【未完終了】インフィニット・ストラトス ━風穿つ者━ 作:針鼠
一話
青い空。白い砂浜。そして、果ての見えない広い海。――――なにより水着の女の子である。
突然ではあるものの、臨海学校である。
★
学園所有の専用バスに揺られやってきたのは海の近い、格式高そうな老舗の旅館。なんでも例年この学園の臨海学校にはこの旅館を貸しきっているらしく、見た目若い女将さんが見惚れるような笑顔で出迎えてくれた。ちなみにあの女将さんは去年も、その一昨年も、聞けば学園が初めてこの旅館を訪れた頃から女将さんだったらしい。実年齢は不明。
兎に角、各々が一旦割り振られた部屋に荷物を置いて大部屋に集められる。そこで千冬の口から告げられたのは、初日は自由時間でいいとのお達しだった。臨海学校も立派な学業の時間――――だがたまには羽目を外して良しと言われた生徒達は狂喜乱舞した。比喩ではなく狂ったように喜び乱れ舞った。
部屋の割り振りで一人出遅れた楓がトランクスタイプの海パンを履いて浜辺にやってくると、すでにクラスメート含め一年生達は海を存分に満喫していた。
太陽の日差しと、若者達のエネルギーに満ち満ちた熱気に当てられて、楓は達観したように零す。
「若いっていいねえ」
「オヤジか貴様は」
スパン、と力加減を踏まえた鋭いツッコミを入れられた。
「いや、つい圧倒、され……て…………」
「どうした?」
振り返った楓は固まる。
背後からツッコミを入れたのは声からして千冬であると充分予測していた。そして振り返り、予想通りそこにいたのは彼女だった。ただし、その格好に思わず言葉を失ったのだ。
普段スーツに隠されたシミひとつ無い艶やかな肌。鍛えぬかれ洗練された肉体に無駄な肉など一切無く、しかし母性の象徴たる所々は充分過ぎるほど実っている。刀のような鋭い美貌は灼熱の太陽の下でも翳ることはなく、それら全てを際立たせる大人っぽい黒色のビキニ。
後ろに立っていたのは水着姿の千冬だった。
まじまじと、無遠慮に千冬の立ち姿を眺めた楓は一言。
「千冬さん、なんかすっげーエロい」
「ガキが色づくな」
「っでえ!?」
硬い拳が容赦なく振り下ろされた。
目をチカチカさせて、殴られた頭頂部を擦る楓は唇を尖らせる。
「褒めてるのに」
「それで褒めてるつもりなら、貴様はもう一度『女』というものを学び直せ。そして私のことは『織斑先生』だ。一体何度言えば――――」
「ぷっ、千冬さんが恋愛語ってる……え? 実は経験豊富だったりするのか!?」
前半は明らかに馬鹿に、後半は動揺した様子で騒ぐ楓の顔が、グワシッ! と掴まれた。
「そうか、死にたいのならそう言え。沈めてやる」
「いででででででで! つ、潰れる! メキメキいってる!!」
「織斑せんせー! お待たせしましたぁ!」
セルフ万力から、千冬の気紛れでからがら解放された楓はその場に跪いていた。そうして遠間から呼び掛けられた真耶の声に釣られてそちらを向いて、再び硬直することになる。
探していた千冬を見つけたからか、嬉しそうに大手を振って駆け寄ってくる真耶の姿は幼く、危なっかしい。そしてなにより危なっかしいのは彼女の格好だ。普段の大きめのサイズの服でも充分わかるロマンの塊が、今はみんなと同じ水着という頼りない布切れに覆われただけで、彼女は千冬とは違い同世代の女性より身長が低くありながらしかしそのスタイルは千冬を上回るものであり、それはつまり――――
「どこを見ているエロガキ」
地面にめり込むほど強く叩き伏せられる。しかし楓の顔は満足気だったという。
★
夜。大広間にて一同に会する生徒達。
グツグツといい具合に煮えた牛肉と山菜の鍋。新鮮なお刺身。ふっくらと炊かれた白い米。
誰もが思わず溜まった涎を飲み込む料理の品々が並ぶ御膳。その前に敷かれた座布団の上に膝を折って座るのは全体の三分の二だけ。残りは和室の景観に似つかない簡易テーブル席に座っていた。
IS学園はその特性故、毎年多くの外国人が入学する。彼女達のほとんどは畳の上に直に腰を下ろして食事をするなど経験したこともない。
そんな彼女達の為に、毎年旅館側は特別に和室にテーブルと椅子を持ち込んで大部屋に並べてくれるのだ。
しかし、今年はどういうわけかテーブルではなく日本様式に沿った食事を希望する者が多かった。せっかく日本に来たのだから、どうせなら日本の作法に則りたいという熱い希望が彼女達の主張である。――――無論、それには裏がある。彼女達の目的は一夏だった。
一夏は生粋の日本男児である。飲み物は茶を好み、肩まで浸かれる風呂を愛する、ついでに人情味あふれた、近年でもみない絵に描いたような少年だ。そんな彼は、当然のように夕食ではテーブル席ではなく御膳の用意された和式を選ぶ。実際一夏はそのつもりだった。
ならば、彼の隣の席で夕食を迎えるには自らもそちらを選ばなくてはならないのだ!
改めて語る必要も無いが、一夏は学園のアイドルである。同じクラスの連中はもちろん、普段クラスが別々で中々お近づきになれない女子生徒達も、今回の臨海学校で一気に彼との距離を縮めたいと思っていた。
必然的に起こったのは血を血で洗う戦争だ。謀略の限りを尽くし、魂を削るような駆け引きを行い、最後は執念がモノをいう正しく闘争。
恐ろしや。楓はそんな戦いを、さっさと空いているテーブル席で眺めていた。これほどの激戦が巻き起こっているのに、相変わらずの唐変木一夏は先ほど気楽な調子で『一緒に食おうぜ』とか誘ってきた。蹴り飛ばして断った。
楓は一夏の隣に座ったって得は無い。それどころか要らぬ恨みを買う可能性しかない。そんなものは御免だ。ちなみに楓の隣はまだ空席だ。
本人そっちのけの戦いは結局セシリアと、ちゃっかり隣を確保したシャルロットの勝利で終わった。余談である。
食べ始める前の騒がしさが嘘のように和やかに夕食の時間は流れた。見た目通り美味しい料理に誰もが舌鼓を打ちながら箸を進める。
楓も時折友人達との会話を楽しみながら美味しい料理を堪能していたのだが、ふとあるものを見つけて正面の人物に声をかけた。
「なあラウラ」
楓の正面に座るのは左目を眼帯で隠した隻眼の少女、ラウラだった。
彼女はドイツ人でありながらとても綺麗に箸を使いこなし山菜を頬張り、こちらを見た。
「なんだ?」
老老とした口調ながら少女らしい高い声。
最初の頃は声をかけても視線すらくれなかったが、あのタッグマッチ以来徐々に態度が丸くなってきた。今ではクラスにもかなり馴染んでいる。
堅苦しい口調や、今でも時たま見せる冷淡さも、個性として受け入れられている。
席が隣ということもあって、楓はこのところ特に彼女と会話することも多い。そんな彼女について楓は最近あることに知ったことがある。
「これ知ってるか?」
楓が指し示したのはラウラの刺身皿。その隅。緑色の塊。ご存知、わさびである。
ラウラは馬鹿にするなというように自慢気に鼻を鳴らす。
「当然だ。わさびというやつだろう?」そう語った彼女は少し怪訝な顔をして「まあ、色が色なので食すのは遠慮したがな」
たしかに、わさびを知らない者にとってこんな緑々した物を好んで食べようと思う者はいないだろう。悪く言えば毒々しい見た目も手伝っている。
見れば彼女だけでなく他の外国人の少女達の多くも刺し身を完食しているものの、皿にわさびだけを残している。
「じゃあ食べたことないのか?」
「ああ」
だからどうしたと言わんばかりにラウラは湯豆腐をつまみ、はふはふと食べている。
「そうか……」
突然、楓は深刻そうな顔を俯かせた。
「なんだ? どうかしたのか?」
「いや、な……」
「言いたいことがあるならはっきり言え」
口調は傲慢ながら、その顔には友人に対する気遣いが窺える。仲間にはとことん優しいというのも最近知った彼女の一面だ。
楓は意を決したように顔をあげた。
「わかった。言うよ」
実はな、そう言ってしばし溜めた後、彼は口走った。
「実はわさびっていうのは日本の夫婦にとって誓いの証なんだ」
『え?』と楓の左右、ラウラの左右にいた日本の女子生徒達は声を揃えた。無論それは今し方楓から告げられた話が初耳であるからだ。
「日本じゃわさびを食べることは夫婦にとって最初に与えられる試練みたいなもんでな。互いに同じ席で食べるのは謂わば最初の儀式なんだ。逆に食べられないと正式な夫婦として認められないという厳しい掟がある」
いや、初耳というか確実にデタラメだった。そんな話聞いたこともない。
なにが悲しくてわさびが食べられないくらいで夫婦になれないというのか。日本人にだってわさびを好まない者はごまんといる。
だが、しかし、
「なん……だと?」
隻眼を目一杯見開いて、今まで上手に握っていた箸を落としそうになるほど驚愕するラウラ。――――そう、彼女は面白いほど純粋だった。
その後も表向きは真剣な顔でわさびについての歴史を語る楓。そんな中、テーブルの下で笑いを堪えて震える握りしめられた拳。
周囲の友人達も、こんなデタラメな作り話を真剣に聞きいるラウラが可愛くて、面白くて、黙って身悶えていた。
「……そうだったのか」
楓の話を最後まで聞いたラウラはしばし目を閉じて黙考し、やがて座敷側で楽しく食事を摂る想い人の少年を見た。そんな彼の刺身皿の上に、わさびの塊は無い。今の彼女にはそれが彼からのプロポーズにさえ思えた。
「一夏は私の嫁だ。ならば夫婦である私がこのわさびを食べないわけにはいかない!」
勇ましい。悲しいほどの純白な、穢れ無き心の持ち主だった。だがしかし憐れだ。
一度は置いた箸を掴む。その箸さばきはやはり見事で、寸分違わずわさびの塊を掴み取った。丸々全部。
「あ、あのラウラさん?」笑いを堪えた涙目で隣の席のクラスメートが「少しずつ食べたほうが……」
「構わん。わさびなるものが少々なる刺激物だというのは知っているが、これも試練。いやこれを一気に食べてこそ私の嫁に対する愛を示すことになろう!」
もう駄目だ。お腹が痛い。
楓に至っては最早声を出すことも出来なかった。
そんな周囲の目の前で、ラウラは掴み取ったわさびを躊躇いなく口へ放り込んだ。
「あ……」
誰かが声を漏らした。しかしすでに手遅れだ。
沈黙。
沈黙。
沈黙。
「っ~……!!!!!?!!??」
声にならない絶叫だった。ラウラの色白の肌がみるみる赤く染まる。
「ぶわっはっっはっはっはっはっは!!」
堪えられなくなった楓は腹を抱えて笑った。なんか座敷側では一夏達が騒がしいが、そんなことを気にしてられないほど、今にも椅子から転げ落ちんばかりに大笑いして、その顔面に出席簿が突き刺さった。
「貴様等は静かにすることが出来んのか!?」
千冬の一喝を持って場は鎮まり、後は粛々と幕を下ろすのだった。
ちなみに、食事の後ラウラの軍隊仕込みの制裁から楓を救おうとする者はいるはずもなかった。自業自得である。
★
騒がしい夕食を終え、時刻は決められていた消灯時刻も過ぎた。
そんな夜更け、月明かりだけを頼りに板張りの廊下を歩く人影が一つ。現在旅館に寝泊まるほとんどが十代半ばの少女であるが、その人影は百八十近い体格を有していた。パタパタとスリッパを鳴らして歩くのは楓だった。
ここが学園の外であろうが、今回の臨海学校の責任者は規則にはめっぽう厳しい織斑 千冬。消灯時間も過ぎたこんな夜更けに部屋を出て出歩こうものなら即刻厳罰が課されるのは必至。せめて言い訳ぐらいの猶予は与えてくれるかもしれない。
そんなこと彼ほどの人間がわからないはずもない。それでもこうして命知らずに出歩いているのには理由がある。それはそれは深い理由。
その原因は楓の同室、副担任の山田 真耶にある。
改めて言う必要もないが、織斑 一夏は学園のアイドルである。そんな彼をこの外出時に女子生徒と同室にするわけにはいかない。――――いやまあ、学生寮の同室も大概ではあるのだが。
兎も角、勢い任せて一夜の間違いでも起こされるのはまずい。そうでなくても一夏が野放しになっていれば彼を狙う女子達が騒いで旅館に迷惑がかかる。
それらを考慮して学園がとった措置は至極明快。
一夏は千冬と同室にしてしまおう、というものだった。
姉弟の千冬なら間違いが起こるはずもない。他の生徒達も千冬がいたとあっては無茶も出来ない。これぞ一石二鳥である。
もう一人の男性操縦士? あっちは大丈夫だろうけど副担任とでも同じ部屋にしとけばいいんじゃね? はっはっ、これで万事解決!
――――てな感じだったのだが、
「全、然! ダメじゃねえか!」
夜。千冬と明日の段取りを終えて部屋に戻ってきた真耶はふとんにもぐり込むなりぐっすり眠ってしまった。それはいい。
問題は彼女の寝相の悪さだ。眠るなりすぐに掛け布団をはねのけた彼女は、あられもない姿を晒していたのだ。元々旅館から貸し出された浴衣に装いを変えた真耶の姿はそれだけで目に毒だったわけだが、寝返りをうつ度にその胸が零れ落ちそうで、あまつさえ、
『あ……織斑君、だめ……ダメですそんなの。み、御堂君まで……もう、二人一緒にだなんて』
とか寝言で口走っていた。
「どんな夢見てんだあの人!!」
このままでは己の理性を制御しきれず明日には退学処分が待っていそうだったので彼は部屋を出た。せめてふとんにもぐって一秒で眠るぐらい猛烈な眠気がやってくるまで、こうして時間を潰す羽目になったのだった。
そんな理由で夜の旅館をぶらつく。明かりは月だけ。音色は虫の鳴き声。世界はひたすらに静かだった。
現在旅館に泊まるのは騒がしさにかけては世界一を評していい学園のメンバー。しかし通り過ぎる部屋はどこもかしこも物音一つ無い。さすがの彼女達も長時間の移動と、昼間の海水浴で騒ぎすぎて、夕食と風呂を済ませるなりすぐに眠りに落ちてしまったのだ。
ふと開けた空間に出た。そこはどうやら中庭のような場所らしく、屋根は無く、整備された草木が茂る場所に石床が敷かれていた。そちらへ足を伸ばそうとして、
「こんな時間に貴様はなにをやっている」
背後から死刑宣告が告げられた。
「言い訳があるなら」いや、と彼女は断じて「遺言があるなら早く言え」
「せめて言い訳させて!」
正しく死刑宣告だった。
振り返ったそこに立っていたのはやっぱり千冬で、彼女もまた浴衣に身を包んでいた。普段見ることのないそんな格好に一瞬見惚れてしまうが、今まさに自分の命が危ういことを思い出して楓は必死に頭を回転させる。
ふと、懐の重みに気が付いた。忘れかけていたが今はこれだけが最後の頼みの綱である。
「言い訳が思いつかないから買収することにする」
「なに?」
ゴソゴソと懐を弄って取り出したのは――――缶ビールだった。
「………………」
千冬の目が一瞬輝いたのを楓は見逃さなかった。
彼女の眼前にビールを差し出しながら、楓は満面の笑顔で言う。
「
あまりにも下手くそな小芝居である。暗に見逃してくれと言っているのだから。
しばし難しい顔で葛藤していた千冬は、やがて顔を背けてぼそりと答える。
「五分だけだ」
交渉は成立した。
毎度閲覧ありがとうございます。最近更新速度落ちていて申し訳ない。
>てなわけのアニメ一期最終にして、四章、VS福音の始まりです。
今回はなぜか山田先生がやたらピックアップされてしまいました。けどあんな童顔先生いたら私は休まず学校に行きました。たとえ熱でも這って行きましたとも!
>夕食のあれは、一部私の実話エピソードをもじったシーンでした。けど改めて読むとなんか楓がすっごい性格悪く見えましたw
ラウラは可愛いなぁ。ほんと。
皆さんはこんな悪ふざけはダメですよ。わさびで遊ぶとほんと死ぬ思いして鼻水出ます。