Fate/ School magics ~蒼銀の騎士~ 作:バルボロッサ
「達也さん、論文コンペの準備はもう終わったんですか?」
論文コンペの準備もリハーサルを間近に控えるほどになってきては、達也もかなり時間をとられているため、そうそう友人たちと一緒に帰宅時間を合わせられることはなかった。
「ひと段落、というところかな。リハーサルとか発表に使う模型作りとかデモ用の術式の調整とか細々としたことは残っているが」
だがこの日は久方ぶりに友人たちとの都合がつき、一緒に校門を出ていた。
ほのかとしてはクラスが違うがゆえに達也とこうして肩を並べて歩くのも久方ぶりだ。
「大変そうねぇ。そういえば美月のところで模型作りを手伝ってるんだっけ?」
「あっ、うん、二年の先輩が。私は何もしていないんですけど……」
テニス部の幽霊部員になっているエリカはともかく美術部に所属している美月は達也ほどとまではいかなくとも部として論文コンペへと助力しており、部の活動が忙しくなっている。
「たしか核融合──疑似的な太陽をつくって生活を豊かにしようとする試みなのですよね」
そして今回の帰路がとりわけ珍しいのは、雫と行動を共にしているためにシータが同行していることだろう。
遭遇時に挨拶することはできなかったが、あらためての初対面の挨拶は朝の登下校の際に会ったとき済ませており、レオ達も彼女のことはもう知っている。
間近に見てみればなるほど、一科生や上級生たちが廊下に列をなして見物しにいくのもうなずける容姿をしている。
「大局的には、だけどね。核融合というのがわかるのか」
達也にしてみても、整った容姿をしているとは思うが神々しいと評することのできる深雪を間近に見慣れているので臆することはない。
むしろサーヴァントについての知識を得られる機会ということで不審にならないレベルでの会話を積極的に行っていた。
勿論、だれにとって不審かと言えば、まずは最愛の妹にとってだが、それに加えて同行している魔術師たちから見てだ。
「そこらへんは召喚時に付与される聖杯の知識だね。サーヴァントは召喚に際して現代知識を付与されるものだから。ほら、彼女とかアストルフォとかが日本語をしゃべれているのもその恩恵だよ」
今の時代、特に魔法師にとって自国のアイデンティティが昔とは異なるレベルで再確認されているからといって国際的な共用言語としての英語の存在感が薄れたわけではないが、いくらなんでも自然に日本語に変換されるような慣れ親しみ方もしていない。もちろんご令嬢としての教育を受けている雫や才女である深雪、達也などは英語での会話にも苦労しないし、一高では劣等生とされる二科生のレオやエリカ、幹比古たちにしても同様だ。そもそも一高の内部で比較すれば二科生が劣等生にカテゴライズされてしまうだけで、一高に入学できたということ自体、学力においても優秀なことの証左だ。
だがたしかに、そういう意味でアストルフォやほかのこれまで出会ってきたサーヴァントたちがレオや達也たちにも聞きなれた言語を当然のようにしゃべっているのはおかしな話であった。
コロンブスなどが喋っていた言語が英語でなかったのもそうだが、とりわけシータなどは古代インドの人物なのだ。英語などしゃべっているはずもないし、そもそも彼女が生きていた時代に英語も日本語もないだろう。
それと同様、サーヴァントは現界するにあたって行動に不都合が生じないように現代の知識が与えられる。
シータが核融合などというものを知っているのも、別に古代核戦争説の真偽などを問うまでもなく、そういう召喚システムだからだ。
それらはわずかなものではあるが、貴重な──特に達也にとって──サーヴァントについての情報だった。
──やはり魔法の、いや、理論そのものが現代魔法とは異なる基盤として成立しているのか……? ──
おとぎ話の魔法でもあるまいし基本的に現代魔法には自動翻訳魔法などというものはない。
基本的に魔法は永続するものではなく、終了コマンドが規定されるものだからだ。
会話というピンポイントに作用させるというのであればできなくもないだろうが、そのような魔法式を開発して使用するくらいならば翻訳ツールを使用した方がずっと手軽で汎用性がある。
達也は魔法師であり、周囲には大勢魔法師がいるが、人類全体を見渡せば彼らのような魔法師というのは圧倒的に
「明日香もそうなの?」
雫が隣を歩く明日香に質問したことは達也も気にかかっていたことであり、自身が意図せずにこの会話を続けていくうえで都合がよかった。
「いや。僕は聖杯に喚ばれたサーヴァントじゃないから聖杯からの知識はないよ。僕の中にある霊基にまつわる知識のほんのわずかが夢のような形で時折流れこんでくるくらいさ」
「なるほど」「へ~」
納得しているわけではないが、そういうものなのだろう。
問題はどこまでの知識が与えられているのかだ。
だが、
「チョッと寄って行かないか?」
幸いにも会話自体は美月やほのかが続けてくれたおかげで、途切れておらずこの盛り上がりをまっすぐ駅に向かって終わらせるのももったいない。
そんな立地として達也たちが御用達にしているカフェ、アイネブリーゼに差し掛かったこともあって達也がかけた誘いに
「賛成!」
「達也は明日からまた忙しくなりそうだしな」
「そうだね、少しお茶でも飲んで行こうか」
エリカとレオと幹比古は少し積極的すぎると思える肯定を返した。
会話を続けたいという思いと、尾行しながらこちらの会話を探っている何者かをやり過ごすのにちょうどいいという思いからだったのだが、前者はともかく後者についてはエリカたちにも思うところがあったようだ。
「えっと……」
ただ、達也にとって肝心のシータがためらうようなそぶりを見せているのは少し思惑が外れていた。
彼女は少し戸惑うように店と入店しようとしているエリカたちを見て、明日香の方をうかがうように振り返っている。
幸いにも強引に達也たちが誘い文句を続ける必要はなかった。
「いいんじゃないか。雫とほのかちゃんも寄るんだろう?」
下校途中の立ち寄りとう行為に、シータはいささか抵抗があるのか、伺うように見てきたシータに、明日香はため息をつきつつ応えた。
それが正解だったのだろう。シータは嬉しそうに微笑むと雫ににこりと頷いてエリカたちに続いて入店した。
現世に実際の肉体を持つデミ・サーヴァントである明日香とは違い、本来のサーヴァントというのは基本的に幽体だ。
そのためサーヴァントに本来的な意味での摂食行為は必要ではなく、食物からでは人と同じような意味でのエネルギー補給はできない。
「!」
けれども一部を除いてサーヴァントに味覚がないということもなく、嗜好品としての意味合いとして飲食を行うことはできる。
「すごいです! 雫さまのお屋敷でいただいた料理も素晴らしいのですが、この白くて雲のような、そう、くりーむというのはすごく甘くて」
入店時には遠慮がちであったシータは、エリカの悪戯心なのか親切心なのかの発露の結果であるバナナパフェ(メニュー表には不必要と思えるほどにもっと長い名前がついている)を前にして、そしておそるおそるスプーンですくって口に運んだ結果、瞳を輝かせて褒め称えた。
「ははは。そんなに美味しそうに言ってくれると作った甲斐があるよ」
灰色の髭をきちんと手入れして整えているアイネブリーゼのマスターは、深雪に勝るとも劣らない可憐美少女に手放しでほめられて顔をほころばせた。
この店のマスターは元々優男風のハンサムフェイスなのだが、そのことに何やらコンプレックスを抱いているらしく、達也たちから見て似合っていない髭を蓄えており、少しでも男らしく見えるように頑張っているらしかった。
だがシータのお褒めの言葉にゆるんでいる顔は地がでていた。
元々この店を愛用するようになったのは、この店の名前がドイツ語の微風を意味するもので、そのことにゲルマン系の流れを一部くんでいるレオが親近感を覚えたのきっかけではあるが、達也たちも常連となったのはこの店のマスターのいれるコーヒーそのほかの味のたしかさからだ。
時代を超えたお姫様にも絶賛されている常連の店の一品に、それをおすすめしたエリカが「そうでしょそうでしょ」と大いに頷いている。
女子は甘味が好きだというのは古今東西を超えて不変の真理なのだろうか。
それはもちろん、西暦以前のインドに現代の生クリームほど暴力的な甘味があったとは思えない。せいぜいがバナナか果物が自生していたくらいであろう。
だが彼女は聖杯とやらからの知識があるはずで、今の彼女の感激ぶりからすると知っている者の反応には思えない。
「そういうのは聖杯っていうものの知識にはないのか?」
「知識と体験というのは別物、ということだね。書物で知ったからといって食べ物を味わうことはできないだろう」
やや無粋ともいえるレオの質問は当のサーヴァントではなく圭だった。
彼の説明は魔術師ではない達也にしても理解できることだ。
魔法におきかえたとしても、魔法式を知ったからといってその魔法を扱うことができないのと同様なのは、達也が身に染みて理解していることだからだ。
とはいえそのような理論は甘味を堪能して花のように顔を綻ばせている可憐な少女とその笑顔に気分を良くしているマスターにとっては野暮以外なにものでもないだろう。
達也や圭らは珈琲を、明日香は紅茶を、女性陣は互いに注文した甘味を堪能しながら放課後の雑談に興じていた。
「そういえば達也君たちは今度魔法論文のコンペティションに出るんだったかな。一年生なのに凄いねぇ」
会話は彼らだけでなく、今日のようにアイネブリーゼの店内が貸し切りのような状態になっているとマスターが加わることもある程度には彼らもこの店の常連になっている。
そして凄い、というのも満更お世辞だけでもないだろう。マスター自身は魔法の素質こそ持っていないが、魔法科高校の通学路に店を構えるだけあって魔法師の世界にかなり詳しいのだ。
勿論それは、魔法であって魔術ではなく、圭や明日香は単なる魔法科高校生でしかなく、シータはスイーツを絶賛してくれた可愛らしい少女でしかないのだが。
「今年は横浜で開催される番だよね。会場がいつも通り国際会議場なら、実家のすぐ近くだ。山手の丘の中ほどにある“ロッテルバルト”って名前の喫茶店。時間があったら是非寄って、親父と僕とどっちのコーヒーが美味いか、忌憚のない意見を聞かせてくれると嬉しいな」
近く迫ってきている論文コンペには出場者である達也や、護衛役になっている圭と警備隊に所属している明日香だけでなく、レオや幹比古、雫たちも勿論行くつもりだ。特に幹比古は九校戦の新人生モノリス・コードの代理出場の際に見せた才気と魔法力から警備隊の特訓にも参加することを養成されているほどだ。
まぁ、論文コンペの最中にロッテルバルトに赴く時間はないだろうが、その帰りにでも寄ることはできるだろう。
茶目っ気めかして宣伝を兼ねているマスターの言葉に素直に頷いているシータの様子は明日香から見て、そして達也から見ても純朴な少女でしかない。
そうしてお茶会を楽しんでいると、ふとエリカが中身を一気に飲み干してソーサーに戻すとスッと立ち上がった。
「エリカちゃん」
「お花摘みに行ってくる」
小首をかしげた美月にそう答えて軽い足取りで店の奥へ向かった。そしてタイミングを合わせたかのようにレオもポケットに手を入れて端末を取り出して確認した。
「おっと、わりい、電話だわ」
着信があったかのようなそぶり。対応のためにか、レオは端末を片手に店から出ていく。
明日香はそれを横目でみやり、圭も視線を彼に向けてピクリと反応し、何事もなく目を伏せた。
「……幹比古、何をやっているんだ?」
「んっ、チョッと忘れないうちにメモっとこうと思って……」
そしてカウンターに座っている達也からは背中越しに小さめのスケッチブックのようなものを広げて何かを書いている幹比古に声をかけ、幹比古は筆ペンを動かしていた。
「熱心だねぇ」
レオや美月らとは別のテーブルに座っていた明日香や雫からは見えていないが、圭には何かが視えたのだろう。
やや呆れたような感心したかのようにつぶやき、けれども席を立とうという気はないらしい。
魔法師たちと関わることを決めてから、魔法師たちに尾行されるというのはよくあることなのだが、今回の尾行はどうやら明日香たちというよりも別の狙いがあるらしい。
どうせこの魔法師たちが屋敷の敷地に侵入することはできないだろうし、半ば異界化している屋敷に入ってきても迷子のアリスのようになってお帰りいただくことになるだけだ。
この尾行者たちも、凶行的なものが目的ではないのだろう。そうであれば友人たちを巻き込むことはしないだろうという程度には圭のことは信用している。
エリカたちにとってはそれでもうっとうしいものと、あるいは危険な徴候とでも捉えたのかもしれないが────
「!?」「!!」
「シータさん?」「どうした明日香?」
不意に感じた気配、遠く離れた場所から生じたそれに、関わるつもりのなかった明日香とシータはほぼ同時に反応して立ち上がった。
深雪と達也が少し意外そうに尋ねた。
──これは……──―
明日香としても魔法師に対してどうこうするつもりはなかった。けれどもこれは別だ。今までに感知したことがないほどの遠地での《《サーヴァント》の気配。明日香の知覚範囲の外側。
明らかにこちらを誘ってのことだろう。
「…………ケイ。ここを頼む」
顔色の変わった明日香を見て、圭の目つきが険しくなり、達也の視線も一段深くを探るように鋭くなった。
これがエリカたちが向かった魔法師たちと連携してのことではないだろう。関連があるにしては距離が離れすぎている。
本来の聖杯戦争であれば夕方とは言え、このような往来の激しい時間に挑発行為など許されるものではない。
けれどもこれは通常の聖杯戦争ではないのだ。
そして最早現代に神秘を隠匿管理できるだけの魔術師はいない。
「明日香様。私も」
向かう先にいるであろうサーヴァントを予想してか、シータが同行を願い出た。
英雄ラーマと霊基を同じくするシータであれば、同等の性能が
「アーチャーもここに」
けれども彼女を連れて行くわけにはいかない。
明日香の、そして圭の予想が正しければ、シータは戦力であると同時に敵にとっても重要なキーなのだ。
明日香は圭にアストルフォに連絡をとるように告げると、急ぎ店を後にした。
幸いにもというものでもないが、魔法師の尾行者にエリカやレオたちが対処するために幹比古が敷いた人払いの結界らしきものが効果を発揮しているのか、店外には人通りが絶えていた。
✡ ✡ ✡
明日香がこれ幸いと人通りの絶えた往来の、それでも裏通りに入ってからデミ・サーヴァントの力を発揮して跳躍移動を開始したころ、レオとエリカは一人の男と対峙していた。
「私はスパイではなくそれを阻止する立場だ。私は君たちの敵ではないし、私と君たちの間に利害の対立もない」
ジロー・マーシャルと名乗った男は、言動の端々に日本人以外の来歴、おそらく欧米の組織所属を匂わせた。
高校生の、それも一高においては劣等生に区分される二科生のレオとエリカだが、実践能力と度胸であれば並みの一科生どころか高校生離れしたものがあり、何らかのエージェントと思しき男を上回った。
そうして追い込まれた風な状況になった男は、敵対的な素振りから一転して二人に弁明を始めていた。
直前まで戦闘力で上回っていたからだろう。特にエリカは残心を怠るような無様はしていなかったつもりだが、それでも二対一(加えて幹比古の精霊魔法による援護付き)であったことと、上回っていたがために、そして目の前の男から言葉通り殺意も敵意も感じられなかったことから、次の行動に対する反応が一瞬遅れてしまった。
何気ない素振りで取り出され、トリガーに指をかけられた状態で突き付けられた拳銃に、二人は硬直する。
「っ!」「てめぇ!」
非魔法師からすれば銃やナイフのような凶器もなく人を殺せる魔法師は脅威みなされがちだが、だからといってどのような状況下においても拳銃のような武器が脅威にならないこととはならない。
現代魔法の
そして肉体由来の強度が人並外れた頑丈なレオといえども、硬化魔法なしに銃撃を受けて致命傷とならないかはひどく分の悪い賭けになる。
「さっきこれを使わなかったのが私が敵ではない証拠ではないかね?」
「……単に銃の使用がまずかっただけでしょ。いろいろと手掛かりが残るから」
二対一とはいえエリカもレオも一方が撃たれた隙に対処する、といった冷徹な対応をこの場で選べるほど達観していない。
男の口ぶりは先ほどよりも余裕が生じ、そして敵対的でこそないが、行動は脅しだ。
「それもある。さて、必要なことは話したと思うが? そろそろ退散させていただきたいので、結界を解くよう、お仲間に言ってもらえないか」
口調は軽いがそれは余裕からくるものだろう。ただし構えに隙は無く、ここから一手を打つにはリスクが高すぎた。
もとよりエージェントの男にしてみれば、つい先ほどまで追いつめられるほどに高校生としては常識離れした ──魔法師であることを考慮しても── 戦闘力を有する二人を相手に隙など見せようはずもない。
エリカとレオがジリッと答えに窮する間に、術を使って様子をうかがっていた幹比古が結界を解除した。
「ではこれにて失礼。ああそうだ。最後に一つ、助言をさせてもらおうか。身の回りにきをつけるよう、お仲間たちに伝えておいてくれたまえ。学校の中だからと言って、安心はしないように、と」
そう言って男はポケットの内側から取り出した小さな缶をエリカたちの前方に放り投げた。エリカとレオが攻撃を警戒し飛び退ると、小さな爆発音とともに煙幕が張られ、そして煙が薄れたころには男の姿はなかった。
「くそっ!」
レオが小さく悪態をつき、エリカも顔を険しくした。
先ほど逃げた男は口では自分たちの味方であるなどと嘯いていたが、それが本当であるかなど分からない。
むしろこそこそと自分たちの──おそらくは達也の後を尾けていたことからも敵でなくとも好意的な相手ではなかろう。
ここ数日のことだが、達也が論文コンペの執筆グループに選ばれるのと時を同じくするかのように学校に対する怪しげなアプローチが増えている。
幹比古は古式魔法師の視点から、古式の術式による式紙が校内への侵入を目論んでいると言い、美月は飛び抜けた異能視の瞳に監視者の存在を意図せずして感知していた。
幹比古は術式が日本以外の、大陸系の古式魔法師によるものではないかと見做していたが、先ほどのエージェントは言っていたことが確かならば、彼はむしろ大陸系の魔法師と敵対関係にありそうだ。
論文コンペが忙しい達也を気遣って片を付けようと考えていたエリカとレオ、そして幹比古だがそれが上手くいかなかった以上、みんなのところに合流するしかないだろう。
エリカとレオは後ろ髪をひかれるように、アイネブリーゼに戻ろうとして────赤い髪の大男に気づいた。
違和感。
たしかに今、この通りは先ほどまで幹比古が遠隔で敷いていた人除けの結界が解除されていて、人がいることはおかしくない。────いや、早すぎる。
レオとエリカの行動理由は尾行者の排除であったが、尾行者が一般人を装うことで犯罪者扱いされる懸念があったことから、人払いの結界は間違っても人に見られたり聞かれたりしないだけの十分な範囲を覆っていた。
だがこの赤髪の大男は解除されてすぐにここに居た。タイミング的に人除けの結界が解除されてまっすぐにここに来たか、でなくば結界の影響を受けなかったかだ。しかも野性的直感力に優れているレオと剣士としての直感に長けたエリカに気づかれず。
「なるほど、これがヤツの旗下にある魔術師もどきどもか。────の騎士どもとは比べるべくもないな」
傲岸な口調で、一科生が二科生を見下すように、それよりもはるかに高みから見下すかのようにエリカたち見下す男。
──なに、この男……こいつ……ッッ! ──
体に震えが奔る。
千葉の剣士としての直感が告げていた。
圧倒的な力の具現たる存在。
以前、メフィストというサーヴァントと戦っていた時の明日香を思わせる威圧感が自分たちの目の前にいる。
隣のレオもまるで強大無比な野獣を目の前にして圧倒されているかのように青褪めている。
男は何もしてこない。
先ほどのエージェントと対面していた時のように拳銃を突き付けられれているわけでもなければ、その手に何か武器を持っているわけでもない。
おそらく男にとってはエリカたちを威圧しているというものでもないだろう。佇まいにそのような素振りはなく、口調こそ傲岸だがそれは常にそのような在り方なのだろう。
ただその存在が圧倒的なのだ。
「竜の男に告げておけ──────お前の全てを俺が奪う」
だがその姿がエリカたちの目の前で光の粒子となって消えた。
「消え、た……」
あれほどの存在感の相手だ、目を離すはずもない。
けれども強大なプレッシャーは霞のように消え、後には何も残っていない。
それこそまるで幻か幽霊であったかのように唐突に消えてしまった。
人払いの結界が解けたことで往来を歩く人の気配が遠くにあるだけだ。
背中を流れ落ちた冷や汗の冷たさだけではなく薄気味の悪さを抱え、釈然としないまま、レオとともにアイネブリーゼに戻ってきたエリカは、まず圭に視線をやり、その近くに明日香の姿がないことを見て眉をしかめた。
「ミキ、視えてた?」
「? いや、ごめん。結界を解いてしまったから行方は追えてない」
「そっちじゃなくて」
達也も幹比古も別のことがより気になっているようで歯切れが悪い。
そして案の定、視覚共有で遠隔地の出来事を精霊を介して視ることのできる幹比古でも、先ほどの男のことは把握していないようだ。
「ねぇ、竜の男って、どういう意味か分かる?」
赤髪の男が告げていた相手が誰のことかは分からないが、可能性が高いのは二人。
多くのトラブルに愛されているかのような司波達也と魔術師である藤丸圭。
「どこでそれを!?」
問いかけに反応したのは魔術師の方だ。
ほのかや雫、シータでさえも問いかけの意味を理解できなかったようだが、圭は確かにそれを知っているらしい。
「やっぱり。さっきミキの結界が解除された後に、ううん、多分その前に現れてた赤いツンツン髪の男が言ってきたのよ」
あの強大な存在感はエリカの知る限り魔術師に絡んだものである可能性が一番大きい。
達也は達也で色々と謎な交流関係があるようなので可能性としてはあったが、この反応であれば間違いなく圭か明日香のことであったのだろう。
「赤い髪の…………」
「心当たりがあるのか、圭?」
エリカのやり取りにレオも気づいたのだろう。
「いや。流石にそれだけだと分からないな。シータの方も察知できなかったということはおそらくサーヴァントとしての気配は何らかの方法で遮断していたようだし。けど…………」
半ば独り言のように思案しながらの言葉は、否定ではあってもおそらくなにがしかの心当たりがあってのことだろう。
以前魔術師たちは言っていた。
サーヴァントは己の真名を秘するものだと。
過去の
シータなどは自己紹介で自分の名を告げてくれたが、それは彼女が戦いによって名を馳せた英霊でないのも一因だ。
明日香の真名は雫でさえも聞いていない。
なにせ明日香の武装、蒼銀の鎧はともかく宝具と思しき武器の方は戦い方から剣であるだろうと推測できるが透明不可視でどのような形状をしているのかは全く分からない。
エリカの剣士としての眼で見れば、おおよその刃渡りやおそらく西洋騎士の戦い方ではないかと推測できるがそこまでだ。
けれどもエリカが会ったという赤髪の大男。そして以前戦ったランサーも明日香の、正確には彼に力を貸し与えた英霊の真名を知っている節があった。
「やはり明日香の真名を知っているのか」
それは敵に自分たちの情報が洩れているのか、あるいは“彼”に所縁ある英霊がいるからなのか。
✡ ✡ ✡
次々と降り注ぐ死の顎を切り払い防ぐ。
襲い来る一矢一矢はたとえ鋼鉄の裏に隠れ潜もうとも的確に心の臓を射抜き、霊核を破壊するであろう精密さと威力を誇っている。
それが一呼吸の間に十ほど。
──これが本当の英霊。トップサーヴァントの力か……ッ! ──
尋常の技ではなく、けれども驚くには値しない。
この攻撃を行っているのは唯人ではなく、生半可な英霊でもないのだから。
デミ・サーヴァントとして強化された視界の先より飛来する矢のさらに彼方の敵をにらみつける。
不可視の剣を振るい迎撃している矢の数はすでに百を超えただろうか。
一撃一撃が重い。貫通力においても、神秘においても。
彼の力となっている霊基と同じく、そしてかつて下した三騎士の一角であった
この距離では圧倒的に不利。このまま受け手に回れば、防いでいたとしても体力が削られ、あるいは撃ち漏らしが周囲に被害を与えかねない。
──だがッッ!! ──
たしかにこれほどのサーヴァントと交戦した記録は明日香にはない。
けれども日々の眠りの最中、底意地の悪い夢魔に導かれた最果ての夢の中で、彼は経験してきた。
一呼吸に二十を超えるほどの弓弦の矢を。
絶技たるをほしいままにする無窮の剣技を。
聖盾の堅牢なるを。
飛来した矢を迎撃するのに合わせて、足元に魔力を集中し────― 一気に放出する。
「!」
敵アーチャーの驚愕の表情が一瞬にして視界に移り、刹那の瞬間に不可視の剣と敵の弓とが切り結ぶ。
「アーチャー、ラーマ。ここで討たせてもらう」
「■■■■■■■■■■」
黒い何かに身を侵され、今にも崩れそうな