始まりの日
───気がつけば、そこは見知らぬ場所だった。
手足の感覚がない、というより体が存在していない。自分の意識だけがその空間に存在しているみたいだ。
周囲を見渡せば、まるで江戸時代までタイムスリップしたのかと思ってしまうぐらい古い街並みであった。
街の様子が慌ただしい。奥の方から住民たちが走ってくる。何かから逃げているようだった。
───そしてそれは、突然現れた。
住民の走る道のすぐ右隣の民家を跡形もなく吹き飛ばし現れたそれは、勢いそのままに住民の一人をまるで紙を引き裂くように、爪でその体を引き裂いた。
───それは異形、怪物だった。嵐のように現れたその怪物は逃げ惑う住民たちに遅いかかり次々と惨劇を生み出していく。
まさに地獄絵図。その惨い光景から眼を背けたくなる。──が、いくらそう思うと意識だけの状態である自分は、ただその光景を見てるしかなかった。
───救いはない。一人、また一人と命を散らしていく。
そして気がつけばその場に子供一人だけが残っていた。子供の周りには住民たちの死体。──恐らくその中には子供の両親もいたのだろう。
「……だれか、だれかたすけて!」
子供が助けを求める。──しかし、それを聞き入れる者はいない。周囲に虚しく響き渡っただけだった。
「あぁ……」
怪物が少年の側に歩きよってくる。そして子供の体と同じぐらいはあろうかというその腕を振りかざされる。
──結果は明らかだ。その子供が助かる余地はない。その腕が振り下ろされればその体は一瞬で引き裂かれるだろう。
───しかし、その予想は大きく外れることになった。
怪物の動きが止まる。その腕は子供の目の前で止まっていた。腕が子供に当たる瞬間、とこからともなく飛んできた札…見たいなものが怪物に当てられたのだ。
「そこまでよ、妖怪」
飛んできた方向を見ると、巫女見たいな格好をした少女が宙を浮いていた。
怪物がもがくが、全く動くことができない。──信じられないがその少女が怪物の動きを止めているのだ。
「これで終わりね!」
少女の周りに、七色の球体がいくつも生み出され、怪物にぶつける。
あれほどの地獄を作り出した怪物は断末魔の声も上げる間も無く七色の光の中に消えていく。
そして光が消えた時には、怪物の姿は消えて無くなっていた。
少女が子供に近づいていく。その表情は決して喜びに溢れたものではない。無念と悲痛の合わさったような表情であった。───その表情は何故か見覚えのあるものであった。
「君、大丈夫」
少女が子供に掛けた。力のない声が聞こえた時、この世界が崩れていった。
そして、
(……?)
気がつけば、周りの風景が変わっていた。
──どうやら、自分の意識は空の上にあるようだ。
周囲を見渡してみると、そこには山があった。湖があった。竹林みたいなのがあった。そして幅広く広がってる森が見えた。よく見れば、さっきの古い町もそこにはあった。
───これは、さっきまで見ていた世界と一緒の世界なんだろうか?
そう思うほど、この光景が美しく見えた。少なくとも自分が知る限りではこれ以上ないほどに。
───わからない。街での体験も、この光景も。全て身に覚えのないことのはずだ。……はずなのに、何故か大切なものを忘れているような気がしてならないのは。懐かしく思うのは。
一体、何故──
視界が少しずつ光に包まれていく。少しずつ、世界が消えていく。
そして───
✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎
目を開くと初めに窓の外からの光が視界に入った。
「───っ」
朝日に目を細める。どうやら今日は快晴のようだ。
「……夢、か」
さっきまで見ていた夢の内容を思い返してみる。が、どこが記憶がぼんやりして思い出すことはできなかった。
2月の寒さの布団から出たくないという誘惑に打ち勝ち、体を起こし布団から出る。時計を見ると既に6時半を過ぎており、扉の向こうから賑やかな声が聞こえていた。
「……寝坊した」
と、その時扉が開く音がして、一人の女の子が入ってきた。
「あ、お兄ちゃん起きたよ、先生ー!」
入ってくるなりそんなことを叫んでいた。
女の子の名前は『みらい』。俺たちみんなでつけた名前だ。
「ん、おはようみらい」
「おはようお兄ちゃん、ご飯出来てるよ」
「わかった、今いくよ」
みらいに言われ支度をする。どうやら自分の代わりに先生が朝ごはんを作ってくれたようだ。
とその時ふとみらいの顔を見てみると、何か不思議そうにこっちを見ていることに気がついた。
「どうした?」
「お兄ちゃん、どうして泣いているの?」
「え?」
そう言われ、自分の頬に手を当ててみると少し濡れていることに気づいた。
「 本当だ……なんでだろ?」
「もしかして、どこか痛いとか?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
「ふーん、変なの。それじゃ私、先に行ってるね」
そう言うと、さっさと部屋を飛び出していった。
「………」
自分も開けっ放しになった扉から部屋を出る。
───本当に、なんで涙が出たのだろう?
✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎
廊下を歩いた先の扉を開け部屋の中に入る。そこにはみらいを含めた3人の子供たちが朝ごはんを食べており、その奥にあるキッチンで皿を洗っている女性がいた。
「すみません先生、寝坊しちゃって。今日の朝ごはんは俺の当番だったのに」
「いいのよ。さ、顔と手を洗ってご飯食べちゃって」
自分の言葉に優しい言葉で返す。言われた通りに顔と手を洗い、その後机に向かい、朝ご飯を食べ始める
何故みんなが彼女のことを先生と呼ぶのかと言うと、彼女は幼稚園の先生なのだ。
今住んでいるここは、小さい幼稚園を兼ねていて彼女はここの先生をしている。
───もっと言えば、先生と俺や子供たちと、血の繋がりはない。みんな、身寄りのいない所を先生に拾われた。所謂孤児である。
先生はみんなのことを本当の家族のように扱ってくれた。学校行くお金を払ってくれたのも先生だった。
その時、先生は。
「気にしなくていいのよ、家族だもん。ちゃんと勉強していつかちゃんと大人になってここを巣立っていってくれればそれが一番の恩返しになるよ」
と、そう自分に言ってくれた。その時に俺はいつかこの大きい恩を、必ず返すと決めたのだ。
「それじゃ、私はそろそろ幼稚園の準備をするから後はよろしくね俊君」
そう言うと、先生は奥の部屋に入っていった。
自分はまずみんなの食器を片付け、食器を洗う。そしてその後子供たちに着替えるよう促す。
「ほらほら、みんなとっとと着替えろー」
「えぇ、もっと遊びたいよー」
「いやだよ。寒いもんー」
「みらいはもうとっくに準備終わってるぞー、負けていいのかー」
「いいもん、寒いの嫌だもん」
「お姉ちゃんは小学生だから負けて当然だしー」
「いいから着替えろ幼稚園児どもよ、さもないとお前らが大事に取ってあるプリンを勝手に食っちまうぞー」
「うっ、わかったよ…」
プリンの脅しにより、渋々着替え始める。それからようやく自分の用意を始める。準備が終わる頃には、学校に行く時間になっていた。
「さて、俺とみらいは学校に行ってくるから、二人とも先生に迷惑かけちゃダメだぞー」
「迷惑なんてかけねーよーだ」
「お兄ちゃんもお姉ちゃんも学校頑張ってねー」
「うん、二人とも行ってくるね」
そんな感じで、二人の義弟に見送れながら幼稚園を出るのだった。
「それじゃ、私も学校こっちだから」
「おう、みらいも学校頑張れよ」
「うん! お兄ちゃん学校で寝ちゃダメだよ?」
「ほいほい、寝ないように気をつけますよー」
そうやって道が反対なみらいとも別れ、高校へと向かうのだった。
✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎
「うぅ…寒。こりゃ当分春は来ないな」
登校中、あまりの寒さに思わず呟く。今日は特に風も出ていて余計に寒さを感じる。
「さっさと学校に着いてあったまらなければ」
そう思い、足取りを早める。
───その時だった。
「白山俊、覚悟──!!」
「……っ!!」
背後の声に慌てて振り向く。
気がつくのが遅かった。既に声の主の獲物は眼前に迫っていた。
そして───
「───っ、こなくそぉ!!」
「うおぉ!?」
咄嗟にその獲物を右手で上に殴りつけ弾く。そしてその後に返しに左手でカウンターを声の主の顔面に打ち込む───
────寸前の所で寸止めした。
「────」
「────」
周りが静まり返る。そして数秒の静寂の後。
「───さすが俊、すごい反射だなぁ」
襲撃犯は、のほほ〜んとした声でそんなことを言った。
「ったく、毎度毎度背後から木刀で襲ってくんなよなぁ」
「ま、これが俺とお前の朝の挨拶みたいなもんだし、よくね?」
「いいわけねぇ!」
「おうおう、今日も元気そうで何よりです」
「誰のせいだよ!?」
そんな感じにおちゃらけているこの襲撃犯は、『漣 刀夜』。同じ高校の同級生であり、小学生からの親友である。
「はぁ……なんか朝から疲れたわ」
「ほう? なんかあったのかい? 困ってるなら相談に乗るぜ?」
「いい、原因は10割お前だし」
そんな漫才のやり取りを繰り返しながら、学校に向かっていく。
「そういや俊知ってるか?最近学校に変な倶楽部が出来たらしいぞ」
「変な倶楽部?」
「なんでもオカルトサークルらしくて、えっと名前は確か秘……えっと秘……なんだっけ?」
「いや知らんわ。それで?その秘なんとかって言うオカルトサークルがどうした?」
「いや、別に。ただそれだけなんだけど」
「あ、そう。別に興味ないな」
そうやってその倶楽部の話は打ち切れる。別に倶楽部に入る気は無い。そういや前に刀夜から一人しかいない剣道部に誘われたこともあったけ。
と、そんなことを考えているうちにいつの間にか学校に着いていた。
「お、学校に着いぞ」
「それじゃ帰るか」
「いや、何でだよ」
そんないつも通りのやり取りをしながら、『東深見高校』に入っていた。
✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎
「っはぁぁ、疲れた」
学校の授業が終わり、ため息を吐く。
進学校である東深見高校の勉強はなかなか大変だ。頭が痛くなるほどには。寝ている暇は全くない。
───だと言うのに、刀夜のやつは授業の大半を寝て過ごしてやがる。
これで赤点を取らないってのが不思議だ。
「おい起きろ、もう授業終わったぞ」
「──んー? もう朝?」
「寝ぼけてないで、おーきーろー」
「お、俊おはよう」
「はいはいおはよう、ったく帰るぞ」
「あら、今日は剣道部に寄ってくれないの?」
「今日は気分が乗らんのでパス、また今度な」
「ほいほい、じゃーねー」
刀夜に見送れながら、教室を後にする。
たった一人の剣道部とは言え、あれでも剣道の腕はなかなかである。
───まあ、人の背後から不意打ちとかどうかと思うが。
学校を後にし、家もとい幼稚園までの道のりを真っ直ぐに進む。
既に夕暮れ空となっており、空をオレンジ色に彩っていた。
「少し暗くなってきたな、とっとと帰ろう」
寒さに身を凍えさせながら、帰路を急いで行った。
✳︎✳︎◇◆◇✳︎✳︎
門の前まで帰ってきた。
「……灯りが点いていない?」
いつもならこの時間ぐらいになると、部屋の灯りが外からでも見えるのだが、何故か今日は点いていなかった。
「みんなでどっかに行ったのかな?」
そう思いつつ、玄関から入る。
───胸騒ぎがするの感じながら。
「だだいま」
扉を開けて中に入る。靴を見るとみらいの靴は無かったが、義弟たちと先生の靴は確かにそこにあった。
「みらいはまだ帰って居ないのか。それにしてもなんで──」
───そう呟いた瞬間だった。あり得ない物を目にしたのは。
「───何だよ、これ」
それは足跡だった。少なくとも人間のでは無いものの。
「───」
反射だった。直ぐに部屋の方に駆け出していく。
───嫌な想像が頭から離れない。朝起きた時にはぼやけて思い出せなかった夢の内容が、今では嫌に鮮明に思い起こされる。
嘘だ。
そんな。
馬鹿な。
夢中で廊下を走り、部屋の扉を開け放つ。
「───」
そこで目にしたものは、血まみれのまま動かない女性と、正に夢に出てきた通りの怪物がそこに立っていた。
俺はまず顔を指でツネって見た。そのあと二の腕を同じく指でツネって、そのあと顔をビンタしてみた。
───これは夢だ。そうに違いない。そうでしかない。だから早く覚めろ。夢だからとっとと覚めろ。こんだけツネってるんだからとっとと覚めろ。いいから覚めろよ!!
───だが、いくらそう思っても場面が変わることはない。それでようやくこれが夢でないということを嫌でも理解した。
「───ふざけんじゃねえ、俺はまだ何もしてやれてないんだよ。恩を返せてない。何も返せてないってのに……」
怪物は、そんな俺をきにも止めていない。ただ一点を見つめているだけだった。
「てめぇ……どこ向いているんだ」
怪物がキッチンの方へと向かっていく。何故そこへ向かっていくのか。
「……お兄ちゃん」
───それは、その声を聞いた瞬間わかった。
怪物は、ただ単純に次の獲物へと向かって行っていただけだった。
そう、キッチンの裏に隠れている俺の義弟達を殺すために。
「やめろ」
怪物の歩みは止まらない。
「やめろ」
怪物がキッチンの角に差し掛かった。
「やめろ」
そして、怪物が義弟達を発見し──
「グガァァァァァ!!!」
「やめろって言ってんだろが、この化け物が!!」
叫びながら、近くにあった花瓶を怪物の頭にぶつける。
視線がこちらに向けられる。
───怖い。その顔は鬼そのものだ。だが、それ以上に憎い。あの顔をへし折ってやりたい。
「おら、どうした。やられたままで悔しくないのか! こっちに来やがれバケモン!!」
「ガァァァァァ!!!」
その声に反応してか、怪物が物を蹴散らしながらこちらへと襲いかかってくる。それと同時に自分も怪物から逃げるように駆け出す。
(そうだ、ついて来やがれ。俺の義弟から離れやがれ!!))
向かう先は幼稚園の中庭。まずはそこまで誘導してそれからどうするかを考える。
───が、
「───がぁっっ!?」
中庭に出て瞬間のことだった。背中に想定外の衝撃を受けた。
見ると、机が背中にぶつけれていた。
誰がなんて言う必要もない。あの怪物が投げ飛ばした物だ。
「ぐぅぅぅっ!??」
余りの衝撃に立つことが出来ない。そして。
「ぁっがぁぁ」
倒れているところを思いっきり蹴りあげられる。
その時の痛みで一瞬気を失った。
───だめだ。もう無理だ。ここで殺される。
死が、少しずつ近づいてくる。既に体はもう動かすことは出来ないみたいだ。
怪物の腕が振り上げられる。奇しくもあの夢の子供と同じ状況であることにもはや笑いすら込み上げてくる。
───だが、ここはあの世界じゃない。助けてくれる人なんて誰もいない。
そして腕が振り下げられる。その瞬間いろいろな事が頭の中を巡っていく。俗に言う走馬灯ってやつだろう。
───先生は無事だろうか? まだ死んでいなければいいのだが。義弟達はちゃんと逃げたかな? ちゃんと逃げてくれ。すまないな刀夜、約束守れそうにないわ。みらい…お願いだから、今帰ってくるなよ。
そして、目をつぶった。死ぬ瞬間の自分の姿は見たくなかったから。
───だが、その瞬間はいつまでたってもやってくることはなかった。
「……ぇ?」
怪物の姿を見る。腕は俺の顔の目の前で止まっていた。
「ギャァァァァァァ!!?」
「なっ──!?」
急に怪物が苦しみだす。その場に倒れてしまい、そして怪物の姿が何もなかったかのように消えてしまった。
「き、えた?」
「───消えたんじゃない。ただ幻想に帰っただけだよ」
不意に、声が聞こえた。
見上げるとそこには一人の少年が立っていた。
「お、前。一体」
「僕のことかい? 僕は──」
その瞬間、視界が真っ暗になっていった。
その、意識を手放す瞬間、少年の口からこんな事が聞こえて来た。
───僕は、幻想の最高神。みんなは僕のことを、龍神様って呼んでいるよ。
それが俺が意識を失う前に聞こえた、最後の言葉であった。