Fate/ School magics ~蒼銀の騎士~ 作:バルボロッサ
なので本作におけるアストルフォにカップリング相手が登場することはないのである…………ないのである。
目の前に置かれたのは山のように飾られたパンケーキ。
フルーツや生クリームもふんだんに、そして可愛らしく盛り付けられており、カロリー的にはこれ一つで1日分の成人男性の平均的な摂取カロリーを軽く凌駕しているだろう。
現代から見ての戦前(第三次世界大戦前)の日本においてはおもに若い女性たちにその見た目から人気であっただろう見栄えのするスイーツ。
食の細い、あるいは僅かな体重の増減を気に掛ける女子であれば絶対に食べ切りはしないだろうその山は、今では信じがたいことに、ただその見栄えだけで注文する女子が後を絶たなかった時期があるとかないとか。
医療が発展し肥満を薬で治療できるようになった現代でも、女子が体重をg単位で気に掛けることは特に珍しくもなく、したがってこのスイーツはどちらかというとカップル向け、もしくは複数の女子たちが分け合って楽しむような一品となっている。
「あ~んむ。ん~~♡♡ おいしー♡♡」
そんな山のようなパンケーキにナイフを入れ、フォークで突き刺し口に運んでいるのは可愛らしい外見の少女(?)────アストルフォだった。
同じ店内にいる周囲の客たちは華奢で可愛らしい見た目のピンク髪の少女が、とんでもない量のスイーツに一人チャレンジしている様にまず驚き、けれども物凄く幸せそうに甘味を謳歌している姿にほんわかとしていた。
ライダーのサーヴァント、アストルフォ。現代において数少ない──もしかすると唯一の魔術師である藤丸家に滞在している
召喚された場所のあたりで開かれていた急増のショップ(屋台、あるいはショッピングカーというらしい)で食べることのできた食事やスイーツなどなども非常においしい物ばかりであったが、あれはやはりその場限りの祭の華。
この国の首都で多くの人々──特に女性を魅了し続けるスイーツなどはアストルフォのここ最近のお気に入りだ。
小柄な女子であれば過剰摂取となる量のクリームだろうと、体形変化の生じないサーヴァントの身の上では関係ない。(それを言えばそもそも十分な魔力供給を異界のマスターからほぼ無限に受けられるアストルフォにとっては食事を摂る必要そのものがないのだが)
この山のようなパンケーキも今日のたべトルフォの最初のスイーツではない。
ぶらり街歩き、かわいいもの探しのショッピングにおける発見の一つでしかない。
もちろんお昼にもなっていない時刻では、これで今日のスイーツ戦果が終了などではなく、この後もまだまだ続くのは必然だ。
アストルフォがこの第2の生を受けたのはここではない別の世界。今いるこの時代からするとおよそ100年と少しほど前のルーマニア(トゥリファス)だった。
そこは中世から続く歴史ある街並みが売りの街で、賑わう人々やアストルフォの生前の時代からすると随分と進歩している食事などはとても楽しいものだった。
ただやはりこの日本という国の、その首都の街並みや食事はアストルフォの好奇心をおおいに沸き立たせた。
不満があるとすれば、トゥリファスの時には一緒に歩けた大好きなマスターが隣にいないことくらい。
「あむ。あーんむ♡ あむ」
華奢で小柄な体にまるで魔法のように(ある意味ではまさにその通りなのだが)消えていく山のようなパンケーキ。
楽しみは食事だけではない。
今アストルフォが来ている服だって、とっても可愛らしいもので、トゥリファスから愛用している霊衣はそれはそれでいいのだけれど、ファッションを楽しむのも今のアストルフォの趣味の一つだ。
今日は黒のへそ出しタンクトップに淡い空色のジャケットを羽織り、少々活動的に動き回りたい今日の気分からミニスカートはやめて赤のセイバーのような短めのパンツルックだ。足元はタイツを履いて絶対領域を演出し、好みのピンクのスニーカーでどこまでもだって行けるだろう。
窓から外の景色に視線を向ければ、そこにはトゥリファスの時のように賑やかしい人通りがある。
「あむあむ。あー、んむ?」
最後のイチゴを口に入れる直前、アストルフォは視界の端に映った光景に直感が反応した。
「んむんむんむ」
口中の残りを咀嚼しながらそれらを目で追う。
それは何気ない、日常でありふれた光景。仲の良い友人同士だろうか、明日香たちと同じくらいの年のころ合いの私服姿の少年たちが歩いている姿。
ただしそのうちの一人は少年のような装いをした少女だ。
まずまずの容姿の少女といえるだろう。
原点の逸話において数々の浮名を流した伝説をもつアストルフォの審美眼だ。
現代における魔術師もどき──魔法師というのは魔術師同様に血筋に大きく才能が依存するところがあるらしい。血筋がすべてではないが、とりわけこの国では十だが二十だかの家柄の魔法師が強い存在なのだそうだ。
そして魔法師の外見の美醜は魔法師としての力量にある程度影響を受けるのだとか。
そこらへんの真偽はどうでもいいし、アストルフォの記憶の中では多分月にでも行ってしまっているくらいの理解だ。
アストルフォは明日香と違ってその保有スキルに“直感”を有してはいない。だが伝承に由来する“理性蒸発”のスキルを呪いじみたスキルとして保有しており、いくつかの面において同レベルの“直感”を上回る程度に未来を感じ取ることができる。
漠然としたもので言葉にはならないが、強いて言うならなんか気になったというところだ。
なのでその気になった感覚に従って注意を向けてみると、なんで気になったのかがわかった。
邪心だ。
先頭をきって歩いている少女は、周囲の男子たちを仲の良い友達と思っているかのようで、その隣を歩く男の子も中のよさそうな笑顔を浮かべて話をしている。
けれども時折、二三歩遅れて歩いている数人の男子によくないなにかがよぎったような、そんな気がしたのだ。
少女のことをアストルフォは知らない。
どこの誰だとか、なんとなく魔術師もどきっぽい感じがするが、そうかどうかは知らない。
心の琴線に触れたわけではない。理由を挙げればなんとなくだ。
けれどアストルフォにとってそのなんとなくは、自分の歩み行く先をすこしだけ寄り道させるのに十分で、今までだってずっとそうして時に大冒険への扉を開いてきたのだ。
それで月に行くなんていう貴重でわくわくな大冒険をしたし、それで樹木に変えられてしまったことだってあるけれど、そのなんとなくは理性蒸発したと謳われるアストルフォにとって行動を定める指針となりうる。
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最近の七草香澄は機嫌が悪かった。
中学三年の10月というこの時期、高校受験を目前に控えた忙しくも大切な時期だ。
志望先はもちろん姉が通っている魔法大学付属第一高校。
大好きな姉が生徒会長をしている(正確には今はすでに引継ぎを終えた元会長だが)魔法を学ぶ上ではこの国で最高峰の進路だ。
その関門は当然だが生易しいものではないのだが、十師族七草家の子女として恥じない程度には勉学も行ってきた香澄にとって当落を気に掛けるほどのものではない。
来年には姉は卒業して魔法科高校からはいなくなってしまうけれど、彼女の名跡を汚すような入試成績をとるつもりは微塵もない。
油断するつもりはないが、筆記よりも魔法力の優劣に配転の大きい一高の入試で自分を上回れるのは双子の妹の泉美くらいで、同年代で魔法力を比べれば十師族に同い年のやつはいないので可能性があるとすれば師補二十八家にいるかもしれないくらいだ。
妹の泉美との魔法力の差はほぼ、というよりまったくないのであとは性格的なところが大きく、ただし座学面においてはその性格面が災いして一歩遅れているのが実情だ。
そしてここ最近、香澄の機嫌を悪くしているのはその泉美のことがあるからだ。試験成績のことではない。正確には双子の妹の盲目的なほどの恋心が、香澄をいらだたせている。
────―獅子劫明日香。
今からはだいたい3年前。誘拐された泉美を救出した王子様だ。
少なくとも泉美はそう思っている。
いささか以上に
それもこれも、泉美には甘い狸親父が魔術師との関係構築などと言う名目であの男とのお見合いなんてものを決行したからだ。
十師族直系。日本の魔法師たちの頂点に立つ存在。その重みを自身が理解していると言い切れはしないだろう。
けれども七草家で育ち、多くの部下や魔法師たちを従えている父を見て、あまり好きではないがその大変さは分かっているつもりだ。
やり方が好きではないことが多いが、それでもその恩恵を受けて自分は育てられたし、魔法師として平均以上の、一高への入試にあたって主席が望めるほどの魔法力を備えているのだって自分自身の努力の賜物ではあるが、それも七草家に生まれた才能に支えられてのことだというのも知っている。
魔法の才能とは平等なものではなく、持って生まれたものが大きいのだから。
だからその魔法の名門としての地位をこの後も強めていきたいという父親の思惑は分からなくもない。
けれどそれで納得できるかというと別の話だ。
父の本音としては自分たち姉妹の内のどれでもよかったのかもしれないが、あのお見合いの主な対象が末妹の泉美であるのは察している。
自分が候補になりたかったわけでは決してないし、むしろ大好きな姉が有無を言わさず結婚などということにならなかったのはむしろ良かった。
なにせ獅子劫明日香というのは調べた限りにおいて碌でもないやつだ。
誘拐された泉美をはじめ、あの時何人かの女の子たちを同時に救っていたのは確かだ。その場に七草家も十文字家も警察も間に合わなかった。
けれどもその助けた女の子に手を出しているというのを聞いて生理的嫌悪感を抱いたし、風紀委員の就任要請に対して忙しいからと親戚のナンパ男をよこしたようなやつだ。
実際に会ってみて、やっぱりどことなく気に食わないという思いを強くした。
姉の婚約者候補である五輪家の長男のように頼りないわけではないだろう。十文字家の長男のように強面過ぎて繊細さにかけるという感じでもなかった。ただ、なんとなくこいつはきっと泉美を大切にしないと思った。
粗暴な感じではない、むしろ逆。慇懃無礼とでもいうべきか、絶対に一線の内側に入ろうとすることを拒絶するタイプだと直感的に思ったのだ。
自分が感じたということは泉美もおそらく感じただろう。
それでも、それなのに、泉美はあのお見合い以来、一層入れ込みを見せるようになっている。
それがなんだかおいて行かれたような気がして、それがなんだか苛立たしい。
学校の男子との付き合いは泉美よりも香澄の方が盛んだ。それは付き合っているという意味のではないが、ボーイフレンドが幾人もいる。それに対して泉美は男子からの告白を全て断っている。
意中の相手がすでにいるからと。
恋人がいないのは姉も同じだが、姉の場合は七草の長女であり、父を除けば七草で最強の魔法師でもあるからおいそれとは決めることができない事情がある。
自分と泉美はそこまで厳しくはない。
そんな中で、泉美のように一途に心を傾けられる相手がいるというのが、羨ましいかと聞かれればそうではないと答えるが、胸にしこりのようなものを感じずにはいられない。
双子であるにもかかわらず、まるで自分だけが子供のままに取り残されているような気がする。
受験本番を目前にしてこうして男友達連中と遊んでいるのもそういった鬱屈した者を発散させるための、受験勉強の合間の気晴らしだが……
「何のつもり!」
人気のない路地裏にいつの間にか連れ込まれて友人としてではないだろう表情を向けられていれば苛立ちはさらに増すというものだ。
「いやぁ、もうすぐ卒業で香澄ちゃんとお別れじゃん」
「俺ら香澄ちゃんが行くような魔法高校になんて行けねぇし。思い出づくりだよ思いでづくり」
これまで仲の良い男友達だと思っていた同級生たち。
泉美からは「無頓着すぎて危なっかしすぎる」などと言われたこともあるし、ある程度自分に対して好意を抱いてくれているのだと思っていた。
──最悪…………──
そんな彼らと楽しく休日を遊んでいたはずが、このありさまだ。
彼らが何を目的にしているのか、自分をどうするつもりなのか、男女の機微に疎い自分にだって、この状況なら分かる。
周りには一緒に来たはずの5人の男子たちに加えて見た覚えのない男も3人追加されている。
男子たちの友だちだという彼らが来て、不用心に案内されるままに裏道に入ってしまったのが間違いだ。
人通りから外れるや壁に追い込むようにして周囲を囲んできたのだ。
「ホントだったら香澄ちゃんよりも泉美ちゃんの方が性格的には好みなんだけどさぁ」
「あの娘はガードが固すぎてだめだけど香澄ちゃんならちょろくイケそうじゃん」
「顔だけならどっちも同じ顔してるしさ」
──最っ低! ──
今世紀初頭と比較するなら、こと首都圏においては街内における監視システムはかなり発達している。とりわけ魔法師の存在、つまり物的証拠なしに容易く犯罪行為を行える魔法への警戒から魔法に対する監視システム──
街内のどこにいても、それこそ魔法科高校の敷地内においても無許可での魔法はほぼ確実に感知される。
そして魔法師と非魔法師の人口割合からすると自然な流れなのかもしれないが、される側にとっては理不尽なことに魔法師の非魔法師に対する魔法の行使はよほどのことがなければ正当化されない。
世間の世論としても数が少なく、そして一般人よりも強大な力を持つ魔法師への風向きは常々悪い。
軍事力として国防を担い、あるいは十師族のように他国の魔法師の脅威から国や人を守ろうとしても、それだけの力があるからこそ畏れられる。
自衛権は一応、認められはするが、被害を受けてからでなければ悪者にされるのはこちらかもしれない。
特に自分は七草の直系だ。このような事態になったことそのものが抜けた話であり、とりわけ強い力を持っていると見做されるだけに常々自重するように姉からも泉美からも言われている。
果たしてこの状況ならば魔法を行使しても問題ないのか。
「なんだったら俺ウィッグ持ってきたからこれで泉美ちゃんのコスプレさせるってのどうよ?」
「それいい! 記録とって今度泉美ちゃんにも見せようぜ」
カッと頭に血が上った。
元々泉美と比べてお淑やかさに欠けるというか短気だというところは自覚あるところではある。
咄嗟に端末型のCADを取り出そうと腕を動かし、空振りに終わったことに愕然とした。
「なっ!」
「おいおい魔法師は人間を傷つけちゃいけねえんだろ」
「あっぶねぇな、掏っておいて正解だったぜ」
今日は魔法師ではない友人も含めての遊びだったので、目に見えるところに携帯できるいつもの腕輪型のCADは持ってきていなかった。
代わりに念のための自衛用に予備の携帯端末型を持ってきていたのだが、気もそぞろであったのと遊びであって気が抜けていたこともあり、掏られていたことに気が付かなかった。
「これがないと魔法師ってのは魔法を使えねえんだろ」
「魔法少女の魔法のステッキってか」
CADはあくまでも魔法演算の補助装置だ。主体となるのは起動式の展開速度と魔法式の構築効率を向上させるものであって、魔法そのものを発動させるのに必須というわけではない。
だが高速起動こそが現代魔法が古式魔法から発展した部分であり、それに最適化したCADがなければ複雑な魔法式は即座に展開できない。魔法演算領域に魔法式の構築を促す自己暗示の為に、発動に時間のかかる魔法詠唱が必要とならざるを得ない。
この距離、状況でそれだけの時間は与えられない。男子たちが香澄の腕を取り、香澄にウィッグを被せてくる。
その姿は目つきの鋭さこそ違えども、体型も、瞳の色も、顔立ちも、彼らの要望通りの美少女、七草泉美に瓜二つだ。
「思い出づくりに楽しもうぜ、
「ッッッ」
悔しさに歯を食いしばる。
泉美に比べて女の子らしさに欠けるというのならそうだろう。
自分は泉美のようには振舞えない。ああいうのが男子の好みで、大人受けする振る舞いで、だから父も泉美には甘いのだと分かっていても、それはひどく窮屈で自分らしさのないものだから。
だけど、それを友達と思っていた相手に否定されたくはなかった。
男たちが香澄に迫る。
「はーい、ストーップ」
その下卑た思惑を顔に浮かべていた男子たちの囲みの外から、場にそぐわない明るい声が響いた。
「あぁん? なんだテメェ」
これからというところで邪魔をされた男たちが振り向いた。
そこに居るのはピンクの髪の
「今取り込み中なんだよ、その可愛い面ぼこぼこにされたくなきゃ」
男たちもそう思ったのだろう。
魔法師でもない華奢な少女一人、増えたところで何もできはしないだろう。
ただ正義感からか乱入してきたこのお節介に気を取られて本命の得物である香澄をおろそかにしてはまずい。CADを奪っているとはいえ相手は化け物、魔法師なのだから。
小柄な女一人、脅しつけるのはたやすいこと。
香澄を囲んでいた男の一人が少女の前に威圧するように近づいて行った。
こんな場に出てくるからには度胸はあるのだろうが、危険にすぎる行為。
「おい、やめろっ! その子に────」
香澄が自らの危地を忘れて少女に逃げるように声を上げようとした瞬間、
「へぶらっ!」
男が吹き飛んだ。まるで漫画のように縦に一回転し、宙返りしたあと顔面から地面にキスするように倒れた。
「え…………?」
香澄も、そして男たちも唖然として、その光景を見た。
華奢な少女がデコピン一発で人を吹き飛ばすという異常な光景を。
アストルフォにとって少年が向けてきた敵意は、戦場において略奪を行うような不逞騎士が滲みだす毒々しいものではなく、児戯のようななものだった。
だがこれから一人の少女を害そうという意思だけはくみ取れた。
ぶちのめすためというよりも、多少懲らしめてやればいいかというくらいの思いで、軽く鼻っ面を撫でてやった程度なのだが、魔術師でもない只の人間にとってスキルを発動していなかったとしても“怪力”持ちの
アストルフォのデコピン一発で漫画のように吹き飛び、轟沈した男子を見て、彼の仲間たちは青褪めた。
「て、てめえ、魔法師か!?」
「魔法師が人間に手ぇ出していいと思ってんのか!!」
あんなものが見た目通りのデコピンで引き起こされるはずがない。
少年たちの推量は眼前の現実を否定したいがためのものであったが、あながち間違いではない。
「え~、知らなーい。それに僕、魔術師でもないし」
ただそれは魔法によるものではない。現代の魔法師が失ってしまった神秘によるもの。
けれどもそれは関係ない。
目の前に立つのはまさに化け物なのだから。
「それでどうするの?」
少女の姿に見える化け物。
その問いかけへの答えは男子たちにとっては一つだけだった。
悲鳴のような声を上げて逃走することのみ。
香澄から取り上げたCADもそれを持っていればこの化け物が追ってくる口実となると考えたのか、あるいは恐慌状態だったのか投げ捨てて、吹き飛んで失神している仲間も置いて一目散に逃げて行った。
「ダイジョーブ?」
あの後、投げ捨てられたCADを回収した香澄は少女とともに場所を移動した。
ひと気のない裏路地とはいえ騒ぎが起きれば不審に思う者もいるだろう。それに魔法師ではないというようなことを言ってはいたが、やはりあれは魔法を使ったとしか思えない。
もしかするとサイオン監視レーダーに反応のかけらでも引っ掛かっている可能性がなくもないと思い、移動したのだ。
場所を変え、緑地公園の一角に腰掛けた香澄は大きく息を吐いた。
気晴らしに来たはずなのにひどく疲れた。
「さっきはありがとう。キミは……魔法師、じゃない、んだよ、ね……?」
落ち着いて少女を見直す。
やはり魔法でも使わなければあんなこと──デコピン一発で男子を吹き飛ばすことができるようには思えない華奢な少女だ。
「あー、うん。僕は魔術とか使えないからね」
染めているのでもなければ魔法師のように遺伝子調整でも受けていそうなピンクブロンドの髪。前髪に一房白のアクセントがあり、側頭部には黒のリボンがコントラストをつくっていてとても可愛らしい。
僕、という少年染みた自称は香澄と同じだが、その装いや雰囲気は彼女とは別系統だった。
ボーイッシュな服装で男子と間違えられそうな香澄の服装に対して、この少女はどこか男の娘らしさを出しながらもガーリーで可愛らしい。
女の子らしさ、というのなら双子の妹の泉美や女性らしさなら姉の方が上だろう。けれども自分のチャームポイントをよく理解していて、それでいて自分を可愛らしく魅せることを忘れない。そんな女の子らしさが目の前の少女にはあった。
だからだろう。
「助けてくれたことはありがとう。けどキミみたいな可愛らしい女の子が危ない真似、しちゃだめだろ」
魔法師、特に十師族のような魔法師は表向き権力を持っていないとされるが、国防を担う軍事力であったり、七草家などは関東地方における守護を担っており、だからこそ権力とは無縁ではいられない。
それによりいろいろな恩恵を受けていることは理解している。
ノブレスオブリージュではないが、だからこそ父親は七草の力をより確かなものとするために色々なことをするし、姉の真由美が生徒会長として様々な活躍をしたのも力ある魔法師としての責務からだ。
だから、こんな華奢な女の子が、という思いが香澄の口をついてでてしまったのだ。
その言葉に言われた少女はきょとんとした顔になった。
それもそうだろう。言った香澄がその少女に助けられたのだから。
少女は言われた言葉の意味を理解しかねたかのようにきょとんとし、そして理解したのか笑いだした。
「あはははは! 君こそ、可愛い女の子じゃないか!」
「なっ! ボクは、これでも七草の魔法師だから」
おかしそうに、感情のままに笑い出した少女の指摘に香澄は少し顔を赤くした。
容姿だけならばそこそこ以上にイケているという自覚はある。なにせ毎日自分とそっくりの顔を持つ双子の妹を見ていて、先ほどの下種たちも学校の男子の多くも泉美のことをお姫様のように信奉している輩は多いのだから。
けれどもまるで────そう、まるで紳士がお嬢様に自然とかけるように出てきたそれが、自分よりも可愛らしい女の子から言われたことに心が揺れたのだ。
そこまで笑うかというほどに腹を抱えて笑っていた女の子は、香澄からの反発に笑うことをなんとか止めた。
「どこの生まれだとか、魔法師だとか、関係ないよ。僕には君は可愛い女の子にしか見えないな」
そう言った可愛らしい少女は、けれどもどこか、香澄が見惚れるほどにかっこいい男の子ように見えてドキリとした。
小柄な自分と比べれば身長こそ大きいが、同い年の男子たちよりも小柄な体躯で、自分たち以上だと思えるほどに可愛らしい顔をしていて、それを自覚しているような服装なのに、その姿はこれまで見てきた同年代の男よりもずっと男の子に見える。
女の子らしさも、ボーイッシュさも、どちらもが自分よりも質として上回っているように思えてしまう。
「けど、あいつらの言う通り、ボクには双子の妹がいるんだけどね。泉美っていって、ボクとは違って女の子らしくて、大人からも好かれていて……」
思わず口から洩れてしまう思い。
付き合っていたボーイフレンドたちの劣情を知ってしまったからか、自分自身で自覚している以上に心が弱っているのかもしれない。
こんな会ったばかりの女の子に自分のコンプレックスを吐露してしまうなんて。
言われた方も困るだろう。
こんなのはただの愚痴だ。とりとめもなく、意味もない。
ピンク髪の少女はトスンと香澄の隣に座った。
視線を向けて顔を合わせると、一点の曇りのないアメジストのような瞳がこちらを見つめていた。
「君は君だろ。君にとって気持ちのいい在り方が、今の君なら、それでいいじゃない。僕もまぁ、いろいろと他人からは言われることはあるけど、僕は気にしないよ。僕はいつでも可愛い僕でいたいだけだからね」
にかっと笑った顔は太陽のような笑顔だ。
他人からの視線などなにも気にしない。他人からどう思われているのかなど関係なく、ただ自分が気持ちのいい在り方。
だから彼女はこんなにも眩しい。
こんなにも
とくん、と、胸の内のどこかでなにかが脈をうったように感じた。
「よし。それじゃあ、もう大丈夫そうだし。僕はこれで行くね」
ぴょん、と跳びはねるように立ち上がった名も知れぬ少女に、香澄は思わず「あ……」と声を漏らした。
引き留める言葉はけれども口から出てこない。
きっとそんなものでこの少女を引き留めることはできないと、なんとなく分かってしまったから。
「ねぇ! キミ、名前は?」
だから代わりに、香澄は名前を尋ねた。
また会えるかどうか分からない少女に、どこかで出会えた時に今度は名前を呼ぶために。
「アストルフォ! 僕の名前はアストルフォさ!」
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横浜某所────
「周先生、すっかりお世話になりました」
「いえいえ、そのようなことはありませんよ。陳卿」
互いに遜るような言葉をかけつつも、どこか空虚なやりとり。
それは彼らが互いに互いを利用していることを、どちらもが知っているからであろう。
一人は軍人として、この国への侵攻の足掛かりを作るための態よく利用勝手のいい駒として。
一人は、人ならざる視点から愚かしい人間を煽動するために。
「本国から艦艇を派遣すると連絡がありました。おかげで無事、次の作戦を遂行できる」
「それはそれは」
軍人の名は陳祥山。先だって目の前の優男の手引きのもと、部下たちとともに潜入することに成功した大亜連合軍特殊工作部隊の隊長。
彼らの目的は、この国の軍部が民間の研究者に委託したと思しき
だが目下のところ、それらはうまくいっていない。
この国の軍部からの漏洩情報をもとに、聖遺物がとある民間企業と高校生の手に渡ったと突き止めたまではよかった。だが強奪作戦はうまくいかず、ハッキングによって不安を煽ることはできたが、成果は上げられなかった。
「ただ、一つ未解決な問題がありましてな。ご存知かもしれませんが、武運拙く副官が敵の手に落ちてしまいまして
「ああ。存じておりますとも。勝敗は時の運とはいえ、まさか呂将軍が……」
加えて現地協力員を作り出すことには成功するも、その協力員たちは捉えられ、そこからの情報漏洩を阻止するために暗殺目的で派遣した魔法師が暗殺に失敗した上に捕縛されてしまったのだ。
本国から離れて潜入しているこの状況下では上官としてあまりに頭の痛い失態。
一度目のターゲットであった小娘の方は目の前の男──周公瑾が手配した駒なのだが、こちらの足が付く懸念があった。そのために搬送された病院に襲撃をかけさせた。
病院であれば暗殺も容易だろうと思われたが、予想外の遭遇、日本の魔法師の中でも屈指の近接戦闘の達人。幻刀鬼、あるいは
その時はなんとか敵にも手傷を負わせるとともに撤退することができたのだが、二度目の暗殺──男の方の現地協力員をターゲットにした時に捕まってしまった。
だが捕まってしまった彼はただの使い捨ての駒にするには、今の大亜連合にとって大きな損失となるほどに強力な魔法師。
対人近接戦闘において世界で十指に入ると称される大亜連合の白兵戦魔法師。
可能ならば奪還するとともに、今度こそ本命の任務──日本の魔法情報の奪取を果たすべきだ。
「しかし、一度は敵に囚われる失態を曝したとはいえ、彼は我が国に必要な武人。もう一度だけ──―」
「陳卿。こちらからもお伺いしたいことがございます」
こちらから使うことはあっても、相手から口を挟ませるつもりはなかった。
利用しているだけなのだから、ただ相手の口車に合わせてこちらの望みを叶えさせるだけでよかった。
だが目の前の男の言葉に、彼は言葉を止めた。
「もしかして呂将軍には古の武将の血が受け継がれているということはございませんか」
それは今は何の関係もなさそうな問いかけ。
たとえ古の猛将の系譜であろうともそれは数千年も前の話で、魔法の力などとは無縁にして対極の存在────―のはず。
「そう。三国に名を轟かせたかの有名な人中の勇将。飛将軍の」
男は知っていた。
その英霊がいかに強力なサーヴァントと為り得るか。
「であるのなら陳卿。こういう手はいかがでしょうか──────」
毒のように染み入る言葉。
それは今は失われたと、最後の魔術師たちが錯覚しているであろう奇跡。
否、悪魔の所業にして、邪悪なる法。