神裂は夢を見ていた。それは彼女がまだ『聖人』として生きなくてもよかった時代、まだ彼女が『女教皇』でなくても良かった時代、暖かく優しい、過ぎ去ってしまった記憶の夢だった。
「天草式はなにか悪いことをしたのですか? 」
そう無邪気に聞く神裂に彼女の家庭教師を務めていた天草式のメンバーはこう言った。
「いえ、誓って何も悪いことはしていませんよ......ただ何もしなかったから、あんなふうにされたのですよ 」
「悪いことしていなかったのなら怒ればよかったのに 」
「ええ、そうでしょうね。そうすればよかったかもしれません.......でもね私たちのご先祖様はそうはしなかったのですよ 」
「どうして? 」
「『彼ら』のようになりたくはなかったからですよ。何より正しく信念に従ったために、あんなふうになってしまった『彼ら』のようにならないために 」
当然その当時の神裂に家庭教師の彼女が言った『彼ら』がなにかなどわかるはずはなかった。だがいまは、その『彼ら』に該当する誰かの名が思い浮かぶ。
年上で、強くて、日本刀を振るい戦う、自分たちと同じ隠れ信仰を母体とする宗教組織のリーダー。
「楠木.....さん.......? 」
「呼んだか? 」
「ん!? 」
バッと勢いよく上半身を起こした神裂は、自分が意識を失っていたことに、今更ながら気づいた
「ようやく起きたか。あまりにも長く意識失ってるから心配したぜ.......いくら聖人とはいえさすがにレナートお手製の改造霊装の攻撃のダメージは負荷が高かったんだろうな 」
神裂は自分の右手に目をやる。あの戦闘、異端審問会のレナート・ボルジアが仕掛けてきた『大狛犬』の改造霊装『666の獣』を相手にした戦いで神裂は刻印を身体に刻まれたことによる遠隔干渉によって一時的に右手を操られ、正面から彼女を助けるために動いていた楠木に斬撃を浴びせてしまった。結果的には『666の獣』とそれを制御していた『逆十字架』の霊装は破壊され、楠木自身も大した怪我は負わずにすんだものの、一歩間違えれば楠木を殺してしまうところだったことを考えて神裂は重い溜息をついた。
「おいおい、そんな溜息つくなって。お前の責任感の強さは確かに美点の一つだけどさ......そんな風に悩んでるとしわが増えて余計に......っと........」
初めて出会った直後に口に出して天高く吹き飛ばされたNGワードを口にしかけて慌ててその言葉を飲み込んだ楠木だったが神裂はそれに気づくことはなく、相変わらず沈んだ表情を浮かべていた。
「ローマ正教の異端審問会ですと? 」
楠木と神裂の報告に村長は目を丸くしていった。
「はい。以前に報告したときの敵.......愛華さんを狙ったヨハネ・エングルマンの場合は、その名が異端審問会関係の情報の中に挙がってはいなかったので確証を持てませんでしたが、今回は間違いないはずです。なにしろ今度の相手は『教皇軍の継承者』。あのボルジア家の当主様ですからね 」
ボルジア家、その家系はローマ正教の歴代教皇に名を連ねる名家である。特にイタリア半島における群雄割拠の乱世の時代、類まれなる外交手腕と非情ともいえる政治手腕を武器にイタリア統一を志したチェザーレ・ボルジアはその名を知られている。
そのチェザーレが率いたローマ正教にとっての国『ローマ教皇領』の国軍として近隣国家の併合に大きな役目を果たしたのが『教皇軍』である。そしてその『教皇軍』を大幅に強化したのがチェザーレ・ボルジアを筆頭とするボルジア家であった。
「彼、レナート・ボルジアはかのチェザーレの再来とまで言われる実力者です。実際近年力を伸ばしてきているイギリス清教に対してローマ正教が有利を保てているのも、彼が『13騎士団』の戦力化を成し、『ペテロの十字架(クローチェディ・ピエトロ)』を初めとする『聖霊十式』をすべて探し出して実用化したからだと言われていますし、間違いなく現在のローマ正教の重鎮の一人と言えるでしょう 」
「なるほどのぉ.......じゃが、そんなお偉いさまがなんでこんな辺鄙な村に伝わる刀を奪おうとしたのじゃ? 」
老人が不思議がるのも無理はない。そもそも村に奉られていた霊装『七天七刀』は、異端審問会がその存在を知って確保に動くほど強力な霊装でもなければ重要な霊装というわけでもない。七天七刀はあくまでも村で暴れていた怪物、七頭龍を封印した神から授けられた神器という扱いであり、さらに血筋が刀を扱う条件となっている。その上伝承の中には『七天七刀』そのものの威力についての描写はない。あえていうなら7つの首を切り落としたという下りであるが、そもそもそれは単に神が天から7本の刀を落としたからであって刀自体の力によるものではない。要は『神がその力でもって地上に投げ落とした結果退治された』ということになるわけなのである。
「そこのあたりについては調査を続けます。ただ.........」
楠木は彼には珍しく少し語尾を濁らせながら続けた。
「神居愛華さん.......彼女が狙われる可能性が高く、実際に用心棒役の自分たちが襲撃を受けた以上、この村で守り続けるのは難しいでしょう。ですから彼女を僕たち島原式の......」
「私たち天草式のほうで保護します! 」
思わぬ形で言葉を遮られた楠木は、ゆっくりと神裂のほうに顔を向けてため息をついた。
「もしかして、まだ刻印の影響が.......? 」
「違います!基本今回の一件ではあなたに迷惑ばかりかけているからこんな時ぐらいは私が役に立たなきゃいけないと思ったからです! 」
そう頬を赤く染めて反論する神裂にやれやれと楠木は肩をすくめた。
そんなわけで村長の許可を取り付けた2人は、件の神居愛華を連れて村の近くの漁港にやってきた。ここで天草式のメンバーと合流するためである。
「なるほどな.......基本陸地にいたらローマ正教日本十字教会が地味にあちこちに立てている『教会』のほうからくる敵にいつ襲われるかわからない。だったら海に出てしまえばよいとはよく考えたな........つーか、最近の天草式は海上戦用の霊装まで持つようになったのかよ 」
そう感心した声を上げる楠木に神裂は満足そうな表情を浮かべて応えた。
「ええ、私の前の世代ぐらいから持ち出すようになったと聞いてます。たぶんですが日本における宗教組織の中では断トツの規模かと 」
「すんげえドヤ顔になってんぞお前........」
そんな言葉の応酬に置いてけぼりにされる形で海をぼんやりと眺めていた愛華が、その物体を発見したのはそんな時だった。
「あれって.......船かしら? 」
愛華のつぶやきに気づいた楠木は、その懐から小型の双眼鏡を取り出して水平線のほうにレンズを向けた。
「ああ.......確かにありゃ船だな、遠すぎて輪郭が朧げにしかわからないけど、船だというのは間違いないはずだ。あれがお前の仲間の船なのか神裂? 」
そういった楠木だが直後、いやでもその間違いに気づいた。自分で意識しているか知らないが、心を許した相手に対してはすぐに感情が顔に出るタイプの神裂の表情はとても、仲間が来たことを喜んでいるような表情ではなかったからだ。
「いえ.....あれは違います。大体私たちが持っているのはせいぜい大きくて屋形船程度です
でもあれは........」
そう、そこにあったのは明らかに神裂たちが持ちえない形の船、否、持つことを許されない種類の戦艦、西洋式の大型ガレオン船だったのである。
「あれは? 」
楠木は思わずわが目を疑った。
神居 愛華が遠くに確認したものは確かに船だった。正確には帆船だった。より正確に言うならば中世に活躍したであろう形状をした軍艦であった。
「真無敵艦隊(バーダット・アルマダ)だと......あんなもの持ち出してきやがるとは! 」
「あれが無敵艦隊?でも、確か無敵艦隊はアルマダの海戦で壊滅したんじゃ? 」
なぜか西洋史に詳しいらしい愛華の言うとおり、歴史上、かつて存在したスペインが誇る世界最強を謳われた大艦隊、無敵艦隊はイギリスとの間に発生した海上決戦に敗れ去れ、以後歴史の表舞台からは消え去ることになった。そう歴史書には記されている。
だが、もちろんそれは表側からの記述にしか過ぎない。裏側、すなわち魔術サイドの視点から見た場合、あのアルマダ海戦で壊滅したのは表側の戦力としての無敵艦隊に過ぎなかったのである。
「魔術的な意味での海上戦力、それが『真無敵艦隊』だ。スペインは元々教皇軍から強い影響を受けている国だから動いても不思議じゃないとは思っていたが.......まさかあの国の切り札まで出してくるとは思わなかったぜ 」
半ばあきれたように首を振楠木だが事態は切迫している。このままでは何らかの魔術的攻撃を波状的に喰らうことは火を見るより明らかである。なにしろ敵は『艦隊』なのだ。今現れている一隻だけですむ筈がない。
「とにかくここから離れるぞ!艦船相手じゃさすがに分が悪すぎる! 」
楠木は単独で複数の神話級の霊装兵器を相手にできるほどの実力者であり。神裂もその力を制御し切れていないとはいえ、聖人である。だがそれでも『海上戦』それも魔術的な方法で建造された俗に言う『魔船』相手では個人での抵抗に限界がある。
もっとも楠木には、やり方によっては対応可能かもしれないという目論見はあった。
「(ただし、リスクが高すぎるってのがあるんだが........愛華さんを神裂に運んでもらえばなんとかなるか.......) 」
楠木は先ほど艦船相手では『分が悪い』といったが、それは『愛華を連れた状態での戦闘では』という意味である。自分で独白していた通り、楠木は個人としては限界はあるとはいえ『魔船』に対抗可能な術は持ち合わせていた。
「神裂、お前の仲間たち......天草式のメンバーたちはこの近くの海域のどこかにいることは間違いないんだな! 」
「はい、それは間違いないです! 」
「なら、ここを離れてとっととそれらと合流するんだ!ここで俺が派手に動いてあのガレオン船の注意を逸らしておく! 」
「しかし......また楠木さんに......」
そう言って渋る神裂に楠木は怒鳴り声を上げた。
「俺に恩義を感じているなら、なおさら愛華さんを連れて離れろ!俺はお前を信じてるんだ、必ず愛華さんを守り切ってくれるとな。その気持ちに応えてくれるなら俺にとってそれほどありがたいことはないんだ! 」
楠木の言葉に神裂は、なおも複雑な感情がこもった表情を浮かべていたが渋々ながら頷き、愛華の手を取ると、楠木に背を向けて走り去った。振り向きざまに小さく、『必ず来てください』とそう呟きながら。
「さてと.......じゃあ一丁やったるか! 」
そういうと楠木は地面に、腰にある刀『小龍景光』を突き立てながら叫んだ。
「英雄がもとに龍は集えし! 」
その瞬間、地面が180度、仕掛け絵本のようにひっくり返り、局地的に純白となった大地に、まさに『龍』としか形容できないものが現れた。
「よいしょっと......さあ飛べ! 」
龍の頭の部分にまたがりながら楠木がそう叫んだ瞬間、全長10メートルをこえる巨体がまるで空を泳ぐかのように軽やかに大空へと舞い上がった。
同時刻、沖合のガレー船では、戦艦ラ・トリニダ号では船長が陸地から突如飛んでくる真っ白な巨大な蛇のような物体を視認して慌てて迎撃指示を出していた。ラ・トリニダ号は教皇軍の船舶用魔砲の代表格といえる標準型聖バルバラの神砲を初めとした大小の艦載砲13門のほかに、『聖ホルへの槍』といわれるスペイン星教独自の霊装も装備していた。
これは形状的には旧ソ連で開発された多連装式ロケットランチャー『カチューシャ』と似ている。しかし『カチューシャ』であればロケット弾が載せられているであろう場所には、古めかしい雰囲気を醸しだす『槍』が装てんされている。
「攻撃開始!」
船長の号令と共に艦隊の前面と後面に分けて配置されていた合計10基、各16本ずつの合計160本の槍が一斉にこちらに迫ってくる龍に向けて放たれた。
「聖ホルヘの槍.......!となるとやはりこいつらは.......」
自らに向かって放たれた無数の槍を確認した楠木は龍の体に突き立ったままの『小龍景光』を握る手に力を込めながら叫んだ。
「散れ! 」
次の瞬間、龍の姿ははじけるように飛び消え、空には無数の白バトが現れた。
「馬鹿な! 」
ラ・トリニダ号の艦橋部でこの光景を目にした船長はわが目を疑った。
まっすぐに目標に向かっていたはずの無数の槍は、龍の姿が掻き消えた途端、皆方向を見失ったかのように各々バラバラの方向にヨロヨロとした軌道を描きながら飛んでいいってしまったからである。
「竜(ドラゴン)を......迫害者、異端を必ず排除するはずの霊装が.......なんで外れる!?」
聖ホルヘ、その名はある聖人のスペイン語読みである。その聖人とは『ドラゴン退治の英雄』として知られる『聖ゲオルギオス』である。一般人には『聖(セント)ジョージ』としてのほうが比較的知られているであろう。
伝説の中で毒の息を吐く巨大な竜を、あいた口に槍を刺して倒したとされる彼の記述を元に開発された、『聖ホルヘの槍』は『竜』に指定した相手に対して放つと、迷うことなくまっすぐ目標に直進し、たとえ躱されても反転して追尾し、敵にとっての急所に突き刺ささるという機能を持っている。
ヨハネの黙示録をめぐる解釈としても採用されていることだが、原始キリスト教会では迫害者や異端の宗教における最高神などを『竜(ドラゴン)』として名指しで敵視することがあった。それらも踏まえて形作られている霊装を楠木が躱せるはずがない。
「そう考えているだろうが.......まあそもそも最初から『異端』でも『迫害者』でもないからな俺は 」
上空からガレオン船に向けて降下しながらそう呟き、楠木は右手をまっすぐ上に掲げた。
「天界に願い奉らん!神の倉より剣を出したる許しを!」
その言葉と共に楠木の足元に何匹もの鳩たちが集まり、その姿を変化させて板のような形状の足場を作った。
そしてそれと同時に楠木の掲げた右腕に次から次にと鳩たちが引っ付いていき、あっという間にそれは見上げるような高さまで伸びていった。
「顕現せよ!『鞘から抜かれた剣』! 」
楠木の叫びと共に、その集まった鳩たちは糸がほぐれるようにその姿を崩れさせ、一瞬で楠木の腕からまっすぐ上に伸びる巨大な純白の大剣と化した。
「な........!撃て、撃てえぇ!! 」
船長の絶叫と共に無数の魔術的効果を帯びた矢玉や槍、杖から放たれる光線などが楠木を狙うが、それらは皆片っ端から空中に展開される鳩たちが変化した純白の盾に阻まれて虚しく散っていく。
「無駄だぜ........人が形作った『魔術』攻撃で『天使の力(テレズマ)』そのものの攻撃をどうにかできると思ってんのかよ? 」
楠木はゆっくりとした動きで改めて、大きく『鞘から抜かれた剣』を振り上げる、眼下で慌てふためく船員たちに対してなんの感情も感じていないかのような無表情のまま、楠木は彼らに対する最後の一言を呟いた。
「神はあの世にいまし、この世になかりし......だ 」
次の瞬間振り下ろされた大剣は船を真っ二つに切り裂く共に、その下の海面に3隻展開していたガレー船もを薙ぎ払い、一瞬にして『真無敵艦隊』極東派遣艦隊第1分遣隊を全滅させたのである。
同時刻、同海域から少し離れた海域で、一隻の木造船の上で黒髪の少年がその様子を双眼鏡で眺めていた。手に持つのはフランベルジュと呼ばれる刀身がジクザグした形状の特殊な剣、どこかで職探しをしている大学生のように長身にぴったり合うような黒スーツ姿にネクタイを締めており、神は73に分けている。
「こいつは......凄いのよな......」
双眼鏡に映る光景にあっけにとられている様子の彼に後ろから声がかけられた。
「教皇代理、どうぞ 」
そっと後ろから差し出されたパックのおにぎりを受け取って、建宮は後ろを振り返っていった。
「おう、あんがとな五和。お前はまだ見習いなんやからそう無理することはないのよ? 」
建宮にそう言われて五和は少し照れくさそうに首を振った。最近は意識しているのか髪の毛を伸ばしているらしく、腰くらいのところまでの長さの黒髪をポニーテルにしている。どうやら女教皇(プリエステス)をまねているらしい。
「いえいえ、せっかく天草式が大活躍できそうなときに拠点で掃除なんてつまらないですから。それに......」
五和は片手で支えていた海上用戦場槍(フリウスピア)を持ち直して構えた。
「遊びで槍術を練習してたわけではないですから 」
「(あのちっこかった五和がこんなに大きくなるとは........いろんな意味でデカくなったもんよな.......)」
そんな不埒なことを考えていたのが、おそらく顔に出ていたのであろう。その数秒後、彼はすっ飛んできたレイピア(模造剣)をお尻に刺された気絶人として海中に漂っていたところを、合流するために向かってきていた神裂と愛華に発見されることになるのだった。
ようやく書き終おわりました第6話!というわけで今回も数少ない読者様の言葉に励まされながら書き上げることができた将軍でございます。
最後のほうがなんだかおかしな感じになったことは見逃してください。正直今は現実(リアル)で忙しい時期で精神的に参ってしまっているのでございます。年度終わりって厳しい(涙)
さて、今回はまさしく楠木無双!という感じで前回に引き続き楠木の活躍を描きましたが、あらかじめ読者様たちからの質問を予想して応えていこうと思います。
Q1 あの龍は何ですか?
あの龍は正確には『龍の形をした天使の力の集合体です』
Q2 『鞘から抜かれた剣』って?
大天使聖ミカエルがヒラの天使だった時に神の武器庫から取り出して、兄のルシフェルを倒すために使った剣の名です。
Q3 なんでスペイン星教が楠木たちを狙うの?
教皇軍を率いるレナート・ボルジアの要請に応えて出てきました。もっとも彼らには楠木たち島原式に対する私怨もあるが故の介入ともいえます。原作を読んだ方で、前回の初めのほうの回想を見た方ならそれがなんなのか見当つく方もいるのではないでしょうか?
以上3つの勝手に質問予想でした。これからも頑張って続きを書いていきます。次回はいよいよ天草式過去メンバーたちと楠木が対面します。お楽しみに!