実のところ、すべてが闇そのものだから
――ゲリー・オドリスコル〈狂気〉
数多くのアイドルを育成してきた会社――346プロダクションに、一つの人影があった。
それは、カチューシャを付けた少女。
空は既に夕暮れで橙色に染まり、月が昇り始めている。天井に下げられた電灯が照らす部屋の中で、その少女――佐久間まゆは、溜め息を吐く。
(やっぱり
脳裏を
(――あの痛みは、余りにもリアルすぎている)
彼女は自身の胸に手をやる。
にも関わらず、気付けば胸を貫いた〈矢〉は何処にも落ちてなく、胸元には一切の傷が存在していなかった……。
(それに、服にも鋭い何かで貫かれたような痕が残っていましたし……どういうことなんでしょう)
また、溜め息を一つ溢す。
気付けば夕日は沈みきって、街を
随分と盛り上がったライブであったものの、終了して時間が経過してしまえば人も閑散としてくる。少女――佐久間まゆも少し長めの休憩を終わらせて、寮へ戻ろうとしていた。
外は少し薄暗くなっているものの、商店街の前であることもあり人通りもそれなりに多く、まゆ自身も変装している。だから、一人で出歩いても大きな危険は無かった。
「今日はプロデューサーさんに、肉じゃがを作ってあげようかな? それで、プロデューサーさんに……うふふふふ♪」
――そう、危険は無いはずだった。
一瞬。
ただそれだけの時間で、周囲にいた人はすべて姿を消し、まゆだけが残っていた。
「……え?」
戸惑うまゆの背後から、じゃり、と足音がする。
ゆっくり振り返った彼女の目に写ったのは、黒いスーツを着た一人の男の姿……ただしそれは、まゆの愛するプロデューサーではなく、まゆのファンの一人である肥満体型の男だった。
「あの、えっと……どうしましたか?」
まゆは強い不安を抑え、恐る恐る声をかける。
男はまゆの姿を見て、ニィ――と笑った。
「佐久間まゆちゃん、だよネ?」
「え、えぇっと……」
「うん、間違いない……だって、
まゆの混乱は深まっていく――彼は、先程なんと言ったのだ……? 此所に来れたから、とは?
「まゆちゃん、安心して……もう君のプロデューサーは居ない。ボクが、まゆちゃんのプロデューサーだ。そう、此所はボクとまゆちゃんだけ――二人だけの世界なんだよ」
まゆの混乱は、あっさりと収まった。
度の越えたファンが、精神的疾患を得てまゆに話しかけただけ。周囲に人が居ないのは偶々……。
そう結論付けたまゆは、その男にやんわりと拒否の言葉を突きつけることにした。
「えっとぉ……まゆを好いてくれるのは嬉しいですけど、そろそろ寮に帰らなきゃ――」
「――なんで?」
「えっ」
「まゆちゃんは、今日からボクの家で住むことになるんだよ? ――それに、
まるで理解できないが……何かおかしい。
――いくらなんでも、人が居なさすぎる。
横目で窺うと幾つかの商店が見え、どれも閉店していないにも関わらず、番の人一人すら居ない。
「……っ!」
この異常事態に、まゆは直ぐ様逃走を選択する。
運動不足が見えとれる肥満体型の男の足ではまず追い付くことはできないと考え、寮のある方向へ近道を使って走り続ける。
「はぁっ、はぁっ……! いったい、何だった、の……」
寮のすぐ前へ辿り着く小道。
これを抜ければ安心――のはずだった。
「まゆちゃん、だから言っただろう――
小道の先は先程まで居た商店街の前で、
そこではあの肥満体型の男が待っていた。
「そ、それは……」
そしてこの異常をより強めるのは――男の背後。
ブリキの玩具を不細工にし、手を鋏にすげ替えたような、半透明のヒトガタ。
「――見えるの?」
男の言葉の意味は理解できないものの、つい頷いて返してしまう。その反応を見た男は、気味の悪い笑みをより深くした。
「あぁ、ああ、あああ! やっぱりまゆちゃんとボクは運命の赤い糸で結ばれているんだ! この〈アイアン・バタフライ〉が見えるなんて!!」
「ひっ……!」
「大丈夫、まゆちゃん……この〈アイアン・バタフライ〉で危害を加えるつもりはないよ。まゆちゃんがまた逃げるなら、少しは怪我させちゃうかもしれないけど……少しくらい怪我しても、ボクは気にしないからネ?」
男の様子は、明らかに正気ではない。
そして、ただ恐怖がその心を支配し、身体に力の入らなくなったまゆはその場にへたりこむ。
それを見た男は顔をにやつかせながら、その手をゆっくりとまゆへ伸ばし――
「「……えっ?」」
男とまゆ、二人から溢れた言葉は同じ。
しかし、へたりこんでいるだけのまゆに対し、男は犬の鋭い歯に噛みつかれている。痛覚の通った人間である以上、当然その痛みを感じ取ることができてしまい――
「ぎ、ぎゃぁあああっ!!」
男が悲鳴をあげた瞬間、さらに二匹の犬が現れて男の脚に噛みつく。
「ク、クソがッ! 〈アイアン・バタフラ――」
『グルァッ!』
――男は抵抗しようとしたものの時既に遅く、まだ噛みついていなかった残る一匹が男の喉笛を噛み千切り、男の意識を完全に奪い去った。
その猟奇的な光景に現実感が沸かないまゆを置いて、三匹の犬は路地裏に意識の無い男を引きずり、まゆの元へ駆け寄った。
次の瞬間、先程まで居なかったはずの人々が唐突に現れ、何事も無かったように生活している商店街の前に、まゆは居た。
「どういう、こと……」
「まゆさん!」
声のした方を見ると、特徴的なパーカーに眼帯を付けた少女――まゆと同じく346プロダクションでアイドルをしている、早坂美玲の姿がそこにあった。
「美玲……ちゃん?」
「まゆさん、こっちに来てくれ――まゆさんの身に起こったことを、説明しなきゃいけない」
そう告げる美玲の背後から、先程見た三匹の犬――よく見てみると、機械的な部分が散見できるものの、ワイヤー・フォックス・テリアと呼ばれる猟犬の品種のように見える。それが、現れたのだ。
混乱極まる頭をどうにか落ち着かせると、まゆは美玲の言う通りにして、寮内にある美玲の部屋に向かうことにした。
「適当なところに座ってくれ」
「分かりました……?」
まゆが床に置かれた座布団の一つに座るのを見ると、美玲は話を切り出す。
「まずは何から話せば良いかな……そうだな。まゆさんは、〈矢〉を見たことがあるか? そして、触ったりは?」
「えっ!?」
まゆは、その顔に驚きをありありと写してみせる。
自分が〈矢〉に貫かれた――そんな与太話を信じるはずも無いと判断していたため、その事を誰にも話してはいなかったからだ。
「心当たりがあるんだな? ……ということは、やっぱりまゆさんは『スタンド』に目覚めていたのか」
「すたんど、ですかぁ……? そもそも、あの〈矢〉って一体なんなんです?」
一人得心のいったような顔をする美玲から何かを知っていると分かったまゆは、心中に抱いていた疑問を突きつける。
「『
「精神が形作られたって……ゆ、幽霊ですかぁ!?」
「あ、いや、それとは違うんだけど……見てもらえば分かるかな?」
そう美玲が告げた瞬間、
「これがウチのスタンド――〈バウ・ワウ・ワウ〉だ。まゆも見た筈だろ? あの男の背後に居た……〈アイアン・バタフライ〉と呼ばれた
それは、見た。
確かにまゆは、男の背後に不細工なブリキの玩具を見たのだ。よくよく考えてみたならば、あのブリキもこの猟犬も、微妙に向こう側が透けているような……。
「やっぱり幽霊じゃないですかぁ!?」
「だから違うんだって! もう、話を進めるぞ! これらスタンドにはそれぞれ固有の能力があるんだ!」
「の、能力ですかぁ……?」
「うん。あの男の〈アイアン・バタフライ〉の能力はさしずめ『空間の切り取り』って所だろうな……空間を周囲から隔絶――切り離して、指定した者以外の侵入を拒む」
指定した者以外の侵入を拒む――もしそれが正しいならば、あの男の言っていた『二人だけの世界』というのは決して冗談などではないという事で……!
「……」
「あ、嫌なこと思い出させたか……ごめん」
「いえ……その、美玲ちゃん。えっと、助けてくれてありがとうございます」
弱々しく頭を下げる珍しいまゆの態度に、美玲は暫し戸惑う。そして、焦ったようにまゆを慰め始めた。
「い、いや! 気にしなくて良いぞ! そもそも、スタンドに目覚めて間もないまゆさんとスタンドの扱いに慣れてたアイツだったら分が悪いのは当然で、えっと……!」
男を撃退した時の頼もしさは何処へ行ったやら、すっかり慌てふためく美玲に、まゆは思わず小さく笑みを溢す。
「ふふっ♪ ……覚悟は決まりました。美玲ちゃん、スタンドについて教えてください。私は、きっとこれを知らなければいけないから……」
「……分かったよ、まゆさん」
――これは、『運命』を信じる
スタンド紹介①
スタンド名:『アイアン・バタフライ』
本体:スーツを着た肥満体型の男(五十嵐颯)
破壊力:C スピード:C 射程距離:D
持続力:A 精密動作性:D 成長性:C
能力:空間を切り取り、周囲から隔絶した、最大半径50mほどの「亜空間」を作る。「亜空間」には指定した対象のみを入れたり、脱出不可能にするなど、独自のルールを作り適用させることが可能となっている。但し、扱い慣れていない場合はその能力を十分に発揮できない。
スタンド名:『バウ・ワウ・ワウ』
本体:早坂美玲
破壊力:B スピード:B 射程距離:C
持続力:D 精密動作性:E 成長性:D
能力:詳細不明。三匹で一つのスタンド。一般的な猟犬と同等の身体能力を有してると思われる。