Fate/ School magics ~蒼銀の騎士~ 作:バルボロッサ
魔術――――
今は失われた異能。かつて世界を救った事件によって知られるようになったものの、その解明と共に消えていき、ついには現代の魔法にとって代わられた超常的な力。
科学技術にしろ魔法技術にしろ、進歩というのは常に前へと、未来へと進むものである。
古式魔法や現代魔法において有効ではないかと思われていた伝統的なエレメンツの考え方も、現代の魔法学に照らして考えればすでに効率的とはいえない。
勿論、古式魔法師やエレメンツの魔法にも、四系統八種で区分される現代魔法とは異なる方向に優れたところはある。
十師族の中には最先端の魔法技術だけに目を向けていただけではなく、古式の魔法を積極的に現代魔法に組み込もうとした試みもなされている。九島家を排出した第九研の当初のテーマでもあった。
だがそれらでさえも、古式魔法と魔術の違いは分かっていない。
現在においては藤丸という魔術師の家門のみが存在を確認されているが、他の魔術師一派がどうなったのかは誰も分かっていない。
だが彼らと敵対的な存在。魔術によって生み出されたものがいる以上、彼ら以外にも魔術師が残っているのだろう。
英霊召喚。サーヴァント。魔術によって過去の英雄を召喚し使役するという、まさに“魔法”のような行為。
達也がその眼に宿る異能――
本来、達也の知覚能力は彼が生来に有している魔法技能(分解と再成)の副産物であり、その視覚は物質界よりもむしろ情報界であるイデアにアクセスして存在を認識している。
物質の材質などというものよりも深く、存在の視覚による認知。
そのためある程度は過去に遡ることができる。だが、彼の再成の及ぶ範囲、彼の頭脳をもってしても遡ることのできる範囲はせいぜい1日程度が限度だ。
過去への遡及に特化した能力ならばともかく、副産物である彼の“眼”での限界
そのため、サーヴァントとして召喚されている英霊が本当に過去の人物や怪物などであれば(少なくとも達也が直接目にした一騎であるメフィスト・フェレスは、歴史上においてモデルとなった似た人物がいたとしてもあのままな実在の人物ではないだろう)、達也の精霊の眼であっても追いきれないのは無理からぬことだ。
加えて言うならば、達也の精霊の眼は情報素子である
サーヴァントというのが過去の亡霊の如き存在であるのならば、その本体は心霊存在とほぼ同等で、
サーヴァントであるメフィスト・フェレス、デミ・サーヴァントである時の獅子劫明日香。どちらにも共通することとして、彼らを精霊の眼で見ようとするとイデアに高密度の
超高密度に
本来の術式解体は圧縮されたサイオンの塊を、通常の魔法式のようにイデアに投射することなく直接対象物にぶつけて爆発させ、起動式や魔法式といったサイオン情報体を吹き飛ばすというもので、達也のような並外れた大容量のサイオンを保有していなければ使うことができない代物だ。
奇妙な符合というべきか、達也の同学年にはレンジ・ゼロの異名を持つことで有名な魔法師がいて、彼は体質的にサイオンを強固に引きつけてしまうため、接触型の術式解体で鎧のように身を守ることができる。
いずれにしても、そんな対抗魔法を身に纏っているということは、サーヴァントにダメージを与えようとするならば、それ以上のサイオン流で攻撃するか、魔法ではなく物理的に直接攻撃を仕掛けるしかない。
けれども彼らの身に纏うサイオン/プシオンの量は達也の行使できるサイオン量すらも上回っており、また存在そのものが心霊存在であるならば物理的攻撃そのものが通用しない。
獅子劫明日香や藤丸圭は、サーヴァントはサーヴァントをもってしか倒せないと言っていたが、確かにもっともな話だろう。
だが攻撃方法がまったくないかといえば、そうでもないはずだと達也は考えていた。
確かに達也の膨大ともいえるサイオン量の合計であったとしても、サーヴァントそのものを吹き飛ばすことはできないだろうが、例えば術式解体で圧縮するサイオンの圧力をさらに高めて、徹甲弾のようにピンポイントでぶつければ…………。
それはまだ仮説の段階で、実際に行う訳にはいくまい。
現状、敵対的なサーヴァントは身近にはおらず、今のところ友好的な関係にある藤丸や獅子劫に、お前たちへの攻撃手段を確立させたいから的になってくれとは頼めまい。
そういった心霊存在、古式の専門家としては同じクラスの吉田幹比古や体術の師匠である九重八雲がいるが、彼らですらサーヴァントに伍することはできないらしい。
今のところは、師匠の作り出すサイオン情報体に対してサイオン徹甲弾(仮称)を作用させることをまず練習している段階だ。実際にサーヴァントに通用するのかは現状テスト不可能。
だがそれでも、サーヴァントへの対抗策の確立は達也にとって急務のこととなった。
精霊の眼はイデアの海にリンクすることによって、こと深雪に関しては事実上、千里眼のように距離の制限なく守護としての力を割くことができるはずだった。
ともすれば妹に対するプライバシーの侵害ということにもなるそれは、けれども二人にあっては断ちがたい絆であり、万一深雪の事態に危機が迫れば、イデアを介して達也は悪意を捉え、その悪意の主を消滅させる魔法を持っていた。
けれども九校戦の晩、達也は結界に囚われた深雪の危機に気づけなかった。彼女がサーヴァントという、魔法師に対しても強者足り得る存在の作り出した異空間で攫われ、尊厳を奪われようとしているときに、達也は怒りの情動による行動を起こしていた。
達也にとって激情ともいえる感情の起伏は、唯一深雪に関する事柄においてのみ揺らされるものであり、その行動もまた、深雪に害なす存在を抹消するための行動ではあったのだが、だからといってその深雪を危機に晒してしまったのは痛恨の極みであった。
達也にとって誤算だったのは、サーヴァントが精霊の眼を偽装するほどの隔離空間を、達也が気づく間もなく構築し、深雪を囚えてしまえたことだ。
達也自身、魔法が絶対のものとは思っていない。
強力な魔法師であっても、魔法障壁の展開されていないときに銃撃を受ければ、あるいは心臓を一突きにされれば死は免れない。
再成という、現代の魔法における治癒魔法よりも格段に上位の回復魔法を――回帰魔法を持っている達也にとって致命に至る傷というのはなかなかにないことだが、奪われた尊厳や心の傷までは再成できない。
もしもあの時、サーヴァントが狙っていたという行為。
見知らぬ男に深雪が凌辱され、孕まされ、奪われていたとしたら、達也の精神はどうなっていたか分からない。
達也の属する“本家”は達也のことを世界を破壊しうる存在として、危険視し、排除しようとしていた。
それがまさに具現していた可能性すらある。
達也が深雪の危機に気が付いたのは、無頭竜の日本支部幹部たちをこの世界から抹消し、帰途についていたまさにその時だった。
それはこの世界に新たなサーヴァント――アストルフォと名乗ったあの英霊が召喚された時だった。
彼によって、達也の精霊の眼を欺いていた隔離空間は綻びを見せ、まだイデアを介して深雪を補足することはできなかったものの、直感的に深雪の危機を感じ取ることができた。
だがそこまでだった。
魔法は距離を無視して作用を及ぼすことができる力だ。
人間の認識力の関係で、通常の魔法師にとっては何らかの観測・照準補助がなければ視界に収まる範囲が精々の射程距離だが、達也にとって、そしてこと深雪に関しては、距離などという物質界における壁はないのだ。
ただ―――そう、ただ達也の魔法がサーヴァントに通用しなかったということだ。
距離に関係なく、達也の分解の魔法はサーヴァントを、英霊を、分解して消滅させることができなかった。
自身の魔法――
達也の対サーヴァント戦術はその時に間に合わなかった。
達也には為すべきことが山積している。
サーヴァントのことだけではなく、本家にしても、軍部にしても無条件に達也を庇護してくれるものではなく、達也の力による結びつきと、達也の力を恐れる結びつきとによって平衡を保っているに過ぎない。
特に本家に関しては、なるべく早く、四葉の力から独立しても干渉されないだけの力を得る必要があった。
それはサーヴァントに対するのとは別の力であり、達也の自由に関することだけに、深雪も望むことであった。
それに魔法師全体の、深雪の魔法師としての自由を得るという目標もあった。
強大な魔法師は軍事利用され、兵器のように消費されるという国家による現実がある以上、そこからの魔法師たちの解放、深雪の解放は直近のことだけを考えていてはいつまで経っても実現できないことで、それを解決する必要もあった。
だから対サーヴァントに関しては、他に専門家がいる以上、深雪が深く関わらなければ、問題ないと思っていた。
―――――――甘えていた。
結果、深雪を危機に晒した。深雪の守護を別の誰かに委ねてしまった。
それは達也にとって
かつて、大亜連合の侵攻による沖縄防衛線で、彼は一度深雪を失いかけた。命の失われ行く深雪の姿を目の当たりにして我を失うほどの怒りに身を委ねた。
結果、多くの敵兵を殺戮し、戦艦を沈め、摩醯首羅とまで呼ばれるほどに恐れられる存在と化した。
力が欲しかった。
その時にも思ったことだった。
彼にとっては本当に大事なのは深雪だけだが、深雪が大事に思うものもまた、彼が守りたいと思うもの。
沖縄防衛線では彼の力が足りなくて、大切な人を一人失った。
今また、深雪を失っていたかもしれない、穢されていたかもしれないという恐怖に直面して、達也は一層強く思うようになった。
本家を――四葉家を凌駕し、軛から破壊することのできるだけの力とは別種。サーヴァントであろうと、過去の英雄であろうと、打倒し、消滅させることのできるだけの力が。
深雪が雫とほのかから別荘へのバカンスに誘われ、達也も一緒にと誘われたのはそんな時だった。
「ふっ―――――ねッッッ、だぁああああ!!!!」
元気のいい声が港に響く。
「うははぁっ! でっかぁーい!! 船だよ船! なにこれ
ぴょんぴょんと跳ねながら、くるくると動き回っているのはピンク髪を三つ編みにした少女のような姿をした騎士――アストルフォだが、「わぁ~い」とはしゃぐその姿はどう見ても子供の様にしか見えない。
少なくとも魔法師たちを数多拉致し、それを救おうと立ち塞がった魔術師たちを窮地に陥れていたサーヴァントを撃破した英霊のようには見えない。
その隣には、正確には先ほどまで隣に居て今は置いてけぼりをくらって疲れたように頭を抱えている二人はあれの監督者である魔術師だ。
「あれやりたいアレ! 舳先に立って両腕を広げるアレ!」
「やめてくれ。というか君はどれだけ元気なんだ」
集合場所であった葉山のマリーナについて早々に駆けだし、停泊している北山家所有のクルーザーにはしゃぐアストルフォとは対称的にどこか既に疲れているようで、特に藤丸圭はどことなくやつれて見えるのは、他ならぬ達也の目からすれば気のせいではあるまい。
「明日香。……少し疲れてる?」
「まぁ……大丈夫だよ、雫。それよりも今日は誘ってくれてありがとう。ケイとアストルフォも」
親しくない者からすれば無表情ともとれる顔に、親しい者にはわかる心配の色を覗かせて尋ねる雫に、明日香は礼を述べていた。
「九校戦の後、なにしてたの? あ、魔術師のお仕事とかで言えない事ならいいんだけど」
連絡を取ったときにも感じたことだし、彼らは魔法師ではなく魔術師でもあるということから、成すべきことがあると知っている。だから今回のバカンスの誘いが、明日香たちにとっての余計な負担になっていないかと心配になったのだろう。
「いや。アストルフォが旅行に行きたいというからそれに付き合っていたというか。
こちらに召喚される以前にいた場所で関わった人たちと縁のある場所を巡りたいと言い出してね。というよりもその旅の途中だったらしくて、関西の方に行ったんだ」
ただ、それに対して明日香たちは、決して魔術的などうのこうので疲弊していたわけではなかった。
「関西?」
「ああ。別に魔術的な聖遺物があるとか、サーヴァントと戦いに行ったとか、そういうことは全くなくてね。ただ、そこから長崎の方にも行きたいというからなぜか四国を経由して九州に向かい、長崎に行ったかと思うと遊園地に行きたいと言い出してなぜか北海道に行き、温泉に入りたいからとこれまたなぜか関西に戻って……」
疲弊の原因は
彼の無軌道にして突発的行動に振り回された結果、日本のあちこちを行ったり来たりするはめになったのだ。
現代の交通事情は、今世紀初頭よりも格段に向上しており、比べれば移動は快適、短時間にはなっている。
だが九校戦から2週間。その間に日本全国を行き来して、加えて旅先で幾度も揉め事に首を突っ込み、あるいは騒動の種になっているアストルフォに付き合えば、圭にとっては体力的に、そして明日香にとっても精神的な疲労感が溜まるのはむべなるかな。
その意味で、幾人かの友人と共にとはいえ、見知らぬ一般人たちに囲まれることのないプライベート空間、元無人島に行くというのは二人にとってもまさにバカンスで、ありがたいことだった。
そしてそんな雫と明日香の会話を、達也も聞くとはなしに耳に入れていた。
そこには気になることがいくつかあった。
――召喚される以前……?――
シャルルマーニュ英雄譚にその名を刻む英雄アストルフォ。
イングランドの王子でありながらも大帝に騎士として仕え、巨人カリゴランテの討伐をはじめとして数多の冒険や戦場で武名を挙げた“彼”だが、英雄譚においては眉目秀麗なお調子者として描かれており、理性が蒸発しているとまで評されている能天気の美丈夫。
その彼が召喚される以前、つまりは生前となれば時代はそれこそ中世以前、古代とも言えるほどに昔のはずだ。
その時代にはすでに日本という国の形は成立していたかもしれないが、関西などという地域が区分けされていたとは思えない。にもかかわらず、召喚される以前に関わった人物と縁があるというのは奇妙なことだ。
研究に鍛錬にと時間に余裕のない達也が今回のバカンスに参加することを決めたのは、一つには深雪が友人たちから誘われたという機会を不意にさせたくないという思いから。
サーヴァントへの対抗手段を確立するための情報を得る機会。
それに加えて、このアストルフォや獅子劫明日香を直接視ることができるからだ。
――――なのだが…………
「――――」
視えなかった。
苛立ちという感情の高ぶりは、一定を超えたところで凪ぐようにして消えたが、微かな残滓のようなものは残る。
メフィスト・フェレスとも獅子刧明日香とも違う情報構成、ではなく、視えなかった。
まるで情報の海に空白が生じているかのように。アレに対する知覚そのものが、拒絶されているかのように。
ゆえに反応が遅れた。
達也にとって珍しいことに、相手がこちらに視線を向けているという、その意識を捉えることが遅れてしまった。
結果、達也は精霊の眼ではなく肉眼でアストルフォを注視して、真っ向からその視線を交えてしまった。
「――――ッッ」
微笑み。
イデアにアクセスして情報構造体を視ることのできる精霊の眼の隠密性は極めて高い。
同じような知覚系の能力を有する魔法師、例えば七草真由美や柴田美月にすらもその眼を見破られたことはなかった。
だが
イデアに在るはずの情報すらも隠蔽して見せ、さらには気づいたのか感づいたのか、達也が視ていたことに、確かに気が付いたのだ。
「ライダー!」
船に飛び乗ろうとしているアストルフォをいい加減止めようと強い口調で呼びかけた明日香だが、自分の方に向けられて、近づいてくる気配に振り向いた。
そこには黒のジャケットを着た男性がいた。
ビジネスの場、というにはやや方向性が異なるが、バカンスに同行するにはやや固い衣装。
その男性には見覚えがあった。
「君が獅子劫明日香君、だね。私は北山潮、雫の父親だ。二年前は、君たちと満足に話すこともできなかったからね。今日、会うことができてよかった」
北方潮のビジネスネームで知られる日本屈指の実業家。
二年前の魔法師子女誘拐事件において娘を誘拐された彼は、それが解決した時に圭によって魔術的に事件に対する口止めを受けた。
あの時はまだ魔術師が積極的に魔法師に関わっていいかどうか判断を先延ばしにしていた時期だった。
彼らの
けれど本来、魔術師は世界の表側で輝く存在ではなく、魔法師のように人々の生活に関わるべき存在ではない。
結果として事件の当事者であった雫たちには偽りの記憶を暗示で植え付け、真相は魔法界に影響力の大きい十師族のみが知ることとなった。
魔法と魔術は違うもの。
世界の影に蠢き、最早裏側に行くべき魔術。
魔術を駆逐して世界の新たなる光となって明暗を生み出し、人や国にとって欠くことのできない技能となった魔法。
だが、もしもこの時代において彼らの“オーダー”を遂行するとしたら、それは魔術から分かたれた魔法が鍵となるはずだと推測したからだ。
ただ、雫に限って言えば、明日香やサーヴァントとの再会というきっかけがあったとはいえ、彼女が自力で暗示を解いてしまったことからこれ以上は無意味と判断して両親の口止めの暗示もすでに解除されている。
だからこそ、愛娘が気にかけているかつての恩人に、彼自身もまた会いたかったのだろう。
ただ―――――
「君たちには娘を助けられた。今日は――――」
「本日は―――――」
無礼を承知で、明日香は強引に北山潮の言葉を遮った。
「
今日、ここに来ているのはかつて魔法師子女誘拐事件を解決した魔術師ではなく、魔法科高校の一生徒で、雫の友人。
以前雫にも言ったことだが、攫われたのが北山雫だから、十師族だから、助けようとしたわけではない。
サーヴァントの暗躍を知り、誰かの危機に気がついて、それを誅することこそが役目だったからこそ、明日香は
救われた魔法師の子らと、それを理由にして恩を売りつけるつもりはない。
明日香の態度は宣言であり、北山潮もそれを察した。
察して、ため息をつきたくなった。
今回のこの件、バカンスに彼を誘うという案について潮はまったく関わっていない。けれども同行するメンバーを聞いてまたとない機会だと思ったのだ。
けれども彼らはそれを望んでいない。
だから仕方がない。
「歓迎するよ、明日香君。娘の新しい友達の皆も。楽しんでいってくれたまえ。残念ながら私は用事があってもう行かなければならないが、自分の家と思ってくつろいでほしい」
溺愛する娘の恩人としてではなく、ただ娘の友人として遇する。それだけが彼らに求められていることだと察したから。
「ふんふんふ~ん♪ よっ、ほっ」
葉山のマリーナから別荘のある聟島列島まではおよそ九百キロ。
流石というべきか。北山家所有のクルーザーは、そこそこ荒い波模様をものともせず、スタビライザーと揺動吸収システムのおかげで揺れも少なく快適な船旅を乗客たちに提供していた。
とはいえ船上だ。陸上ほどには安定していない。
甲板は全体が透明なドームで覆われているため、高速航行中でもミニのスカートが突風に煽られるといったラッキースケベ的展開は期待できない。
だが、かといって船の上の細い手すりの上を、魔法による補助なしに渡っているのは生半なバランス感覚ではないだろう。(もしかするとエリカならばできるかもしれないが……)
船の運転をすることを却下されたアストルフォは、それでもアストルフォらしい好奇心の旺盛さを発揮して色々とこのクルーザーと船旅を楽しんでいた。
ただアストルフォからしてみれば少々の物足りなさはあった。
せっかくの船旅なのに海風を感じられない。
海上の揺れも、アストルフォが知っているよりもずっと凪いでいる。
それはそれで、時代の移り変わりというか、アストルフォの頃とは文化の発達とでもいうものの違いが感じられて、それはそれで面白いのだが、やっぱり旅の醍醐味的なものの足りなさはある。
ただし、それと手すりの上を平均台よろしくバランス遊びをしていることには関係はない。
行程の半分ほどが過ぎ、別荘まではあと3時間ほど。
クルーザー内の探索はとっくに終わっていて、暇つぶしにヒッポくんでも呼び出して毛繕いでもしようかと思う頃合いだった。
ちなみにアストルフォの監督役兼保護者でもある魔術師二人は、流石に知り合いだらけの船の上ではアストルフォといえども問題の起こしようがないだろうと休息中である。
なお、乗船早々アストルフォが船の運転ができるからしたいと主張したのには技術よりも法令順守の心を説いていて却下した。
そんなこんななアストルフォは、近寄ってきた人の気配を感じて手すりから甲板へと飛び降りた。
「よっと! それで、どうしたの?」
こちらの方を伺う気配、それ自体はかなり前から感じていた。
それはサーヴァントであるアストルフォを伺うものであったり、過去の英霊という現代の魔法においてありえざる奇跡の具現を伺うものであったり、あるいはアストルフォ自身に話しかける決断を先送りにすべきか悩んでいるようなものであったりだ。
「この前は、貴方にも助けられたからお礼を言いたくて」
話しかけてきたのは英霊やサーヴァントとしてではない、アストルフォに対してのもの。
「え~っと、この船の持ち主の子だよね。そんなの気にしなくてもいいよ。堕ちたものを討つのも僕たち英霊の役割なんだから」
雫と、さらにその後ろには一緒にほのかもおどおどとしがちに付いてきていた。
先の九校戦の最終日前日。この世界に召喚されたアストルフォは早々にサーヴァントとの戦闘に首を突っ込むこととなった。
それは明日香や圭だけでなく雫やほのかを含めた多くの魔術師の子女たちを救うこととなった。
魔法という超常の力ですらも通用しない神秘の存在。
「それで、何か聞きたいことでもあるの?」