Fate/ School magics ~蒼銀の騎士~ 作:バルボロッサ
サーヴァント。
それは雫にとって恐怖の対象とも言えた。一度は誘拐され、一度は圧倒的な力で殺されかけたのだ。ただ、明日香はサーヴァントの力を振るうことのできるデミ・サーヴァントという存在なのだと教えてもらった。
だからこういうふうに、気軽に、とは言えないが、言葉を交わすことができるようなサーヴァントがいるとは思わなかった。
「僕が前に居たところ? トゥリファスだよ。え~と、そう! ルーマニアだ。うん、ルーマニア。ランサーの国」
何でも彼はこの世界とは別の時間軸の世界、年代的にはおよそ100年ほど前に別の戦いのために召喚されたサーヴァントなのだそうだ。
それでなんで日本の関西を知っていたのかという疑問を率直に尋ねてみると、元々、日本に限らずその時の戦いで出会った人たち、関わった人たちに所縁のある国とか地方とかを巡礼していたところで召喚されたということだ。
一応、アストルフォという真名を聞いていたから今日までの間にアストルフォという英雄の物語――シャルルマーニュ英雄譚を調べたりもしたのだが、まさかこんなにかわいい姿をしているとは思わなかった。原典でも数多の浮名を流した美丈夫だということだが…………
「ん? 明日香のことどう思っているかって? ん~、僕のマスターに似てるとこがあるやつ、かな」
サーヴァントには本来、召喚者であるマスターがいるものらしい。
以前遭遇したサーヴァントたちはマスターを持たないはぐれサーヴァントというものらしいが、アストルフォさんにはマスターがいるらしい。
「一言でいうならばバカだね。バカ……うん、シャルとおんなじだ」
ただそれも今はもう会えない遠い所に行ってしまったらしい。
違う世界から渡ってきたから会えない、ということでもないらしい。
シャル、というのは生前の知人か誰かのことなのだろうか?
それと彼、そしてマスターなる人物が揃ってバカだというのは気になる評価だ。
だって同じだと言う、その時のアストルフォさんの目は、少しだけ、そう、どこかで愁いを帯びているようにも見えたから。
「この世界にも聖杯があって、今はなんだかおかしな事態になっている。だから僕もしばらくはここにいるよ」
アストルフォさんがこの世界に呼ばれた理由、留まる理由を知ることが僅かなりともできただけでも、このバカンスの甲斐はあったかもしれない。
勿論、ほのかのこととか、明日香のこととか、やりたいことはまだまだあるけれど、雫が懸念していた方向性で、この英霊が明日香たちと共にいる訳ではないのではないかと、そう、思えた。
「それはそれとして今を目一杯楽しむのはやめないけどね♪」
そう言って八重歯を見せて笑うその顔は、伝承そのものであるように快活で明るいもので、
雫とほのかがアストルフォと話し始めたのをきっかけに深雪やエリカたちも徐々に近寄るようになり、達也も遠巻きではなく自然な形での接触をアストルフォと取り始めた。
彼にとって、相手の情報を分析することは深雪の護衛のために必須となるが、この相手にはそれができない。
サーヴァントという存在の情報はどれだけあっても必要にもかかわらずだ。
殊に、宝具という脅威については早急に対策を要することだ。
ブランシュの事件と九校戦での事件があったために明日香たちから齎されたその情報からは、宝具とは魔法師にとっての武装型CADのようなものなのかもしれないと推測している。もっと言えば、CADとは違い宝具とは聖遺物―――現代の魔法技術でも再現できない魔法が行使できるオーパーツだと達也は睨んでいる。
英雄の伝承が具現化した結晶。現代の魔法科学の概念からすればひどく曖昧なものだが、そもそも聖遺物というもの自体が、そういった魔術的産物の名残(藤丸曰く、現代では殆どの魔術は消滅しているらしいが)だとすれば、“魔法”の概念からだけではその本質には迫れない。
対策をとるためにも宝具というものをもっと知る必要があるのだが…………眼前の光景はそんな達也の思惑からすれば願ったりのはずなのだが、余所事のように思考してしまっているのは達也といえど現実逃避気味に考えたくなるときがあり、まさに今がそれだからなのかもしれない。
「どーだい、これが僕の相棒のヒッポ君」
たとえば目の前に存在する非常識の塊。巨大な鷲の上半身に馬の下半身を持つ怪獣――ヒッポグリフが同じ船の上にいるなどはありえない光景なのではなかろうか。
「大丈夫かっ!? 今、宝具の発動に匹敵するほどの魔力を感じた、ん、だが…………ライダーッッッ!!!」
現実逃避的に考えていたのは何も達也だけではなく、アストルフォ以外、呆気に取られていたのを覚醒させたのは、バタバタと駆けてくる音とドアを蹴破らんばかりに急いでやってきた明日香の怒鳴り声。
少し遅れて圭が甲板についたときにはヒッポグリフを脇において明日香がアストルフォにガミガミと言い含めている状態であった。
そもそも、英霊というのは過去の存在だ。
つまりサーヴァントの正体が判明すれば、その英霊がどのように生き、どのように戦い、どのように死んだかの全てが何らかの形で記録に残っているものだ。
それは弱点と呼べるものを明らかにするものであり、だからこそ明日香を含めて殆どのサーヴァントは自らの正体を隠すものなのだそうだ。
達也の師匠である忍術遣いの九重八雲に曰く、魔術を含めた神秘とは正体を隠すことによって力をつける矛盾的な“存在しないもの”である。
だから――――――
「なんでこんなところで宝具を展開しているんだ!? まさかとは思うけど、こっちの世界に来る前もそれで移動していたんじゃないだろうな!?」
おそらくやっぱりきっと、なんでもない平時に宝具の一つであるらしい幻獣を召喚するのは魔術師にとっても非常識なことなのだろう。
「え~、せっかくのヴァカンスなんだから、ヒッポ君だってたまには海風にのんびりあたりたいよね~?」「ヒッポォ~…………」
嘶くヒッポグリフの鳴き声が、ふさふさの首元に抱き着いているピンク髪の楽天的な代弁とは違いそうな気がするのは、きっと達也の気の迷いだろう。
流石の達也でも幻獣はおろか動物の声を理解するスキルはない。
「えっと、触っても、平気なんでしょうか……?」
「触るのは、やめておいた方がいいかな、レディ・美月」
ライオン程もある獣の姿に初めは退き気味だったみんなも、もふもふなヒッポグリフがアストルフォに抱き着かれても大人しくしているのを見て徐々に興味を示し出していた。
「ヒッポグリフは幻想の種であるグリフォンと馬との相の子だけれども、元々グリフォンの主食は馬と人だ」
ただし、過剰に――普通の愛玩動物に触れるかの如く宝具である幻獣に触れようとするのだけは圭に止められていたが。
「捕食者と被捕食者の相の子。つまりありえざる幻馬、ということなんだけど、グリフォンの主食が馬と人なら、ヒッポグリフの主食は――――」
「むー。失礼だな。ヒッポ君は見境なしに人を食べたりなんかしないもん、ねー?」
飼い主であるアストルフォの言葉に反応して、理解しているかのように嘶くヒッポグリフは、けれどもやっぱり主との意思疎通に齟齬があるように、達也には見えたのであった。
✡ ✡ ✡
「眩しい光景だねぇ」
ここに
派手な原色のワンピースを着たエリカ。大きな花のデザインがプリントされたワンピースの深雪。水玉模様のセパレートタイプの美月。ほのかもセパレートにパレオを巻いてそれぞれに抜群のプロポーションを披露している。
少女たちはこの日のために準備したのであろう色とりどりの艶やかな水着に身を包んでいた。
ただ、明日香が目を見張ったのはプロポーションで言えば他の少女たちよりも慎ましやかな姿にこそだった。
薄緑色のセパレートの水着は、フリルを多用して少女らしさを演出しつつも少女の頼りなげな程に華奢な肢体を魅力的に演出している。
ちなみに雫の別荘に到着早々にまた一悶着を意図せずして起こすことになったアストルフォは、パステルカラーの可愛らしいセパレートタイプの水着を着用している(これもどこかしらで縁を結んだ際に座に刻まれた霊衣なのだそうだが)。
ちなみにアストルフォが起こした騒動というのは具体的には部屋割りで、絶対に手綱を握る役が必要だという認識から同部屋だと思っていた明日香と圭に対して、“異性”同士での部屋割りなど端から想定していなかった女性陣(これには達也たち男性陣も含めて)との見解の相違があったことに端を発するものだ。
そこで少々重大なアストルフォについての誤解は――多分――解けたのだが、珍しいことに達也などはまだ彼の性別を疑っているらしい。
「明日香は泳いでこないのか?」
そんな達也は今、ビーチパラソルの下で明日香と並んで女性陣たちの華やかさに目を癒していた。(少なくとも明日香は……)
ちなみに他の男性陣は、海に向かって早々に飛び出していったアストルフォに引っ張られた圭。そしてアストルフォに張り合っているのか、負けじとばかりにサーヴァントの体力に遠泳で挑んでいるレオ。そしてそんなレオに引っ張られていった幹比古とそれぞれにはしゃいで(?)いる。
「……まぁ、ね。達也の方こそどうなんだい?」
明日香としては、現時点ではとりわけ達也と二人、遊びもせずに話し込むことに意義があるわけではないのだが、諸事情故というものだ。
問い返された達也がアストルフォの方に視線を向けるのは、ひょっとするとまだ彼の性別について疑うものがあるのかもしれない。
探知系の魔法に不得手な明日香にはわからないが、もしかすると達也なりに何らかの探知系の術式でアストルフォを探ったのだろう。
だとするとその猜疑もわからなくもない。
なにせアストルフォには凡その魔術も、そして無論のこと魔法も通用しないのだから。
本来、ライダーのクラスではセイバーなどの三騎士に比べて対魔力のクラススキルによる恩恵は薄いものなのだが、アストルフォには三騎士の中でも最優と謳われるセイバー並の対魔力がある。
宝具“ルナ・ブレイクマニュアル(仮)”。
所持しているだけであらゆる魔術を無効化することができるという宝具なのだが、なんでもアストルフォはそれによってステータスの改竄を行っている節がある、とは圭の見立てだ。
その対魔力はAランク相当だと、藤丸家の記録にはあり、だとするとサーヴァントを含めても大体の魔術を無効化することができるだろう。なれば、魔術から下った魔法ではなおのこと、アストルフォの探知は難しいだろう。
とはいえ、ここはバカンスの地。どこまでいってもギスギスを引きずっているのはホストである雫、ひいては北山家にも失礼なことだろう。
「お兄様。冷たくて気持ちいいですよ。せっかく海に来たのですから、泳ぎませんか?」
「そうですよ。パラソルの下にいるだけじゃ、勿体ないです」
疑いにゆだりそうになっているかもしれない男二人の会話を遮ったのは、サウスブルーの光を浴びて、眩くも見えるレディたちからの軽やかな声。
五人の水着姿の美少女たちが、間近から二人を楽し気な海へと誘っていた。
「明日香。明日香も一緒に泳がない?」
二人が同じことを考えたかは分からないが、少なくとも明日香は驚きに目が離せなかった。
寒冷期の名残がある現代の服飾マナーとして、あまり肌の露出のない体のラインが出にくい服装が主流となっている。
普段見慣れた雫の一高制服姿もそうで、どちらかというとスレンダー、あるいは子供体型かと思われがちであったのだが、正面から覗き込むようにして尋ねてきた雫は腰を深く両手を膝についた姿勢で、その角度からは思っている以上…………
「そうだな、泳ぐか」
決断が早かったのは達也。
彼自身は海パンに七分袖のヨットパーカーを着ていたのだが、立ち上がって砂を払うと何気ない動作で五人の水着姿から視線を外してパーカーを脱いだ。
鍛え上げられた肉体。筋肉の太さ自体はそれほどではないが、重々しいほどの密度ある筋肉は、彼が鍛え続けてきたことを示しており、またその鋼の様な肉体にはいくつもの傷跡が刻まれていた。
その姿に動揺が走り、気まずい雰囲気となりかけるが、深雪が達也に対する想いの深さを見せつけて、それに負けじとほのかが積極性を出して達也の腕に抱き着いた。
戸惑いつつも踏み出した友人の姿に、雫は「頑張れ、ほのか」と心の中でエールを送った。
このバカンスの目的は彼女の後押しをするものでもあるのだから。そして雫自身の方は―――ぽん、と頭に手を置かれた。
「ありがとう、雫。でもまぁ、一人くらいは荷物を見ておいた方がいいから、うん、僕はいいかな」
達也とは異なり、明日香の方はもとからパーカーの前を開けている。そこから覗く肉体は達也やレオと比べても逞しく引き締められている。
ただ、激戦を繰り広げただろうはずなのに、不思議と達也とは違って目立った傷跡は見られなかった。
そこに見蕩れかかった雫は、けれども先ほどの明日香の言葉を思い返して首を傾げた。
「荷物?」
パラソルは常設されているものではなく、ここに来た時に設置したもので、たしかにその下に広げられたシートの上にはみんなの荷物が少しばかり置かれてはいる。
ただそもそもここはプライベートビーチ、しかも北山家が所有する別荘島であり、当然ながら彼らと世話係のメイドたちを除けば人はいない。当然、荷物を盗まれる心配もないし、そもそも荷物といっても海から上がった時用のバスタオルや飲み物類とちょっとした遊具くらいしか荷物らしきものもない。
にこりと笑みを浮かべている明日香の顔は、いつも通りに見えて……見えて?
「別に見張り番は必要ないと思うけど」
「あ~……うん。ほら! 風で飛ばされたりするかもしれないし」
少しばかりの訝しみを覚えた雫の雰囲気を感じ取ったのだろうか。すぃ~と明日香の視線が逸らされた。
ついでに言えば、明日香の応答自体がどことなくおかしな感じだ。
なにかを隠している。
「…………」
「………………」
雫がじぃ~明日香を見上げる。
明日香は頑なに雫と視線を合わせようとせず、
「あの。もしかして、獅子刧さん、泳げないんですか?」
「え?」
美月からの悪意のない問いかけ。
思わぬ問いかけで、雫が振り向き、ぎくりと身を震わせた明日香の挙動は見逃された。
曲者揃いの魔法科高校。このメンバーの中で、美月はかなり純朴だ。
そんな彼女と不思議と馬が合うエリカは、美月の問いかけを時々彼女がやらかすピントのずれた質問だと思って笑い飛ばした。
「まさかぁ! 忘れたの美月。バトル・ボートの代表選手だったんだから、泳げないはずないでしょ」
そう。先の九校戦。明日香の出場種目は首脳陣から期待されていたモノリス・コードではなく、今年の九校戦で唯一の水上競技であるバトル・ボード。
ボードの上に乗っての競技であって、水中競技でないとはいえ、泳げない人物が出場するには九校戦は生易しくない。
事実明日香は巧みなボード捌きと圧倒的な魔法力によって優勝していたのだから。
そう。たしかに圧倒的だった。
一度も落水することはなく、今回のバカンスで海に誘った時だって特におかしなところは(あのピンク髪のことを除けば)なかった。だから当然、泳ぐことに問題があろうはずはないと思っていたのだが。
「…………」
「…………明日香?」
じ~っと見上げていると、その視線に根負けしたのか、うっと小さくうめいた。
「……泳げないわけではないよ、うん。ただ泳ぐ機会がなかったというか、泳ぐ必要がないというか。水中では剣を振るうことはないし、水上戦闘の備えはあるから」
しどろもどろ、といった態で言い訳を繕っているように見えるのは、突かれた言葉が真実だからだろう。
エリカや深雪は意外、というよりも驚いたような顔をしており、達也も興味深そうに明日香を視ている。
「もしかして、精霊の加護ですか?」
達也の目でもって視ても、古式魔法でいう所の精霊の状態を視ることはできない。けれどもそれを見抜くことができる人物が一人。
「…………本当にいい目をしているね、キミは。いや、ケイが言ったのかな?」
「え、あ、すみません」
はぁ、とため息交じりについた明日香の言葉に美月は余計なことを言ったことを自覚してわたわたとなった。
「別にいいさ」
自嘲気味の微笑みは、魔術師という殊に守秘的な魔法技能を有する家門の秘匿技術だからだとでもいうかのような素振りとしてみたものの
「そうそう。全然問題ないことだよ。むしろそろそろ泳ぎを覚えるべきじゃないかと、僕は思うけどね」
それはいつの間にやら戻ってきていた圭によって粉砕された。
「お風呂とかには入ってるんだし、セミアクティブなんじゃないの?」
「ぐっ!」
ついでにアストルフォも。
指摘どおり、水没することなく水の上を歩くことも可能な精霊の加護だが、それは全ての水を弾くものではない。
シャワーを浴びることもできれば、雨にも濡れるし、湯船に浸かることもできるといったように、あくまでも水上を歩くことができるようになる加護だ。
だからこそ泳ぐ機会はなかったし、水泳という技能を習得する必要性も感じなかったわけだ。
あまり隙らしい隙を見せなかったこの同級生の、思わぬ弱点に、嗜虐心を掻き立てられたのかエリカが「はっは~ん」となにかを思いついたように顔をにんまりとさせた。
「それじゃ―――」
「それじゃあ、泳ぎ方。教えるから練習しよう?」
口火を切ったのはほぼ同時。けれども言い切ったのは雫だった。
エリカが提案しようとしたのも、泳ぎの練習だった。
ただ、それはこの“面白い時間”における余興の一環としてであり、雫のそれとは少し違った。だからだろう、差し伸べられた手に明日香は少したじろぎ、ちらりと圭を見た。
自分と同様の、より確かな使命を帯びてこの時代を生きる友人―――はニマニマと愉悦を眺める体勢に入っている。
「…………お手柔らかに」
あの後達也は深雪やほのかたちと海水浴を満喫しはじめ、一方で明日香はもがいていた。
「明日香は力だけで水流に対抗しすぎ。もっと体の力を抜いて」
「げほっ! いや、力抜くと。沈っ!」
泳ぎ方を教えるといっても口で言ってどうにかなるものではない。雫の小さな手に引かれながら、ガボガボと海水の塩辛さに苦しめながら泳いで、というか溺れていた。;
なんとかバタ足だけで水上をキープしようと、筋肉で固く重い両足をここぞとばかりに空回りさせている。
バタ足が穏やかな波の水面を荒らしまくって、ブルドーザーによって彫り上げられた土塊のように水塊を跳ね上げていた。
「不思議。明日香、運動神経はいいのに」
明日香の戦闘場面を見ているからというのもあるが、普通に学校の体育の授業などでの明日香の動きを知っているだけに、こうも泳ぎに苦労しているのを見るのは不思議な感覚だった。
もっとも、明日香にしてみれば言い分はある。
精霊の加護によってこれまで泳ぐ必要はなかったのだから息継ぎのやり方などわかるはずもない。
それにどちらかというと明日香の身体運用は、デミ・サーヴァントの時も基本的に身体能力の強化だ。泳ぐといった行動は陸上での行動や戦闘行為とはまた違う身体運用を求められる。
海水は塩水だけに普通の真水よりも体が浮きやすいとか、適度に体の力を抜けば浮きやすいとか、理論的に言われたところで、「人の体は水の上に浮くようにはできていない」としか今の明日香には答えられない有様だ。
「って! 手を放、ごぶぶ…………!!!!?」
明日香の髪の色が金髪だからだろうか。
生まれたてのヒヨコに頼られているかのような庇護欲と、普段の凛とした姿のギャップに愛らしさと意地悪心が沸き立った。
少しばかり、引いていた手を放すと、ものの見事に明日香は沈没ならぬ潜水を開始した。
おそらく力の入れる勝手が違っていて、しかも強すぎるのだろう。
もがくように手をばたつかせて雫の手を探す明日香の手を取ると、少しばかり強く引かれてよろめきかける。
「あっ」
「! ぷはっ! ご、ごめっ、しず、ぐぼっ!!?」
思わず咄嗟に力を籠めすぎてしまったことと、引いた手の感触から雫のよろめきを察知したのだろう。慌てて立ち上がろうとした明日香はしかしそのまま倒れてきた雫に巻き込まれて今度は仰向けに沈んだ。
「きゃっ! ご、ごめん、明日香」
「げほ、がほっ! 塩からっ! だい、じょうぶっ、げほっ! 僕の方こそ、ごめん」
下敷きにしたときに、思いっきり胸を明日香の顔を押しつけることになってしまい、跳び跳ねるように立った雫。
突如顔面に押し付けられたほんのりとした柔らかさを感じ取るゆとりは明日香にはなかったであろうし、今も塩水に噎せているところだが、ほとんど裸に近い状態で押し倒すような形になってしまった雫は普段のクールな表情を赤くしていた。
不意に明日香は目の前の少女のそんな恥じらいの姿に気づいた。
気づいて、ドキリとした。
今日という日に初めて見た雫の水着姿。
幼く華奢にも見えるその肢体は、けれども少女から女性へと移り行く儚さを秘めており――――
「いやぁ、水の中だっていうのに随分と熱いねぇ」
はっと、我に返った明日香が飛び退いている姿を、離れた所から圭をはじめ、エリカやアストルフォたちがこちらを興味津々に見ていることに、直感持ちの明日香は気づいていなかった。
結局その後、明日香がなんとかレベルではあるが泳げるようになったのは、流石の身体能力と言えたが、それでも慣れない体の使い方に加えてかなり海水を飲んだことでむせ返り、休憩を入れることとなった。
その間にほのかの方のセッティングとして考えていた計略を発動して……少しの失敗と引き換えに達也とほのかの距離を縮めることに成功(?)したのであった。
海でたっぷりと遊んだ後、夕食はバーベキューだった。
少々のトラブルがあって、夕食前に達也とほのかがボートデートをしたりもしたが、その後のバーベキューは和気藹々としたものであった。
達也との距離を少しでも縮めようと頑張るほのかは達也にあ~んと箸を差し出したりしていたし、ぱくぱくとブラックホールのような胃袋に食物を入れる明日香に対抗したレオがフードファイトをしたりとあったが、概ね平穏であった。
その後もほのかが達也を連れ出してナイトデートをしたりもして、その結果が大成功とも玉砕ともいかないものではあったらしいが、ほのかにとってはそれは納得できる結果であったらしい。
達也のことだから、ほのかに気を使ったわけではないのだろうが、きっと嘘をついて誤魔化すこともなく、なにか大事なことをほのかに教えてくれたのだろう。
それはきっと、雫が深雪から聞いたあの兄妹の関係に関わることなのだろう。