Fate/ School magics ~蒼銀の騎士~ 作:バルボロッサ
温かい目で見ていただけると幸いです。
今年度の新入生が魔法科高校への入学を果たした輝かしい(?)一週目はなんとかことなきを得て終わった。
勿論、それは大事故がなかったということではあり、真実何事もなかったわけではない。
例えば部活動勧誘は相変わらず過激で、初日から風紀委員による逮捕者が続出した。最も重大なものでは、剣道部と剣術部の諍いに端を発した騒動で、剣術部(魔法を用いた剣技を主体とした魔法系競技)の2年生エースが骨折した上で危険魔法使用の現行犯で風紀委員の某1年生に取り押さえられ、逆上した他の剣術部部員がその風紀委員に襲いかかるという事態があった。
あるいは卒業した某部活動のOGが新入生の中でもトップクラスに優秀な少女2名を拉致まがいに勧誘して風紀委員長とデットヒートレースを繰り広げたりといったこともあった。
ともあれ部活動勧誘週間中は、まだ新入生の慣らし期間も兼ねているらしく授業も本格的な実技などはなく、雫たちは勧誘の激しさに苦慮しながらも学校生活に慣れ始めていた。
クラスには同世代で彼女やほのかを上回る魔法力を持つ
そして他のクラスの友人もできた。深雪とその兄である達也との繋がりから2科生の柴田美月や千葉エリカ、西条レオンハルト。ほかにもBクラスの明智英美――エイミィなどとはかなり親しくなれた。
特にエイミィとはとある目的のために最近放課後に一緒に行動することが多かった。
そして放課後―――
「やっぱり私たちだけじゃ無理だったのかなあ」
帰り道。魔法科高校の門を出るまでの途上で雫はほのかとエイミィとともにがっかりとした会話をしていた。
反省会の内容は彼女たちが結成した少女探偵団としての残念な結果についてだ。
「でも卑怯なことがあったのは事実だし」
「襲った相手からなーんか嫌な感じがしたからそのまんまにはしたくないんだよね」
彼女たち三人はこの数日、部活動勧誘に紛れて行われているとある行動について調査していた。すなわち風紀委員、司波達也に対する暴行未遂行為についての証拠集めだ。
部活動勧誘週間が始まって早々、なかなかに強引な勧誘をOGから受けた雫とほのかはSSボード部への入部を決めた。同じく狩猟部へと入部を決めていたB組の明智英美(エイミィ・ゴールディ)とも知り合い、平穏ではないもののそれなりに充実した学校生活をスタートさせていたのだが、少々ならず見過ごせない事態を目撃してしまったのがきっかけ。
ほのかの愛慕する深雪の兄である達也。
二科生でありながら風紀委員となった彼は、活動初日から二年生でもトップクラスの剣術部のエースを倒したり、並み居る一科生たちを圧倒したりと大活躍をみせた。
例年であれば、風紀を取り締まる職務の風紀委員は腕っ節に優れている必要があることから一科生のみが努めていた。つまり一科生が一科生を、もしくは二科生を取り締まる権限を持っていたのに対して、二科生が一科生を取り締まる権限を持っていなかった。勿論必要であれば一科生の風紀委員も一科生を取り締まっていたのだが、変に差別意識を有しているとそれは一方的に二科生が冷遇されているとも、一科生としての特権としても見ることができた。
つまり二科生でありながら風紀委員に任じられ、力でもって一科生を圧倒することのできる達也は変な選民意識の根付いた一科生にとって明確に目障りだったのだ。
結果、達也は職務中に魔法の暴発に見せた意図的な流れ弾を向けられまくった。
雫やほのかが目撃したのは、そんな“不幸な”流れ弾を達也が事も無げに躱している場面だった。
すぐに事情を察することができ、回避の様子からも達也がとても強いということはわかったのだが、万一でも達也が傷つくことがあれば深雪が悲しむということで、ほのかが心配し、エイミィが提案する形で始めたのが少女探偵団もどき。
すなわち達也が意図的に職務を妨害されて魔法攻撃を受けている証拠を確保して生徒会ないし風紀委員会に通報するというものだった。
そしてなんとか襲撃者の写真をとることに成功し、公益通報窓口を通じて匿名で連絡をすることができた。
ただ問題はその結果があまり芳しくなかったようで、表立ってなんらかの処置が施されたように見えないこと。そして件の襲撃者が一科生でなく二科生であることや、写真そのものがあまり証拠としての有用性確かなものではなかったことに今更ながらに気がついてしまったのであった。
魔法は写真には写らないし、撮った写真も魔法発動の瞬間ではなく襲撃後に達也から逃走していたときのもの。
そんな写真を襲撃の証拠写真ですと匿名で提示されても、生徒会も風紀委員も動きようがあるまい。せいぜい襲撃犯の存在が確かになるくらいだが、それとて風紀委員の達也本人が襲撃されているのだから意味がない。かくして何をやっているんだかと自虐したところがほのかの冒頭の台詞だ。
「あっ!」
「えっ、何?」
三人揃って、特にやる気に溢れていたほのかとエイミィがうなだれていたところ、不意に英美が声を上げ、つられてほのかも顔を上げた。
「あそこほら。剣道部の主将だよ」
エイミィが見つけたのはほのかたちが目的した達也襲撃犯。非魔法系競技である剣道部の主将、司甲。彼女たちが達也に張り込みを行い目撃した顔から調べた結果得られた情報だった。
「あれ? でも今日剣道部は休みじゃないって教室で聞いたけど……」
「そうなの!?」
この情報を得るためにほのかと雫は深雪に部活のかけもちを検討しているというデマを伝えるハメになってしまった。その甲斐あってこうして怪しげな犯人を突き止めるところまではできたわけだが……
「あやしい! なんかピンときた! ……ちょっとつけてみようか?」
探偵気分にノリノリなエイミィからの尾行の提案。
たしかに、二科生にも関わらず二科生の風紀委員である達也を襲撃している理由も不可解だし、部活のある日に主将ともなっている人が帰宅しているというのも何らかのコトを推測させられる。
「そう、だね。……気になるし」
ほのかも同意を示した。彼女は控えめな性格をしているが、もとより達也の身を案じており、そういう時の彼女はなかなかに前のめりになることを幼馴染の雫は知っていた。
「わたしも異存はないよ」
少し考えた雫も同様の意見を示した。
本音を言えば、少しだけ不安はあった。けれども彼女もこの事件がどういう風に決着をつけられるのかは気になっていたから。
「じゃあ……」
エイミィの言葉とともに少女探偵団の活動が再び幕を開いた。
彼女たちは過信していた。
一科生二科生の差別意識には染まっていないつもりで、けれども一科生として選ばれているという自負がたしかにあった。
ほのかは雫とともに地元では匹敵する魔法師がおらず、深雪という強大な魔法力の持ち主を初めて見たばかりで、その彼女と同じクラスということは彼女の自負へとつながっていたから。
エイミィとて同じ。彼女はとある外国の魔法師の名家の血統であり、人には言えないが秘奥をその身に宿していた。だからいよいよ土壇場となればなんとかなる自負があった。
不安はあれども、そんな優秀な三人が揃っていれば、なんとかなる。そう楽観する過信が彼女たちにはあったのだった…………
――――――そんな彼女たちの様子を、校舎の窓から見下ろしている者がいた。
「ふ〜ん……」
いつものように稚気をたたえた笑みを浮かべる藤丸圭だが、その瞳にはいつもは巧妙に隠している冷酷さにも似た酷薄な色が見えていた。
見ている景色の中では、この学校での知り合いとなった雫とほのかが、彼と同じクラスの赤毛の少女とともにコソコソと動き始めている。
その動き方はわかりやすく、視線を避けようという意図が見えており、おそらく前を行く眼鏡の男子生徒を尾行しているのだろう。
男子生徒の方に見覚えはない。それに学校の外に行こうとしているということは、風紀委員としての任務の範疇からは外れる。
だが、なんとなくの直感が圭にピリッとした何かを知らせていた。
それが何かを知ろうとしても、この件に関して十分な情報が集まっていないからか“視”えてくるものはない。圭のそれは明日香の“直感”とは異なり、縁もゆかりもないところから未来を啓示されるものではない。
考えても出てこないものは出てこない。切り替えようと顔を上げた圭は歩いてくる深雪を見つけて、口を開いた。
「やあ、シヴァさん。どこかに買い物でも行くのかい?」
相変わらず不気味なほどに整った容姿だ。
「ええ。生徒会で発注ミスをしてしまって」
男女の性別を別にすれば明日香もかなり整った容姿をしているし、七草会長や雫にほのか、優秀な魔法師たちも概して美貌の持ち主ではあるが、彼女のそれは異質なほどだ。
圭は女の子が好きだが、それは基本的にいじり甲斐のある子が好きなのだ。この極めて異質な美貌の少女は下手に弄るとなかなかに恐ろしい事態に直結しそうなため、やや距離を置いている。
ならば今声をかけたのはなぜかというと……思わず、というのが本音だ。
「そういえばシヴァさんはどこかの部活には入らないのかい? 雫やほのかは、SSボード部という部に入ったようだけど」
圭の異能には情報収集が欠かせない。それは意識的に行う場合もあるが、大部分が無意識的に行われる。たまに無意識的に質問をしてしまうのも圭の癖で、だから普段から突拍子もない素振りを見せるようにしておいている。
「ええ。部活の掛け持ちも考えていると言っていたわ。私は今は生徒会で手いっぱいね」
それがどこのピースに当てはまったのかは分からない。だが返された答えを聞いた瞬間、圭の眼にはここではないどこか、今ではない時間の光景がよぎっていた。
――――路地裏で
対峙する氷の魔法師と ■■■■■――――
――――魔法は通じず、足元に倒れる3人の少女たち
周囲を覆わんばかりに迫る■■を遮るための障壁を張ろうと腕を伸ばした深雪は、次の瞬間その腕を―――
「ッッ。な~るほど……」
「なにか?」
なかなか鮮烈によぎった映像に、思わず片目を閉じてしまった圭。少しばかりおかしなリアクションをとっていたようで、深雪が小首を傾げて不思議そうに見ていた。
「いや、気をつけて行ってくるといいよ、うん。お兄さんと一緒に帰るなら寄り道はしないほうがいいね。特に路地裏にはね」
「? ええ」
結局彼は、“視”た光景については触れずに深雪を送り出した。
「…………ふむ」
止めはしなかった。
圭が“視”た光景は現実のものではなく、確定した未来のものではない。彼女をしばらく足止めすれば恐らくあの光景は変わるだろうが、その場合足元に転がっていた知人の少女たち三人の未来はほぼ確定してしまうだろう。
魔法も通じず、何もできず、■■■■■のなすがままとなる。
あの■■■■■が何者かも分からないまま。
幸いにも、圭には■■■■■の正体に心当たりがあり、あれこそが彼と明日香が探しているものの一つだと知ってはいる。ただし心当たりがあるからといって彼にどうこうできる相手でないこともよく知っている。
故に圭は、おそらく街中で当て所なく探索活動を行っている相棒に知らせるべくコールした。
✡ ✡ ✡
怪しさにピンときた司甲を尾行しているほのか達は、今のところ順調に彼の後をつけていた。
「何処まで行くんだろうね。そろそろ学校の監視システムの外に出るよ」
「そうだね……」
もちろん彼女たちに尾行術の心得はないが、尾行対象の相手は特別、追跡者に気づいた素振りを見せておらず、そのことが彼女たちに尾行の成功を錯覚させていた。
魔法科高校はその特性上魔法の検知システムがとりわけ強固であり、街中は街中で魔法の検知システムがあるが独立している。
そして彼女たちは学校の監視システムの検知外、すなわち学校という一種治外法権の区画であり彼女たち自身を守るゆりかごでもある場から出ていた。
「家がこっちの方角なのかな?」
「いや……朝はキャビネットで登校してるのを見たから違うはずなんだよね」
エイミィはどうやら相手の顔を知って以降、それとなく動向に目を配っていたらしく、登下校の方法まで知ることができた。
だがだとすれば、家の方向とは別の方向に向かって歩いている今の目的は何なのか。これが襲撃グループの密会なり怪しげな企みの現場であれば尾行は大成功なのだが……。
相手が日常的にとるはずとは異なる行動を行っているという情報を得ているのも、彼女たちの探偵気分を深めている一因だろう。
「なんか……ちょっとだけ不安かも」
ほのかの漏らした不安。それは三人共に共通であった。
漠然としたものではっきりと何かに恐怖しているわけでも、起こりうる未来を感じ取ったわけでもない。
ただなんとなく、大きさの見えないこの事態が、二科生の風紀委員に対する単なる嫌がらせを超えた所にまで発展しそうな予感はあった。
その予感は、ドキドキとした不安とワクワクとした期待とをもたらしており、追跡しているという高揚感は彼女たちから俯瞰的な視点を奪っていた。
ゆえにそれに気づいたときには、すでに後手に回っているものだ。
「……どんどん人気のない方に向かってる」
尾行に夢中になりすぎていることに遅まきながらも雫は気がついた。
どこかに誘導されているのか、あるいは本当に何らかの陰謀めいた企みがあるからこそなのか。探偵ならざる彼女らにその判断をするのは難しい。
言われて気づいたほのかやエイミィが大通りを振り返れば、入り込んだ路地裏は既に深く、大通りの賑やかさは遠くなっており、通りの喧噪が聞こえないほどの距離にあることを思い出して不安感が増した。
このまま追跡を続行するかどうか。
もしも何らかの企みに彼が加担しており、人気のない方向に向かっているのはアジト的な場所に向かっているとすればこの尾行は大成功だ。
一方で、もしもすでにこの尾行が気づかれているのだとしたら、これはもしかすると誘導かもしれない……。
「待って。何か話してる?」
尾行を続けるべきか、戻るべきか。逡巡したタイミングで、対象の司甲は足を止めた。
周囲には人は見当たらないが彼の横顔では口元が動いており、何かに話しかけているように見える。
音とは空気の振動で鼓膜を震わせる現象であるのだから、魔法ならばテレパシーのように言葉を届ける魔法も確かにある。あるいはそういった類の魔法で通話を行っているのか。
エイミィの言葉に、三人の判断はますます狂わされる。
気づかれないように尾行しているために当然、会話の声は聞こえない。集音の魔法でも使っていれば別であったかもしれないが、人をつけることに不慣れな三人が思いつきはしなかった。
そしてだからこそ、戻るという選択肢が頭から消え、対象の動きに合わせて足を止めてしまった。それは貴重な貴重な時間を逸するということであり―――――突如として対象が走った。
「気づかれた!?」
「わかんないけど、とにかく追うよ!」
だっと、いきなり走りだしたことで尾行がバレていたことを悟る三人。
だが同時に彼女らは今の今まで尾行者であり追跡者であったため、逃げ出した相手を追わなければという観念が咄嗟に思考を占めた。
驚愕しているほのかを叱咤するようにエイミィが駆け出し、雫も後に続こうとした。
相手は上級生とはいえ二科生という油断もあったのかもしれない。
追いかけようと、追い詰めようとした三人の足元の影が不意に揺らいだ。
「ッ! 二人とも下!」
それに真っ先に気が付いたのは雫だった。
「えっ?」「っっ!」
だが追跡のために前だけを見ていたほのかやエイミィは反応が遅れた。突然の声に呆気にとられ、あろうことかその場で足を止めてしまった。
その足元にある影が不気味に蠢き、まるで泥の中から這い出るかのように二次元的な影が立体感を帯びていく。
「げぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!!」
沸き起こるは異形。赤色の骨で形作られた骨人形があるのかも分からない発声器官から耳障りな声を発する。
「ひっ!」「な、なによコレ!!?」
青ざめるほのかに戸惑うエイミィ。その中で雫の反応は早かった。
――骸骨!!? ッ、吹き飛ばす!――
2年前に誘拐された経験から、理解できない危険事態への心構えが僅かなりとも備わっていたからだろう。
襲われているという事実を認識するや、雫は反射的に左腕を胸元に引き上げるとともに、腕につけてある腕輪型のCADを起動。複雑な魔法式ではなく、まず速さを優先して、次にありったけの威力を込めて異形の骨人形に叩きつけた。
速さ重視の単一系移動魔法。ただただ吹き飛ばすということのみを優先した魔法。
「きゃあああ!!!」
「ほのか! エイミィ! ッッ!」
だがその反応ができたのは雫一人だけであった。
見た目からして悍ましさと不可解を沸き起こらせる骨人形を前に、ほのかもエイミィも為す術なく腕を捕まれ地面に引き倒されていた。
そして雫も、精緻な魔法式を構築するゆとりがなかったとはいえ、速さ重視の単一系魔法で、それゆえに加減なしに打ち込んだにも関わらず、骨人形はその骨の一つも損傷していなかった。
衝撃に一度バラバラになりはしたものの、まるでヒトガタの形を骨自体が覚えているかのように自動的に組み上がり立ち上がったのだ。
――ダメージがない!? 魔法が、効いてないッ!――
「なら!」
ただ、相対するための体勢を整えるだけの時間はなんとか稼ぐことができた雫は、今度は先程よりも強力な魔法を放つべくCADに指を滑らせ、サイオンを注入し――――しかし魔法は放たれることなく視界が回転した。
「きゃぁ、ぁぐっっ!」
それが地面に引き倒されたためだと気づいたのは、自身の体が固い地面に押し付けられたからだった。
魔法発動の予兆は感じなかった。目前の異形とほのかたちのピンチに気を取られてはいても戦闘中だ。油断などしていなかったはずなのに。
「なにが、っ゛っ゛!!」
「おやおや、おやおやおやァ? なるほどなるほど、これが魔法というやつですかァ?」
人を嘲弄することに慣れたかのような甲高い声。背中越しに聞こえてきたその声に、雫は体を起こそうと力を込めるも、CADのある左腕を背中側に捻りあげられ痛みに声をくぐもらせた。
「いやっ! いやぁあああ!!!」
「くっ! ほのか! っ゛っ゛」
骨人形に仰向けに倒され、その眼前で動く髑髏にのしかかられているほのかの姿が目に写り、雫はなんとか魔法を使おうともがいた。
しかし左腕は捻りあげられ、右腕も倒れた時に体の下敷きになるように巻き込まれている。そして後ろから聞こえてくる声の男は雫の小柄な体に膝を乗せて動きを封じていた。
声の主は明らかに男。痛みによって魔法の演算を邪魔されているのに加え、ただでさえ小柄な雫の腕力では到底その状況を覆すことはできない。
「あァそうです。そうですとも。魔法師ですから魔法をもって危急の事態を打破しようというのは当然のことですよねェ。
――ッッ! 悪、魔!?――
自らを悪魔と嘯く謎の男。その言葉は揶揄するようであり、明らかに余裕が感じられた。
「ところでワタクシ、実は平和主義者でして争いごとは大好物なんですよ! それでそれで、このような物を預かっておりまして、いかがです?」
なんとか藻掻こうと足掻き、けれども地面からわずかも持ち上げられない雫の眼前に、紫色の手が差し伸べられた。その手は雫の体にのし掛かっている男のもので、その掌の上には一つの指輪が載せられていた。
無骨に角張った、装飾的なものではない真鍮色の指輪。
それが何か、理解しようとするよりも早く、ノイズが放たれた。
「ぃゃああああああ――――ッッ!!!!」
今度の悲鳴は少女たち三人同時にあげられたものだった。
――なにっ! これはッッッ!!!――――
ガラスを引っ掻いた音のような幻音が鼓膜を震わせ、魔法師の中枢でもある魔法演算領域を撹乱し、正常な体内の流れですらもかき乱されるような感覚。
「くひひひひひ! アンティナイトと言いましたかねェ。これでもう、アナタ方は魔法を使えないのでしょう?」
「アン、ティ、っ゛っ゛っ゛!!!!」
稀少鉱石アンティナイト。それは高山型古代文明とされた一部の、西洋のものとは異なる独特な魔術文明を築いてきた地域で産出された鉱石。
サイオンを注入することによってキャスト・ジャミングの効果を持つサイオンノイズを発振することのできるものであり、魔法式が対象物のエイドスに働きかけるのを妨害するキャスト・ジャミングは、魔法を殺す効果を持つ。
魔法演算領域を脳内に持つ魔法師にとってキャスト・ジャミングのサイオンノイズを至近距離で浴びせられるのはノイズを脳内に叩き込まれるのに等しく、その発振力が強ければ強いほど苦痛を伴う。
男のサイオン放出量はその意味で並外れているのだろう。
魔法師ではない一般人レベルのサイオン保有者がアンティナイトを使っても魔法師の卵であるほのかたちは魔法を使うことができずに倒れていただろう。
それをよりにもよってこの男はただ彼女たちを苦しめるためだけにアンティナイトを起動させた。そんなものを持ち出さずとも、拘束されている状態の雫には魔法を使うことはできなかっただろうに。
殊に至近距離で強力な魔法阻害のノイズを浴びせ続けられている雫の苦悶は桁外れだった。脳漿に電流が流され掻き乱されて荒れ狂い、頭蓋が割れるような痛み。
幼さの残る、けれども愛らしい容姿の少女が苦悶に歪むその表情に、男はゾクゾクと背筋を震わせた。
「ああイィイ顔です。そうです、その顔! そうだ! この指輪、アナタに差し上げようかと思います」
甲高く外れた調子のテンションから一転、極めて平静な声に唐突に切り替わった。その内容、アンティナイトを今まさにそれによって苦しめられている相手に渡すという意味の分からない提案。その最中でもサイオンノイズの嵐は止むことなく続けられており、雫の理解を超えていた。
そう、突然の襲撃者たるこの男の狂気は、雫たちの理解の範疇を超えていたのだ。
「これをアナタの体の中に埋め込んだらどうなるんでしょう? 魔法が使えなくなる? ずぅっと苦しみ悶えるその顔が見られる?」
「ッッぅっ!!! ぅあ゛ッッ!!!」
グリグリと顔にアンティナイトの指輪が押し付けられる。
冷たいはずの鉱石の温度は、しかし放たれるサイオンノイズの激しさによって眼球が沸騰するかのような激痛を雫にもたらし、呻きの声が漏れた。
その様にますます男の顔は恍惚となった。
「さァ、どこから入れましょう? ご希望はありますか? 口から? それとも肛門から直接胎内に入れて差し上げましょうか。あァ、心臓に埋め込むというのはいかがですか? 胸を開いて肋骨を割り、お嬢さんの赫い赫い血が満ちる心臓にこの指輪を埋め込むというのはァ!!」
悍ましき狂気そのものの提案に、しかし雫も、そして少女探偵団として団結し、三人一緒でならなんとかなると意気込んでいたほのかとエイミィの二人も手も足も出なかった。
魔法の通じない異形の怪物。それどころか魔法そのものすらも封じられて体を押さえつけられ、逃げ出すことすらもできない。
「ケヒヒヒヒ。さあ、魔法師のお嬢さんの心臓はどんなイロをしているのでしょうねェ」
「ひっ! ぅぁっ――――!!」
「し、ずく……」
男の指が苦悶に悶える雫の背中をなぞった。そこはちょうど心臓の真上に当たる部分。
荒れ狂うサイオンノイズの奔流に脳を掻き乱される激痛の中、少女たちはただできることとして願うことしかできなかった。
だがその願いを誰が叶えてくれるというのだろう。
魔法の通じない異形。魔法を封じるアンティナイト。悍ましい狂気の存在。
雫の背中に鋭いナイフのような刃先の感触が突きつけられた。制服を切り裂くつもりなのか、あるいはそのまま背中を裂くつもりなのか。
――誰かっ! 助けてッ!!――
祈りの形は、かつての暗闇。あの“奴隷王”と呼ばれた男に拐われた絶望のときと同じ形となり、そして―――――
「ヒヒ……!!!! ヒャフぇゥぅッッ!!」
いつかと、同じ疾風が吹いた。
輝きを持つかのように流れてきた風が一閃。雫の背後に伸し掛かっていた男の胸元を切り裂き斬撃を刻みつけ、風が吹き流すかのようにサイオンノイズを蹴散らした。
「えっ………………」
背中に伸し掛かっていた重みが消え、押し付けられていた地面から身を起こした雫は、眼前に立つ何者かの背を見た。
蒼と銀の鎧装束に身を包む騎士の背中。
フードに覆われ背を向けた状態ではその顔はおろか、髪の色すらも確かめることはできない。
けれども、既視感はたしかにあった。
“奴隷王”と向き合う騎士の姿。今も一足飛びに距離をとった男、まるでピエロか悪魔だというかのように主張している毒々しい紫白の男と相対していた。
泡沫に消えそうになる夢の彼方で、たしかに名前を聞いたはずの誰かの姿が重なった。
かつて彼女の窮地を救った蒼銀の騎士が、再び疾風と共に駆けつけた瞬間だった。