「敵の名は天草式、あるいは島原式のいずれかだと推測されております 」
表向き、ローマ正教日本十時教会所属の司祭協議会の支部が入っていることになっているビルの20階の一室で異端審問局極東支部長を務めるレナート・ボルジアは部下からの報告に静かに頷いた。
副支部長であるヨハネ・エルグマンと違い、レナートは異端の対象を排斥する思考は持ち合わせていない。
そもそも異端審問局が今回、レナートに与えた指示の内容は、ヨハネが熱烈に追い求める『異端の殲滅』ではない。
「彼らが相手では苦戦して当然です。そもそも弾圧を行った旧他宗教勢力を相手に数百年隠れ潜み、信仰を守り通した歴史をもつ組織ですからね 」
「彼の場合、元の経歴が経歴でありましたから...... 」
「ああ、彼は確か......スペイン星教の出身でしたね 」
「ええ、例の『第3王女誘拐作戦』......『ドーバー海峡攻防戦』で敗北した後に我らの元に彼は身を寄せておりましたから 」
スペイン星教派、すなわちスペインにおけるローマ正教の一派は、かつてスペインが『太陽の沈まぬ国』と呼ばれた時代から、長らくイギリス、つまりはイギリス清教と対立していた。
それは、イギリスとスペインの間に起きた一大戦闘である『アルマダ海戦』でスペイン無敵艦隊が壊滅してから、さらに顕著になったとされている。
「他宗派、それも国家をあげた作戦に敗北したことにより、彼はもともと持っていた正教外への排斥心をあれ以降さらに増大させたのでしょう......まして相手となった片割れが『島原式』ならなおさらでしょう 」
部下の言葉に、レナートは手元の資料に目をやりながら呟いた。
「彼ら相手に二度の敗北は許されない......そろそろ放っては置ませんね.....島原式..... 」
「うわっくしょん! 」
「!どうしたのですか? 」
「いや......誰かに噂されてる....かも? 」
「そんな迷信(ジンクス)を信じているのですか? 」
「他者から見れば迷信(ジングス)の中に生きるのが魔術師(おれたち)だって忘れてないだろうな!? 」
そんな会話をしながら神裂と楠木は、村の出口に向かっていた。
昨日、ローマ正教異端審問局所属の神父(楠木の見たてによる)、ヨハネの襲撃を受けた神居愛華だが2人の活躍もあり退けることに成功した。
そんな愛華は、村の伝承に登場する七頭龍を倒す剣、『七天七刀』を神より授けられたとされる巫女、神居くしなの血筋を引いている。
それを理由に異端審問局側は襲撃をかけてきたという訳で、事態を重く見た楠木は、愛華を村役場に移し、そこへ様々な形に偽装して待機している『島原式』のメンバー達に保護と警戒を命じたのである。
そして楠木たち2人は、判明した敵、異端審問局に対処するために、この近傍における十時教、ローマ正教の拠点を探ることにしたのである。
「しかし、再び村が襲撃されたりする心配はないのでしょうか? 」
「完璧とは言えないが.......うちらは先祖代々『隠れ潜む』ことで生き残ってきた宗派だ。俺は仲間を信頼しているよ。それにお前たち、天草式も協力してくれるんだからよ 」
楠木の言葉に神裂は曖昧に頷いた。そうではいけないと思いつつも神裂は天草式の仲間たちを楠木のように信じることができずにいた。
聖人である神裂にとって、他と違う力を持って生まれたという経歴は『特別であるのだから他者を守らねばならない』という思い、責任感を生む原因となった。
その結果、神裂は守るべき対象として仲間を見ることはできても、肩を並べてともに戦うといった思いを持つことができないまま今まで過ごしてきていたのだ。
「取り敢えず異端審問局の奴らの動向を探らなきゃいけない。今回の奴らの目的がもし『異端の排除』でないとすれば、おのずと奴らの狙いも見えてくる 」
「それは? 」
首を傾げる神裂に楠木が応えようとしたその時だった。
『知恵のあるものはその獣の額の数字を読むと良い。それは666である 』
突然、外国語、いまや死語となりつつあるバチカンの公用語であるラテン語が響き渡った。
「! 」
「やはりか!くるぞ! 」
舌打ちしながら楠木が腰の鞘から小龍景光を抜きはなった直後、雄叫びをあげながら黒い影が宙を飛んだ。
「これは......! 」
「犬!? 」
2人の前に降り立ったのは、神裂が叫んだ通り犬であった。
ただしその身体は石造りであり、
大きさも日本原産種然とした外見に反比例した巨体さを誇っている。
「『大狛犬』.......ですか? 」
そう呟いた神裂に楠木は首を振った。
「いや、確かにベースはそうだったかも知れないが、もはや本質的に違うものだぜ、あれは 」
改めて刀を正眼に構えながら、楠木は目の前の巨犬を見据えて言った。
「あの額を見りゃ分かるだろ。ヨハネの黙示録に登場する『黙示録の獣(アポカリプス・ビースト)』.......かの有名な『666の悪魔』だよ 」
確かに目の前に迫る巨犬は額に焼印を押されたかのような666の跡がある。
「しかし、あの外見はどう見ても....... 」
「ああ、そうさ。あれは確かに神裂が指摘したように『大狛犬』の霊装だろう。やつら、異端審問局のやつらが『改造』したんだ 」
「......! 」
それに気づいて息を飲む神裂に楠木は頷いた。
「昨日言ったろ?異端審問局の役目は『異端を滅する』だけじゃないって。奴らにはもうひとつ役割がある 」
「それは......! 」
神裂が聞こうとするより早く、遠吠えを上げて、巨犬が2人に向けて飛びかかってきた。
「下がれ!神裂! 」
神裂に向けて叫びながら、楠木は小龍景光を地面に突き立てて叫んだ。
「顕現せよ!不落千早! 」
次の瞬間、飛びかかろうとしていた巨犬の前方の地面が隆起し、その体を弾き飛ばした。
そのまま隆起して行く地面は徐々に小山の姿をなしていきその頂上には、土作りの山城が現れた。
「これは.....また? 」
中央櫓の上で呟いた神裂に傍にたつ楠木は頷いた。
「楠木軍法術式が一つ、不落千早だ。神話級の化け物相手に通じるか知らんが、島原式(なかまたち)の迎えがくるまでたてこもる 」
「わかりました...... 」
そう言った神裂だが実は釈然としていなかった。なぜなら、昨日見た楠木の術式にしろ、今回の術式にしろ、術者の魔力、すなわち体内のマナをかなり消費させるはずであるのに、彼は全くそういったそぶりを見せないからである。
「あの? 」
「なんだ?手早くしてくれ怪物が態勢を立て直す前に 」
「魔力とか持っていますか?きついのでしたら私が変わりますが........ 」
「いや、大丈夫だ。そもそも俺は魔術を使ってない 」
「は? 」
思わず真顔で聞き返してしまった神裂に楠木は当たり前のように言葉を続けた。
「おれが使っているのは魔力とは別の力だ......本来人が持てないはずの力、『天使の力(テレズマ)』。それの体内への保持を可能とする『仏』である俺だからできる技だがな 」