルケンリッターが一騎・盾の守護獣」だけではなく、同時に「八神家の一員・ザフィーラ」でもあるのだ。家臣でも道具でもない「家族」なのだ。そこにどうして、平穏を掻き乱す要因が不可欠となるだろうか。抱きしめる腕で、剣を持つ必然が生まれるのだろうか。

 

 

 そして、今こうしている間にも、「家族」としての役割は直傍にまで近づいてきている。

 心優しき主の事、半日とはいえ一人留守番を受け持っていた自分に対し、態々土産か何かでも購入している事だろう。「連れていけなくてゴメンな」といった謝辞と共に、自身の「働き」に対し命一杯の感謝を伝えんとするのだろう。

 

 断るのは簡単だ。「身の丈に合わない」「畏れ多い」等といった理由を並べるのも容易な事。しかし、それらは「守護獣」としての、ただ従属するだけの「物」としての模範解答でしかない。

 躊躇う理由も、また必要もない。

 素直に受け取り、「大した事ではない」と返し、土産の礼を告げる。只それだけが家族の務めであり、ごくありふれた日常の光景。主が欲し、自らが望む「ザフィーラ」の新たなる役割(アイデンティティ)

 

 

 さて、丁度姦しい声も聞こえてきた時分。「忠犬」として、玄関にて出迎えるのも偶には悪くないだろう。虚ろな誇り(プライド)と確かなる現実、態々天秤に掛けるまでもない。

 ――何だ、お前も一緒に出迎えに行くのか? 『闇の書』。

 

 




以上、ザッフィー主観による八神家のとある一日でした
前回までは結構良いペースで更新できていましたが、次話も含めまたペースダウンしそうです
気づけばリメイク初めて一年近く経ちましたが、はたして完結までどれくらいかかる事やら……
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