(略)のはAce -或る名無しの風-   作:Hydrangea

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※この話は以前別途短編として挙げていたものであり、完全新規という訳ではありません。
 詳細につきましては活動報告にて記載します
※読んで頂ければわかるとは思いますが、時系列としてはかなり後の話になります


番外X:【限界】娘がケッコン(マジ)します【突破】

「良かったら君もどうかな。今日のは、何だか上手くできた気がするんだ」

 

 それでも、義父さんには敵わないだろうけどね。という言葉を添えて置かれたコーヒーの香りが、ぼんやりとしていた頭と鼻腔とをくすぐる。

 当人はああ言うものの、少し甘めに感じられるそのブレンドは、本職(プロ)の淹れるそれとはまた別のベクトルとして好きであった。そう思えるのはやはり、「淹れた人」に依るものなのだろうか。尤も、そんな言い方をすると拗ねてしまいそうな人物に心当たりがある為、あまり口に出せるものではないが。

 

「……随分と悩んでいるようだね。やっぱり不安かい?」

 

 一緒に淹れたのであろうコーヒーを一啜りした後、隣へ腰を下ろした“彼”がそう切り出す。特段隠しているつもりはないが、かといってそれ程露骨な訳でもない。それでも一目見て判ってしまうのは、所謂「長い付き合い」というやつなのだろうか。

 何れにせよ。ことこの人であれば、自身の心情を読み取られる事に抵抗感や不快感といったものはなく、むしろ一種の喜びともとれぬ安堵の気持ちさえ湧き起こる。

 

「うん……考え過ぎだとは思うんだけどね」

 

 そして、そんな関係だからこそ言える事もある。

 如何に華々しい功績を積み上げ、それらに裏打ちされた信頼・評価を周囲から受けていようと、自分もまた人の子。気質から中々表へ出さず、職業柄・立場柄むしろそれらを聞き助言する事が多いとはいえ、そんな自身にもまた人として相応の悩みや失敗といったものは当然として存在している。まして、人生の節目を控えた子を持つ親ともなれば、それらは一入のものともなろう。悪いとは思いつつも抱え込むその懐で、暗雲は静かに、確実に育ちゆく。

 ――そう考えると、そんな“弱さ”を曝け出せるこの人は、やはり「特別」なのだろう。

 

 

 心強いのは判っている。娘達の抱える事情に対する理解があり、かつ協力を惜しまない人達へ囲まれているこの現状が、此の上無く恵まれた環境であるのは紛れも無い事実だ。まして、他ならぬ当事者二人こそが、心身共嘗ての自分や友人達さえ上回る「最大戦力」。それこそ、並大抵の事象はおよそ障害足りえないのだろう。

 だがそれでも、不安の種は決して潰える事はない。将来(このさき)二人が、そしてその子らが要らぬ争乱へと巻き込まれはしないか、その優しい心へ癒えぬ傷を負ってしまわないか、気がかりでならない。それらが決して杞憂とならない程、彼女達の抱える“秘密”は大きいのだから。

 

 秘めたる力そのものや、それに付随する地位・影響力。信奉し味方となってくれる数と同じ、或いはそれ以上の「悪意」を容易に生みだしかねない要素の数々。

 無論、それ自体や抱え持つ彼女達の存在そのものを否定する気など毛頭ない。その過去が何であれ、今を生きる少女達が祝福と共に自分達の下へ生まれてきたのは唯一無二なる真実。それは先方とて同じ事であり、こと近しい関係者においても、今回の件に姦計謀略の類を謀るような人物は一人としていない。あるのは唯、当事者達の感情を尊重し、僅かであってもその助けたらんとする純粋な好意のみ。

 そして、それらを理解しながらも――自身もまた同じ思いを抱きながらも尚、心を覆う“もや”は拭えないのだ。それが「親」というものなのかもしれないが……

 

「……なんというか、弱くなっちゃったのかな、私。

 昔なら、こうも弱気にはならなかったのにね」

 

 これもまた、“彼”の前だからだろうか。思わず、そんな自虐とも取れる言葉が漏れ出でる。

 加齢に伴う能力の低下か、現場(じっせん)から距離を置き老けこんだか。或いはそれとも、永遠の「相棒」がこの手を離れたが為か。何れにせよ、其処には確かなる「衰え」が見え隠れしてならないのだ。

 

 昔の自分であれば、単なる考えなしとは違うが、例えば今回の一件にしても迷うことなくGOサインを出していた筈だ。あまつさえそれ以上に、「立ちはだかる苦難を一緒に乗り越える」なんて事を本気で考え、また実行していた事だろう。それだけの活力が、またそれを形にするだけの「強さ」が、在りし日の自分には存在していたのだから。

 だが、今の自分はと言うと――オフィスへ引っ込み、後進の育成へ専念している事も関係しているのかもしれないが、兎角、行動の前に「迷い」が多い。それこそ、一昔前の自分では考えられないような事態……迷い、悩み、挙句行動へ移せない事も、決して珍しくはなくなっている。

 年齢・地位相応の落ち着きと言えば聞こえは良いが、なまじ「思い立ったら即行動」な過去があるだけに、迷いを振り切れないそれは、自分にはどうしても「弱さ」に感じられてしまうのだ。

 

 

 

「……そんな事は、ないんじゃないかな。

 うん、少なくとも僕は違うと思うよ」

 

 自らの口で語り、考えるにつれて深みへ嵌まってゆく自己嫌悪の悪循環。それを止めたのは、それまで黙って聴き手に徹していた“彼”の一言であった。

 穏やかな口調のまま、しかし真っ向から自分の考えに異を唱えるその姿は、表情は、幼き日のそれと何ら変わる事のない優しさに満ち溢れていた。

 

「君の言う通り、確かに最近は昔と比べて悩む事が多いとは思う。

 そしてそれが、現場を引いて今の職に就いてから というのにも異論は無いよ。

 ……でもそれは、偏に教え子達を誰よりも想うが故の事なんじゃないかな」

 

 そうして“彼”は言葉を続ける。自分は知っている、君が生徒の一人に至るまで丹念にケアし、同時に本気で向き合っている事を。何よりも相手を想い、判り合わんとするその姿勢は、現役時代のそれと何ら変わっていないという事を。

 

 その言葉が、「弱気」に隠れていた自分を、自分の見えない自分の姿を露わにしてゆく。

 確かに、今後生涯に渡って代替を置かないとまで誓った唯一無二の相棒は手元を離れ、またそうする契機となった「とある事件」を境に、数少ない才能と自負する魔力資質さえ喪失。今の自分に、嘗て誇った「力」と呼べるものはおよそ残されてはいないのだろう。

 だがそれでも、役職を、立場を、形を変えたとしても、相手を想い、“全力全開”でぶつかり合うその姿勢(スタンス)は、この世界へ脚を踏み入れたその瞬間より以来、なんら変わる事はない。何時だって自分は、物事に本気で向き合っていた。ならばこそ、この胸に宿る不屈の心は健在。決して弱くなってなどいないのだろう。

 

「大丈夫、心配いらないさ。

 今回の悩みも、きっと僕達が「親になった」からなんだと思う。

 突っ走る側から見守る側になった。ただそれだけの事さ」

 

 そして続く言葉が、抱えていた「悩み」に対する何よりの解となる。

 成程確かに、言われてみればその通りだ。こうして悩んでいる自分とは対照的に、大事を控えた当事者たる娘に“迷い”は無い。否、賢いあの子が取り巻く事情を理解していない筈も無いが、()()()()尚、前へ進み続けているだけなのだ。

 ――そしてそれは、在りし日の自分の姿でもあるのではなかろうか。

 神秘を科学で行使する、人が生身で空を飛ぶ未知の世界へ飛び込み、其方側へ属する事となったその時々において、自分は確かに迷わなかった。欠片たりとも迷いが無かった訳ではないが、それを上回る強い意志が、気持ちが、“迷い”を吹き散らし、結果としてそれらとは無縁に見えていただけの事。

 だがその一方で、両親は確かに心配していた筈だ。表立ってそれを露わにする事はなく、何時だって自分の意志を尊重してはくれていたが、その決断に伴う不安は並々ならぬものであった筈だ。そう、丁度今自分が抱えていたものの様に。

 

「それでも、あの人達は笑顔で送り出してくれた。

 なら、今度は僕達がそうする番だ」

 

 ――そしてそれでも、それらを乗り越えて尚、両親(ふたり)はこの出会いを、縁を祝福してくれた。不安だらけの世界と先行きへ、自分達を信じ、笑顔と共に精一杯後押ししてくれた。

 ならば、今度は自分達の番だ。今度は自分達が抱える不安を飲み干し、未来へ歩を進める子ども達を精一杯祝福する番なのだろう。

 祈りとは、そうして受け継がれてゆくものだから。

 

「兎に角、弱くなった訳じゃないさ。

 君が失くしたと思っている「強さ」は、今はあの子達の下にある。ただそれだけの事。

 ――大丈夫、どんな困難も、あの子達ならきっと乗り越えられる。

 何せ、他でも無い君の娘だからね」

 

 そう言葉を締めくくる“彼”。父親として、同様に不安を抱えている筈なのに、それでもこうして自分を支えてくれる。

 きっと、それが“彼”の持つ力。その魔術式のレパートリーにも反映されている気質。自分の用にぶつかり合うのではなく、待ち、受け止める事のできる優しさ。それこそが、彼の持つ「強さ」なのだろう。

 

 隣り合う肩へそっともたれかかる。相変わらずの細身ながらも、静かに、そして確りと支えてくれているそこには、見目だけでは判らない逞しさが確かに存在していた。

 その感触と温かさに抱かれて生じたまどろみの中で、改めて自分はこの人と一緒になって良かったのだと実感するのであった。

 

 

 ◇

 

 

「うん、これで完成かな。

 ……凄く、綺麗だよ。ヴィヴィオ」

『Es ist groß, reizbar und ein Meister.』

「ありがとう母さん、レイジングハート」

 

 そうして、月が沈めば日が昇る。結婚式当日を迎えた高町なのはは今、これから送り出す最愛の娘()と共に控室に居た。

 通常、「教会」で執り行う形式における新婦のエスコートとは、母自身の時もまたそうであったように、父親の務めであるのが慣例ではある。が、珍しくパンツスーツの礼装をしている事からも判る通り、今回それを務めるのは母親たるなのはであった。娘を、そして半身たる“永遠の相棒”を自分の手で送りたい という特別な感情(わがまま)あっての行動ではあったが、夫や娘自身、そして嘗ての愛機にも快く受け入れてもらえたのは、彼女にとって何よりの幸いであっただろう。

 

 そういった事情、また当人たっての希望もあり、今しがたドレスアップ最後の仕上げが母の手により成されたのである。予習済みとはいえ随分と緊張していたなのはではあったが、果たしてその出来栄えは、それまでの苦労を忘れさせるだけのものとなっていた。

 派手過ぎないシンプルな純白(しろ)のドレスに、胸元へ添えられた“相棒”付きの飾りが差す紅のアクセント。それらによって彩られし美しさは、魂が示す王の気質でも、魔力が灯す虹色の神秘でも無い、「高町ヴィヴィオ」という一人の少女……否、一人の女性自身が持つ輝き。唯一つの感情によって磨き上げられた、人の持つ温かさの具現。それこそ、親の抱える悩みといったものを軒並み忘れさせるだけの力を有しているのである。

 

 

『Es ist bald Zeit.』

「うん……じゃあ、行こうか」

 

 その後も暫し取り留めも無い会話を続けていた二人はしかし、そう静かに告げるデバイスの声で腰を上げる。無論、先導を引き受けたなのはにもまた、この一時を惜しむ情は未だ残されてはいる。彼女達とて、本当はもっと母娘(おやこ)二人で話をしていたい。ずっとこんな関係で居たいのだ。

 けれどもしかし、それが敵わないのが世の常。出会いという始まりがあれば、必ず別れという終わりが訪れる。それが真理。

 ――そしてだからこそ、共に過ごした時間(ひととき)は輝いて見えるのだから。

 

「はい。

 ……あの、母さん……」

「何かな?」

「……ありがとう。そして、これからもよろしくお願いします」

「……どういたしまして。それと、此方こそ」

 

 加えて、此度の節目は決して今生の離別という訳でも無い。確かに、今までと比べれば少しばかり距離は離れるかもはしれない。しかしそれは「頑張れば」届く程度の距離でもある。何せ、管理外世界の住人であり、かつ魔導文明とは縁遠い筈の高町夫妻……なのはの両親でさえ、「孫の顔を見に」と第一管理世界(ミッドチルダ)へ前触れもなく出没するだけの行動力を持ち、またそれがまかり通ってしまう世界でもあるのだ。嘗て次元の壁さえ越えて見せた不屈のエース・オブ・エースが成せぬ道理は無く、それこそ宇宙の果てであっても一羽ばたきで辿り着く事だろう。そう、恐れる事など何も無いのだ。

 

 尤も、今しばらくは「二人の時間」が続くであろうし、また其処へ首を突っ込む程、なのはとて無粋ではない。嘗て彼女自身もまたそうであったように、娘達とてもう子どもではないのだ。新たなる一歩を踏み出し始めた若人を信じ、見守ってゆく事もまた、(おとな)の務めというものだろう。

 

 

 

 重々しい扉が開かれ、エスコートを伴った新婦がゆっくりとバージンロードを歩んでゆく。

 取り巻く事情や当人達の希望その他から、式自体はより近しい関係者のみを招いた小規模なものとなっており、舞台たる会場もまた相応の大きさに収まってはいる。

 しかし一方で、その小さな空間に集った顔ぶれが非常に「豪華」となるのは、最早彼女達にあっては一種のお約束。列席する者達は何れも平時には見慣れぬ礼装へ身を包み、個々人の容姿が整っている事も相まって、会場の雰囲気は非常に華やか、煌びやかなものとなっていた。

 

 だがそれでも、流石は「主役」と言うべきだろうか。今しがた入場した新婦同様、祭壇前にてそれを待つ新郎……否「新婦」もまた、その中で一際輝いて見えるものとなっていた。

 一度きりの晴れ舞台。また「新婦」たってのお願い等々、諸般の事情から“彼女”もまたウェディングドレスを纏うとはなのはも聞いてはいたが、より一層見慣れぬ装いとなっているその女性はしかし、何とも絵になる様相として完成されていた。恐らくは一時の恥じらいを乗り越え、或いは投げ捨てたのであろう凛とした佇まいは、義母さえ思わず見惚れそうになる程のもの。そこにはもしかしたら、内側から滲み出る「王子様」な気品といったものがあるのかもしれない。

 

 勿論、先のそれはあくまでも例え話であり、既に自身の王子様を見つけているなのはが、本当に現を抜かす訳でも無し。涙を滲ませつつも晴れやかなる笑顔で“務め”を果たした彼女は、静かに祭壇前を離れ、自らの伴侶の傍らへと腰を下ろす。

 その後は一先ず何事も無く式は進行。仔細にこそ違いはあるものの、故郷たる管理外世界にて執り行われた(なのは)の時と大まかな流れは同じであり、また人々の感情(お祝いムード)に次元の差異など存在しない。式典としては、まさしく順風満帆とも言える運びとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、ここで敢えて読者諸兄にお尋ねしたい。本当にこれで良いのか と。人も舞台も、此の上無く“お膳立て”されているこの状況において、山もオチも無い内容で本当に満足か と。

 

 否。断じて否。

 そも、様々な意味で「平穏」「平坦」共に縁遠い我らがなのはさんの人生。自身の結婚式でさえ古典的テロリストの乱入というラノベ的イベント……もとい、非常識的な出来事が起きたのだ(それ自体はライスならぬメガ粒子シャワーの一発で鎮圧されはしたが、詳細はまた別の機会とする)。メタ的な事を言ってしまえばその子らの結婚式という垂涎もののイベントを、この世界が見過ごす筈がない。平穏無事に終わらせる筈が無い。――何より、期待に胸膨らませる読者諸兄が、黙っている筈が無い。

 それら必然による後押しもあり、式典の最終盤に「事件」は起きた。それを「事件」と捉えたのは唯一人だけではあったものの、他ならぬ“彼女”がそう思った以上、この物語(せかい)においてそれは「事件」となるのである。

 

 

 

「それでは次に、新婦二名による『けいきにゅうとう』の儀へ移りたいと思います」

 

 なのはをして「何処かで見た事のある」嫋々たる神官……式の進行役を務めていた人物がそうアナウンスすると、これまた何処かで見た記憶のありそうな隻眼の牧師共々奥へ引っ込み、何やら準備を始めた。式のプランにもなく、また様子からして周囲の誰も知らされていないであろうそれは、恐らくは会場を提供してくれたベルカ系教会が準備した、或いは快く引き受けてくれた牧師・神官二名による個人的な“サプライズ”であるのだろう。

 

「あれ? まだ披露宴じゃないのに、今ケーキなの?」

 

 しかし、なのはが疑問を抱いたのはサプライズそのものではなく、儀式的要素の強い結婚式の最中に“それ”を行わんとしている点であった。

 勿論、此処は彼女の故郷とは様々な面で「常識」の異なる次元世界であり、またその中においてもミッド系―ベルカ系という二大文化間で差異が存在している事は、準備段階における説明、またなのは自身の人生経験からも承知の所。

 だが、それらを踏まえても尚、「余興」の色合いが強い“それ”を、特段伝統を重んじるベルカ系の式典において執り行わんとする事には、如何に次元世界広しといえども首をかしげざるを得なかったのである。

 

 

「ケーキってあれか? はやてが何時も作ってるあのケーキ?

 何でそれが今必要なんだよ」

 

 だが、そんな疑問へ更に否定混じりの疑問をぶつける者がいた。なのはにとっては古き良き友人であり、またその子に対しても浅からぬ縁を抱える者達が一人、守護騎士のヴィータである。初めて出会ってより数十年。なのはにとっては相も変わらず「可愛らしい」容貌ながらも、その雰囲気は時の流れと共に確かに成熟されており、心なしか礼服も遥かに着こなせていた。

 

「だって、今『ケーキ入刀』って……」

 

 それは兎も角、投げかけられた問いは更に深く、新たな疑問をなのはへ抱かせる事となった。

 言わずもがな、彼女の常識に則せば「ケーキ」とは即ち所謂洋菓子に属するものであり、またこの場においてまず連想されるのは、スポンジ生地とクリーム・果実等を用いる類のもの。より専門的な事を言えば更に細かくなるとはいえ、ヴィータが例示に用いたもの……他でも無いなのはの実家へ弟子入り・暖簾分けした親友の手掛けるそれが、「ケーキ」とは名ばかりの暗黒物質である筈も無い。

 加えて、ヴィータ達古代ベルカ守護騎士が俗世に疎かったというのも随分昔の、しかも今代にあっては極々僅かな期間のみ。ならばこそ彼女が、言葉にはせずとも列席する守護騎士達が疑問符を浮かべているのは、尚の事納得がゆかないのである。

 

 

「だから『詣氣入燈』だろ? ケーキなんて必要ないだろ」

「…………ごめん、ヴィータちゃん。

 何か意志疎通が上手く図れてないみないだから、一度落ち着いて話をしようか」

 

 だが、積み上がり膨れ上がったその暗雲は、口頭だけでは判り辛い、しかし確かなる「その感覚」によって無慈悲にも蹂躙され尽くした。如何に現場を退き戦場から離れても、また加齢に伴い「とあるジャンル」と疎遠になろうとも、彼女(なのは)がこの世界へ脚を踏み入れてより以来幾度となく、息を吐く間にさえ襲い来るその感覚を忘れる筈が無い。忘れよう筈がない。

 そう、それは紛れもなく“アレ”である。

 

 

 ▽ ▽

  ▽

 

 詣氣入燈(けいきにゅうとう)

 

 同門下のみならず、血を分けた実の兄弟でさえ殺し合う程までに苛烈を極める事で知られる古代ベルカ武術。それを修める者はまさしく孤高の戦士と呼ぶに相応しい存在であり、修行過程は勿論の事、極めた後に待ち構える数々の戦いにおいても、世に言う「愛」や「絆」といったものとは無縁、或いはその対極に位置するとさえ考えられているのが一般的である。

 だが、永きに渡るベルカ武術の歴史においては、時に立ちはだかる数々の苦難苦境に敢えて他者と手を取り合って臨み、それを乗り越えた果てに血を越えた固き絆で結ばれる事例も存在している。そうした二者により執り行われる儀礼の代表格こそ、詣氣入燈の儀である。

 

 その概要は、武を高め合った二名が一つの極致へ至った際、それまでの苦楽を共に歩んだ証として、またこれから待ち受けるであろう更なる壁を二人で打ち破る誓いとして、魔導器(今日におけるデバイス)の鍛造にも用いられる超合金塊を、二名の力のみを以て割断。揃い組の武具装飾品を作成し身に纏うというもの。

 そして、詣氣入燈の要は、この超合金塊の割断を()()()()()成す という点にある。周知の通り、ベルカ産出の超合金、中でもとりわけ古代ベルカにおいて重用されたスター・プラティニウム合金……現代においてはベルカニュウムと呼称される超合金は、その硬度・堅牢さに反し非常にデリケートな性質を有しており、その加工には並はずれたパワーと精密さに加え、時間を止めたとさえ思える程のスピードが要求される。

 つまり、二名が息を合わせぬ限り二つの同じものは生み出せず、翻って寸分違わぬ一組を有するという事は、固いきずなと相応の力を兼ね備えた何よりの証明となるのである。調達の容易ならざる超合金塊を敢えて用いるのは、そういった儀式の隠された性質を鑑みての事なのである。

 

 また、先述の通り詣氣入燈の儀はあくまでも「通過点」に過ぎず、ある意味では二人による戦いの始まりとも言えるもの。それ故、儀の名前には「燈」(=明かり、灯)の字が用いられ、詣(=高める)氣を以て未知なる暗闇へ明かりを灯し、それを標として更なる高みを目指す という決意が込められているのである。

 

 ちなみに、今日における婚礼の儀でしばし見かけられる「ケーキ入刀」の起源が詣氣入燈にある事は、聡明なる読者諸兄ならば既にお気づきの事であろう。無論、古代ベルカの闘士などではない一般人に超合金の割断など出来る筈もないが、詣氣入燈へ込められた志は婚礼にも深く通じるものであり、それ故「詣氣」へ菓子のケーキを掛け、それを切り分ける事で入燈へあやかったのである。武術と婚礼を結びつけるのは一件不可解に思えるかもしれないが、古代ベルカにおいては優れた武術家であると同時に永遠の愛を誓い合った者達も存在しており、一概に無関係とは言い切れないのである。

 加えて、近年の研究により、所謂エンゲージリングの風習もまた、入燈の儀で作成した武具装飾品が元という説が支配的となっている。

 

           Leute&Licht書房刊『儀礼に残る古代ベルカの武術 冠婚葬祭編』より

 

  △

 △ △

 

 

「ふーん、そうなんだ……態々ありがとうね」

 

 一頻りの解説を受けたなのはの表情はしかし、晴々とまではいかずとも、その雰囲気共々穏やかななるものであった。

 

「あれ? 随分あっさりとしてんな。昔はもっと愕然 って感じだったのに」

 

 そんな反応に“拍子抜け”したのは、説明したヴィータ他守護騎士一同である。

 無論、彼女達とて別になのはを驚かせようといった意図は無く、あくまでも自身へ蓄積された知識を総動員し、明快かつ丁寧に語っただけの事。確かに、これまでは(守護騎士主観として)大層な驚きと少しばかりの諦観とがリアクションとして返ってきてはいたが、そんな反応をするのもなのは程度のものであり、例えば同じミッド系であっても某執務官……現執務官長などに同様の事をしても、返ってくるのは「そうなんだ」という、極めて純粋・素直なる感心のみ。何処か引き攣った笑いなんてものはまずお目にかからず、それらを鑑みれば、今の彼女の反応は「ようやく普通になった」とさえ言える程でもあるのだ。

 とはいえ、例え意図せざるものであったとしても、“そんな反応”に慣れていれば、落差には敏感になるもの。なのはに関しては特に「そういった機会」が多かっただけに、尚更気になるのだ。

 

「それは……まぁ、ねぇ……」

 

 だがしかし、なのはさんとてそう何時までも若いまま……もとい、変わらない訳ではない。慣れたというか、慣らされたというか。兎角、如何程のアメイジングであろうとも、それが10年20年と続けば人間否応無しに“耐性”が付いてしまうのだ。

 決して染まり切った訳ではないけれども(と、当人は思ってはいるが、そんな彼女もまた我々にしてみれば大概なものではあろう)、かといってそう何度も初な反応ばかりを返してもいられないのだ。大人になるとは、かくも悲しい事なのである。

 

 ともあれ、古代中国の偉い人も「四十にして迷わず」なんて言ったと聞く。然らば、たかまちなのはしじゅうにさいが不惑の境地(クリアマインド)に至った所で何ら不思議ではないのである。所謂、「もう何も怖くない」という奴だろうか。

 

 兎角、そういった調子でまた一つの疑問が氷解した頃合いで、丁度入燈の儀に用いられるベルカニュウム塊は会場へ運びいれられた。それ自体にもまた文様の配われたベールで覆われし超合金塊は、何よりも無骨な存在でありながらしかし、この場に則した雰囲気と神聖さとを併せ持っており、(そも、この世界にあっては“当然”であるのだが)およそ不和・違和感といったものを感じさせなかった。

 そして言わずもがな、儀の内容を鑑みても、準備はこれだけで終わりではない。何せ、情緒溢れるその理念に対し、実際行われるのは「生身による超合金の割断」という、古代ベルカの戦場でもそうお目にかかれない程までに“物騒”なるもの。加えて、今回それを成すのは特別(スペシャル)中の特別なる二名。それこそ、何の対策も講じずに成すがままとしてしまえば、超合金塊どころか大陸のプレートまで真っ二つとなるのは必至と言えよう。

 幸いにも“サプライズ”の仕掛け人はそういった点を誰よりも理解しているようであり、非礼とならぬ程度に、しかし迅速・確実に結界敷設は進められていた。

 

 

「御心遣いありがとうございます。

 でも、もう大丈夫です」

 

 だが、それをやんわりと留めたのは、どちらとも知れぬ新婦の発した静かなる一声。同時に、何処からともなく吹いたそよ風がベールを払い……おお、見よ。CI級次元航行艦の主砲さえ耐えきるベルカニュウム塊へ、「愛の形」と共に確りと刻まれた両名の名を。その下へ設けられたくぼみへ収められた、美しき一組のエンゲージリングを!

 

 入燈の儀が会場側の用意したサプライズである事は先の流れからも明白であり、また演出であっても「当事者による割断」という工程を、その伝統を重んじているベルカにおいて、所謂「仕込み」が成された可能性なぞ皆無。しかし同時に、幕が開かれたその瞬間まで、両名に触れるどころか近づく機会さえ無かったのもまた事実。然らば、如何にしてその名は刻まれたというのか と疑問に思うのは極々自然であり……同時に、古代ベルカへ深く通じる者にあっては、語るまでもない唯一無二の真実が導き出されるのは必然と言えよう。

 ――そう、全ては「愛」故に。

 

 優れた武術家が「氣」の応用を以て打撃・斬撃を離れた間合いより放つ事ができるのは周知の通りであり、まして今回祭壇へ立つ二人は、古代ベルカにあっては知らぬ者はいない“龍虎”……聖王家(ゼーゲブレヒト)覇王家(イングヴァルト)と非常に、そう()()()縁深く、それに相応しいだけの力を有した者達。そんな二人が力を重ね合わせたとあれば、先の結果も当然のものとして帰結する事だろう。

 しかし、それらの細かい理屈・理論を説く以上に、彼女達が共有する“唯一つの感情”を示した方が、遥かに判り易いだろう。二人の王を繋ぐ愛情の大きさたるや、それこそ上は成層圏を突き抜け、下は地殻を粉砕し、前後で言えばベルカ王家一万二千年の歴史さえ一蹴する程のもの。

 紐解けばただそれだけの事であり、そしてそれを知るが故に、成された“奇跡”に異を唱える者は一人としておらず、其処にはただ感嘆のみが漏れ出でるのである。

 

 勿論、そこには我らがなのはさんも当然と言うべきか含まれていた。彼女の場合、「まぁベルカだし」といった諦観が少しばかり含まれている気がしないでもないが、続くエンゲージリングの交換により、それら“些細なこと”は纏めて押し流していった。なんだかんだとは言いつつ、やはりそこは親心。嬉しいものは嬉しいのである。

 

 

 そうして、ささやかながらも非常に高密度な式典は、二人の幸せな口づけで幕を下ろした。後日、翠の子ご懐妊で再びてんやわんやのお祝いとなるのだが、それはまた別の話である。

 やったねなのちゃん かぞくがふえるよ!

 

 


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