Fate/ School magics ~蒼銀の騎士~ 作:バルボロッサ
九校戦四日目―――――。
この日から本戦は一端の間を挟み一年生のみによる新人戦が行われる。行われる種目事態は本戦と同じで日程的にもほぼ同様の順番に行われる。
即ち新人戦初日となる今日は早撃ちが午前は女子、午後は男子と予選から決勝までが行われ、同時並行して波乗りの予選が男子女子ともに一日通して行われる。
現在の成績は第一高校がトップでその後を三校が追いかけ、三位以下は団子状態の混戦模様という状況だ。
初日の快勝を経た二日目からは、なかなか一高の思惑通りにはいっていなかった。
男女のピラーズ・ブレイクや女子クラウド・ボールで優勝し、そのほかのいくつかの競技でも好成績を収めはしているものの、最大のライバル校と目されている三校が男女のバトル・ボードで優勝するなど一高の成績を猛追しているのだ。
なによりも想定外であったのが女子バトル・ボードの優勝本命であった摩利がなんと競技中のアクシデントにより負傷。加えて男子のクラウド・ボールも優勝確実とまではいわなくとも上位入賞が見込まれていた桐原が二回戦敗退となってしまったのだ。
摩利の負傷については明日香も圭もその場には居合わせておらず、後に聞いたことではあるが、包帯を巻いた痛々しい姿――実際には魔法治療の結果痛みはそれほど残っていないらしいが――を見れば、摩利が今回の大会で選手としてもう一つの競技に出場することは難しいだろう。
それにより優勝が見込まれていたもう一つの目玉競技――ミラージ・バッドに穴が開いてしまうという事態に陥った。
摩利は優勝の大本命で、故にその補欠要員などは考えられていなかった。結果、彼女の代役として十分な力があり、ミラージ・バッドの練習を積んでいる深雪が新人戦から本戦へと急遽コンバートされるという事態になった。
どうやら首脳陣の方では、摩利の被ったアクシデントに何らかの細工や陰謀が仕掛けられていることを危惧し、魔法式やCADに精通している達也に解析と調査を依頼しているようだが、どちらにも詳しくはない明日香や圭にはあずかり知らぬことだった。
彼らにとって目下の役割は本日行われるバトル・ボードでの活躍と、午前中に行われるスピード・シューティングの女子競技に参加する友人の応援だ。
「ほのかさんと獅子劫さんはバトル・ボードの準備はいいんですか?」
そんなわけで、明日香と圭は雫が出場する競技の観戦に来ており、幹比古や美月、ほのかや深雪、エリカやレオたちと同席していた。以前達也の誕生日会に同席したこともあり、見知らぬ仲ではないが、それでもやはり幹比古や美月と比べてあまり接点のない明日香と圭はレオの隣に座っている。
問いかけは遅れてやって来た深雪に挨拶をした美月のものだ。ほのかと美月もあまり接点はないが、女子同士でもあるし、明日香とほのかは男女の別はあれど同じ競技に出場する選手だからまとめて問いかけたのだろう。
「だだだっ、大丈夫です。私は午後からだから!」
美月の問いに緊張したように答えたのはほのかで、緊張を紛らわし切れずに責任感の強さから固くなっている。
一方で明日香の方は、責任感の強さは劣らなくとも緊張はさして感じていないのか自然体だ。
「ああ、僕の方も問題ないよ。準備はできている。今はまず、雫の方を応援するだけさ」
目下のところ、彼が気にかけているのはまさに今から出番となる雫の方だ。
そもそも、明日香が九校戦に向けてやる気を出したのも雫の願いあってこそであり、その雫の目標も九校戦の舞台での戦いにあったのだ。試験での借りもある。応援しないわけにもいかないだろう。
「たしか雫ちゃんの担当技術者に達也がついているんだったね。彼は随分と魔法に精通しているようだし、楽しみだね、うん」
それは理由は違えど藤丸圭にとっても同じ。浮世離れしていた明日香をこの世界の住人に戻してくれた、この時代の人との縁を紡ぐきっかけをくれた人と言える。
加えて興味もある。
雫に、というのもあるが、司波達也という劣等生の皮を被った異端者がどのような魔法を新たに見せるのかという事に対してだ。
達也の魔法工学に対する知識と技能、CADの調整技能の高さは二科生でありながら九校戦のスタッフに抜擢されるほど。
ただし、無駄に高い一科生のプライドからすべての選手に認められているわけではないが、現状、担当している一年女子の多くや首脳陣からは高評価だ。
「ええ、藤丸さん。お兄様と新しい魔法をずいぶんと練習していたけど、それがついにお披露目になるわ。きっと皆さん驚くんじゃないかしら」
✡ ✡ ✡
「いよいよだな、雫」
「うん」
試合開始直前の控室。雫のCADの最終調整を行った達也は、雫と共に簡単な会話を交わして適度に緊張感を和らげ、開幕の時を待っていた。
準備は万端だ。
「よし、頑張れ!」
「うん!」
出番前に送られた達也の声援を背に、雫は戦いの場へと立った。
これまで観る立場であった自分が居た観客席に、これまで観られていた先輩魔法師たちのように自分は立ち、そして…………“彼”が居た。
元々、雫は実技の得意なタイプの魔法師だ。
同じ一科生のほのかはどちらかというと複雑な工程の魔法式も苦労することなく組み上げられる、言うなれば研究者タイプに比べると、実戦向きのスポーツ系魔法競技に向いている。
九校戦に対しても並々ならぬ思い入れを抱いている。
雫の魔法の才能を溺愛している父と、富豪である家のおかげで毎年のように九校戦を観戦に来ることができたのは、大きな影響を与えただろう。
やはり実際に観て、そして今年からはその舞台に立つというのは、普段感情をあまり表に出さない雫に鳥肌が立つほどの衝動をもたらしてくれる。
ただ、その中でもモノリス・コードには別の思い入れがある。
2年前、定かならぬ記憶の中で(今は明日香だと分かっているが)、誰かに助けられてから、その幻影を探していた。
意識に昇るか昇らないかの曖昧とした意志ではあったけれど、記憶の修正魔術を受けてもなお、彼を求めていたとも言える。
年の頃は、多分自分と同じか、少し前後するくらい。そして何より魔法戦技あれほど卓越していれば、きっと九校戦に出て活躍するくらいの魔法師だろうから。
彼は不可視の武器を、魔法を駆使して雫を護り、誘拐されていた少女たちを救い、敵を倒していた。十師族の人たちですらも、プロの警護を請け負う魔法師ですらも圧倒していた誘拐犯をだ。
だから一番活躍しているとすればそれは、最も魔法戦闘に近いモノリス・コードをおいて他にはないと思っていた。
喜ばしいことに、九校戦とは別の場所ではあったけれど、彼とまた会うことができて、残念なことに彼はモノリス・コードには出なかった。
それでも、今は同じ場所に居て、同じ方向を向いて戦えている。
そういえば…………以前ならば、泡沫に消えてしまっていたあの時の記憶が、今でははっきりと思い出せる。
雫のスピード・シューティングは今までの選手とは趣きの異なる魔法を見せつけていた。
「うわっ、豪快」
そうエリカが評するように、クレーは見た目にも派手に粉砕されていた。
真由美のように一つ一つのクレーを狙撃して破壊するのではなく、クレーを移動魔法で操作してぶつけて破壊するのでもなく、エリアに入ってきたクレーが瞬時に粉砕されいる。
「もしかして有効エリア全域を魔法の作用領域に設定しているんですか?」
そんな魔法の使い方をした魔法師はこれまでいなかった。
観客席のどこかからはまるで機雷でも仕掛けられているのではないかと評する声も上がるほど、クレーはエリアを飛翔することを許されずに一つ残さず破砕されていく。
「そうですよ。雫は領域内に存在する固形物に振動波を与える魔法で標的を砕いているんです。内部に疎密波を発生させることで、固形物は部分的な膨張と収縮を繰り返して風化します。急加熱と急冷却を繰り返すと硬い岩でも脆くなって崩れてしまうのと同じ理屈ですね」
「より正確には得点有効エリア内にいくつか震源を設定して、固形物に振動波を与える仮想的な波動を発生させているのよ。魔法で直接に標的そのものを振動させるのではなく、標的に振動波を与える事象改変の領域を作り出しているの。震源から球形に広がった波動に標的が触れると、仮想的な振動波が標的内部で現実の振動波になって標的を崩壊させるという仕組みよ」
誇らしげに魔法の仕組みを語るのはほのかと深雪。
彼女たち二人は殊に達也への“理解度”が深く、感心して呆気にとられている美月へと丁寧に解説している。
「……という仕組みだそうだが、理解できているかい、明日香?」
「…………むぅ」
その解説を脇で聞いている明日香は、圭に話を振られて顔を難しくした。
魔術や超能力と呼ばれた異能から魔法へと移り変わる際に、理論はより精緻に、科学的に為った。そして信仰や神秘といった“非科学的”で“曖昧”なものは切り捨てられた。
魔術師である圭もそうだが、“霊基”という神秘そのものを魔術の根幹に据えている明日香はより“時代遅れ”といえる。
それでも魔法の評価基準においては優秀ではあるのだが、こういった理論においては粗が目立つ。
「理論だった魔術、魔法式は君の性質からは相性が悪いんだろうね、うん。力任せじゃいけないよ、明日香。それにしても――――」
――“あれ”が魔法工学技師としての司波達也の力、か……――
程度の差こそあれ、どちらかというと雫も精緻な魔法制御よりも高い魔法力による大規模魔法の処理が得意なタイプだ。
それを理解し、彼女の特性を伸ばすためのCADの調整、新しい魔法式の構築。
✡ ✡ ✡
「すごいじゃない、達也くん! これは快挙よ!」
「……会長、落ち着いてください」
「あっ、ごめんごめん」
午前の部の終わった正午。第一高校の天幕では歓喜に沸いてハイテンションな一高生徒会長が司波達也の背中をバシバシと叩いていた。
新人戦女子スピード・シューティング部門では、一高が一位から三位までの上位を独占したことが真由美のテンションをおかしな感じにまで押し上げていた。
「でも、本当にすごい! 一、二、三位を独占するなんて!」
「……優勝したのも準優勝したのも三位に入ったのも全部選手で、俺ではありませんが」
褒め称えられているのは選手たちもだが、同時に彼女たちの担当技術者でもある達也もだ。達也はCAD技術者として抜擢されたが、主に男子や上級生からの反発が強すぎて深雪やほのかの強い推挙により一年生女子を担当することになった。
それがこのような結果――同一高校による上位独占を生んだのだ。
「もちろん北山さんも明智さんも滝川さんもすごいわ! みんな、よくやってくれました」
「しかし、同時に君の功績も確かなものだ。間違いなく快挙だよ」
真由美のみならず摩利も上機嫌というものだ。
とりわけ優勝した雫に達也が用意したCADは高校レベルどころのものではなかった。
照準補助システム連結型の汎用型CAD。
本来、照準補助システムは格納できる魔法式の限定された特化型CADにのみ接続することのできるもので、構造的に汎用型CADには載せることのできないのが常識だった。
世界的に見れば、そういった事例がないではないが、それはまさに最先端の研究。つまり実験的なものでしかなく、雫が見せたように実戦で耐えうる程の、まして高校生レベルとはいえ競技レベルで使用できるようなものではなかったはずなのだ。
それを達也は可能にした。
ただ雫の力を引き出すという目的のために、世界中の魔法工学技師を差し置くほどの成果を見せつけたのだ。
そして他の二人にしても、彼が担当技術者であったからこそ、自身の本来の実力以上のものを引き出せたという感覚があった。
対戦の組み合わせに多少の運もあったが、示された結果は歴然たるものだ。
「優勝おめでとう、雫」
「ありがとう」
賑やかしかった一高作戦本部の天幕から出てきた雫は、外で待っていた明日香と会ってかけられた言葉に、普段起伏の乏しい表情をほころばせた。
自己顕示欲がとりわけ強いとは自覚していないけれども、それでも憧れを抱いた彼に自分の魔法の力を、ここまでできるんだというところを大舞台で見せることができたのは嬉しかった。
そして―――――
「今度は、明日香の番」
舞台は違うけれど、同じ目的のために戦えるということ。それも憧れた九校戦の舞台で、彼がその力を見せてくれるという期待に、雫は胸を膨らませていた。
「ああ。任せてくれ。」
少女の期待に、明日香は微笑みとともに自信ある言葉で応えた。
✡ ✡ ✡
同日午後。
九校戦の会場となっている広大な富士演習場の南東エリアの中で、バトル・ボードの競技コースは、カーブを含めて全長三キロメートルの人工水路サーキットとして用意されている。それが男女二コース、同時開催される。
他の会場に向かう際に水路サーキットの広いコースを迂回せずに済むように、バトル・ボードのコースは敷地の端の方に用意つくられており、この会場で遭遇するということはほぼこの競技の観戦のために来たと言っていい。
「藤丸君!」
「おや皆さまお揃いで」
声をかけてきた真由美を筆頭に包帯の痕の痛々しい摩利、会頭である克人まで来ていて三巨頭がそろい踏みしているのはそれだけ魔術師の試合に注目しているからだろう。首脳部としても魔法師としても。
他にも雫や美月、幹比古、レオやエリカの姿もあるが、一方でほのかや達也、深雪の姿がないのは達也がアドバイザー的な役割を行っているほのかの方、つまり女子バトル・ボードの方へと行っているからだろう。
バトル・ボードの競技スケジュールでは、ボードの準備や水路の点検・修理のための時間を含めて一レース一時間で組まれている。
明日香の出走順番は男子の2走目。ほのかの出走順位は女子の3走目で本日の最終レースで、競技自体が十五分程度で済むことを考えれば、雫たちはこちらが終わってから隣の女子競技場へと移動をするつもりなのだろう。
ただ、それは観戦する立場からの話であり、選手であると同時に明日香のCAD調整者を兼ねているはずの圭が観客席にいるのには少々違和感がある。
「モニタールームに居なくていいの?」
技術スタッフが関与できるのは試合の直前までで試合が始まってしまえばあとはもう助言もなにもできることはなくだだ選手を見守ることしかできない。
試合間隔の短い早撃ちでは合間にCADの調整を行う必要があるが、波乗りの予選では一走しかしない。ゆえに選手のCADを調整したスタッフが、用意されているモニタールームに居ようと観客者席にどちらでもいいのだが、雫の質問はなんとなく明日香と圭との距離感の近さを見ているからだろう。
見れば質問してきた雫だけでなく、真由美たち首脳陣も少し猜疑的な視線を圭に向けていた。
魔術においてもそうだが、魔法師でも一門の秘奥である魔法式は独占するものだ。だからこそ他人の魔法式を詮索するのはマナー違反などという不文律があるわけだが、特に古式魔法師は術の秘匿を行う傾向が強い。
魔術師である圭や明日香が他の技術スタッフ――上級生の一科生のサポートを受けなかったのも納得できる話だ。
だからこそ、このように衆人環視の舞台で彼らが本気でやるかはかなり猜疑的に見ざるを得なかった(実際のところ、十師族である真由美や克人も、
「ただのポーズだよ」
「ポーズ?」
雫の問いに対して、圭はいつも通りのゆるふわとした微笑みをたたえている。
「水上でこのルールなら明日香に負けはないよ。たとえどんなCADを使おうとね」
そもそも魔術にはCADは必要ない。
まして明日香の場合は宿る霊基そのものが神秘の塊、“魔法”のようなものだ。
その彼が全力を尽くすというのなら、常勝不敗の騎士の王たる彼に負けはない。
「それは魔法ではなく魔術を使うということかい。レギュレーションとしては大丈夫なのか?」
興味があるのは雫ばかりではない。古式の魔法師として、そして今スランプから多くを取り入れようとしている幹比古も、多大な興味を抱いている
「チェックは通りましたよ。もっとも、魔術でもないけれどね」
水上コースに各選手が姿を現し始めていた。
青地に金の模様が描かれたボードを相棒とする明日香もウェットスーツに身を包んで会場入りし、コールを終えて出走準備を整えてスタートラインへと並んだ。
「さぁ。それじゃあ行こうか!」
ブザーが鳴り響く。
観客席が固唾を飲んで静まり返り、選手たちが初速を行うための体制に移り、魔法の発動を抑えつつもその構築準備を行う。
一拍の間、そして――――――二回目のブザー。
スタートの合図とともに各校の選手がダッシュを切り、観客席が一気に沸き立った。
「出遅れた!?」
好スタートを切った各校の選手と対称に明日香の魔法発動は後れを取った。
各校選抜された選手たちは滑らかな魔法の発動からボードを加速。その発動速度こそ魔法がかつての“異能”から進化した証でもあり、出遅れた魔術師を背後に一気に距離を離していき…………
「えっ?」
「なんだ?」
「これは、妨害、魔法……?」
けれども差はそれ以上広がらなかった。
各校の選手たちが懸命にボードを進めようと加速魔法、移動魔法を発動させるも、それを嘲笑うかのようにボードは進まない。
ボードの乗る水面が猛烈な勢いで逆走をしているのだ。
選手たちの魔法をものともしないほどの勢い。いや、それだけではない。
選手たちも気づき始めていた。水路の水が猛烈な勢いで逆流することで、その水位が下がっていっていることに。
その様子は水路上の選手よりも観客たちの方が分かっていた。なにせスタート後方に明らかな異変が生じているのだから。
「なんだ。水面が!?」
「ちょっと、まさか…………」
摩利や真由美、のみならず観客たちが唖然とし始めていた。
見る見るうちに選手たちの足元の水位が下がっており、水路の底がうかがえるほどになっている。なればこそ、押しのけられた水はどこかで水位を高めている。――つまりは波だ。
それも摩利や真由美たち、九校戦を見てきた魔法師たちが唖然とするほどにでかい大波。 本戦の出場選手たちですら行わない、いや、行えないほどの規模。発生すれば全選手はおろか自身ですらも飲み込まれ押し流されるであろう一撃。それが選手たちの後方、スタートラインの後方、つまり出遅れた明日香のさらに後方に、まるで大蛇が鎌首をもたげるようにしている。
「さあ、
勢いよくスタートを切った選手たちは今困惑と混乱の中で懸命に魔法を発動させていた。
「くそっ! どうなってるんだ!?」
「加速魔法を全開にしてるんだぞ!」
だがそれでも、彼らのボードが前へと進むことはできない。
この競技では水面から跳躍して意図的にショートカットすることは認められていないため、一時的にジャンプする以外に着水した状態からは逃れられない。
ボードを加速魔法や移動魔法で押し進めようとするも、猛烈な水流の勢いに逆らえない。水面に干渉して水流を改変しようとする選手もいたが、強固な事象の改変が先行されていて弾かれる。
事象を改変する魔法は、その対象物・空間に事象改変が先行していた場合、それを上回る魔法干渉力が必要になる。
水面に彼らの魔法干渉力が束になっても敵わないほどの強固な事象改変が行われているのだ。
「さぁ、いくぞっ!!!」
それをなしているのは最後尾の明日香。彼の一声とともに大波が動き出す。
先行していた選手たちが振り返り、そしてその顔が驚愕に染まった。
「なん、なっ!!!?」
彼らの身長の倍……どころか3倍以上、10m越えの大波が迫る。
その中腹には体勢を崩すことなく、大波を乗りこなすかのごとくにボードを走らせる魔術師。
――「
選手たちが大波に飲まれる、押し流される。慌てて硬化魔法によってボードとの相対位置関係を硬化させてしがみつこうとするも、魔術によってなされたその大波を前には意味をなさない、というよりもボード諸共激流に飲まれて木の葉のように遊ばれている。
ただ一人、大波を制するかのごとくにボードの上に立つ波濤の王様――明日香のみが水上を走っている。
「あっはっは!」
「…………なに、あれ?」
波を操作して妨害と推進力を意図する魔法は、本戦でも見られることはある。
今年であれば女子の本戦で四高の選手がスタートダッシュの際に後方の水面を爆破することで波を作って同じことをしようとしていた。だが、走行中に他者の妨害を行うのは本戦の選手であっても難しくボードを制御しきれずに自爆していた。
明日香のやっている戦法もコンセプトとしては同じだ。大波を作り出すことで推進力にするとともに他の選手を攪乱する。
だが大波の作り方が違う、というよりも規模が桁違いだった。
水路全体の水を操作でもしているかのように大波の勢いと規模は衰えることはなく、直線を過ぎ、カーブにも差し掛かっている。
大波に押されるだけではコースアウト間違いなしのスピードにもかかわらず、明日香は巧みにボードを操り、ロデオフリップよろしく華麗な回転によってコーナーをクリアしていた。
「よく落ちないわね」
「たしか四高の女子選手が同じ戦術をとっていたが、獅子劫の魔法は安定しているな。それに基礎的な技術も高い」
並みいる選手たちの魔法を寄せ付けない干渉強度と干渉規模を見せつける明日香の力。そして華麗なるサーフテクニックに観客席の魔法師たちは感嘆を示していた。
真由美や摩利から見ても、つまり本戦を戦う魔法師から見ても、明日香の魔法力と技量は圧倒的だった。
「いやぁ、明日香も本気だねぇ」
夏のレースを駆け抜ける幼馴染の弾けっぷりに圭も愉快そうに観戦している。
明日香が引っ張り出してきた礼装は……まぁ、代えがたい貴重な品ではあるのだが、他ならぬ彼の霊基が使っているのだから問題はないだろう。
圭はちらりと隣に座る雫に目を向けた。彼女の希望するモノリス・コードには出場しなかったが、それでも九校戦のフリークである彼女にとって、圧倒的な“魔法”の力と技能をもって活躍する選手は視線を釘付けにするほどの格好良さがあった。
一方でそんな明日香の“魔法”を別の視点で視ている者もいた。
「青い精霊が獅子劫さんの周りに集まっている……?」
「美月?」
柴田美月の瞳が不思議な色合いを帯びて、他者とは違う光景にピントを合わせて明日香の“魔法”を視ていた。
霊子放射光過敏症。
魔法師にとっては当たり前に認識できる霊子だが、彼女のように視感覚において霊子に対して鋭敏すぎる感受性を有していると、その活動が光として見えすぎてしまう。
それは霊子に対する感受性の強さであるが、メリットばかりではない。あまりにも強すぎる感受性は日常生活にも影響を及ぼしうる程で、彼女が魔法科高校に入学したのはその鋭すぎる感覚を抑える術を身につけるためであり、彼女がこの時代ではほとんど実用性の見出されない眼鏡を着用しているのも、特殊なレンズでその光を遮断する必要があるためだ。
その彼女の超常を視る瞳が今、
「へぇ。本当に目がいいね。アレが見えるのかい、ミス・美月」
ゾクリと、その言葉に背筋に寒気が走った。
それは触れてはいけないなにか、見てはいけない何かを見てしまったと感じさせるような声音。
振り向くと魔法師ならざる“魔術師”が口元にだけ笑みを浮かべて美月の瞳を見ていた。
「ぁ…………」
美月は、彼を、藤丸圭という一科生を知っている。
初対面で、険悪な場の空気を読まずにナンパしてくるようなフランクな人だが、その彼が4月の騒動の際に三巨頭ですらも危うかった相手と渡り合うような魔法師だと聞いている。
その霊子の光が、目の前の“魔術師”からは見えなかった。
まるで深淵の闇を覗きこむような、吸い込まれるような、それでいて覗き返されているような恐ろしさ。
夏の、熱気あふれる九校戦会場の観客席であるにもかかわらず、急速に体温が失われていくかのような、喉の奥が乾きつくかのような感覚。
「ちょっと」
覗きこむ深淵を断ち切ったのは聞き慣れた友人の声。
険の帯びたエリカの声に美月はハッと我に返り、圭もふっと口元に笑みを浮かべて先ほどの雰囲気を霧散させた。
美月の隣に座る幹比古も庇うように自らの体を割り込ませてきており、圭としても“悪ふざけ”はここまで。なんでもないとアピールしているように肩を竦めて視線を戻した。
ひりつく様な雰囲気が失せたのは圭の方のみで、戸惑う美月と警戒を露わにするエリカと幹比古は置いてきぼりとなっている。
「まぁまぁ、それより藤丸君。獅子劫君のあれは精霊魔法を常時発動しているということ?」
真由美がとりなすように話題を競技舞台の方へと戻した。
ただそれは少々デリケートな、かつ大胆な踏み込みを孕んでもいる質問ではあった。
通常魔法師同士であっても他者の魔法についての詮索はあまりよろしくないマナーとされている。それが家系の秘儀に属するような魔法であればなおさらだ。
そして明日香や圭は魔法の中でも特に知られていない領域の魔術を使う者たちなのだから。
興味関心は大きいが、詮索してもよいものではないだろう。
「いえ。デフォルトですよ。“彼”は精霊に好かれていますから」
だが明日香の“アレ”は魔法でも魔術でもない。
その本質に迫られるのはよくないが、この程度を知られる程度であれば最初から魔法科高校には入学していない。
それよりも彼らと友好的なやりとりを続けている方が、精神的にも意義的にもありがたかった。
「精霊か。たしか古式魔法に精霊を使う魔法があったな……それで獅子劫は精霊を操る魔術が得意なのか?」
摩利としても諸事情からエリカに敵意を向けられがちなので、この話題転換はありがたく、都合よくそれに乗っかった。
古式の魔法はあまり一般的には知られていないが、摩利の家は傍系ではあるが魔法師としてよりも来歴が古い。それだけ古式所縁の魔法にもとっつきやすかった。
そして一方で、その古式魔法の大家である幹比古にとっても、あの明日香の魔法は異常だった。
――精霊魔法? いや、あれはそんなものなのか? あれは……――
吉田家は精霊に通じ、とある儀式――幹比古がかつての神童としての力を失った事故で目標とするように神霊を喚び出すことを目的としている。
神霊は精霊魔法の最奥。あらゆる精霊を見抜き、そこにアクセスすることが神を視ることにもつながるのだという考えがある。
であれば、まるで手足の如くに精霊を纏わせ、精霊に好かれているなどという彼は、それに近しい存在なのではないだろうか。
そう。英霊とは…………
「詩的に表現するなら、そうだね、うん。精霊の加護、ってところかな」
いくつかの思いと詮索を他所に、眼下の競技場では明日香が他の選手をまさに薙ぎ払って圧倒的な勝利を収めた。